133 結ばれる二人
ノエル視点→アテナ視点
R15
コツ、コツ……
硬質な音にノエルは目を開けた。
ノエルが寝ていたのは海上に浮かぶ船の一室だ。
ノエルは外国での仕事の帰路の最中だった。アテナとは別室となっている客船の一室にて、寝台の上で寝ていたノエルは、明るくなり始めていた窓の向こう側から、窓硝子を嘴で叩いている白い鳥の姿を見た。
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「アテナ……」
名前を呼ばれても、完全に夢の中の住人であるアテナは反応できない
「も、もう食べられない……」
夢の中ではノエルと一緒に異国料理に舌鼓を打っていた。とても美味しくていくらでも口に入るが、現役モデルとして体型の維持が死活問題であるアテナは、ほどほどの所で食事をやめるつもりだった。しかしアテナの意志に反してテーブルにどんどん料理の乗ったお皿が並べられていくため、夢の中のアテナは目が回りそうな思いで自分の心情を口にしていた。
そして、くすりと、誰かが微かに笑う気配がした。
ちゅ、と、額に柔らかい感触を感じて、アテナは薄目を開けた。
目の前に美しい顔がある。少年と青年の狭間を揺れ動き、男のようにも女のようにも見えるその美貌は、言うなれば自分よりもよほど綺麗である。
「起こしてすみません。急用ができてしまったのでこの船を離れますが、解決したら戻ってきます」
(……起きてない。これは夢だ。食事風景からのいきなりの場面転換。寝台の上に横たわる私に迫る雄――もといノエル)
こんなことは起こるはずがないのだ。
これまでだってノエルはアテナが眠っている最中に部屋に入ってくることは絶対になかった。今回の帰りの船でも部屋はもちろん別だし、陽が落ちればノエルは自分に宛てがわれた部屋に戻ってしまった。もうすぐ故郷の国へ着くし、アテナは今回の旅で「間違い」が起こらないかと希望を抱いていたが、見事空振りで終わるだろうとも確信していた。
それが、おでこにチューと来た。それだって現実世界では一度もされたことがなかった。
「く、口にしてくれてもいいんだけど……」
アテナはここぞとばかりに願望を口にする。だってこれは夢だ。自分に都合の良い夢なのだから、少しくらい大胆になってもいいだろう。
「……」
ノエルの美しきご尊顔が近付いてきて、やがてゼロ距離になった。
ノエルは目を閉じていたが、アテナは目を全開に見開いていた。
押し付けられる唇と舌の感触がやけに現実感満載だった。
(ん? これ夢、じゃない?!?)
アテナは一気に覚醒した。と同時に、ちゅっ、と音を立ててノエルが口を離す。
「この指輪は私と繋がっていますから、万が一船が獣人に襲われるなどした場合は、指輪に話しかけてみてください。すぐに飛んできます」
「……はい…………」
ノエルは手の中にいつの間にか出現させていた指輪を、アテナの左手の薬指に嵌めた。
なぜキスしたのか、それについての詳細は何も告げずに、ノエルはそのまま瞬間移動でいなくなってしまった。
アテナは寝台の上でしばらく呆然としていた。
「……間違いが…… 起こった…………」
その日は一日中ぼーっとしていた。同じく外国への仕事に向かい、帰りも一緒だったモデル仲間に声をかけられても、どこかうわの空だった。
ノエルの姿が見えないがどうしたのかと問われた際には、ノエルの名前に過剰反応してしまった。
ノエルは急用だとかで船からいなくなってしまったが、体調が優れないので部屋に籠もっているということにした。
夜、食事を終えたアテナは自分用の部屋ではなくノエルの部屋に入った。ノエルはまだ帰って来ない。
アテナは指輪を見つめた。呼べば来ると言っていたが用事もないのに呼び出すのも悪い。アテナはノエルが使っていた寝台に身を投げて、ノエルの香りが移った毛布を手繰り寄せてその中に包まった。
ノエルが詳細を告げずにいなくなることは、これまでだってよくあった。魔法が使えるノエルは、自分とは違ってたぶん特殊な人生を歩んでいる。
いなくなる時は銃騎士隊の仕事を手伝っているのだろうとは思うが、機密事項があるとかで詳しくは聞いていない。
時々、わりと長く戻らないような時もあって、モデルの仕事に穴が空きそうな時もあるが、そんな時は決まってノエルの姿をした彼の兄弟のうちの誰かがやってきて、卒なく仕事をこなしてしまう。
