思い出の味
グリンピースのパサパサが嫌い。どんなにそう言ってもおばあちゃんがチャーハンからそれを抜いてくれたことは無かった。いつも彩りを考えて、入れなければ気が済まないと言って必ず入れた。私はそれを残さず食べた。
チャーハンは、母方の実家に帰省するたびにまず出される昼食の定番だった。荷物を置いたらこれを食べて、それから外で遊んできなさい。夏休みに行くとそう言われて出てくるのは、いつもグリンピース入りのチャーハンだった。
そのチャーハンがあまり食卓に並ばなくなったのは、おそらく私たちが一緒に暮らすようになってからだと思う。兵庫から神奈川に移り住むことになり、私の食欲がストレスからか、普段よりもさらに細くなったころからだと記憶している。当時、小学校二年生だった私からすると、言葉の違う異国に放り捨てられた気分でとても食欲がわくような状況ではなかった。
おばあちゃんは、私が食べたいと言うものは何でも作ってくれた。今まで作ったこともなかった洋食を率先して作った。どんなに初めて作る料理でも、元から上手かったこともあって食べられない物を作ることは無かった。けれど、やはりどこか自己流にアレンジしてあったせいか、私が完食できることは少なかった。
中学生になってからは、そもそもの食べられる量が増えたことで食事を残すと言うことはほとんど無くなっていた。それはもちろん私が変化しただけでなく、どうにかして食べさせようと考えた祖母による努力の賜物でもある。何度も作ることによって、作り慣れてきた洋食は私が食べなれてきた母のそれよりも食べる相手のことを考えた優しい料理だった。
中学二年生になって、祖母が初めて入院をしたことがあった。少し前から腰痛を訴えていたため、検査をするとヘルニアであることが分かったため手術をすることになったのである。祖父と結婚してから五十年以上立ってきた台所は、祖母が帰ってくるまでの間祖父が主として立つことが多くなった。
祖母が入院した初日の夜。祖父が作ったのは随分と茶色いチャーハンのようなものだった。祖父曰くソースを使ったチャーハンで、祖母よりも俺は料理のセンスがあるのだと豪語していた。私はそれが美味しいものかわからなかったし、それよりも祖父が料理をしたという事実の方が珍しくてとりあえず美味しいよとだけ返事をすると、祖父は満足そうに笑った。帰ってきた母が食べて言った「しょっぱい」は内緒にした。
祖母が帰って来てから、私の家の食卓には再び色とりどりの相手のことを第一に考えた優しさが溢れた料理が並んだ。
祖母の得意料理からチャーハンが消えたのは私が高校に進学してからである。家庭科の専門学校に進んだことで、私も台所に多く立つようになった。その中で私がチャーハンを作ったのである。私はグリンピースを入れなかった。祖母は美味しいと言って食べてくれた。
この味じゃ、グリンピースは食べれないなと思った。




