6
「はい、お疲れさまでした、以上でVRソフト体験イベント、『幼馴染の想い人』の体験版は終了となります」
画面が暗転した後、聞こえてきたイベントスタッフの声と同時に、僕は装着していたヘッドセットを外す。
スタジオライトの明かりに目が慣れると、周りには区切られたスペースで、何人かが僕と同じ様にVR機器を装着してゲームをプレイしていた。
どうせ予定なんかないんだろうから。
休日、友達に誘われてやってきた最新ゲームの体験イベント。
このゲームでは事前に様々な質問に答えると、そのデータをAIが読み込み、自動で理想の相手を作り上げてくれると発売前から話題になっていた。
「今回体験して頂いたものは、バレンタインイベントの冒頭シーンになります。発売後は本編に加えまして、このような季節ごとのイベントをダウンロードコンテンツとして追加していきますので、ぜひお楽しみにしていてください」
試遊を終え、プレイしていた場所から離れても、スタジオ内のあちこちから販促用のプロモーションビデオやら、ナレーションやらが流れ聞こえてくる。
「幼馴染とあなたの関係は、ゲーム中の選択肢により分岐していくマルチエンディング方式となっています。つまりあなたと、想い人である幼馴染との関係がどうなっていくのかはあなたの選択次第!」
僕にはあんな可愛い幼馴染もいなければ、甘酸っぱい思い出すらないっての。
僕はそのナレーションを聞いて思わず苦笑してしまった。
社会の荒波に揉まれて早十年弱、何が悲しくてバレンタインも近い休日に、こんなイベントに来てしまったんだろう。
様々なメディアで注目されていたゲームの体験ができるということで、なんだかんだ楽しみにしていたイベントであったが、いざ、現実に戻ると一気に虚しさが押し寄せてくる。
だめだ、もう帰ろう。
一緒に来ていた友人とはグループが分けられてしまっていたため、出口で待ち合わせる約束になっていた。
はずなのに。
「なんだよあいつ、先に帰るって」
僕が現実世界に戻ってきてスマホを確認すると、急用ができたから先に帰る。とだけ告げられたメッセージが届いていた。
帰って寝よう。
「お出口はこちらになります」
係員の声に従って僕は出口へと向かう。
「すみません。本イベント、大変盛況を頂いているため、混雑を避けるようお出口を分けさせて頂いています。こちらに並んで少々お待ちください」
何をどれくらい頂いているんだろう。
すぐに帰れないストレスを内心、係員の言葉遣いに向けながら、僕は大人しく振り分けられた列へと並んだ。
「お待たせいたしました。お客様、お出口こちらになります。本日は、本イベントにお越し頂き、ありがとうございました」
ゲームをプレイするまでに待たされた時間と、同じくらい待たされているんじゃないかと思う時間で出口に案内された僕は、丁寧な言葉遣いの係員に頭を下げ、示された出口を真っすぐ進んで行った。
真っすぐと言っても人一人が通れるかどうかくらいの狭く曲がりくねった道。
まるで遊園地のお化け屋敷を思い起こさせる通路を、僕は外の空気を求めて歩く。
何個目かの角の先でようやく外の光が見えてきた。
ようやく外に出られるのか。
僕は丸めていた背中を伸ばしながら角を曲がる。
「きゃ!」
角を曲がった先で、軽い衝撃と共に高い女性の声が聞こえた。
こんなところで人とぶつかり合うとは思ってもみなかった。
それは相手も同じだったようで、無警戒でぶつかり合った同士で声を上げあった。
「すみません。だいじょう…… え?」
大丈夫ですか? と声をかけるつもりが、相手の姿を見て、僕は言葉を詰まらせてしまった。
そしてなぜか相手も僕を見て、驚きの表情を浮かべていた。
僕がぶつかった女性。
彼女の姿はさっきまで僕が画面の向こう側で向き合っていた、マユちゃん。山岸マユミ、だった。
正確にいえば、彼女より少し年を重ねていたが、全体的に丸みを帯びた雰囲気が、落ち着いた大人の女性として魅力を増しているようにさえ思えた。
「あ、ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
驚いて固まっていた二人の沈黙を破っていたのは、彼女からだった。
「あ、ええ、はい。僕は大丈夫です」
僕も、そしてなぜか彼女も、信じられないものを見るように互いの顔を見つめ合う。
そして、目が合った瞬間、完全に僕の中で彼女と画面の中にいた幼馴染の彼女とが重なって見えてしまった。
彼女との未来を選び、選択していくのはあなたです。
出入り口で待たされていた間、うるさいくらいに繰り返し流れていたプロモーションビデオのナレーション音声が脳内で強く蘇った。
「あの、よかったらこの後、お茶? とか付き合ってくれませんか?」
無意識のうちに、僕はこれまでの人生で一度も口にしたことのなかった言葉を発していた。
言われた方の彼女は、息が漏れるように、えっと小さく声を上げた後、固まってしまう。
何を言ってるんだ。僕は。
とっさに自分の口から出た言葉を、後から理解して後悔したが、もう遅い。
「あの、無理ですよね。ごめんなさい突然。でも、よかったら連絡先、教えてもらえませんか?」
さっきから何を言ってるんだ僕は。
こんなの引かれるだけじゃないか。
もう自分が何を言ってるのか、自分でも分からなかった。
頭で言ってはいけないと分かっていても、理性とは関係なく、勝手に言葉が出てしまう。
二人だけの狭い通路で、気まずい沈黙の時間が流れる。
見る限り、この先通路は一つしかない。
どうするんだこれ。いっそこのままかけ去ってしまおうか。
僕が一人であれこれ考えを巡らせていると、彼女が不意に笑い出した。
「どうしたんですか?」
何がそこまで可笑しかったのか聞くと、彼女が申し訳なさそうに顔を上げた。
「ごめんなさい。あなたの顔が、その、あまりにも必死そうだったのでつい」
彼女に言われて余計に顔が熱くなった。
「いいですよ。私もどこかで休んで帰ろうと思っていたので、少しくらいなら」
僕は耳を疑うという言葉を、この時初めて体感した。
「今いいって言ってくれたように聞こえたんですけど?」
「ええ、そう言いました」
恐る恐る聞き返した僕に彼女は、はっきりと頷き返してくれる。
「よかった。嬉しいです」
「ええ」
僕は頷いてくれた彼女と並んで、外へと向かって歩いて行く。
この時、僕はまだ知らなかったんだ。
二人、並んで歩いている僕たちの姿が、モニター越しに観察されていたなんて。