132 VSブラッドレイ家
ナディア視点→ロータス視点
暗闇でよくわからなかったけど、周囲の景色が何度か変わり、やがて灯りのついた部屋に辿り着いた。
「マ、マグちゃん!」
そこはリビングとキッチンが続き部屋になっているような場所だった。ソファに黒髪の男が項垂れるように座っていたが、ナディアたちに気付くなりがばりと立ち上がった。
「良かった! 心配したんだ! もしかしたらあいつらに何かされたのかと!」
男は俊敏な動きで飛び付くようにマグノリアに抱き付くと、おいおいと泣き始めた。
「ごめんなさい。あなた寝ていたし、急いでいたから何もせずに出てしまったの。置き手紙くらいすれば良かったわね」
言いながら、マグノリアは号泣する男を慰めるように背中に回した手でよしよしと撫でるた。見た感じ男の方が年上なのに、マグノリアの方がお姉さんに見えた。
男はマグノリアにきつく抱きついたまま離れない。あまりにも抱擁が長すぎるので、ナディアは段々といたたまれなくなってきた。この男は人間で、マグノリアの夫である獣人ではないはず――――と思ったのだが…………
男の容姿がいきなり黒髪から金髪に変わり、匂いまで人間から獣人のものに変わった。マグノリアと番った匂いがするから、つまりはこの男がマグノリアの夫でありシドの長子で、ナディアの異母兄ロータスというわけだった。
そういえば声もシドに似ている気がする。
シドの泣き声なんて一度も聞いたことないけど。
落ち着いたらしきロータスがゆっくりと顔を上げてこちらを見た。かかっていた魔法が解けたらしきロータスの顔は、親子でもこんなに似るだろうかというくらい、驚くほどシドにそっくりだった。ここまで似ている兄弟は他にいないだろう。まさに生き写し。
しかし顔の作りは同じでも、浮かべる表情は全然違う。ロータスは泣いた影響で目を赤くさせながらも、シドがするはずもない柔らかな微笑でナディアに対する。
「……こんばんは。成長したから赤子の頃とは匂いが少し変わっているけど、わかるよ。俺の妹のナディアだよね?」
(私この人と会ったことあるの? 赤子の時に? そんな十五年くらい前の匂いを覚えているってすごくない?)
ナディアは目を真ん丸にして驚きながらも、ナディアだと肯定するためにこくこくと頷いた。
するとロータスは、満面の笑みだ。
「ナディア、我が家へようこそ。まさかいきなり生き別れの妹に会えるとは、今夜は運命的な夜だね」
******
ロータスは医院になっているこの家の一階部分へとナディアを案内した。急なので寝られる場所がなく、今日はひとまずナディアには患者用の寝台で休んでもらうことにした。
「あの……」
おやすみと言ってナディアから離れようとすると、彼女が何か言いたそうに呼び止めてきた。けれど立ったまま俯いてしまったナディアは、それ以上は何も言わない。
きっと不安なんだろうと思った。マグノリアが、気になることがあるとリビングから出て行く際に、『ナディアは二人の男性との決別を決めたばかりで、失恋直後だから優しくしてあげて』とだけ精神感応を飛ばしてきた。
二人の男性とはこれ如何に。確かにナディアの身体からは二人の男との際どい行為の匂いを嗅いでしまって、再会したばかりだが兄としては複雑すぎる心境だった。
もしも娘のカナリアが将来同じような状況になってしまったら、お父さんは発狂する、と想像して涙ぐみそうにもなった。
あとでマグノリアから詳細をきちんと聞いて把握しておくつもりだが、とりあえず、お兄ちゃんはいつだって妹の味方だと伝えたい。
ロータスはナディアの頭に手を置いて撫でた。
「大丈夫だ。自分を信じて。何があっても俺はナディアを応援するから」
一体何が大丈夫なのか、根拠はないが、大丈夫と信じればやがて大丈夫になるのだ。ロータスはいつだって、そうやって困難を乗り越えてきた。
