126 兄弟だけの会話
レイン視点→セシル視点
「そんな感じで二人は逃避行したわけだけど、実はこの後シー兄は、えーと、メリッサさんに逃げられちゃったらしくて……」
セシルがナディアの真名を言うのを避けたのは、この場にいるフィーがナディアの真名や彼女が獣人であることを知らないからだろう。
ジュリアスの意向により、弟シリウスが獣人王シドの娘に恋をして嫁にしようとしていることは、自分の副官には隠しておきたいそうだ。
レインも知っていることを大事な副官に伝えないことについては違和感を感じるが、獣人に思う所のあるフィーには極力隠しておきたいのだろう。
いずれ伝えるつもりではあるが、まだその時期ではないと――――――
『過去視』を見ていないフィーは、たぶんあまり意味がわからずに困惑したままのようだが、レインたちの会話の邪魔をしないようにと口を噤んでいる。
二番隊の特殊性から、他の隊員の任務については承知しないままのことも多い。
専属副官としても私生活でもジュリアスを心から信頼しているフィーは、詳細を伝えようとしないジュリアスに異を唱えることもなく、彼の判断を尊重してこの場のやり取りを見守り続けていた――――
「それで今朝方、彼女がいなくなったから探してくれ!って夜も明けきらないうちから血相を変えたシー兄が俺の所にやって来て…… 一応居場所は特定できたんだけど、でも連れ戻すのかと思ったらそうじゃないんだよ。シー兄ったら彼女のことはそのまま放置で、一転して南西列島に向かったと思ったら、今はゼウス先輩のこと殺すつもりで暴れてる」
「それを早く言え!」
叫んだのはレインだ。大変だと言いつつセシルが落ち着いているからレインものんびりと構えていたが、結局ゼウスに命の危機が迫っていることに変わりはなかった。
「今はノエ兄が来てくれて止めてるから大丈夫だよ。でもノエ兄が、自分じゃシー兄を止めきれないかもしれないから、ジュリ兄を呼んできてくれって頼まれたんだ」
「わかった。すぐに行く」
言いながらジュリアスが寝衣にしていたシャツを脱ぎ捨てて着替え始めた。ジュリアスは鍛え上げられて均整の取れた、彫刻の上の上を行く神懸かり的な美しき裸身を晒している。
「ひゃっ!」
フィーが驚いたような声を上げてから顔を手で覆った。掌に隠れていない顔の部分が赤い。
『こいつらお互いに裸なんか見慣れてるだろうに、なんだその生娘みたいな反応は』とレインは思ったが、この美しさを凝縮した肉体を前にすれば、何度でもドギマギしてしまう部分は理解できた。
レインだってジュリアスの肉体美を惚れ惚れと見てしまっている。ちなみに変な意味は一切ない。
フィーは恥じらいながらも顔に当てた手の指の隙間からジュリアスの裸身を凝視していた。
レインが考えるに、フィーはジュリアスの一番の信奉者である。
つまりは、「美しきその御姿を見逃してはならない」という執念と、「しかし色気ムンムンすぎて目が慣れるまでは直視出来ない!」という葛藤の果てに、このような矛盾した状態になっているようだった。
「レイ兄も一緒に行ってね。ゼウス先輩にはレイ兄が必要だと思う」
「もちろんだ。来るなと言われても俺は絶対に行くぞ」
興奮するフィーをよそに、セシルが声をかけてくるのでレインはそう答えた。怒れるシリウスにレイン自身が殺されてしまう可能性はあるが、たとえ自分の身を犠牲にしてでも、レインはジュリアスに同行して絶対にゼウスを助ける腹積もりだった。
レインにとってゼウスはただの後輩ではない。家族を失ったレインにとっては、ゼウスは本当の弟のように大切な存在だ。
ジュリアスが隊服に着替え終わった所で、セシルが姿替えの魔法を使ってジュリアスの姿になった。
「ジュリ兄が戻るまでは、こっちのことは俺とフィーね…… フィー副官で何とかしておくから、とにかく二人はシー兄とゼウス先輩を何とか立ち直らせてきて」
******
『セシ、どうかこのことは、シーには言わないでほしい。俺たちの胸の中だけに留めておいてほしい』
過去視を二人の脳内に展開させている最中に、ジュリアスが精神感応でセシルに呼びかけてきた。
『こんなことを…… 愛する人を殺されかけたと知ったら、シーは父さんを殺そうとするかもしれない』
長兄の懸念は考えすぎではない、とセシルも思っている。
『うん、言わないよ』
セシルは長兄の提案をあっさりと受け入れた。
真実を明らかにしないということは、それによって大なり小なり不利益を被る者は出てくる。こういう場合は本当は全てを明らかにしてしまうのが一番良いとわかりつつ、セシルはそれを呑み込んだ。
父を庇いたい気持ちがわかるからだった。長兄は次兄の最大の味方ではあるが、それ以上に父を守りたいのだろう。長兄は、三人いるセシルの兄たちの中で父への愛情が一番強い。
セシルだって父を愛している。長兄はあの時のことに関しては父を許していないが、セシルは完全に許していた。アークの心情を完璧に理解し、父が行おうとしたことの全てを受け入れて昇華してしまっていた。
もし父の計画が成功していたとしても、それも受け入れた。
セシルはアークだけではなくて、皆を愛していた。父は元より母や兄たちや弟たち家族全員を愛している。家族間の血みどろの争いなんて見たくなかった。
『父さんはゼウス先輩を動かした時、念動力と同時に目くらましの魔法も使っているから、シー兄じゃわからないと思う。俺か聖女様でなければ見破れないよ』
『聖女様』とは、父アークが『魔女』と呼ぶ『真眼』の魔法使いのことだ。
綺麗なお姉さんに『魔女』なんて言うのは酷いんじゃないかなと思うセシルは、敢えて父の逆を行く。
『今回シー兄の所からナディアお義姉さんを連れ去ったのは――というかお義姉さんが自分から付いていったみたいなんだけど――聖女様なんだよ。奪い返そうとすればできるけど、でもシー兄は「そのままにしとけ」って言ってて…… あんなに愛していたはずなのに、なんでそんなことを言うんだろうって、男心は超複雑で…… なんだか拗れてきてるみたいなんだよね…………
俺はシー兄のことがすごく心配だよ。今回のことを父さんが仕組んだなんて知ったら、きっと大変なことになる。今は絶対に言わない方がいい』