122 束の間の蜜月
シリウス視点
波の音が聞こえる。
ナディアは寝台の上に横たわったまま、虚ろな目で天井を見上げていた。
「ナディア…… ナディア……」
シリウスは寝台脇のすぐそばに寄り添って、ナディアに語りかけている。しかし、悲痛な表情でナディアを見つめ、身体全体からも強い悲しみの感情を漂わせているシリウスのことは、ナディアの視界には映らない。
「早く元に戻って。元気な姿を見せて。俺、これからはずっとそばにいるから。任務ももうどうでもいい。兄さんとの誓いは果たせなくなるけど…… でも、俺はナディアがいてくれればそれでいいよ。それ以上はもう何も望まない。ここで二人でずっと暮らそう。ナディアのことは俺が守るから。もう誰にも傷付けさせないから。だから、だから……」
シリウスはそのまま一言も言葉を発しないナディアにしがみついて泣き出した。
「俺を見てよ! 俺を愛してよ! どうして俺じゃないんだ! あんなことされても、どうして今でもあの男を思って心を閉ざすんだ! あんな男のことなんか切り捨てて忘れてしまえばいいのに、どうして俺じゃ駄目なんだ!」
シリウスの叫びと波の音だけが、この小さな島に響き渡った。
シリウスは打ちのめされたような心を抱えながらも、何とか現状を打開したかった。この世界で一番ナディアを愛しているのは自分だという自負もあった。もちろんあのクソ男よりもだ。
シリウスのナディアへの思いは「本物」なのだ。シリウスの伴侶は彼女しかいない。
「ナディアちゃん、ご飯出来たよ~」
心が死んだようになっていてもお腹は空くはずだ。もちろん魔法を使えば飲まず食わずの状態でも生かし続けることは出来るが、今のナディアには様々な外部の刺激が必要だろうと思った。
美味しいものを口にしていればそのうちに元気が出るかもしれないと思い、魔法も使いながらシリウスは料理に勤しむ。
上等の肉を最高の味付けで煮込み、一口で蕩けるほどになってから皿に盛る。スプーンですくって口元に差し出しても反応はないけれど、匂いは確実にナディアに届いているはずだ。
「ほら、すごく美味しいよ~ ナディアちゃん、あーんして」
ナディアの口元がピクリと動く。シリウスが自分の落ち込みから回復して料理を始めるまでには数日の時間が必要だった。その間ナディアは水すら飲むように促しても口にしていなかったから、流石にお腹も空いているはずだ。
肉の乗ったスプーンの先でナディアの可愛い唇をツンツンすると、表情は死んだようであっても僅かに口元が動き、やがて口が開いた。
(餌付け作戦が効いた! ナディアが反応した!)
感動したシリウスは、彼女の口の中にトロトロ激ウマお肉を入れた。
ナディアは口の中に入れたものを拒まずに、ゆっくりと咀嚼してから飲み込んだ。彼女の瞳の中にほんの少し生気が戻ったような気がして、シリウスは嬉しくなる。ナディアの中にはまだちゃんと、ご飯を食べて生きようとする意志は残っている。
「ナディアちゃん! 偉い偉い! ちゃんと食べられたね!」
シリウスは幼い子供にするように褒めちぎりながら、何度もスプーンを運んだり水を飲ませたりしてナディアに食事をさせた。
ナディアは何も話さないし笑わないし、食べる以外の反応は薄いけれど、全てを諦めたようだった瞳に若干の光が戻ってきたような気がして、これは良い兆しだとシリウスは思った。
お風呂はもちろん一緒に入った。久しぶりにイチャイチャ時間を味わいつつ、「憎き寝取り男の痕跡は全て消す!」とばかりにシリウスはナディアの身体を隅から隅まで入念に洗ったのだが、なぜだか入浴時ばかりは、ナディアは死んだような目に戻ってしまった。
ナディアの瞳から光が消えているのに気付いたので、マッサージはほどほどで止めておいた。
夜は彼女を抱きしめて眠る。初日の時のように嫌な光景は出てこないような魔法はかけてある。
「ナディア、愛してるよ」
色気を声に乗せた殺し文句を耳元で囁いても、彼女の反応は変わらない。心拍数や体温にも変化はなかった。
(以前首都に一緒にいた頃は、口説こうとすると嫌がりながらもドギマギしていたのに……)
こうやってずっとそばにいることで、またあの頃のナディアに戻ってほしいと思った。
自分の愛がナディアの心に届いて、彼女が正気に戻るきっかけになってほしいと願いながら、シリウスは毎夜眠りに落ちる。
シリウスは首都で半同棲していた時以上にナディアにべったりとくっ付き、彼女の世話を嬉々として行った。