97 断罪劇?
話を聞かせてもらいたいという数名の警務隊員に連れられてナディアたちは地上に出た。引っ立てられるようにしてもっと乱暴に扱われるのかと思ったが、彼らの対応は丁寧だった。その場で獣人かどうか尋ねられることもなかった。
外に出ると、シャルロットと、やはりいつものように彼女のそばから離れないユトがいた。
ユトの姿を見たナディアはしまったと思った。ユトの存在を忘れていた。
ユトがいるのでは、リンドが気を引いている隙に逃げようとしても、おそらく彼の手によりすぐに捕まってしまうだろう。
ナディアはそれとなくリンドに目配せをして作戦の中止を訴えた。やるのであればユトがいない場所でなければ無駄に終わってしまう。
リンドは片眉を上げ、『なぜだ?』と言いたげな視線を一度だけ向けてきたが、ナディアの意を汲んだらしく、目だけでわかったと合図をしてきた。
リンドと意志の疎通は完璧である。自分たちは仕事上の良き相棒だった。もうちょっと一緒に仕事したかったなと思いつつ、リンドから離れることを残念に思った。
本日のシャルロットは友人知人も引き連れて来たようで、見るからに上等そうな衣服をまとった、貴族の令息や令嬢らしき者たちも連れていた。シャルロットを見れば彼女は余裕の笑みである。目の奥に堪えきれない喜びの色が垣間見えた。
「こちらへどうぞ」
ナディアは警務隊の馬車に乗るように促された。最初に警務隊員たちから「本部までご同行を」と言われていたので、ナディアはそれに従うべく歩みを進める。
とにかくここは穏やかにこの場を離れるのが賢明だろうと思った。ユトから離れさえすればどこかに逃げ出す勝機はあるはずだ。
「お待ちになって」
それを止めたのは、シャルロット・アンバー公爵令嬢だった。
「わざわざ本部まで連れて行き懇切丁寧に話を聞く必要はございません。私がこの場でこの女の罪を暴いて差し上げますわ!」
ビシッとこちらを指差すシャルロットはどこか得意げだ。
「……アンバー公爵令嬢、その………… 本当にこの場でやるのですか? 冗談かと…………」
答える警務隊員はどこか及び腰である。
「冗談ではありません! 私のゼウス様を卑劣な手段で寝取ったこの性悪女をいつまでものさばらせておくわけには参りませんもの! 証拠は揃っているのですから、この場で即逮捕してしまえば良いのです!」
証拠が揃っているという言葉にナディアの表情が陰った。
(まさか、いつの間にか血液でも取られて獣人と証明されてしまったのかな……)
獣人だと世間に公表されるのはもう仕方がない。だけど、このままではゼウスはナディア以外の誰かから真実を聞くことになる。それは嫌だった。ゼウスにだけは、自分の口から直接告白したかった。
ナディアは顔を強張らせて酷く緊張しながらシャルロットを見返していた。その仕草がいかにもやましいことを隠しているように見えて、シャルロットが勢い付く。
「メリッサ・ヘインズ! 自分の職場だったはずのウィンストン古書店に火を付けて、あまつ店主を殺害しようとした犯人はあなたですわね!」
シャルロットは再びビシッとナディアに指を突き付け、『言ってやった!』とでも言いたげな、やりきった感のある上から目線の表情をしていたが、ナディアは緊張の面持ちから急にポカンとした表情になり、何度も瞬きを繰り返した。
ナディアは拍子抜けしていた。てっきり、『メリッサ・ヘインズ! あなたの正体は獣人ですわね!』とでも言われるものだとばかり思っていたのに――――
「いえ…… 違いますけど…………」
「嘘をおっしゃい! あなたの火付けを見ていた証人がおりますのよ!」
シャルロットはそう言って取り巻きの中から見知らぬ女性二人組を前に出してきた。十代後半ほどの二人は他の令息令嬢たちとは違い、ありふれた意匠の「いかにも平民です」という服装をしていた。
