107 犯人
アーヴァインの操る馬車の中ではエリミナと二人だった。馬車の窓から銃騎士隊が追いかけてこないことを確認して、二人同時にほっと息を吐く。
なぜか同じ行動をしてしまったことでお互いに顔を見合わせて、エリミナと微笑み合う。
「エリー、私ね、本当は獣人なの。黙っていてごめんね。ずっと正体を隠して首都で暮らしていたの」
今なら本当のことが言える。リンドに次いでエリミナにも自分の口から真実を話せて良かったと思った。
するとエリミナは首を大きく何度も横に振り、それから綺麗な黒目に涙を貯めてナディアに抱きついてきた。
「ごめんね、謝るのは私の方よ。私、あなたの正体に気付いてから、メリッサに殺されてしまうのではないかって思ってずっと怖かったの。お店を辞めるって聞いて、このままどこか遠くへ行ってくれたら…… なんて思ってた。酷いよね。信じてあげられなくてごめんね。メリッサが私達を傷つけるわけないのにね。
私、一体何を見ていたんだろう。メリッサは私の命の恩人なのに、そんなことも忘れてた。おじいちゃんのことだって、自分の命も顧みずに助けてくれて、ありがとう。あなたは素敵な人よ。あなたがいてくれて本当に良かった。メリッサは獣人だけど、とても良い獣人よ」
言葉を挟めないほどの勢いで捲し立てるエリミナを、ナディアはぎゅーっと抱きしめ返した。人間と本当の友達になれて、心を通わせ合えたような気がして、ナディアはとても嬉しかった。
「エリー、ありがとう、私を認めてくれて。受け入れてくれてありがとう」
獣人と人間の絆は成立するのだ。
エリミナとの友情がナディアの自信に繋がる。ゼウスに本当のことを打ち明けられる勇気になれた。
「ありがとう、エリー! 大好き!」
「メ、メリッサ……! 苦しい!」
温かい気持ちに包まれたナディアは、思わず、エリミナの小柄な身体を抱きしめる腕に強く力を込めてしまった。
耐えられなくなったエリミナが訴えるまで、ナディアはずっと抱きしめていた。
豪華な門を通り抜けた先で馬車が停まる。やって来たのはエリミナの自宅であるサングスター邸の庭だ。馬車の扉が開くとアーヴァインが中に入って来て、すぐに扉を閉めた。
「これからどうするつもりだ?」
真剣な顔をしたアーヴァインがナディアに尋ねてくる。エリミナと顔を見合わせたナディアは一つ頷き、既にエリミナには話していたこと――ゼウスに会いに南西列島まで行き、正体を告げてゼウスの獣人奴隷にしてもらうこと――を伝えた。
「…………ゼウスに会いに?」
アーヴァインは一瞬眉を寄せてかなり険しそうな顔をした。
本当は、エリミナとアーヴァインは二人だけで話し合っていて、ひとまずはナディアをしばらくの間首都から離れたサングスター家の別荘に匿っておくのがいいのではという話になっていたそうだ。
しかしアーヴァインはそのことやゼウスに会いに行くことについては特に何も言わず、それなら途中までは自分がこの馬車で送って行くと言った。
「…………首都から南西方面に行く列車が故障してて乗れなかったから、助かるわ」
具体的な道程の話になり、とりあえず南西列島に向かうための乗り継ぎ駅がある街までアーヴァインに馬車で送ってもらうことになった。たぶん着くのは夜になるので、アーヴァイン自身もどこかで一泊し、彼が馬車で首都まで戻ってくるのは明日以降になるという話だった。
「伯父さんが心配するからエリーは残った方が良い」
「だ、駄目よ! 私も一緒に行くわ!」
アーヴァインの言葉にエリミナが反論している。
「だけどエリーは前に襲われてるし、リンドさんも昨日あんなことがあったばかりだから、伯父さんは余計に心配して外泊なんて絶対に認めないと思うぞ。秘密が漏れるから護衛を連れていくわけにもいかないし」
アーヴァインの言葉は正論であるのだが、エリミナは、『ぐぬぬぬぬ……』と、何か言いたそうな、『でも言えない!』というような、ちょっとした怒りと悲しみと―― まあとにかく、「何故気が付かないんだ!」とでも言いたげな複雑な表情をアーヴァインに向けていた。
