129 命を張らせないでよ
ノエル視点→シリウス視点→ノエル視点
「早く行ってください」
「う、うん……」
後ろにいる人物をちらりと見やって声をかけると、彼はコクコクと頷いてから近くの建物へと走って行った。
するとシリウスが動いた。走るゼウスに向かって雷の矢を何本も放つが、彼に届く前にノエルが風魔法で全てを地面に落とした。
「ノエっ! 邪魔をするな!」
「兄さん! やめてください! ゼウスは私の大切な友人なんです!」
「黙れっ!」
諌めてもシリウスの怒りは全く収まらない。雷の矢が駄目ならと今度は天空から雷を落としていて、激音が周辺に響く。その攻撃は避けられていたが、シリウスは本気でゼウスを殺そうとしていた。
「ハロルドォォォォオオォォッ!」
突然、その場にシリウス以外の男の叫び声が響いた。見れば額に青筋を浮かべた金髪碧眼の美形銃騎士が、切れ長の目にこれでもかと怒気を宿らせながら鬼気迫る勢いでゼウスを捕獲して地面に押し倒していた。
男――――フランツはゼウスに馬乗りになると、隊服の胸あたりに手を突っ込んで中を弄り始めた。
「ちょっ! 駄目っ! やめてっ! 支隊長ぉぉぉっ!」
ゼウスが叫んでいる。
「あったァァァッ!」
フランツは掴んだ拳を空中へと高く掲げた。その手の中には札に似た紙切れ――――魔法使いの依代があった。
それは、父アークの依代だった。
フランツがすぐさま依代を二つに破る。すると、ゼウスの姿が一瞬でハロルドに変わった。
(ハルが身代わりになっていたんですね…………)
フランツはまるで人攫いのようにハロルドを肩に担ぐと、近くの建物に向かって一目散に駆け出して行った。
その間もゼウスに扮したハロルドへの攻撃は続いていたが、ノエルは彼らの周囲に盾を張って防いでいた。ゼウスではないとわかった時点で兄の攻撃は止んでいた。
「どこだァァァァァァ! 出て来い!」
けれどそれは標的ではなかったからで、シリウスの殺意は消えていない。地を這うようなシリウスの怒鳴り声が周囲に響き渡る。
『ノエ兄! ゼウス先輩は集会室の中だよ! 父さんの魔法で今は別人の姿!』
頭の中にセシルの精神感応の声が響き渡るのと同時に、一つの絵が映り込む。
床の上に幾つか寝具が敷かれていた。寝そべるゼウスの姿と黒髪の青年がダブって見える。これはきっとセシルの『過去視』だ。
『セシ、ジュリ兄さんを呼んできてください! シー兄さんには何とか思い留まってもらうつもりですが、私では止めきれないかもしれません!』
シリウスは怒りに任せるように落雷をそこかしこに発生させている。建物に当らないように魔法を使いながら、ノエルは精神感応でセシルに頼んだ。
『うん! わかった!』
セシルは取り出した自らの依代を、鳥――――黒い鳥に変えてこの場に残してから、瞬間移動で消えた。
「シー兄さん、落ち着いてください! 兄さんの怒りはわかりますが、ゼウスを殺すのは間違っています!」
「うるさい! 邪魔するな! そこかァ!」
何度も何度も集会室がある建物を守っていたせいか、シリウスがゼウスの居場所に気付いてしまう。シリウスは魔力の出力を最大限にして天空から特大の雷を建物に落とそうとするが、ノエルも魔力を集中させて防ぐ。
「くっ……」
シリウスは巨大な雷を何度も何度も落としている。ノエルもその度に結界に大量の魔力を流して耐えるが、元々ノエルよりもシリウスの方が魔力量は上だ。このままではいずれシリウスに押し切られてゼウスが殺されてしまう。
(アテナの悲しむ顔なんて見たくない)
兄に攻撃魔法を仕掛けるべきか―――― ノエルはそんなことまで考え始めていた。
その時だった。
「俺ならここだ!」
守っていた建物の扉が開き、中から怒りの表情のゼウスが出てきたので、ノエルは驚愕した。
「駄目よゼウスきゅん! 若いんだから死に急いじゃ駄目よ!」
「そうだよ! 出て行ったら死んじゃうよ!」
ゼウスの後ろから二人の銃騎士――ショーンとリオルが慌てたように出てきて止めた。両側から押さえ込まれたのでそれ以上ゼウスが歩を進めることはなかったが、恋敵二人が相対する事態になってしまった。
