1 未来のために 1
ここから第二部です
アテナ視点
「アテナさん、おはよう。ノエルさんから体調が優れないと伝言を貰っていたのだけど、調子はどう?」
朝というよりは昼に近い時間帯、自宅の寝室にて目を覚ましたアテナが起き出して階下へ行くと、メインダイニングで昼食の準備をしてくれていた家政婦のマチルダに声をかけられた。
「ありがとう、大丈夫よ。昨日はゼウスとずっと話をしていて夜更しをしてしまったの。でもこの時間まで寝ていたから少し良くなってきたわ」
本日はシドの処刑が行われる日だ。昨夜はゼウスの説得のために遅くまで起きていて、寝たのはかなりの深夜だった。
まだ公にはなっていないはずだが、昨夜の段階で、ゼウスのかつての恋人メリッサ・ヘインズこと獣人王の娘ナディアが捕まり、本日のシドの処刑で共に殺される予定だということを、アテナはノエル経由で聞いた。
弟ゼウスの恋人が実は獣人だったと知った時は驚いたが、ノエルにそのことを聞かされた時は他にも色々あって、受けた衝撃はそこまで深刻なものではなかった。
実は昨夜、捕まえた彼女――本当はメリッサではなくてナディアという名前の少女――を獣人奴隷にしたいなら引き渡してもいいとゼウスに打診があったらしいが、ゼウスはナディアに直接会って酷いことを言った上で断ったそうだ。なんて弟だ。
その件を聞いて慌てたアテナは、銃騎士隊の独身寮住まいだったゼウスを、ノエルの魔法で取っ捕まえて自宅に引っ張り込み、なぜナディアを引き取る話を蹴ったのかと問い質した。
ゼウスは新年の異動で三番隊所属となったが、南西列島から首都に帰ってきて以降は、結婚前提でお付き合いを始めたアテナとノエルの邪魔をしたくないと言って、アテナの家では暮らさずに独身寮に入っていた。
アテナがナディアを引き取るように言ってもゼウスはすぐさま拒否したが、口で何と言おうとも、ゼウスの胸にはずっとナディアしかいなくて、一度決めたら一直線すぎるこの弟がかなり拗らせていることをアテナは知っていた。
何もしなければナディアは処刑されて義兄のように永遠に手の届かない所へ行ってしまう。このままナディアが死んでそれで終わりでいいわけがない。アテナはノエルと共にゼウスにナディアを助けるようにと説得し――――三人で修羅場のような話し合いを夜更けまでしていた。
獣人であってもナディアはとてもいい子だった。女嫌いを慢性化させていた弟をそっちの道から掬い上げて(?)女性に目覚めさせてくれた彼女にはむしろ感謝している。
弟の嫁になるのは彼女しかいない! ゼウスの伴侶は彼女一択だ! という姉心をアテナは現在に至るまでずっと抱いていた。
ナディアがいなければこのままだとゼウスは一生独身だというのに、探し求めていた女性がやっと見つかったというのに、なのに……
(奴隷にするのを拒むって一体どういうことなの! 今素直にならなくていつなるの!)
話し合いの席でゼウスはアテナよりもノエルに激しくぶつかっていた。アテナは号泣したし、ゼウスも怒って号泣して激しく落ち込んで……
そして、結局ゼウスは認めて受け入れた。
最終的にゼウスは素直になっていた。今でも彼女を愛していると、ゼウスから言質を取ることに成功した。
ゼウスはナディアを獣人奴隷として引き取り、一生そばにいたいと言った。
事態が差し迫った現状では彼女を奴隷という形にするしかないのかもしれないが、ゆくゆくはノエルの魔法で何とかならないだろうかとアテナは思った。話し合いが終わってからノエルがシドの監視に戻る際、「何とかしたいです」と言ってくれたから、きっと何とかなると信じたい。
(大丈夫。もしもノエルが実家の意向でゼウスたちへの協力を止められたとしても、お姉ちゃんの財力で何とかするわ!)
