12 一番隊長
ゼウス視点
「隊長! 話が違うじゃないですか!」
ようやく見つけた銃騎士隊一番隊長ジョージ・ラドセンド卿にゼウスは食って掛かる。
ジョージは上品な物腰の白髪の老紳士で、若い頃はさぞおモテになられたのだろうという風貌をした「年を取ってもまだまだイケメン」の代表格だった。ジョージの背筋はしゃんとしていて馬に乗る姿は六十代とは思えないほど若々しく、まだまだ現役といった様子だ。
ジョージは元々平民であったが貴族の娘と結婚し、のちに伯爵位を賜り銃騎士でありながらも貴族である。
ジョージは肩を怒らせながら現れたゼウスとその後ろにいるシャルロット公爵令嬢を見て、何があったのかを察したようだった。ジョージは手で一つ自分の額をパシリと叩くと、「あちゃー」という声を出した。
「『あちゃー』じゃありませんよ! 俺の異動がなくなったとは一体どういうことですか!! ちゃんと説明してください!」
ゼウスにしてみればお茶目さで誤魔化そうとしても許すまじでありとことん詰め寄ってやろうと思っていた。上司に楯突く奴はクビにするというのならすればいいと本気で思った。
「ゼウス君、とにかく落ち着きなさい。君にはきちんと説明するつもりだったのだが、何分パレードの先頭を務める役に影響があってはいけないからね。この式典が終わったらもちろん君に誠心誠意説明するつもりだったよ」
ジョージは一番隊で巻き起こるご婦人方との下方面も含めた様々な厄介事を適切に捌きつつ、大事になるような案件はできるだけこちらの不利にならないように銃騎士を守りながら、のらりくらりと躱していつの間にか事態を収めてしまう老獪だ。どんな場面でも銃騎士の味方についてくれるので頼もしくはあるが、完全に信頼していいものかどうか迷う人物ではある。
「すまない、ゼウス君」
馬から降りたジョージが詫びの言葉を口にして深く深く頭を下げた。所属長にそこまでさせてしまい、ゼウスは少しだけ冷静さを取り戻す。
「……では、異動がなくなったというのは本当なんですね?」
「そうだ。数日前には決まっていたのだが諸般の事情で伝えるのが遅くなってしまってすまなかった。君の異動が決まった後に横槍が入ってしまってね。国防を担う銃騎士隊の人事に口を出すとは非常識も甚だしいが、最終的に総隊長が呑んでしまったものだから私にもどうしようもなかった」
ジョージにさりげなく責められた形のシャルロットはゼウスの後ろでしょんぼりとした顔をしている。
「総隊長に撤回してもらいに行ってきます」
一番隊長にも人事を差し戻す権利はないと含みを持った言い方をされれば、権限を有する親玉の所に行くしかない。
「まあまあ、待ちなさい。総隊長も言われるがまま決めたわけではなくてだね、諸々の事情を鑑みて決め直したことなんだ。いきなりこの話をすることになったから用意もなくて見せられないのが残念なのだが、君を一番隊から異動させることに抗議する署名やら嘆願書やらがたくさん届いてね、私もその量を見て驚いたよ。
総隊長宅へ直接参られて直談判するご婦人方も多かったらしくてね、君の存在は自分たちの光だ希望だ私たちから天使を奪わないでくれだとか何だとかかんだとかで、とにかくなかなか熱心だったそうだよ。
総隊長には私から君が国民のために広く働きたいという熱い意志は強く伝えていたのだが、閣僚からのウマ…… 圧力もあったし結局は総隊長が折れてしまわれたんだよ」
ジョージが言いかけた「ウマ……」はおそらく「美味い話」のことなのだろう。
(さては財務大臣から何かお得な話を持ちかけられたな)
「美味い話」が何なのかはわからないが、ゼウスの異動がなくなることが条件でそれが成されるのなら、今回総隊長が再びゼウスの三番隊への異動を決定することは無いような気がした。
そこまで理解したゼウスはとある恐ろしい可能性に気付く。
「隊長…… もしかして、俺はずっとこのまま、一番隊で飼い殺しにされるんですか…………?」
訓練学校卒業後に一番隊に配属されてまだ一年ほどしか経っていないが、最初に一番隊に来てからずっと異動もなく長期間一番隊に居続ける隊員をゼウスは何人か知っている。
彼らの中には未だ結婚せず隊は一度も移らないくせに背中に羽が生えたかのようにご婦人方との夜を軽やかに渡り歩く好色者もちらほらといる。