「うん、お兄ちゃん…… ありがとう」
お兄ちゃん――兄ちゃん。久しぶりに呼ばれるその言葉がこそばゆい。嬉しくなって、たぶんへらへらとした締まりのない笑みを見せてしまっているが、ナディアが笑顔を返してくれたので、それでよしとしよう。
ロータスはナディアがいる部屋を出た後、住居部分になっている上の階に戻り、愛しい番の匂いを探った。マグノリアはリビングを出た後に屋根裏部屋に向かったようだが、その後に夫婦の寝室へ引き返していた。
寝室に入ると、マグノリアは開け放たれた窓の前に立ち、こちらには背を向けていた。
彼女の手には、一つの写真立てが握られている。
その写真は、ロータスが嫌がることをマグノリアがわかっていて、いつもは鏡台の引き出しの奥へとしまわれているものだ。マグノリア自身もあまり写真を取り出して眺めるような真似はしないが、だからと言って写真を捨てることもない。マグノリアにとっては大切な写真だからだ。
そこに写るのは、お互いに寄り添って楽しそうな笑顔を向ける三人の人物だ。何年か前の、ハンターを自称していた頃のマグノリアと、彼女の相棒だったモデルの美しい少女と、それから――――
ロータスはマグノリアを背後から抱きしめた。マグノリアは写真立てを握ったまま動かない。
いつもなら、マグノリアが写真を見ていたことにロータスが気付いた時は、彼女は魔法を使って何食わぬ顔で写真立てを消して、鏡台の引き出しの中へと戻してしまう。でも今回はそれをしない。
「ごめんなさい、ロイ。今とても集中してるの。大変なことになりそうよ」
大変なこと。また、彼を頼らざるを得ない事態が起きているのだろうか。
マグノリアが彼を頼ったのは数えるほどだ。そう頻回に起こることでもないし、本当に必要な時にしか接触していないようだが、ロータスは嫉妬を禁じ得ない。
本当は写真の彼の部分だけをちぎり取ってビリビリに破って燃やしたいのだが、流石にそこまではできない。
彼らとの思い出は、マグノリアが実家から距離を置いて以降、ロータスと二人で夫婦として暮らし出すまでに確かにあった、彼女の青春なのだから。
ロータスにその思い出を奪う権利はなかった。けれど、嫉妬はする。
だってブラッドレイ家の三男は、マグノリアに手を出したことがあるから。
マグノリアの夫としては、たとえ当時子供であろうと、そんな男一生許せない。
昔、マグノリアはブラッドレイ家の長男と婚約話が浮上したことがあったらしい。全てはマグノリアの魔法の力を欲したことと口封じのためだったようだが、長男とは別に恋仲であったわけではないらしい。
真に関係が深くて要注意なのは長男ジュリアスではなくて、三男ノエルだった。
マグノリアはそんなことしないと言うし、ロータスも信じているが……
獣人のロータスとは違って、人間のマグノリアがロータス以外の男と番えることは事実だ。
二人で暮らすようになってから、ロータスは早々にマグノリアを孕ませた。子供がいれば、マグノリアが自分から離れていく危険性が減ると思ったからだ。
娘カナリアはとても可愛い。子供が出来たことに後悔はない。けれどあの時、子供を作ることに対しては、もっと慎重であるべきだったと思っている。
マグノリアの出産直後、彼女が弱っている時を狙って、ブラッドレイ家が攻撃を仕掛けてきた。彼らはマグノリアを手に入れることは諦めていて、逆に邪魔だとばかりに殺してしまうつもりのようだった。
追い詰められたマグノリアが頼ったのがノエルだった。彼のおかげで自分たちは今も生きている。そのことに関してだけは、ロータスもノエルに感謝していた。
「…………見つけた」
マグノリアは呟くと、手の中に出現させた札を白い鳥に変えて、窓から外へと飛び立たせた。