首都の住人であるという二人組は口を揃えて、「昨日の陽が落ちきる頃にこの場所を通りかかった時、油の入った容器を抱えて店の裏手に回る少女を見た」と言った。
しばらく後に半鐘が鳴り響き、嫌な予感を覚えてこの場所まで戻ってきたら、古書店が燃えていたと――――
二人はその時見たのは、目の前にいるこの少女――ナディア――で間違いないと言った。
もちろんナディアは火なんて付けていない。頼まれたのか脅されたのかはわからないが、明らかな偽証である。
「まあ! 恩義ある雇い主を殺そうとするなんて、恐ろしいわ!」
「何て酷い方なの!」
「非道な犯人を見つけ出すとは! 流石はシャル様だ!」
途中にシャルロットへ対するヨイショも挾みながら、同行している貴族たちからナディアへ対する非難が上がる。
白昼に街の一角で突如として始まった断罪劇に、商店街の者たちや通行人らが何事かと集まり始めてしまった。
ナディアは火事場での悪目立ちを反省し、これからは目立たないように注意してひっそりと首都からいなくなろうと思っていたのに、何でこんなことになっているのだろうかと頭が痛くなった。
「あなたは日頃から横暴な振る舞いをする店主に恨みを募らせていたのですね! ですが、だからといって殺害まで企てるとは言語道断ですわ!」
「いいえ、恨みになんて思っていません。リンドさんはすごく良い人で、とても優しい人です。素敵なおじいちゃんですよ」
すぐそばにいたリンドが、ナディアがいるのとは反対方向にさっと顔を伏せた。ナディアの位置から見える顔の一部が赤い。どうやら照れているようだ。
「こんな極悪面のいかにもな男が優しいですって? そんなはずがありません! これまで何人もの店員がこの男に辞めさせられたと聞いていますわ!」
「たぶん根性か適性がなかったのでしょう。私を雇って受け入れてくれたリンドさんには恩しか感じていません。できることならこれからもずっと一緒に働いていたかったです」
「まあ、今更思ってもいないような言い逃れをするなんて、見苦しいですわよ! 早く自分がやったと白状なさい!」
「ですから、やっていません」
「あなたに少しでも真心が残っているのなら、本心を偽らずに素直に罪をお認めになることをお勧めしますわ! 証拠があるのですからとぼけても無駄ですわよ!」
シャルロットはどうあってもナディアを火付けの犯人に仕立て上げたいらしい。力技で白を黒にするつもりなのだろうか。
しかし先程からシャルロットは、ナディアの正体については一言も追及しない。
つまり彼らはまだ、ナディアが獣人だとは知らない。
(うーん…… うーん…………)
反論しても、シャルロットはナディアが犯人だという論調を崩さない。何を言っても通じないなとナディアは思った。
証拠と言っても、証人が嘘を言っていたら意味ないのではないかと言ってみたが、「そんなことはありません!」の一点張りである。こんな水掛け論みたいなやりとりをいつまで続けるのだろう。
ナディアはいっそのこと、さっさとやりましたと言ってしまおうかと思った。そうすれば警務隊の馬車に乗れて、たぶんユトから離れることができる。手錠はかけられるだろうが、人間用のものならば一発で破壊できるので、逃亡の妨げにはならない。
リンドはナディアがやったとは露ほども思っていない。それからゼウスだって、一旦罪を認めた形になっても、事情を話せば必ず信じてくれるはずだ。
ナディアとシャルロットならば、ゼウスは必ずナディアの肩を持つ。
(よし決めた。もうこんな茶番には付き合っていられないし、やりましたって言っちゃおう)
ナディアが口を開いて声を上げようとした時だった。
突然、シャルロットを取り巻いていた貴族令嬢の一人が声高に叫んだ。
「皆さん! あちらをご覧になって!」