2 あの頃のゼウスではない
ナディア視点→ゼウス視点
ゼウスに抱えられながら階段を移動したナディアは、留置場一階にある応接室のような場所で、レイン先輩からの話を聞いた。
ゼウスが予想した通り、ナディアの処刑はなくなった。
アークは、番を得たナディアの処刑を取り下げることに同意したという。ナディアがゼウスの獣人奴隷になる手続きを進めるという話だった。
しかし今は明日のシドの処刑で銃騎士隊本部もごたごたしているし、ひとまずはゼウスとナディアの関係はあまり大っぴらにはせず、都内に二人の潜伏先を用意してあるので、落ち着くまではしばらくそこで暮らすようにと言われた。
ゼウスが、「ナディアの身体が辛いようなので移動は休んでからにしたい」と言うと、レイン先輩は「ヤりすぎたんだろ」とニヤリと笑ったが、誰のせいだ!とナディアは殺意が湧いた。
ナディアはレイン先輩にムカムカしていたが、銃騎士隊二番隊に所属する彼はその中でも薬を扱う部所に配属されているようで、休憩室らしき部屋で横になったナディアに、痛み止めやら獣人にも効く栄養剤やらを出してくれた。
それからレイン先輩は、「今日から毎日欠かさず飲むように」と避妊薬も出してきた。
『二人の重要なことまで口出してこないで!』とナディアは文句を言いかけたのだが、
「大事なことだよ。ゼウスを守りたいなら飲み忘れないように」
そう言われて、口をつぐんだ。
子供なんて生んだらゼウスが処刑されてしまう。確かに大事なことだった。
避妊薬の説明や、飲み忘れたらどうすればいいかなどの話をレイン先輩が真面目にしてくれるので、結構面倒見が良いんだなと関心していたナディアだったが―――― しかし、意図的だとは思うが、先輩の説明は不十分だった。
薬を飲んで小一時間ほど休んだら身体もだいぶ楽になったので、三人で馬車に乗り移動したのだが、着いたのはレイン先輩の家だった。
(潜伏先が先輩の自宅の地下とか聞いてない!)
「……まさかレイン先輩の家で三人で暮らすんですか?」
自宅を案内されながら、ゼウスもあまり乗り気ではなさそうだった。
「いや、四人だ。もうすぐ俺の嫁が来る」
(嫁ってどんな人だろう。仲良くできればいいけど)
目まぐるしく変わる状況についていくのがやっとだったナディアは、レインの相手が誰なのかについては深く考えなかった。
地下空間は潜伏生活にもってこいなほどに生活設備が全て整っていて、食料さえあれば地上に行かずともここでずっと暮らしていけそうだった。
地上に通じる扉には番号で施錠する鍵がついていて、その番号はゼウスとレインのみが共有して秘密保持するという話で、どうやらナディアは二人の許可がない限りは自由に外には出られないようだ。
(潜伏じゃなくて監禁じゃないですかこれ!)
地下に降りてから、ナディアの左足首には地下空間の中央に鎮座する柱に繋がる、鎖がとてつもなく長い獣人用の枷が取り付けられてしまった。
二人はナディアに聞こえないように何事かをこそこそと話し合っていて、その後に枷を嵌められる流れになってしまった。ゼウスとレインは、二人してあーでもないこーでもないと言いながら、長い鎖部分を調整していた。
鎖に繋がれても地下空間のどこにでもいける仕様になったが、獣人用の足枷がある限り、地下から出てレイン先輩の家から脱出するのは不可能そうである。
鎖部分は例のナディアのトランクの中に入っていたものと、レイン先輩が家のどこからか持ってきたものを繋げていた。トランクの中身を詰めたのはゼウスだし、ナディアは二人から同じ穴のムジナ臭を感じてしまった。
(ゼウス、昔は女の子を監禁することに同意するような人じゃなかったと思うんだけど………)
でも、ゼウスをそんな風に変えてしまったのはきっと自分なのだろうと思った。
一通り地下室の案内を終えたレイン先輩は、もう夜も遅いからと一階に上がって行ってしまった。
もちろん地下室の出入り口は施錠されて――ゼウスなら開けられるが――密室に二人きりで残された。
ゼウスは浴槽に湯を溜めて入浴の準備をしてくれた。一緒に入るのだろうかと思ったが、先に入ってと言われて、別々だった。
入浴中も足枷は外されなかった。鎖が通るための隙間が空いた浴室の扉の向こう側から、ゼウスが現れないだろうかと思ったが、彼は来ない。ナディアは落ち込んでしまった。
付き合っていた頃基準で考えてしまっていたが、今の自分たちは恋人じゃない。当たり前と言われればそうだった。
******
「良かったなゼウス。悲願成就したな」
キョロキョロと周囲を見回しながら地下空間を歩き回って部屋の配置や設備を確認しているナディアをよそに、その姿をじーっと見つめているゼウスにレインが声をかけた。
「奴隷ですけどね」
流されるように関係を持ってしまったが、本当にこれでよかったのだろうかと、葛藤する思いはある。
ナディアは獣人だ。ゼウスの中には未だに消化しきれていない部分が、確かにあった。
けれどあの時、ナディアを選んだのは自分だ。媚薬の影響があったとはいえ、抱かずに済ませる方法がないわけではなかったと思う。上手くやれば『悪魔の花婿』になることを回避できたはずだが、ゼウスはそうしなかった。
ゼウスは極限状態の中で、憎しみよりも愛することを選んだ。殺すつもりで探していたのは、愛情の裏返しだったのだと、その時に気付けた。
もしもゼウスが行方不明になっていたナディアを見つけられたとしても、きっと殺すことなんてできなかったのではないかと、今ならそう分析できる。
媚薬の影響はあったが、完全に支配されていたわけでもない。ナディアを愛しているから、抱きたいと思ったから抱いたのだ。
ナディアと番になれたことにゼウスは満足していた。
獣人にとって番は特別な存在だ。ナディアはきっと自分から一生離れないだろう。
そう思うと、暗い喜びが胸を支配した。
「レイン先輩、絶対にナディアに手を出さないと約束できますか?」
「もちろんだ。俺は嫁一筋だからな」
謎の存在『彼女』がいきなり『謎の嫁』に昇格しているが、ゼウスはそこら辺のことはいつも通り聞き流すことにした。
重要なのは、レインが未だにその謎の女性に操を立て続けていることだ。今更、ナディアに手を出すことはないだろう。
「ありがとうございます。俺もそのうちにこういう家を建てようと思うので、それまでの間は地下に囲わせてもらってもいいですか?」
「期間限定とは言わずにずっといてくれて構わないぞ」
本気か冗談か見分けがつかないが、ゼウスはレインのそのありがたい申し出を受け入れることにした。
最初は自分以外の男とナディアが一緒に暮らすだなんて嫌だと思ったが、よくよく考え直してみたら、それほど悪いことではないと気が付いた。
ナディアとレイン、自分にとって大切な二人と一緒に暮らすことは、ゼウスにとってもむしろ望む所だった。
「ところで先輩、相談があるのですが」
「何だ?」
「ナディアに枷を付けて地下室に繋いでおきたいのですが、どういう風にしたらいいと思いますか?」
ナディアと番になれても、彼女に拘束具を使いたいというゼウスの歪みは直っていなかった。