112 やっぱりおかしい
ナディアの登場にその場の訓練は一旦休憩に入った。隊員たちは思い思いに寛ぎ、汗を拭いたり水分を補給したりしている。長椅子の上や休憩所付近に生えている芝生の上に寝転がり、休息を取っているような者もいた。
そんな中、ナディアは鍛錬場に最初に現れた場所からあまり動かず、立ち尽くしたままゼウスだけを見つめていた。
突然の恋人の登場をアランに冷やかされながらも、絡み続けようとするクドい先輩をあしらってから、ゼウスはようやくナディアの所へと来てくれた。
「メリッサ、突然で驚いたよ。どうしてここに? 手紙で知らせてくれれば良かったのに」
「それが私にもよくわからないのよ。歩いていたら突然周囲の景色が変わって、気が付いたらここにいたの…………」
「突然、ここにいた…………?」
ナディアの言葉にゼウスが首を傾げている。ナディアも自らの身の上に起こったことを上手く説明できずに、首を傾げるばかりだった。
「手紙なら書いたわ。でも、私が南西列島に行くことは昨日手紙に書いて今朝出したばかりだから、まだ届いてなくて当然かも…… でも、これまでだって何通もゼウスに手紙を書いたの。だけど一度も返事が来ないから、もしかしたら私の手紙は一度もゼウスに届いていないのかなって思ってた」
「ちょっと、待って…… 俺からの手紙が一度もメリッサに届かなかっただなんて、そんなことはないはずだよ。銃騎士隊独自の連絡経路にも乗せていたものが届かないだなんて、そんなことあるはずがない……
それに、メリッサが出してくれていた手紙も俺に届いてないって、一体どういうことだろう…………?
俺は毎日のように何度も何度も君に手紙を出したよ。だけど全然返事がないから、もしかしたらメリッサに別に好きな人ができてしまったんじゃないかって、そんなことまで考えてしまって…………」
ナディアの脳裏に一瞬だけオリオンの姿がチラつくが、首を左右に強く振って追い払う。
「そ、それは…… ないわ。私はゼウスだけだもの…… 私が愛せるのはたった一人………… でも、こうして会えて良かったわ」
ナディアは手紙のことや突然ここに来たことを妙だと感じつつも、とりあえず話題を変えたかった。
「…………メリッサ、やっぱりちょっとおかしい………… 今日の訓練はもう早退させてもらうから、どこか別の落ち着いた所へ行ってから、そこでもう一度良く話そう」
「待って」
ゼウスは場所の移動を促したが、ナディアは歩き出そうとしたゼウスを呼び止めた。
「…………ゼウス、私、どうしてもあなたに言っておかないといけないことがあるの…………」
「何?」
ゼウスは何気ない感じで振り返って聞いてくる。そこにはナディアへの信頼しかなくて、まさか恋人に正体を偽られているなんて、全く思ってもいないとわかるもので――
エリミナに貰ったはずの勇気が急速に萎んでいく。ナディアはゼウスに嫌われて別れてしまう可能性を恐れた。本当のことを言ったらどうなってしまうのかが怖い。
これまで何度も打ち明けようとして果たせなかった時と同様に、告白へのためらいが生まれる。
(駄目だ、やっぱり無理……)
そのために仕事も辞めてここまで来たというのに――なぜいきなり南西列島に来ているかは不明だが――やはり言えない。
再会が突然だったこともあって、心積りができていないからだと理由を作り、ナディアは今すぐここで打ち明けるのは無しにしようと思ったのだが――
『どうした? 言わないのか?』
頭の中にいきなり明瞭な声が響き渡る。
(これ、精神感応だ――――)
ナディアはすぐに気付いた。ナディアは周囲にさっと目を走らせてみたが、声の主は近くにはいない。
その声は少し渋さのある低い美声であり、ナディアにも覚えのある声だった。
会話をしたのは数えるほどだが、最初に首都に来た日に初めて見た銃騎士のことは、今でも強く印象に残っている。
『せっかくお前のためにここまで運んでやったんだ。さあ、目的を果たせ』
(目的……)
『ゼウス・エヴァンズに正体を告げるのではなかったのか? 早く本当のことを告げて肩の荷を下ろしたいのだろう?』
(そうだけど、でも…………)
『いずれ言わねばならないのだ。できるだけ早く言った方がいいに決まっている。いつまでも恋人に嘘をつき続けて、それでいいのか?』
(良くない。良くなんかない)
『さあ言え。言うんだ。お前の本当の出自をその男に話せ』
(そうだ…… 言わなきゃ駄目だ)
ナディアはオリオンの父アークによる精神感応の言葉を受けて、腹を括った。
たぶんアークが魔法を使って自分をここまで連れてきたのだろう。怖じ気付く自分の背中を押してくれているようにも感じられて、ナディアはアークに感謝すらした――――
目の前のゼウスは、その場に呆然と立ち尽くした格好になってしまっているナディアを見ながら、『やっぱりちょっとおかしい』と告げた時と同様に、少し訝しげな視線をこちらに送りながら、同時に首を傾げている。
少し困ったようにも見えるその仕草が、年上なのに可愛くて、ゼウスは自分にはもったいないくらいに格好良くて、綺麗で眩しくて、心の底から大好きだと思った。
(信じよう。私は、ゼウスを信じるの――――)
ナディアは口を開く。
「ゼウス、今まで騙していてごめんなさい。私…… 私、本当は――――――」