6 セシルの精神
セシル視点
ライト侯爵夫人が無事に馬車に乗り込むまでを門の内側から見ていたセシルは、侯爵家を抱き込むことに成功した本日の成果に満足していた。
セシルはナディアの周囲を注視していたので、たまたま侯爵夫人の動向に気付けた。流れで彼女を味方に付けることができたのは幸運だった。
もしも義姉になる予定のナディアと侯爵夫人が会ってしまい、料理を差し出されていたら―――― 度量は広いが少々捻りに欠ける彼女は、自分を捨てた夫人を許した上で促されるまま毒入り料理を口にしていただろう。
(まあ、そんなことにならないように先手は打っていたわけだが)
ナディアは最初こそ銃騎士隊本部の留置場に収監されていたが、セシルが家族全員を欺いて魔法を使い、デク人形をナディアの身代わりとして牢屋に置いているので、彼女が銃騎士隊やその他の者たちに害されることはない。ナディア自身は現在別の安全な場所にいる。
セシルが捏造した過去は誰にも見破れない。セシルの魔法は『真眼』の魔法使いを凌駕するほどにもなっていたので、セシル以外の魔法使いは誰も気付けないだろう。
現在父の意向により、初恋を大拗らせ中の次兄にだけはナディアが捕まったことは伏せられている。アークに言われるがまま、セシルはナディアの存在をシリウスから隠すような魔法を使っていた。最初は魔法の力が使える家族全員から隠すようにとアークに言われたが、「そんなにいっぱいできないよ無理だよー」とゴネて、次兄相手にだけ隠している。本当はできたけど。
だから今、絶対にナディアを息子の嫁にしたくない父と、絶対に弟とナディアを結婚させてやりたい長兄が、水面下でバチバチやっている。二人ともシドの拘束に魔力を込めつつ、監視の他にも仕事がある中でお互いを出し抜こうとしている。
アークはナディアを厄介払いするために、ゼウスにナディアの奴隷主人にならないかと早々に打診していた。
しかし、シリウスと同じく大拗らせ中のゼウスは拒否していた。
ナディアを引き受けるようにと、今は三兄がゼウスを説得しているようだった。「ナディアの番はシリウスとゼウスのどっち?」問題は置いておくとしても、ノエルとしては当日に迫った処刑をとにかく回避して、ナディアの命を救いたいようだった。
もしかすると、ナディアが捕まったと彼女の首都滞在時の友人知人たちが知れば、それはそれでナディアを救出する動きが出てきそうではある。しかし、それでも時間が足りなさすぎるだろう。
(皆さん、申し訳ありませんが、現在全員を出し抜いてナディア争奪戦を制しているのは俺ですよ)
苛ついたアークが処刑を待たずにナディアを殺してしまうことも有り得そうで、安全策を取って彼女の居場所を移したのは正解だとセシルは思っていた。一応血も出る精巧なデク人形なので、手をかけたとしてもアークもすぐには気付くまい。
アークからは、ナディアのことは処刑直前まで黙っておけと言われているし、一方ジュリアスからは、ナディアの処刑は必ず回避させるから、アークがナディアを殺そうとしたことはシリウスには気付かせないでくれと言われていた。二人とも共通で「直前までシリウスには黙っておけ」である。
最悪ナディアの処刑が回避できなかったとしても殺されるのは魔法で作ったデク人形だ。シドの処刑が執行されるまでは、家族間の仲違いはできるだけ避けるべきだとセシルも思っている。
セシルは父と長兄それぞれに対して、自分は味方ですよ的な雰囲気で、彼らの立場に立った発言をしていた。まさに二枚舌。いや、シリウスとノエルにも適当なことを言っているので四枚舌だろうか。
セシルとっては愛してやまない大好きな家族。でも激怒させるとそれぞれに怖すぎる者たちを相手取り、全員を騙すような形でセシルはかなりの綱渡りをしていた。
ばれたら大変。針の筵。
しかし、危険を冒してでもナディアは守らなければならない。シリウスにとってナディアは必要不可欠な存在だ。失うわけにはいかない。ナディアがいなくなったら、次兄は壊れてしまうかもしれない。
(ナディアを排除しようとする父さんは本当の意味ではわかっていないから、仕方ないかもだけど……)
ゼウスには申し訳ないが、ナディアはシリウスと結ばれるべきだとセシルは思っていた。だから、ノエルたちの説得が成功してゼウスがナディアを望む展開になったとしたら、上手く話が通らないように画策しようと思っている。
先程侯爵夫人に声をかけた場所まで戻ってきたセシルは、地面に落ちている毒入り肉料理の残骸を魔法で片付けた。証拠が残っているのはまずいので。
こちらの件に関してはひとまず退けられて良かった。物事にあまり頓着しないナディアでも、流石に実母の悪感情に触れたら凹むだろうし、万が一死んでしまったら、シリウスが黙っていない。シリウスの怒りが爆発して、たぶん首都滅ぶ。
ただでさえナディアは現在、激情型元彼と再会した余波で沈みまくっている。そのおかげというか、魂が抜けたような状態になっているのでデク人形と入れ替えてもあまり不審がられずに済んでいるが、そんな状態で自分を殺そうとする実母まで襲来したら、かつてのように心神喪失状態になる可能性が無きにしもあらずだ。今ナディアとレベッカを会わせるのは得策ではない。
ナディアは自分を捨てた母親のことは自分なりに吹っ切って消化しているので、再会は必ずしも必要ではない。たとえ本当の親子であっても、会わない方が良い方向に進むのは往々にしてあることだ。
ただ、セシルの個人的な思いとしては、それでも親子なのだから、どこかの未来でお互いを慈しみ尊重し合える間柄になれたらいいなーとは思っている。現状ではその考えはセシルの押し付けにしかすぎず、自然に任せた方がいいのだろうと思う。結局はこれからの夫人の考え方次第だろう。
『……あなたは、どうして? 私を軽蔑しないのですか?』
『悪魔の花嫁』であることも、我が子を殺しかけたことも、軽蔑なんてしない。
あの時のことを、セシルは完全に受け入れている。
そのことについて、以前次兄シリウスと話をする機会があった。セシルが自分の考えを述べると、「お前は精神が宇宙だな」と言われてしまった。
確かに、殺されていたとしてもその運命を受け入れただなんて、そんなことを考えるのは、事情を知っている兄弟の中では自分だけだろう。
シリウスは心底理解できないという表情だったが、セシルは愛する者たちのためならば、正直自分が死んでも構わなかった。
それで皆が救われたり物事が良い方向に進むのならば、本望だった。




