14 赤髪の青年
ゼウス視点
「ほら、お前の姉さんはあんなに綺麗に笑っているじゃないか」
レインは何とかゼウスの笑顔を引き出したいと思っているらしく、街路の店に貼り出された姉の顔が大きく写るポスターを指差した。視線をやればゼウスによく似た容貌の神秘的な金髪碧眼美女が眩しい笑顔を見せている。
「姉は笑うのが仕事なんです」
「お前の今の仕事も笑うことだろう」
「そうですね。これでいいですか?」
にっこりとそれとわかるような作り笑いをすると、微妙な顔をされた。しかしゼウスが構わずに作り笑顔のままで沿道に顔を向けて手を振ってみれば、街路から「キャー、ゼウス様ー」と黄色い声援が飛ぶ。
「ゼウス……」
表情筋を笑みの形で不自然に固めたままパレードの先頭としての役割を果たす。レインはまだ何か言いたそうな声を出したが、ゼウスはそれを無視した。
ゼウスとしてはレインと姉の話になるのをなんとなく避けたくて、姉のポスターの件を含めたゼウスを笑顔にさせるための話題を早々に終了させたかった。ゼウスは自分の思い通りにならなさすぎる現状をエネルギーに変えて、半ばヤケクソ気味に笑顔とお手振りに精を出した。
ゼウスが思うに、レインの思い人とはおそらく姉である。
レインとアスターは同時に姉のアテナと出会っている。
しかし、姉が交際を始めたのはレインではなくてアスターだった。
ハンター活動中に、獣人を狩るどころか逆に襲われていた姉をまだ訓練生だった二人が校外で助けたのが出会いだったらしい。
その頃のエヴァンズ姉弟は、ゼウスが銃騎士養成学校に通うことが決まっていて、二人で故郷の田舎から首都近郊の家賃の安い集合住宅に引っ越してきていた。姉はハンターの傍ら生活のためにモデルの副業を始めていた。
ゼウスはその日ちょっと仕事に行ってくると言った姉をいつも通り見送ったのだが、モデルの仕事に行くのだとばかり思っていて、まさか獣人を狩りに少し離れた山に向かっていたとは思わなかった。
夜になってもなかなか戻ってこない姉を心配していると、夜も更けた頃に眠った姉を背負ったアスターが一人でゼウスたちの住居までやって来た。
アスターは少しだけ長い赤髪を後ろで一つに括り、意志の強そうな濃い青色の瞳が印象的な凛々しい青年だった。
アスターの私服には乾いて変色した血がところどころに飛び散っていた。服に血を付けた見知らぬ青年が姉を連れてきたことに驚いたが、その青年から昼間姉の身に起こった事を聞いて、ゼウスはさらに驚き青褪めた。アスターたちが助けなければ姉はどうなっていたのかと思うと恐ろしかった。
アスターは、自分の服についている血は姉を襲っていた獣人のもので、その獣人を殺して姉を助けたのは自分ではなくてもう一人のレインという名の連れ合いだと話した。レインは心配するほどではないが怪我をしているそうで、アスターは姉に病院で手当を受けさせた後、一人で姉を家まで連れて来たそうだ。
ゼウスは二人にお礼をしなければと思ったが、何もいらないと言われてしまい、レインと実際に会ったのは訓練学校に入校してからだった。
ゼウスたち姉弟に会おうとはしなかったレインとは逆に、アスターは事件後も姉を心配して個人的に何度もゼウスたちの自宅を訪れては食事などを共にしていた。アスターの目的が姉であることにはゼウスも薄々気付いていた。
姉は本当は義兄と結婚する予定だったのだが、結婚式の前夜に故郷の村が獣人たちの襲撃を受けて、義兄は帰らぬ人となってしまった。
最愛を誓うはずだった義兄のことを引きずっていた姉は、ためらいはあったようだが、最終的にはアスターの思いを受け入れて二人はいつの間にか交際を始めていた。
ゼウスは二人の交際を好意的に受け止めていた。しかし、獣人から姉を助けたのはレインだったのだから、レインだって主張すれば姉はアスターではなくて彼を選んでいたかもしれない。