ノエルが見た眠るゼウスの姿は、あの時点での『過去視』だ。雷魔法の轟音により流石に三人とも目が覚めていたらしい。
「狙うなら俺だけにしろ! 他の人を巻き込むな!」
ゼウスの姿替えの魔法が解けているのは、ゼウスが自分でアークからもらった紙を破いたからだった。
「メリッサはどこだ! 返せ! この人攫い!」
「黙れこの間男が!」
「間男はお前だろ!」
「何だと! お前さえ現れなければ俺はナディアちゃんと結婚していたんだ!」
「結婚だって? メリッサと結婚の約束をしたのは俺だ! お前じゃない!」
「何ィっ!」
「メリッサの初めての彼氏は俺だ! 俺たちは愛し合っていたんだ!」
ゼウスのその言葉に、「ぐぅぉぉぅああぁぁぁァァー!」とシリウスは頭を抱えて奇声を上げた。
「お前なんか! お前なんか消し炭にして燃えカスすら消滅させて跡形も残らないようにしてやるっ!」
「兄さん!」
シリウスが魔力を爆発させる。ゼウスを殺すつもりで雷の大剣を振りかぶった。ノエルは一撃目を全力の魔法で防いでから――――全ての防御魔法を解いた。
雷の大剣が、シリウスとゼウスの間に立ちはだかっていたノエルの身体近くで止まった。
ノエルの背後にはゼウスがいるだけだ。ノエルは一撃目の直後に念動力でショーンとリオルの手をゼウスから放させた後、瞬間移動で彼らを別の場所に飛ばしていた。
シリウスが止めなければ、ノエルもゼウスも死んでいた。
「……何のつもりだ?」
シリウスは唸るような声を出して、不機嫌さを隠そうともしない。
「ゼウスを殺すなら、俺も一緒に殺せ」
そう言ったのはノエルだ。ノエルは感情が高ぶると丁寧語が消えて、自分の呼称を「俺」と変えることがある。
ノエルは覚悟を決めた瞳でシリウスを見つめた。
「何言ってんだよ」
「シー兄さんは俺の大切な家族だ。でもゼウスだって、俺にとっては家族同然の大切な存在なんだ。シー兄さんがゼウスを殺すのなら、責任を取って俺も一緒に死ぬ!」
シリウスの剣が動く。ノエルを避けて後ろのゼウスだけを串刺しにしようとするが、ノエルがその剣筋の軌道上に入り込んでくる。シリウスは止まるしかなかった。
「ノエっ!」
「ゼウスは殺させない! もし俺を生かしてゼウスを殺したとしても、俺は後追いして必ずゼウスと一緒に死ぬっ!」
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目に入れても痛くないほど可愛いと思っている弟のうちの一人が、必死で叫んでいる。怒りよりも困惑が強くなるシリウスの頭の中に、声が響いてくる。
『シー兄、ノエ兄を大事にして。もうこれ以上ノエ兄に命を張らせないでよ』
彼らの頭上を旋回しているセシルの残した黒い鳥から、精神感応が飛んでくる。
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「何で…… 何で……」
シリウスは俯き悲しみを込めて呟きながら、手の中の大剣を消した。
「ノエ、お前までそいつを選ぶのか」
「兄さん……」
ノエルはその問いに答えられなかった。シリウスを優先するのかゼウスを優先するのか、ノエルの中では未だに答えが出ていない。
「小さい頃は、兄さんが学校でいない時とか、お前は俺の後ばっかりついてきて…… 『ノエは大きくなったらシー兄たんと結婚するー』って言ってたのにな…… もう俺はお前の特別じゃなくなったんだな……」
顔を覆ったシリウスの手の隙間から、ポタポタと涙が落ち始めた。
「兄さん、違う。俺にとってシー兄さんは今でも大切な人に代わりはないよ。
でも俺は、兄さんたちだけじゃなくて、他にも大切な人ができたんだ。兄さんとゼウスの両方が、俺にとっては掛け替えのない大事な存在なんだよ。だから、俺の大切な人を殺そうとするのはやめてほしい」
「…………俺だって可愛い弟を殺してまで、報復しようとは思ってない……」
顔を覆ったまま悄然と呟くシリウスの後ろから、瞬間移動で現れたジュリアスとレインの姿が見えた。




