134 夢の中の魔法使い
ナディアはクロムウェル――――ロータスとマグノリアが名乗っている偽の名字――――の家に滞在することになった。いつまでとは決めていない。二人とも好きなだけいてくれていいと言うので、ナディアはしばらく甘えさせてもらうことにした。
ずっとお世話になりっぱなしも悪いので、いつかは必ず独り立ちしようとは思っている――――
クロムウェル家ではかなりのんびりさせてもらった。人間に化けたロータスは自宅にこじんまりとした医院を開いていて、辺鄙な村で人口は少ないはずだが、需要はあるようでお客は途切れない。ロータスの仕事を時々マグノリアも手伝っていて、仕事に家事にと二人とも忙しそうだった。
そんな中、ナディアの専らの仕事といえば、二人の子供である姪のカナリアの遊び相手になることだった。二歳だが利発な子で言葉も良くしゃべるし、キャッキャと笑う反応が楽しくて、一緒にいて飽きない。子守り以外ですることといえばマグノリアのちょっとした家事の手伝いをするくらいだった。
人手が足りないと、時々医院の仕事を手伝うこともあったが、ナディアは知らない人間と接するのが少し怖かった。
あの時、ゼウスが自分を斬ろうとしたことは彼の意志ではなかったことは理解したが、それと感情は別だった。何度も同じ場面を繰り返し夢で見てうなされてしまう。夢の中のゼウスは自分を激しく憎んでいて、彼だけではなく他の銃騎士たちや多くの人間たちからも何度も斬られて、死に行く絶望感を味わい続けた。ナディアは一時期酷い人間不信に陥っていた。
そのうちに、夢の中で倒れて泣いていると、決まって誰かが現れてナディアに治療魔法をかけて治してくれるようになった。
その人は黒いフードを被っていて、誰なのかはわからなかった。顔の部分が暗くなっていてよく見えないし、一言もしゃべらないので男か女かも判別できなかったけど、魔法が使えるから魔法使いだとは思った。
そのうちにその人はナディアが斬られる前に現れて庇ってくれるようになり、ナディアが斬られる回数は少なくなって――――やがて、その酷い夢自体を見なくなった。
夏の暑い盛りを過ぎて、季節は緩やかに涼しさを増して秋へと近付く。
カナリアがお昼寝をしている最中に、ナディアは新聞を広げて読み込んでいた。人間社会の勉強になるので、新聞を読むのは首都に住んでいた頃からの日課のようになっていた。
窓から心地良い風が吹き込んできて、短くなったナディアの髪を揺らす。ナディアは気分を一新するために髪を短くしていた。
ロータスとマグノリアは正体を知られるのを防ぐために常に姿替えの魔法など諸々を使っているらしいが、ナディアはそれを断っていた。自分はパッと見人間にしか見えないし、それにいずれここから出ていくつもりだったから、魔法を使わずにどこまで擬態できるか再度試してみたかったのだ。
コトリ、と新聞を熟読するナディアの前にマグノリアが紅茶の入ったカップを置いてくれた。ナディアはロータスと違って植物性のものも受け付けられるので、たまにこうやってお茶を嗜んでいた。
「そんなに真剣に見つめてどうしたの?」
自分用にもカップを用意していたマグノリアが、ナディアの目の前の席に着きながら訊ねてくる。
「……姉が載っていたから、ちょっと…………」
ナディアが見つめる新聞記事には、遠い地で獣人王シドの襲撃があったという内容と、いつ撮られたのかはわからないが写真の中ですら神々しいほどの美しさを発揮している異母姉の写真が大きく載っていた。
記事の中では、異母姉の誘導によって難を逃れたという生存者の証言が載っていた――――
「その人、あなたの姉じゃないわよ」
「えっ?」
難しい顔で繰り返し記事を読んでいたナディアは、驚いて顔を上げた。
「姉じゃないって…… ヴィクトリア姉様は私の異母姉のはずだけど……?」
首を傾げるナディアに、マグノリアは凪いだ表情のままで告げる。
「彼女はシドの実子ではないわ」
「ん? 何それどういうこと?」
『真眼』の能力があるマグノリアは真実を見い出だせる。ナディアは身を乗り出した。
「シドがヴィクトリアの本当の父親を殺して、ヴィクトリアを妊娠中だった母親を無理矢理番にしたの。ヴィクトリアが生まれるまでは、シドも腹の子は自分の子だと信じていたみたいね」
ナディアは頭を抱えた。『真眼』持ちのマグノリアが言うことならば、それが真実だろう……
あの父なら略奪愛くらいやりかねないが、というか頻繁にやってるが…………
つまり、自分とヴィクトリアは異母姉妹でも何でもなかったのだ……
血の繋がりなんて全くなかったのに、自分の美しさを全部持っていったのは異母姉に違いない! だなんて、非現実的で見当違いすぎるアホみたいな妬みを持っていた自分は、何て愚かだったのだろう……
「ヴィクトリアの父親は長めの黒髪が特徴的な人間で、名前は――――」
マグノリアがヴィクトリアの実父について何か言っているが、自己嫌悪真っ只中のナディアは全く聞いていなかった。
「おねえちゃ、あちょぼうー」
お昼寝から起きてきたカナリアが遊びに誘ってきても、ナディアは、うーん、うーん……と唸ったまま、しばらくその場から動けなかった。