けれど実際にはそうはならなかった。レインは獣人には容赦がないが、心根は優しい。もしかすると親友の気持ちに気付いて自分は身を引いたのかもしれなかった。
たぶんレインは今でもアスターに義理立てをしているように思えてならない。姉とアスターが別れた後も、レインが姉を見つめる視線に何某かの思いは感じるが、いつもどこか一線を引いていて、レインが姉と親密になろうとする素振りは全くなかった。
「昨年のことを覚えているか?」
「昨年、ですか?」
不意に会話を振られて、ゼウスは首を傾げながら沿道に向けていた視線をレインに戻す。
「お前がアスターとパレードの先頭を務めた時のことだよ」
「……」
ゼウスは、言葉に詰まった。
昨年、訓練学校を卒業したばかりで年の明けた銃騎士一年目の新春。
籍だけは銃騎士隊に移っていたが、普通は入隊式も終わっていないような新人一年目の者に、パレードの先頭なんて大それた役が回ってくるはずがない。
(でも、あの時は……)
『ゼウスー!』
その年に入隊する新人隊員も、お披露目を兼ねてパレードに参加する。支給されたばかりの藍色の隊服を着込んで同期と待っていると、その人はやって来た。
『緊急事態。レインの奴が急に毒で倒れた。お前あいつの代わりに俺と一緒に先頭やってくれないか?』
『え? 毒って? レイン先輩は大丈夫なんですか?』
『ああ、レインが今やってる仕事内容までは教えてもらえなかったんだけど、とにかく命に別状はないって。だけど今日のパレードに出るのは無理だ』
『でも、俺は学校を出たばかりですし、他に適任者はいるんじゃないですか?』
『それがさ、先頭役やるには「但しイケメンに限る」とか裏ルールがあるらしくて、俺もよくわかんないんだけど、ま、お前ならとりあえず大丈夫だろ』
『いや、あの、ちょっと……』
『大丈夫大丈夫、一応総隊長の許可はもらっといたから』
ゼウスの手を引きながら振り返って笑う青年の赤い髪が陽の光に照らされて煌めいていた。
ゼウスはアスターに促されるままその年のパレードの先頭を務めた。
「お前、すごく生き生きとして、楽しそうな顔してたよな」
「……見てたんですか?」
「いや、後から写真を見せてもらった」
この一年、色々なことがあった。
今の自分の心境はあの時と比べれば真逆とも言うべき気持ちに変わってしまっている。
アスターは姉を置いて行ってしまった。
俺は、アスターさんを許さない。
「貼り付けたような笑みじゃなくて、お前にはあの時みたいに心から笑っていてほしい」
アスターがまだ銃騎士隊にいた頃、この仕事に就いて間もない頃は、周囲の何もかもが眩しく見えていた。
「お前を笑顔にするのは、あいつには出来て俺は出来ないのかなって思うと、ちょっと悔しいじゃないか。あいつがいなくても俺がいるだろ? やめるとか言うなよ」
「……そうですね」
ゼウスは笑った。
笑顔は隠していただけで、顔に貼り付けていた仮面を外せば本当の自分の素顔が見えてくる。
「うん、それな」
レインも笑う。
本当はレインと一緒にこの役ができて浮かれている部分もあった。
全ての物事は時と共に変化して行く。あれだけ銃騎士の仕事に使命感を抱いていたアスターも今はいない。ゼウスの両親と義兄もある日突然いなくなり、気持ちを通わせ合った恋人もすぐに手の届かない所へ行ってしまった。
この仕事をしていればレインだっていついなくなるかはわからない。ならばせめて、レインと一緒に過ごせるこの時を楽しもうと思った。
ゼウスは銃騎士養成学校に入ってからレインに出会ったので「レイン先輩」と呼び、アスターとは訓練学校に入る前に出会ったので「アスターさん」と呼んでいました。