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「えっと、ここで僕がマユちゃ、じゃなかった。山岸さんを抱きしめるの?」
「そうだって言ってるでしょ。イヤ?」
「嫌なんかじゃないけど、そうじゃなくてなんで急に、どうしたの」
僕は状況を飲み込めなくて、目を白黒させる。
大体僕はさっきまで、彼女と自分との距離というか差を思い知らされて、自分が不甲斐なくて、一人で拗ねて。そのせいで彼女と言い合いみたいになってしまっていたのに。
動転している僕を余所に、山岸さんはさらに僕に近寄って。
「さっきあんたを追いかけてる間にまたメールが来て、一緒にいる男は誰だって、彼氏じゃないよなって、多分私たち、どこかで見られてる」
特に取り乱した様子も見せず、僕にだけ聞こえるような小声で話した。
「だっだらそんなことしない方が」
「見られてるからこそ、よ。ちゃんと目の前で見せつければ、案外諦めてくれるかもしれない」
「いや、それ、多分逆効果だと思うんだけど」
僕は心臓の高鳴りを抑えきれなくなっていた。
ここは人が大勢いる駅の改札口で、人がいっぱいいて、その中で、僕が、山岸さんを、マユちゃんを抱きしめる?
「いいから早くして」
元々近くにいたのに、体が密着しそうになるくらいにまで、彼女が近づいてくる。
ヤバいあのマユちゃんが僕の目の前に、文字通り手の届くこんなに近くにいる。
もうこの時点で僕の頭は沸騰し始めていた。
顔が今まで感じたことのないくらいに熱い。
「失礼します」
僕は覚悟を決めて、彼女の背中へと手を回すと、恐る恐る抱きしめた。
抱きしめるというよりは軽く手を添えるように。
「なに、遠慮してんのよ」
すると彼女は僕の心を見透かすように、僕の背中へと手を回し、僕を抱き寄せた。
「いや、ちょっと、なにしてるの?」
「なにって、あんな遠慮し合ってたら恋人同士になんて見えないでしょ」
正直、僕はもう理性を保つので精一杯だった。
マズイとヤバいだけが頭の中を駆け巡る。
今まで触れたことのない柔らかな感触、頬に触れる彼女の髪、香り、心臓が口から飛び出そうだと、生まれて初めて本気で思っている。
「あの、息が荒くて怖いんですけど?」
「ごめん、ちょっと今、無理」
「まったく、情けないわね、これくらいで」
彼女が顔を上げ僕の目を真っすぐに見て笑う。
その吸い込まれてしまいそうな黒く大きな瞳に見詰められ、僕はついに思考すら手放してしまいそうになる。
「まったく、本当に情けない」
彼女はすっかり舞い上がっている僕を見て、もう一度笑うと、軽く顎を上げ、静かに目を閉じた。
え、なにこれ、え、まさかこれ?
絶対にそれは違うとオーバーヒートしている頭でもさすがに分かる。
ただそれでも、僕の目にはもう彼女の顔と、唇しか目に入っていなかった。
僕は意を決して彼女へと顔を……
そこで場面は暗転した。