130 メリッサは、俺が
レイン視点
夜はすっかり明けきっていた。レインはゼウスと話をするべく、支隊本部の会議用の一室を借りていた。
部屋にはゼウスだけではなくノエルもいる。最初、ノエルはシリウスの方について行こうとしていたが、「今はノエがそばにいるとシーが落ち着かなくなるから」とそれとなくジュリアスに言われて、同行を拒まれていた。
ノエルは「わかりました」と言いながらも、ジュリアスの判断にはちょっと納得していないような表情を浮かべていた。
ジュリアスはシリウスと共に瞬間移動でどこかへ消えてしまったので、既に支隊本部にはいない。
ゼウスはずっとノエルに話を聞きたそうにしていた。ゼウスのことだからもしかすると、なぜ自分に全てを――魔法のことやシリウスのことを――話してくれなかったのかと、ノエルを責めるような発言をする可能性もあった。
魔法については、そんなものはないと公には否定されている。ノエルだってブラッドレイ家という魔法使いの一家に生まれてしまった宿命というか、不可抗力みたいなものはあって、言えることと言えないことがあったはずだ。
ナディアに関してシリウスのことを伝えなかったのはレインも同じだし、そのことについてノエルを責めるのはたぶん違うとレインは思っていた。ノエルはノエルなりに悩んでいたのだから。
よって、人払いのされた会議室で三人が着席するなり、レインはゼウスに先んじて口を開いた。
「まずは俺の知る範囲のことを教える」
ノエルに全てを説明させるのは酷だろうと思ったレインは、説明役を買って出た。
「銃騎士隊の機密事項だから絶対に外には漏らすなよ。
ブラッドレイ家の次男シリウスが病弱で他国で療養中というのは真っ赤な嘘だ。ブラッドレイ家は魔法使いの一族で、アーク隊長の奥さん以外は皆魔法が使えると聞いている。シリウスは魔法の力を使って長期間獣人王シドのいる里を潜入調査していた」
「……魔法のことは教えてもらったから知っています。では、奴も銃騎士隊員なんですか?」
「いや、シリウスは養成学校を出たわけじゃないから正式には隊員ではないが、似たようなものだ。准隊員とでも呼ぶのが一番しっくりくるかもな。一応所属は二番隊になっていて、隊長とジュリアスの直属だ」
「ノエルは……」
「私は准隊員でもありません。父や兄二人に頼まれて銃騎士隊の仕事を手伝うこともありますが、ただの兼業ハンターです」
「ここからはゼウスには酷な話になるが…… お前の恋人だった『メリッサ・ヘインズ』は、架空の戸籍をもらって首都に住んでいた、獣人の里出身の獣人なんだ」
レインの言葉にゼウスが険しい顔になる。
「俺は…… そんな話信じません。彼女が獣人だなんて…… きっと何かの間違いです。獣人の里で育った人間とかじゃないんですか?」
「残酷な話だが…… 彼女は獣人王シドの娘、ナディアだ。それが真実だ」
レインはそう言って、手元に置いていた資料をゼウスに差し出した。
レインはほぼ手ぶらで南西支隊に来たので、資料は支隊のものを借りた。
この資料を借りる時、フランツ支隊長は専属副官と共に急病で不在と言われてしまったので、副支隊長の専属副官であるリオルに頼んだ。
それは獣人王シドの里に関する極秘資料であり、里に住まう獣人の一覧が写真と共に載っていた。これほどの獣人の情報が抜き出されていたことが公になれば、シドを始めとした里の者たちに諜報員の存在が疑われる可能性があるため、この資料の閲覧には制限がかかっている。ゼウスがこれを見たことはたぶんないはずだ。
そこには当然のようにナディアの項目もあった。ただ、添えられているナディアの写真は、現在のものではなくて、七、八歳前後と思しき子供の頃のものだ。これを作成したのはシリウスのはずだから、ナディアが捕まらないようにあえて昔の写真を載せているのだろう。
しかし愛する人の写真は幼い頃のものであってもゼウスには本人だと確信できたようで、ゼウスは真っ青な顔になりながらその頁を食い入るように見つめていた。
「……シリウスが里に潜伏中にナディアを見初めて、嫁にするつもりで無理矢理こっちに連れてきたらしい。魔法を使えば、相手が獣人であっても夫婦という体裁は取れるだろうからな。
言っておくが、彼女は二股していたわけじゃないぞ。ナディアはシリウスの求婚をお断りし続けていて、一度も恋人関係にはなっていなかったそうだ。ナディアの本命は間違いなくお前だ。
彼女は魔法で里に帰れない制約を受けていたそうだ。人間として生きていくしかなくて、その最中でお前に出会って…… なかなか打ち明けることもできなかったんだろう。最初からお前を騙そうとして近付いたわけじゃないことは、お前自身が良くわかっているはずだ」
言いながら、レインはゼウスの様子を観察する。青褪めて固まっていたゼウスの表情が徐々に徐々に崩れて、悲しみの色に染まる。
「獣人…… 獣人だなんて…… 俺のメリッサが…… 獣人…………」
ゼウスは恋人の真実を目の当たりにした衝撃に打ちひしがれているようだった。
「……色々な事情があって、俺もノエルもお前に本当のことが言えなかった。申し訳なかった」
レインに続いてノエルも謝罪の言葉を口にするが、果たして、今のゼウスに自分たちの言葉は届いているだろうか――――
ゼウスは資料を握り締めた手を机の上に置いたまま、俯いて慟哭し始めている。
「レイン、すみません…… 後のことはお願いします」
嗚咽するゼウスのそばに寄って、落ち着くように背中を撫でていたレインは、部屋から出て行こうとするノエルを止めなかった。
ノエルもまた、泣いていたから。
レインは頷いてそのままノエルを見送った。
今のゼウスにこれ以上の話をするのは無理だ。ゼウスがメリッサを斬るように仕向けたのはアーク隊長だと、いずれ伝える必要があると思うし、本人の方から気付いて質問されるかもしれないが、それについてはまた別の機会にした方がいい。
レインはゼウスが泣き止むまでそばに付き添っていた。
レインはゼウスとナディアの交際にはずっと懸念があった。その一つが、ゼウスがナディアの正体を知った時に、もしかすると責任を感じて銃騎士を辞めると言い出すのではないかということだった。
レイン自身はゼウスと一緒に、できる限り銃騎士を続けたいと思っている。しかし危険な職業ではあるし、早々に退役の道を選ぶのも一つの人生だ。
けれどゼウスの場合は、ナディアと一緒になるためには銃騎士で居続ける必要があると思った。銃騎士であれば、獣人を奴隷として所持できる。たとえゼウスが獣人奴隷制度に眉をしかめたとしても、二人が結ばれるためには必要な手段だとレインは思っていた。
ゼウスがナディアを心の底から愛していたことはレインも理解している。幸せになるためには、ゼウスは銃騎士を辞めてはいけない。もしも辞めたいと言い出したら、レインはゼウスを説得するつもりだった。
ところが事態は、レインが危惧していたもう一つの方向へと転がり出す。
ひとしきり泣いた後、落ち着きを取り戻したらしきゼウスは、暗い瞳のままでこう言った。
「メリッサは、俺が――――」