アテナがブラッドレイ家の秘密――彼らが魔法を使えること――を知っていることは、ノエルから伝えられているようで、彼ら兄弟が身代わりをしている時はいつも、正体がばれないように協力をしてほしいと持ちかけられた。
流石は兄弟とでもいうのか、彼らのノエルの擬態はほぼ完璧だった。周囲に人がいなくなれは、彼らは普段通りの素を出してきた。
にこやかで気遣いの出来るしっかり者がたぶん長男で、出現頻度が少なめなおちゃらけ男がおそらく次男で、何だかキャピキャピしているのが四男のセシル君だ。他の二人は名乗ってくれなかったけれど、セシル君はこっそりと正体を明かしてくれた。
セシル君が次期宗主配に内定した時は呼び方を様付けに変えようとしたこともあったが、内定しただけで今はただの平民だから、かしこまらないでほしいと言われてそのままになっている。
セシル君が一番出現頻度が高かったが、銃騎士養成学校に入学してからは忙しくしているようで、今年になってからは五男のカイン君も身代わり要員に加わるようになった。最初の時、なんだかいつもと違う人が来ていると思って問い詰めたら「弟のカインです……」と白状したのだ。
初回こそ僕が写真撮影なんてと恐縮して、おっかなびっくり参加していたカイン君だったが、数度経験して慣れたのか、最近は楽しそうにモデル業に溶け込んでいる。
アテナはブラッドレイ家の長男から五男と非公式に会話をしたことがあって、仲が良くて面白い一家だなと常々思っていた。
そして会う兄弟全員に共通して言われたことは、「ノエルをどうかよろしくお願いします」だった。
セシル君に関しては、「早くうちにお嫁に来てね!待ってるよ!」と、ウインクと共に直接的なことまで言われた。
アテナはその度に、「私でよければいつでも謹んでお受け致します!」と前のめりで自分を売り込んでいた。
全く煮えきらないノエルに、兄弟から圧をかけてはもらえないだろうかとも切実に思っていた。いきなり結婚は流石に突っ走りすぎだと思うので、まだ先の先くらいでいいのだが、まずは男女交際に発展しないと何も始まらない。
今回、友達以上恋人未満を続けてきたノエルが、いきなりキスをしてきたことは、大大大大大事件だった。これを機に一歩か二歩前進したい。
そんなことを考えながら毛布に包まり眠りそうになっていたアテナの髪を、そっと撫でる手があった。
「ノエル…… 帰ったの?」
目を開けると愛しい人がそこにいた。アテナは無事に帰ってきてくれたことにほっとした。
けれどノエルの表情は見るからに暗く、冴えなかった。
「アテナ…… あなたにどうしても話しておかなければならないことがあるのです。今時間をもらっても良いでしょうか?」
「え、ええ…… 構わないけど……」
ノエルのいつになく沈んで深刻な様子に、アテナの胸が不安でざわついた。
「もし、これから話す事実が受け入れられないのであれば、私はあなたの前から消えます」
それは、重い前置きから始まった。
波に揺れる船上の一室、ノエルが使っていた寝台の上で、一組の男女が抱き合っていた。
ノエルの胸には花の形をした黒い痣が二つ咲いている。
自宅では風呂上がりなどに、ゼウス同様ノエルも上半身裸でいるのを目撃したことはある。出会った直後には女の子と思い込んでノエルの入浴中に突撃したこともあるが、そんな痣を見たことは一度もなかった。
その痣はある時、禁忌の魔法を使った証として刻まれたもので、痣ができて以降、ノエルはずっと魔法の力で隠してきたのだと言った。
ノエルは全てを話して、全てを見せてくれた
アテナは話を聞き終えた後に――――ノエルが話した事柄の全部を受け入れることにした。
その後ノエルに告白されて、恋人になった。
抱かせてほしいとノエルに言われて、アテナは困惑したものの、受け入れることを選んだ。
アテナはノエルと抱き合いながらずっと涙が止まらなかった。
全てが終わってぼうっと天井を見上げるアテナに、ノエルが告げた。
「結婚してください」
省略した部分はシリーズ別作品
「ブラッドレイ家の夏休み」
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