100 偽悪の少年
三人称→ジュリナリーゼ視点
セシルは隊服のボタンを上二つほどまで外し、上着の内ポケットに手を入れた。
「じゃじゃーん、これなーんだ」
どこかふざけたような調子で言ってからセシルが取り出したのは、結構な量の写真の束だった。
「これは何かしら? 男の人?」
隣にいたジュリナリーゼが優美な声で不思議そうに尋ねている。
「これは昨日この古書店に放火した犯人が、まさに犯行を行おうとしている時の写真だよ」
シャルロットの顔色がさっと悪くなる。
「な、何故そのようなものをセシル様がお持ちなのでしょうか?」
すかさず反応したのはシャルロットだった。困惑したような口調で尋ねているが、そんな写真をセシルが持っているのはおかしいと言いたいらしい。
「そうだね。何でだと思う?」
質問に質問で返されて、シャルロットは困惑を深めた。
「私に聞かれましても…… わかりませんわ、そんなこと」
「わからなくはないでしょう。あなたはアンバー公爵家のご令嬢なのだから」
セシルは次期宗主の婚約者ではあるが、立場的にはまだ平民である。次期宗主の婚約者となったセシルの立場を守るために、どこかの貴族の養子になるようにという働きかけもあったそうだが、ノエルの父であるアークが大反対して成されなかったと言われている。
そもそも以前は貴族と平民の結婚は御法度だった。婚約だけなら可能でもあったが、いざ結婚となる場合は必ず同じ身分でなければならなかった。
なので、アークの大反対により貴族の養子になれないセシルでは、ジュリナリーゼとの結婚の未来は無いはずだった。
ところが、何が何でもセシルと結婚したいという強い意志を固めたジュリナリーゼは、父親である現宗主配と議会に働きかけ、貴族と平民でも結婚できるように法律を変えさせたのだ。
セシルの成人後に二人は挙式して夫婦となり、その際にセシルは入婿としてローゼン姓を名乗り貴族と認定される予定だ。
よって、現段階では公爵家の人間であるシャルロットがセシルに対して失礼な態度を取っても厳密には不敬罪は適用されない。それがわかっているのか、シャルロットは眉を寄せてセシルを睨みつつ、意味がわからないという顔をしていた。
セシルはシャルロットの苛立ちを受けてもあまり気にした様子もなく、もったいぶったように間を置いたのちに、急に真顔になってから言い放った。
「アンバー家ってさ、俺のこと殺そうとしてたよね?」
「な、何だって!」
警務隊員や他の者たちの何人かが驚いたような声を上げ、その場に激震が走った。宗家第三位アンバー公爵家が次期宗主配の暗殺を企てていたなどというとんでもない疑惑が次期宗主配自身の口から暴露されたのだ。
それが本当なら大事件であり、いくら相手が平民といえども当主の首が飛ぶかお家がお取り潰しになってもおかしくない事案である。そのためセシルがさり気なく自分の呼称を「俺」と変えたことにはあまり注目されなかった。
「そ、それは三兄が勝手に企てたことですわ! 私は関係な…… あっ…………」
騒然とする場の空気に慌てたのか、弁解しようとしていたシャルロットの口が途中で止まる。彼女は自分の口元を手で抑えているが、出てしまった言葉は消せない。
シャルロットは自分の失言――セシルの告発が事実であると認めたに等しい――に気付き青くなっていた。
「俺にはこれでも護衛やら影やらが付いているんだよ。アンバー家に怪しい動きがあるかもって、ずっと見張られていたことに気付かなかった?
アンバー公爵令嬢、あなたは一昨日――火事のあった前日に――古書店の店主と激しく言い争いをしていたそうだね? 俺への暗殺の動きには直接関係なかったかもしれないけど、何かあるかもしれないと古書店を見張っていた俺の有能な影たちが、古書店の火付けの瞬間を写真に収めていたってワケ。
残念なことに変装していたこの放火犯の正体までは突き止められなかったようだけど、でも犯人は背の高いがっしりとした体格の男で、どう考えてもこちらのお義姉さんは犯人ではないよね」
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セシルの話を聞きながら、隣にいるジュリナリーゼは内心だけで、『はて?』と疑問に思っていた。
セシルは自分に影が付いていることをさも事実のように話しているが、確かに婚約した時にそういう話は出たが、「俺魔法が使えるのでそういうの全く不要でーす」と言って拒否していたので、一応体裁を整えるために数名の護衛は付いていたが、影は一人も付いていない。
その専属護衛だって、去年セシルが銃騎士隊養成学校の試験に合格した時に、次年からの護衛配置について「俺も来年から国防を担う側になるわけだしさぁ、確かにまだ卵だけど、でももういいじゃん。めっちゃ不要、邪魔、いらなーい」と言ってお役御免にしてしまったので、いないのだ――――
セシルを始めとしたブラッドレイ家の者たちが魔法使いであることは、銃騎士隊や近衛隊などの上層部や隊長クラスは知っているが、国の最重要人物に位置する宗主夫妻や次期宗主ジュリナリーゼも知っていた。
ジュリナリーゼの父クラウスが貴族たちに広く魔法のことを知られるのを嫌がった為、アンバー家の人間たちは当主も含めてたぶん知らされていないと思う。
ジュリナリーゼがそのことを正式に知ったのは成人して次期宗主となった時にだが、本当はその前に出会っていたセシルから、「秘密だよ」と言って教えてもらっていた。
「火付けの瞬間の写真」はセシルが魔法で作ったものだろう。もちろん魔法で捏造もできるが―― しかし、セシルは一見いたずら好きで小悪魔的な性格をしているように見えるが、ジュリナリーゼにとっては悪魔ではなくて天使なのだ。
根っこの部分は物事に対して公平であり、とても心が広くて慈悲深い。写真は捏造ではなくて本当にその瞬間を捉えたものなのだろうとジュリナリーゼは思った。
魔法使いは個人の資質により得意な魔法があるという。セシルは特に『過去視』が得意だと言っていたので、昨日この場で起こった出来事を念写するくらいは、息をするのと同じくらい簡単にできるだろう。
博愛主義者のようにも思えるセシルは、父クラウスよりも全国民の象徴である宗主配にふさわしいと思う。そして最強に可愛い外見とは裏腹に、中身は存外男らしくて格好良い自慢の婚約者だ。
セシルに対するシャルロットはかなり青い顔をしていて気の毒だが、セシルを殺そうとした動きに加担していた、もしくは知っていたが黙認していたのであれば、許し難きことである。
この場で次期宗主として物事が穏便に進むように働きかけることもできるが、ジュリナリーゼはセシルを信頼して任せようと思っていた。
セシルは不必要に人を追い詰めて困らせるようなことはしない。きっとこうしなければならない理由があるのだと思った。
セシルはわざと自分を悪者にして物事を好転させようとする傾向があると彼の家族からは聞いている。ジュリナリーゼの見る限り最近はそのようなこともないけれど、もしもセシルが自分を犠牲にしようとした時には、必ず止めに入り自分が彼を守るのだと、婚約した時からジュリナリーゼはずっと決めていた。




