128 襲来
ハロルド視点
集会室は一緒に雑魚寝している者たちの寝息以外は静かだった。色々と考え始めてしまい眠れなくなっていたハロルドは――――その気配を感じて真っ先に外に飛び出した。
ハロルドに次いでフランツ支隊長も外に出てくる。抱き枕がいなくなったことに気付いたから起きたのか、それともハロルドと同じくその気配を感じ取れたから起きたのかはわからないが。
背後の集会室ではゼウス他二名はまだ就寝中のようだった。
「来たか」
「来ましたね」
「エヴァンズの姿は変えておいた」
「ありがとうございます」
もしもの時のためにと、アーク隊長はゼウスの姿が全くの別人に見えるような魔法を託してくれた。フランツはその魔法を発動させてから外に出てきたようだ。
(流石は支隊長。判断が的確だ)
集会室は支隊本部本棟と繋がる渡り廊下があるくらいで、周囲にはほとんど何もない。夜明け直前の薄明るくなり始めた支隊の敷地内に、瞬間的に何度も走っては消える眩い光があった。照らし出される光の中にいるのはあの時の白金髪の美しい青年と、それからその青年に似た白金髪の、まだ幾分あどけなさが感じられる絶世の美少年だ。
(……やっぱりそうだった。メリッサさんを攫ったのはノエル君のすぐ上のお兄さんのシリウスさんだった。一緒にいるのはノエル君のすぐ下の弟さんで、次期宗主配のセシル様だ)
セシルは現在銃騎士養成学校の一年生でありハロルドの後輩にあたるのだが、畏れ多いので様付けしている。
光が走るたびに、雷撃とそれを覆うように空中に広がる大量の水が見えた。セシルが得意なのは水魔法のようだ。
セシルはシリウスの腰辺りにしがみついて歩みを止めようとしているようだが、シリウスは止まらずにセシルを引きずるようにして真っ直ぐにこちら――――集会室に向かってくる。美形すぎる顔が怒りに満ちていて、あの時と同じく滅茶苦茶怖い。
なぜか、雷の爆ぜる爆音やセシルが口を大きく動かしてシリウスを止めようと叫んでいる声は聞こえない。きっと音を消すような魔法を二人のどちらかが使っているのだろう。
シリウスの目的が何かなんてわかる。ゼウスを殺しにきたのだ。
何かあってもすぐに動けるようにとハロルドだけではなく支隊長たちも隊服で就寝していた。ハロルドは隊服に忍ばせていた秘密兵器を取り出すと、その魔法を発動させた。
ハロルドはゼウスを守るためと、それから他にも理由があって、アークと取引をしていた。
持ちかけたのはハロルドからだった。ゼウスの守りのために使うようにと、姿替えの魔法が発動する札を支隊長が渡されていて、その時に閃いたのだ。
事件の後、アークはしばらく南西列島に留まるつもりだと言っていたが、そこまで長くは滞在できないという話だった。
襲撃の際にはすぐにアークを呼ぶようにと言われていたが、二番隊長が来る前にゼウスが殺されてしまう懸念もあった。ハロルドはアークが到着するまでの時間稼ぎとして、自分にゼウスの姿に変幻できる魔法を授けてくれないかと要望を出した。
フランツには相談せず、ハロルドの独断だった。
アークは――――――「必要ない」とその案をバッサリ切り捨てた。
対策としてはゼウスを別人の姿に変えるのみで充分であり、ハロルドの命を危険に晒す真似は二番隊長としてはできかねる、と。
『だが、隊長としてではなくあくまでも個人的な頼みであれば、聞いてやれないこともない』
そこら辺から話がおかしくなった。
『そうだな、一つとは言わず三つでどうだ? 俺の魔法を使ってお前の願いを叶えてやろう。一つ目にエヴァンズの姿になることを望めばいい。授けた魔法をいつ使うかはお前次第だ。
ただし、ここからは銃騎士隊の任務の範囲外になる。見返りなしでは俺も魔法は使いたくない。条件がある』
