第6話 火の手からは逃れました
離れた場所で燃え盛る炎に包まれた屋敷を見つめる少女、シャルを横目に今後の事を考える。
必要な物はどんどん思い浮かぶが前提としてまずは安全確保だろう。
ここから避難して…
「キョーカ、頼みがあるわ」
いつの間にかシャルは俺の方を向いて話しかけてきた。
その顔は夜の中、遠い炎に照らされどこか頼りなさ気に見える。
不安を隠しきれず蒼い目から今にも涙が溢れて泣きそうな、道に迷った迷子のような顔をしていた。
「着いてきて欲しいの」
どこへ、と聞くのは野暮な話だ。
火災に遭ったならば逃げるべきだ。
その避難場所へとだろう。
「…ローガン卿ならば事情を説明すれば助けて下さるわ。
そこまで辿り着ければ…」
ローガンキョウ…その人物の居る所まで着いて来て欲しいとシャルは言っているのか。
言葉を濁らせているのはその人物が遠くに居るからか。
…俺の答えは既に決まった。
「行こう。
道は分かるか?」
一度、火から助けたのだ。
少女を助けると決めた以上、最後まで面倒を見るのが道理だろう。
俺だけならば転移で逃げる事もできたが、それをせずに少女を助ける事を優先したのだ。
ならば、最後まで貫き通すのみ。
それに…女を見捨てるのは漢が廃る。
シャルは目を見開いて…安心した様子で嬉しそうに笑った。
安堵したせいか、ホロリと涙が溢れた。
その涙を隠すようにシャルは道が分かっているのか俺の手を引きくるりと見事な金髪を振りながら前を向いて歩き出した。
整理されているとは言え暗い夜道に頼りない月光。
時折聞こえる見知らぬ獣や鳥の声。
その上、火災に遭ったばかりの状況に不安に思ったのだろう。
離すまいと俺の手を握る力が少し痛みを感じるほどには強く、静けさは嫌だと言わんばかりにシャルは話し続ける。
シャルがどんどん話して俺は短く相槌を打つだけ。
しかし、その内容は前世では聞くはずの無い言葉も多数あった。
シャルは貴族、それも現国王の姪に当たる大公の者。
つまり…やんごとなき御方と呼べるご令嬢だった。
様付けしないで、と言われたからシャルと呼び続けているが…俺、無礼打ちで首を切られたりしないか?
前々から分かっていた事だが、この世界には魔法が存在する。
俺が今の自我が目覚めてターバン男に触れただけで動きを止められたり、風呂場から肉塊の部屋に瞬間移動したあの時から思っていたが、他人からそう言われると実感が湧く。
現にシャルは結界魔法とやらを使えた。
半透明なガラスのような壁を俺の前に生み出して見せた。
叩くとコツコツと硬い音が響く。
硬さはある程度、変える事ができ2階から降りる時や今も足の裏にクッションとして使って怪我をしないように柔らかくして守っているようだ。
シャルは魔法を使う為に必要なエネルギー、魔力が多くあり、数日なら続けて結界魔法を維持できると自慢気に胸を張っていた。
俺はそれが凄い事なのか判断ができなかったが、獣から身を守るには丁度良い魔法だ。
邪霊から身を守る際にも役立つだろう。
…邪霊。
シャルが言うには悪神が人々の悪意と悪夢から創り出した怪物らしい。
見た目は様々だが、共通して人に憎悪を持って襲うらしい。
死ぬと煙となって消え、その邪霊の心臓とも言える核と身体の一部が残るらしい。
そんな生物とも呼ばない怪物達を倒すのも貴族の役目だとシャルは言った。
シャル自身も一度だけ、低級の弱った邪霊を倒した事があるらしい。
「…ローガン卿は元王国騎士団長なのよ。
その槍と騎兵としての実力と功績で団長まで登り詰めた誉れ高い武勇を誇る方。
高齢の為、今は騎士団を引退されたわ。
でも、その功績を前国王が讃え領土と家名を与えられた、この国の生きた英雄。
…ちょっと頑固で声が大きくて愛国心が強い方ですが、とても頼れる方です」
「それで、距離は?」
俺は耳元で聞こえるシャルの話を聞き流しながら必要な情報を尋ねる。
…シャルが暗い夜道で足をくじいたのだ。
いきなり倒れるから驚いたが、声を震わせながら立とうとして悲鳴を押し殺したような声が口から漏れてからは俺がシャルを背負って歩く事にした。
…足は折れてはいないようだが捻挫はしてるらしく触ると思わず痛そうな声が上がった。
そんな状態で歩けば症状が悪化するだけ。
シャルを不恰好に歩かせるより俺がシャルを背負って歩いた方が距離を稼げるしな。
最初は痛くない、自分が年上だ、誇り高い貴族が云々とか言い訳をしていたが、俺が着ていたベッドのシーツで包んで強引に背負うと黙った。
体格はシャルの方が大きいが大した重みじゃない。
夜風で冷え切ったシャルの身体に触れて触りと震えたが、それも我慢できなくはない。
「…馬車で一月」
ボソボソと小さな声でシャルは答えた。
「そうか」
俺は短く答えこれからの事を考える。
馬車か。
人の足よりは…早いよな。
少なくとも一月は歩きっぱなしか。
食料は…シャルには悪いがその辺の草でも齧らせて飢えを凌がせるか。
俺は再生のおかげか腹が減らないからな。
疲れもせず、睡眠も必要無さそうだ。
底無しの体力と怪我が早く治る身体は正直、助かる。
水分は…最悪、俺の血を飲ませれば良い。
…俺の再生は何をエネルギーにして行われているのだろうか?
シャルに俺のチカラ、遊戯神から与えられたサイコロや再生、転移の効果を教えたが分からないと答えが来た。
遊戯神という言葉は聞いた事は無いが神から加護を得られたのは凄い事だと大はしゃぎで言われたが…選ばれたせいで餅を詰まらせて死んでしまったのだ。
あの苦しさは生まれ変わっても薄れない恐怖がある。
トラウマを植え付けられたぞ。
ただ、魔法ではないらしい。
俺からは魔力を感じないそうだ。
…ターバン男も魔力が無いとか言っていたな。
魔力とは感じ取れる物なのか。
アレも貴族だったのだろうか。
…既に貴族の飼っていた化け物を殺した罪で首を斬られそうだな。
流石に首を斬られては再生しないだろう。
…世界には身体真っ二つにしても微塵切りにしても再生する生き物がいるらしいが…
そうなった場合は俺は複数人に増えるのだろうか。
俺と瓜二つの姿の他人。
ドッペルゲンガーを見ると死ぬって奴か。
…違うな。
シャルの身体が少し重く感じる。
耳元では規則正しい呼吸音。
…寝たか。
道が分かれるまでは寝かせてやろう。
火災にあった直後なのだ。
精神的に疲れただろう。
それに…親しい者も亡くなったのだろうし。
それでも前に進もうとする力強さ、気丈さ。
良い女になるだろう。
小さな声で親を呼ぶ声が聞こえる。
…夢で会っているのか。
人の声には不思議な力があると聞いた気がする。
魔除けの効果があるとかないとか。
今の鈴が転がるような綺麗な幼女声ならばそんな効果もありそうだ。
せめて悪夢を見ないように、俺は知ってる歌を歌いながら歩き続けた。