5 掴み所のない男
レベッカ視点
「夫人、顔を上げてください」
セシルの声はどこまでも優しかった。しかし――――
「獣人ですからね、わかりますよ。たとえ自分の子供でも、殺したくなりますよね」
レベッカは、セシルが自分の秘密を知っているらしいことに気付いて、絶望した。
「許してください! どうかこのことは誰にも言わないでください!」
黙っていてほしいのは、『悪魔の花嫁』であることか、それとも我が子を殺そうとしたことか――――
「僕があなたの秘密を知っているのは、僕の優秀すぎる影が調べ上げたからです。
安心してください。知っているのは僕だけです。影は僕に忠誠を誓っているので、秘密を漏らすことは絶対にありません。クラウス様にも一切報告はしていません。
社交界への影響力が強いあなたと、ライト侯爵家が僕の傘下に入るのなら、あなたの秘密はずっと黙っていて差し上げます」
(脅すのか。天使のようなキラキラしい甘い顔をしているのに脅すのか……)
夫であるライト侯爵はレベッカにベタ惚れなので、侯爵がセシルを支持するように誘導することはおそらく可能だ。
返答にまごついていると、突然、レベッカの背にセシルの腕が触れた。
「!」
レベッカは気付けば、長男とさほど変わらない年齢のセシルになぜかお姫様だっこをされていた。
「あ、ああ、あ……」
レベッカは「あ」しか言えなくなっていた。
美しすぎて怖さしか感じない美少年の御尊顔がすぐ近くにあって、レベッカに極上の微笑みを向けているのだが……
(わ、私は美しい男は苦手なの! これ何の苦行!?)
「お、下ろして!」
レベッカはガタガタと震えながらも何とかそれだけ訴えた。
「大丈夫です。これでも鍛えているので」
(論点はそこじゃない! 銃騎士養成学校二年生のセシルは体力面でもかなり優秀と噂は聞いているので、落とされるとかは思ってない!)
「そうだ、このまま二人きりで真夜中の逢瀬にでも出掛けますか?」
(冗談はやめて! 早く夫の所へ帰りたい!)
「あなたが僕の提案に頷いてくれないなら、このまま攫ってしまいましょうか。二人だけでじっくりとお話をしましょう」
(ひいいっ! 無理っ! 超絶美少年と密室二人きり無理ぃっ!)
レベッカの顔や手の甲には赤いポツポツが出始めていた。セシルに触れられている服の下あたりが何だか痒い。
レベッカは久しぶりに美形アレルギーを発症していた。
「わ、わかりました! 私共は一生セシル様の下僕で構いません! 一生お使えさせていただきますっ!」
レベッカとしてはどこの派閥に所属しようとも構わなかった。それよりも一刻も早くセシルから離れなければ、呼吸困難か心臓麻痺で死ぬ気がした。
「良かったぁ。じゃあこれからは末永くよろしくね。脅すばっかりじゃ申し訳ないので、俺からもできるだけライト侯爵家に便宜を図るようにするよ」
セシルは安堵したのか少しだけ砕けた口調になり、自分のことを「俺」と言った。
何というか、セシルは性格が変幻自在というか、掴み所のない人物だとレベッカは認識を改めた。
セシルの言葉を聞きながら、いつの間にか銃騎士隊本部の裏口まで来ていたので、レベッカはそこでようやくセシルの腕から開放された。
裏口を出れば、待機させている屋敷の馬車がすぐそこにいる。
「その蕁麻疹を見せれば、明日のシドの処刑は欠席できるでしょう」
セシルの腕から離れても赤いポツポツはすぐには治らない。消えるのは数日かかる。
国防大臣であるライト侯爵はシドの処刑に立ち会わねばならず、他の主だった貴族たちも夫婦同伴で出席予定であり、レベッカも出席するつもりではあった。
ただ、首を刎ねる残酷な場面は見たくないと、中には欠席する者もいる。
レベッカも本当なら欠席したかった。シドの顔なんてもう二度と見たくなかったから…… しかし、自分を苦しめ続けた男の末路は見届けるべきだと、悩んだ末に出席を決めていたが――――
「シドはあなたのことを覚えていますよ」
さあっと、その言葉に血の気が失せた。
「シドはもうずっと口元にマスクをつけているので喋れませんが、顔をよく見せるために首を切る時は取るらしいです。貴賓席にいるあなたを見て、自分の番だと叫ぶ可能性はあります」
(そんなの知らなかったわ! 欠席! 欠席一択です!)
「ナディアもあなたのことは、レベッカというよくある名前であることしか知りません。あなたが慎重に行動しさえすれば、ナディアからあなたの秘密が漏れることはありませんよ」
「わ、わかりましたわ。教えてくださってありがとうございます。夫に言って明日は欠席いたしますわ」
セシルのおかげて命拾いしたと、レベッカはそう思った。
「僕は夫人の味方です。これから先もいつだって力になります。困った時は僕を頼ってくださいね」
セシルは優しく微笑んでいる。
「……あなたは、どうして? 私を軽蔑しないのですか?」
社交場で様々な人に会う経験から、セシルの微笑みが作り物ではないことをレベッカは見抜いていた。
不思議である。セシルは獣人の子を産んだ自分を許容してくれていた。『悪魔の花嫁』なんて、普通ならば非難されて石を投げられるような存在だろうに。
「あなたにとっては望まない妊娠だった。その件に関してはあなたは暴力を受けた被害者です。あなた自身がどうすることもできなかったことで、あなたを差別するのは間違っています。それに、僕は年上の女性が大好きなので、味方でいたいんです」
途中までホロリときていたのに、最後の言葉にだけは、触れられてもいないのに蕁麻疹が増えそうになってしまい、レベッカはセシルからささっと距離を取った。
「セシル様、私の凶行を止めてくださってありがとうございます。もしあのまま犯行に及んでいたら、私の素性が暴かれるきっかけになっていたかもしれません。この御恩は一生かけてでもお返しします。ライト侯爵家はあなた様に忠誠を誓い続けますわ」
レベッカはそう言って、貴族になると決まってから必死で身に付け、今では社交界の花とまで讃えられるようになった、優美なカーテシーを披露した。