アーヴァインは女心がわからないようだが、ナディアはエリミナの懸念に気付いたので、彼女の言いたいだろうことを代弁してみた。
「エリーは私とアーヴァインが二人だけでどこかに一泊するのが嫌なのよ。でも大丈夫よ、私は獣人だからね。
アーヴァインはエリーと夜を…… いや、夜だけじゃなくて昼間もだっけ―――― って、ええと…… とにかくエリーとそういう関係があるアーヴァインとは、私は間違ってでも絶対にそんなことにはならないから、安心して」
ナディアは途中でうっかり余計なことを口走ってしまったことに気付いたが、もう手遅れだと判断したので、とにかく言いたいことを言い切った。
目の前の友人二人――男女関係は結んでも、まだピュアピュアな部分を持ち続けている二人――は、顔を真っ赤にしていた。
ナディアはあくまでもエリミナを安心させようとして語ったつもりだったが、下手なことを言って失敗したなと反省した。
しかしそれは図らずも、ゼウスと『お守り』を使わずに致しまくっていたとエリミナに思われていたことや、アーヴァインによる図書館での不躾発言への意趣返しとなっていた。
ナディアの言葉に赤面しつつも、「友達を信じる!」と決めたエリミナは自宅に残ることに同意した。
「ねえ、『メリッサ』ってあなたの本当の名前? それとも別に名前があったりする?」
別れ際に、エリミナにそんなことを聞かれた。
「『メリッサ』は本名じゃないわ。私の本当の名前は――――ナディア」
本名を告白したナディアの手をエリミナが握りしめた。
「いい名前ね。それがあなたの本当の名前なのね。教えてくれてありがとう」
最後にもう一度抱擁を交わしてから、エリミナは馬車を降りた。
「ナディア、私たち、ずっと友達よ」
「うん、ずっと友達」
エリミナはニコリと、いつもと変わらない綺麗な笑みを向けてくれた。ナディアも心からの笑顔を返す。
「また会おうね!」
走り去る馬車にエリミナが手を振ってくれる。ナディアもエリミナの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り返していた。
エリミナとは、ゼウスの獣人奴隷になってから、きっとまた会えるはずだと思った――――――
エリミナは本当のナディアを受け入れてくれた。ゼウスもそうであってほしいと、切に願った。
アーヴァインの操る馬車は都会を抜け、いつの間にか人気のない場所へと入って行く。周囲には木々がまばらに生えていて、緑の多い道をひたすら進んだ。
ガタリ、と大きく馬車が揺れた。一度ではなくガタガタと何度も車輪が跳ねる。馬車は結構な悪路を進んでいるようだった。
窓から外を見ると、地面には丈の短い草が多い茂っていて、この馬車は悪路というよりも、道ですらない場所を進んでいるように見えた。
振動は長くは続かない。どう考えても駅ではない場所で、馬車は停まった。
ナディアはこの後の行動を決めかねていた。休憩だと言われればそれまでだが、この状況からするに、ナディアが考える悪い方の予想が当たったのではないかと思った。
罠かもしれないと思いつつアーヴァインの誘いに乗ったのは、彼を信じたい気持ちあったからだ。それに、アーヴァインと一度きちんと話をしなければいけないとも思っていたから。
ナディアは彼の出方を待つ。しかしすぐには何もしてこない。ナディアは相手の迷いを感じ取った。
来ないのならばこちらから行くかと、ナディアは自ら馬車の扉を開けた。
入り口の近くに立っていたアーヴァインは、ナディアの出現にハッと息を呑んで数歩下がると――――――敵意の交じる険しい表情でこちらを見つめ、持っていた拳銃をナディアに向けてきた。
もしかしたら、アーヴァインもナディアを受け入れる方向に気持ちが変わったのかもしれないと期待していたが、それは裏切られた。
いや、彼はもっと前からナディアを裏切っていた。
『メリッサ・ヘインズは獣人である』
エリミナとリンドにナディアの正体が獣人であることを気付かせるきっかけになったあの文章。
あの手紙の差出人は、アーヴァインだ。