隊の仲間のはずなのに取引を持ちかけるなんて、この人は物語に出てくる真っ黒大魔王みたいだとハロルドは思った。
『こちらが指示する時に、お前が稀人であることを世間に公表しろ。それまでは誰にもお前の正体を一切話すな』
驚きすぎて言葉が出なかった。
(二番隊長は俺の秘密を把握していた。一体いつから…… いや、銃騎士隊の上層部は既にこのことを知っているのだろうか……)
『ハル、くれぐれも君の正体がばれないように気をつけて――――』
南西列島への出立前夜、三姉エマの夫であり公爵家次男のケントから言われた言葉が蘇る。
(ケントお義兄様…… 正体がとっくに第三者にばれていました…… どうしましょう…………)
『言っておくがお前の三番目の姉の病気を完治させろというのは不可だ。魔法にもできることとできないことがある。だが、たいていの願いなら叶えることができる。
例えば――――――エリック・ホワイトの居場所を教えてやろうか?』
鳩が豆鉄砲を食らうどころの騒ぎではない。ハロルドはその名前を聞いて、一瞬呼吸すら忘れた。
『生きて、いるんですか……?』
『その情報も含めてだ。知りたければ条件を呑め』
もしかしたら、願いを叶えてもらっても教えられた先が墓場である可能性もある。
それでもいいから、知りたいと思ってしまった。
『……わかりました…………』
ハロルドはアークの条件を呑むことを選んだ。
(お義兄様…… ごめんなさい…………)
自分の正体を世間に公表したらもう、銃騎士ではいられなくなってしまうかもしれない。
それに自分だけではなくて姉エマにも危害が及ぶ可能性もあった。だから公表はあくまでも自分だけに留めるつもりだ。姉はもう公爵家の者だから、きっと義兄が守ってくれるだろう。
ハロルドは自分の指を噛んで出した血をアークから貰った札に染み込ませた。すると、ハロルドの姿が一瞬でゼウスの姿に早変わりした。
「おい!」
すぐそばにいたフランツが驚いて声をかけてくる。自分が囮になることは話していないから当然だろう。
ハロルドだって死ぬつもりはない。支隊長との約束は必ず守るつもりだ。
フランツが手を伸ばしてくるが避けるように走り出し、ハロルドは美形兄弟の前に立った。
今のハロルドの姿はゼウスだ。シリウスが視線だけで射殺さんとするかのような殺意の籠った恐ろしい目をこちらに向けてくる。このまま卒倒できたら楽だと思えるくらいには怖いけど、怯まない。
(アーク隊長が来るまで必ず持ちこたえてやる!)
「こっちだ! 来い!」
脅威をゼウスのいる集会室から遠ざけるために走り出す。雷撃が嵐のように降り注ぎ始めるが、ハロルドはあの日のように避け続けた。
「シー兄! 止めろ! その人は違う!」
音が聞こえなくなる魔法は無効化されたらしく、背後でセシルが叫んでいる。しかし憎き敵を目の前にしたシリウスは、頭に血が登っているのか弟には反応しない。
いきなりシリウスが目の前に現れた。あの日のように雷の剣を携えて瞬間移動し、ハロルドを斬り殺そうとしてくる。
あの日殺されそうになった時とは違い、予め警戒していたハロルドはシリウスの瞬間移動に反応することができた。紙一重で攻撃を交わしてからシリウスと距離を取る。
「シー兄! いい加減にしろ!」
セシルが怒声を上げている。風が吹き、逃げるハロルドと追うシリウスの間に人影が入り込んだ。セシルかと思い振り返ったハロルドは、この場にいなかったはずの人物を見て目を見開く。
「ノエル君……」
爆風が起こる。風圧で迫っていた雷の剣が押し返され、剣の形をしていた雷が風の威力で霧散した。
ハロルドは緊張を保ちつつ目の前に立つ人物を見つめた。ハロルドからは彼の背中しか見えないが、自分を庇うように立つノエルは、さながら救世主のようだった。