アテナはモデルとして大成功を収めすぎていて、経済効果一千億の女とも呼ばれていた。アテナはこの一年で資産を元に獣害孤児や被害者たちを支援する団体の立ち上げにも動き出していた。
お金が有り余っているので、弟たちを何某かの方法で守ることはできると思った。
この度一身上の都合によりモデル業もハンター業も廃業することにしたが、収入が途絶える気配は全くない。現役モデルではなくなってもそれ関係の仕事は続けていきたいし、最後の写真集として発売予定の、タイトル『人妻になります』は予約大殺到らしく、関係各所は大喜びで、まだまだモデルを続けてくれないかと言われることもあったが、アテナは引退を決めていた。
「そうなのね。でも大事な時期だから、無理はしないようにね」
マチルダは無意識にお腹に手を当てているアテナに微笑ましい眼差しを送っている。
アテナはノエルの子供を妊娠していた。
悪阻がかなり酷かったが、最近は落ち着いてきてもうすぐ安定期に入る。
はっきり言ってしまうと、二人は避妊に失敗した。
アテナはノエルと結婚したが、届けを出したのはつい先日だ。子供をどうするかというデリケートな問題は、落ち着いてからおいおい、という話だったのに、ある時、酒を好まないノエルが珍しく家で酔っぱらって前後不覚状態になっていて、それをアテナが襲ってしまい、デキてしまった。
ノエルがヤケ酒をしたのはアテナとの結婚を父のアークに反対されていたからだった。アテナのいない所でかなり揉めたらしく、その時のノエルは酷く落ち込んでいて、部屋で酔い潰れていた。
まだ半分意識のあったノエルが可愛すぎて、アテナは魔が差した。
翌朝起きて、素面に戻っていたノエルはかなりびっくりしていた。というか、明らかに事後な状況に気付くと絶句して、しばらく固まっていた。
アテナとしてはちょっとした出来心だったのだが、驚きすぎているノエルの反応に不安になってしまって、もうしませんごめんなさいと猛烈に謝った。
ノエルは直後に、『いいんです。これで私も覚悟が決まりました』と言って…… しばらくした後、妊娠が発覚した。
その段階になって初めて、『お腹の子はあの時の子ですよ』とノエルは嬉しそうに微笑みながら教えてくれた。ノエルは子供ができたことをとても喜んでくれた。
『アテナ、ありがとうございます。私を受け入れてくれてありがとうございます。この子は私が全力で守ります――――』
アテナとノエルは子供ができる前も後も始終変わらず相思相愛だ。
アテナはとても幸せだったが、唯一ゼウスに対しては心苦しく思っていた。だがそのことについても、ゼウスを泣かせることにはなったが、昨日ようやく話をすることができて、結果的には良かったと思っている。
本当はできれば、関係者全員から揃って祝福されながら結婚したかった。
最初、結婚の挨拶に言った時、ノエルの両親はアテナのことを歓迎してくれて、とても好意的だった。
その時同席していたノエルの弟セシルからは精神感応でこっそりと、
『良かったね。うちの父さんはアテナ様の大ファンで、母さんに見つからないように写真集をこっそり所持してるんだよ。たぶんサイン本をプレゼントしたら大喜びすると思う。無表情だけどね。
父さんは今まで結婚話が出た兄弟の中で、二人のことを一番歓迎してると思うよ』
と言ってくれた。なのですぐにでも届けを出す流れになるのかと思ったが、ノエルが『婿入りしてエヴァンズ姓になりたい』と言い始めたことから状況が一変した。
ノエルの父アークが、姓を変えるなら二人の結婚を絶対に認めないと言い始めたのだ。
アテナとしては、平民だった両親も他界しているし、貴族のように必ず守らなければならない家があるわけでもない。この先結婚するかわからないけど一応弟もいるし、無理にノエルに婿入りしてもらわなくてもよかった。
アテナはブラッドレイ姓を名乗るつもりでいたので、突然のノエルの意思表明には驚いた。