「俺、絶対にそんなの嫌ですよ……?」
ゼウスには幼馴染の恋人がいたが、故郷の村が獣人による二度目の大規模な襲撃を受けた際に亡くなっている。一度目に両親を亡くした後、親代わりなってくれていた義兄が死亡し、その数日後に大怪我を負っていた彼女もまた息を引き取った。ゼウスは何も出来ずにただ死に行く彼女のそばにいることしかできなかった。
ゼウスは彼女が死にそうになって失うかもしれない段階になってからから初めて自分の気持ちを自覚した。病床で告白して意識朦朧としている彼女に受け入れてはもらったが、数えるほどの口付けをしただけで、彼女とは清いまま永遠の別れとなった。
ゼウスがそれ以降恋人を作らなかったのは彼女のことがあるからだった。周囲には伴侶を持つ者がほとんどなので人恋しくなる時もあるけれど、一歩踏み出すことに躊躇いを感じてしまい、未だ独り身だ。
(最近は誰かと絆を結んでもいいのかもしれないと思い始めているけど、誰でもいいわけじゃない。貴族女の欲望のはけ口になるなんて御免被る)
一番隊長ジョージはもちろん部下の過去の経緯は把握している。
「ゼウス君には酷な話かもしれないが、様々な事情から君を一番隊に留め置く判断が成されることもあるだろう。君を異動させようとすると外側からの圧力が多く働く。君は人気者だ、良い意味でも悪い意味でも。君は君が思っているよりもずっと目立つ存在なんだよ。君のお姉さんが有名なことも――」
「姉は関係ありません」
ゼウスはジョージの言葉を遮るように一際険しい顔で不機嫌そうな声を出した。彼は自分のことで大事な姉のことを引き合いに出されるのを特別嫌う。
「……そうだな、君のことに君のお姉さんは関係なかった。全く以ての失言だ。すまないが許してほしい――――
とにかくだ、このままの状態では来年異動を願い出たとしてもその通りになるかどうかは疑わしい。君が悪いわけではないのだが、現状を打破するためには君自身が変化していくことも必要だ」
そこでジョージはゼウスを見据えて真剣な口調で言った。
「ゼウス君、恋人を作りなさい」
「は?」
かなり斜め方向からの言葉を受けて一瞬呆気に取られる。
「年老いたジジイからの余計な一言だと思って聞き流してもらってもいいいのだが、これでも私は至極真面目に語っているよ。
君に一番隊にいてもらいたがっている者は言ってしまえば君に恋をしているんだ。実際に恋人を目指しているかどうかは置いておいて広い意味でだがね。
君の人気の一端は君に恋人や婚約者などの特定の相手がいないことだ。自讃になるが銃騎士はモテる。彼女たちは君の中に君と恋人になれるかもしれない可能性の夢を見ている。そこに君が恋人が出来たとしたらどうだろうか。彼女たちの夢を破ることになるのかもしれないが、君の夢が叶う可能性は高まる」
ジョージの言いたいことはなんとなくわかるが、急にそんなことを言われても困る。
現在ゼウスに好きな人はいない。相手を好きにならないように女性は意識的に避けてきた。
戸惑った顔をするゼウスをよそに、ジョージはなぜだか視線をゼウスの背後に向けた。
「恋の芽はいつでもどこでもそこら辺に転がっているものさ。例えば今君の後ろにいるのが運命の相手かもしれないよ?」
「ラドセンド卿ったらぁ、そんなことを言われたら照れてしまいますぅ」
背後で大人しくしていたはずのシャルロットが、息を吹き返したかのように生き生きといつもより割増しの甘え声を出すので、ゼウスは背中が一気に寒くなった。
ジョージは先程ちょっと遠回しにシャルロットのことを悪く言っていたので、その印象を拭おうとしているのかもしれないが、この隊長は八方美人が過ぎる。
すすす、とシャルロットがゼウスの横にすり寄ってきて腕にしがみつく。
「私はいつでもゼウス様の生涯の伴侶となる覚悟はできておりますぅ」
「お断りします」
「ゼウス君、そう無下にしないで。女性がここまで歩み寄っているのだから、駄目だと決め付けずに今度試しにデートでもしてみたらどうかね?」
シャルロットは目をキラキラと輝かせてゼウスを見ているが、ゼウスは無言でジョージを睨む。好々爺は険しい顔を向けられてもどこ吹く風で笑顔を崩さない。
ゼウスの心はこれ以上なくささくれ立った。