2 未来のために 2
アテナ視点
妊娠が発覚してもアークは全く折れなかった。
『父が認めてくれなくても結婚しましょう。実家とは絶縁しても構いません』
絶対に婿入りの形で結婚する、と意固地になり強行突破を図ろうとするノエルを、家族は大切にしないといけないとアテナは抑えていた。大反対を押してエヴァンズ姓になりたいと言い出すくらいだから、ノエル自身色々と家族に思うことはあるようだが、肉親がゼウスだけになっていたアテナにとっては、家族が生きているのなら絶対に大切にしなければいけないという思いが強かった。
アテナとしては、子供が生まれるまでに結婚できればいいかと、少しのんびり構えすぎていたかもしれないが、そんな風に考えていた。結婚が先延ばしになるよりも、自分のことでノエルが家族との間に亀裂が入る方が嫌だった。
もしも生まれる直前になっても許可が出なかったら、ブラッドレイ姓で結婚しましょうと、アテナはノエルを説得するつもりだった。たぶんそのくらいまで状況が切羽詰まらなければ、かなり意固地になっていたノエル自身が頷かない気がしていた。
事態が動いたのは獣人王シドが捕まったことだ。正確にはその直前。シド捕獲作戦にノエルも関わることになり、万一のこともあるからと他の兄弟たちも味方になってくれて、アークは不本意ながらもノエルがエヴァンズ姓になることを了承したらしい。
しかし実際は、気が付いたら家の中からいなくなっていたノエルが急に帰ってきて、簡潔に、「婚姻届は出しておいた」的なこと言って――いつでも出せるように書類は準備していた――説明もそこそこにすぐに消えてしまい、アテナは正直結婚した実感はさほどなくいつの間にか人妻になっていた。
シドが捕まるかこちらが滅ぶかくらいの緊迫した場面だったらしいことは後から理解したが、あまりに情緒の欠けた結婚劇に、正直に言えばアテナはむくれてしまった。
シドを捕縛した後にノエルが帰ってきて、もう少し丁寧に行動すればよかったと謝られ、アテナの頭も冷えてきて、いよいよ新婚か! という高揚した気分になってきた所で再び、「シドが脱走した!」と緊急連絡が入って、ノエルはまた消えた。
アテナは、結婚直後に放置される妻、というなかなか味わえない状況に涙しつつ、やるせなさというか怒りに似た気持ちを通り越して、若干呆気にも取られていた。
まあなんか、大変な事情持ちの人の妻になったんだなという実感は強かった。
(後悔はしていない。何があっても私はノエルを愛している。この愛はきっとずっと変わらない)
「お腹空いてる? 何か軽く食べる?」
マチルダが声をかけてくる。
「ううん、大丈夫よ。今朝はゼウスと一緒に朝食を食べて、それから休んでいたの」
話し合いの後、ノエルは時間を置かずに出かけてしまったが、ゼウスはそのままこの家に泊まった。朝はゼウスと久しぶりに姉弟水入らずで食事をして、その後アテナは弟を送り出した。今度こそちゃんと捕まえてきなさいよと言って。
では飲み物でも用意するとマチルダに言われて、アテナはテーブルに着いた。卓上に置かれていた新聞が目に入り、それを取って広げる。新聞の中身は本日のシドの処刑に関連する記事ばかりだ。その中に、シドの娘ナディアが、同時に処刑されることも書かれていたが――――
(大丈夫。朝刊には処刑と書いてあるけど、回避されるはず。彼女はゼウスに引き取られて、二人はこれからはずっと一緒よ)
「今日はシドが処刑される日ね。これで少しは世の中が平和になればいいんだけど」
マチルダがアテナの前に飲み物を置きながら、目に入った新聞の中身を見て言う。
本日は獣人王シドが処刑される日。アテナの最初の恋人である義兄ウィリアムを殺した男が死ぬ日だ――――
アテナはずっと、シドを葬ることが目標だった。廃業はしたが、敵討ちのためにハンターにもなった。
本来ならば自分の目でシドの最期を見届けるべきなのかもしれないと思う。見届けて、ウィリアムを弔うべきなのだろう。
けれど、ノエルのおかげでだいぶ良くなってはきたが、できれば血はあまり見たくなかった。罪を犯した獣人とはいえ、首が飛ぶのだ。もしかしたら見てしまうことで、良くなってきた心身にまた何らかの不調が出るかもしれない。それはお腹の子によくないだろうと判断したアテナは、処刑場には行かないことを選んだ。
シドがずっと憎かった。だけどノエルや、ゼウスを始めとした銃騎士隊員たちがシドを捕まえてくれた。シドはきっと自分の死を前にして、これまでの悪行を反省しているのではないだろうか。
アテナは今日のこの日を以て、復讐を終わらせることにした。自分自身が次に進むためには、憎しみを捨てることが必要だと思った。
自分のしていることはウィリアムへの裏切りなんじゃないかと思うこともある。だけど、あの優しい人なら、仕方がないねと微笑んで、アテナを許してくれるような気もした。
アテナはたぶん、ウィリアムよりもノエルと腹の子を選んでしまったのだ。もしもあの世があって死んだ後にウィリアムと再会したら、裏切ってごめんなさい! とウィリアムが納得するまで謝罪しようと思う――――
アテナはマチルダが淹れてくれた、妊婦でも飲めるお茶を飲みながら、再び腹部に手を置いて撫でた。
お腹の中に最愛の人との愛の結晶が育っている。たとえ裏切り行為の結果だとしても、アテナの幸せはここにある。ノエルを受け入れた時からずっと、アテナは覚悟を決めていた。
(この子の未来は、私が――――私たちが必ず守る)