105 逃走成功?
「はい、これで全部です」
ナディアは回収し終えた写真をユトに渡した。集中して写真の匂いだけを追い、こっそりと写真を持ったまま離れようとする者もすぐにとっ捕まえて出させたので、この場からは一枚も持ち去られていないはずだ。
ユトは前髪で瞳が見えないので表情の全体像はわからないが、口元に笑みが浮かんでいて、心底ほっとしているような様子だった。
「本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「あ、いえいえ。このくらいは」
丁寧に深々とお辞儀をされるので、ナディアもつられてペコリと頭を下げ返す。
ナディアは社交辞令だと思いユトの言葉を軽く受け流したが、公爵家の者たちから忠犬とも称されているユトは、本当にこのことを一生忘れないだろう。
ユトから離れたナディアは荷物の見張りをしてくれていたリンドの元に戻った。
「全くお人好しだな。あんな女がどうなろうと放っておけば良いのに」
リンドは辛口である。
「そうは言っても、あんな写真が出回ったら一生苦しむことになりますから」
確かにシャルロットには色々と嫌がらせをされたが、ナディアとしては彼女がゼウスに手出しさえしなければそれで良かった。不幸になることは望んでいない。
「では私、行きますね」
セシルのおかげで冤罪は晴れたことだし、そろそろ列車がどうなったかが気になる。トランクを受け取ったナディアは、リンドに最後の挨拶をした。
リンドもナディアに何か言いかけて、しかしその視線がナディアの背後にひたと見据えられる。
「まずいな……」
リンドがきつく眉を寄せたので、ナディアもリンドの視線の先を追って背後を振り返った。すると、馬車や人でごったがえすこの場所に近付く、一台の馬車が見えた。
それは今度こそ銃騎士隊の馬車で――――
人や馬車が多すぎるので銃騎士隊の馬車は少し手前で止まり、何人かの銃騎士たちがこちらへ向かって歩いてくる。
「メリッサ、素知らぬ顔をして早くここから離れろ。狙いがお前かはわからんが、次から次へと厄介だな」
ナディアは頷いた。
「リンドさん、今までありがとうございました。
――――さようなら」
「達者でな」
ナディアは銃騎士隊が来るのとは反対方向へと歩き出した。走ると目立つのでとりあえず早歩きで。
「待て! 止まりなさい! 『メリッサ・ヘインズ』!」
しかしやはりと言うべきか何なのか、銃騎士隊の狙いはナディアだったらしい。
実はナディアが古書店跡地で騒ぎに巻き込まれている間、ナディアが本当は獣人なのではないかと訝しんでいた商店街の者たちが、こっそりと通報していたのだった。
ナディアは走り出した。
(捕まってもいいけどそれは今じゃない! どうせ捕まるならゼウスに捕まりたい!)
「姐さん!」
走るナディアの前方からアーヴァインの声がした。見れば通りの向こうから、御者台に乗り馬車を操るアーヴァインの姿が見えた。彼の乗る馬車は、いつもエリミナが乗るようなサングスター家の高級そうな馬車でなく、何の変哲もない普通の馬車だった。
「姐さん! 乗って!」
ナディアは躊躇った。
(アーヴァイン、一体どういうつもりなんだろう――――)
「何してるんだ! 早く乗れって!」
「メリッサ! 乗って!」
馬車の中にはエリミナもいて、ナディアに手を差し出してくる。
「エリー……」
(助けてくれるの……?)
ナディアはエリミナの手を取ると、馬車に乗り込んだ。
ナディアが乗ったのを確認したアーヴァインは元来た道を戻ろうとした。しかし馬車はそんなに急には方向転換できない。アーヴァインが馬車を操る間も、ナディアを追いかける銃騎士隊員たちが近付いてくる。
「待て……うわっ!」
何人かの銃騎士隊員の叫ぶ声がした。窓から彼らの様子を窺っていたナディアは、追いかけてきた銃騎士隊員全員が、道に何もない場所ですっ転ぶ様を見た。
「…………ふふっ」
既にジュリナリーゼの元に戻り離れた場所から彼らの様子を見ていたセシルは、ジュリナリーゼの服の中からいつの間にか抜き取っていた扇子を広げて口元に当て、微かに笑っていた。
「くそっ! 待てっ!」
銃騎士隊員たちの悔しそうな叫び声を背に、馬車はその場から走り去った。