02.
2
俺が学校についたころには、すでに、先生が教卓の上で朝礼を行っていた。
教室の造りは、扉が黒板脇に二つ設備されており、ばれないように入室するなど皆無の中の皆無、ほどほど難しい。しかし俺は少しでもボキャブラリーに富むために勢いよく扉を開けて、
「セーフ、セーフ!」
と入室を試みるが、担任の東海林先生に
「大阪屋~また遅刻か、今回は見逃すが、今度やったら絶対遅刻にするからな」
と一刀両断される。
「先生、それだけは勘弁してくださいよ、俺、皆勤賞狙ってるんですから、流石にそれなかったら俺、大学受験危ういです」
と、ペコペコと頭を掻きながら、俺は窓際最前列の席に着いた。
こうやって遅れても長身痩躯の先生は大目に見てくれる、俺の大学受験が危ういと分かっているからだろうか。それともクラスの笑いの為に尽くしてくれたのか。その代わりクラスは朝の眠たい空気がぱーっと花が咲くように笑いに包まれた。
「たく、なにやってんだか航士朗は。」
そう言って隣の幼馴染の彼女は鋭い視線を俺に送ってくる。
「仕方ないだろう貴衣、母さんが起こしてくれなかったんだから」
鈴木貴衣。女子にしては珍しい短髪で中学まではバスケをしていたが、高校ではしていない。
「そうやって、すぐ人のせいにする、自分で早起きしなさいよ」
「はぁ!なんだよそれ・・・・」
と言いかけたところで、先生に「大阪屋」とため息口調に諭される。再び教室に笑いが起き、今度は後ろから軽くポンっと優しくグーで殴られる。
「へっへへ、お前このままじゃ大学受かんねえぞ」
後ろからちゃかし混じりに声をかけてきたのは、小学校から高校までずっと一緒にバスケをやってきた幼馴染、だ。
昔から、俺達三人はバスケ繋がりというのもあるが、くされ縁で、家も近所、学校帰りも一緒に語り合う仲だ。中学校に進級すると三人は、一時期ある事情で、疎遠になったがそれ以降はなんとか持ち直し今の通りいい関係を築けている。
学校での生活はこんな感じ。俺はどっちかと言うと、運動ばかりやってきたから、頭の方はからっきし。高校試験も前期でいわいるスポーツ推薦という感じで入ってきた。
三年生の学級は、三階校舎の一階に構えており、同じく購買も一階に構えているため、今までの階段を下りるというモーションを起こさなくても通うのも楽ちんになった。
その、いつもの流れで授業が終る度に購買に足しげく通い、お菓子やらパンやら飲み物を買うのが日常に変わってしまっている。なんて言うか、バスケをしていた頃の俺は、やる気に満ち溢れていたんだけどな、一時期はプロになる!みたいなモチベーションで必死にトレーニングや自己啓発本とかも読み漁って頑張ってたんだけど、それもしなくなってしまった。
部活をやっていた頃は、監督の炭酸飲料禁止という訳のわからない決まりに従っていたせいか、反動で今はお菓子と一緒に炭酸水をたらふく飲む生活を続けている。
なんだか時がたつのが年々早くなってきている気がするな。
そのままいつの間にか昼休みの時間となった。
「夢?」
俺の質問に対して、席の形を変えて一緒に昼食をとっている大也が聞き返してくる。
「ああ、うん、なんかそういうのが無いっつうか、なにをしていいのか分からないって感じなんだよ、このまま大学行ってそれで働くっていうのは、なんか違う気がするって言うか」
「んなこと、大学に行ってからいくらでも考えられんだろ」
大也は聞いているのかそれともその現実を見ないふりをしているのか俺は心底なにか深い闇に落ちた気分になる。
その闇に落ち込みながらも、今朝大量買いしたおにぎりが入っている袋を机の横のフックから取り外す。
――――――――その時
勢いよく俺のおにぎりたちが、吹っ飛ぶ。ああっ!
ビニール袋から投げ出された俺のおにぎりが辺り一面に散らばっていく。
俺の手と当たった彼女は片手に弁当袋ともう片手には何冊かの、厚い本を抱えていた。
「ごめん、悪いけど自分で拾ってくれる?」
シャープな顎に目鼻がきっちりしている黒髪ロングの彼女が聞いてくる。
「ああ、全然いいよ、つか手伝おうか?」(全然ではないけど)
「いい」
と静かで冷たい彼女の声が大也と俺の耳に響く。
「お前、気でもあんのかあいつに」
大也のちゃかし声が俺の耳に届いた。
「あいつって、小学校から一緒だったろ、バカにするなよ」
「へいへい旦那、あんな陰キャ便所飯に、救いの心ですか~」
別にそんなんじゃねえよ。と捨て台詞を吐き、食事前の手洗いのため手洗い所に向かった。
手洗い所に向かうまでは、いくつか教室を挟んだ先に隣接されている。
その中に学習室という空き教室があるのだが、そこで彼女は中央の席でひとりもくもくと本をペラペラ読みながら食事に勤しんでいた。やけに分厚い本だったがそれを見る限りやけに読み切られ紙と紙を繋ぎ合わせている部分がボロボロになっていることは読み取れた。
手洗いをすませ、俺は教室へ戻る途中もう一度学習室を一瞥する。そこにはもう昼飯を済ませて、読書に没頭している彼女がいた。
彼女の名前は、秋山カイト。黒髪で華奢。小学生の頃は男みたいな名前だ。という理由からいじめられ、泣きながらも懸命に男女とも関係なく本気で立ち向かっていた記憶がある。
それは生徒に対してだけでなく、教師にも口答えしていた記憶も存在する。
しかし今は落ち着きがあり、なんにでも牙をむいて争う獣ではなく機会が来た時だけに争うそんな印象をうける。
その後教室に戻った俺はようやく机の上に置いたおにぎりに手を付けた。
「大便?」
などと聞こえてきたが、そんな言葉に耳をかさず俺は具の種類を吟味する。
「ん?」
その中に、おにぎりではない、異物が入っていることに気が付く。
なんだこれ?それは勾玉に紐が通されたものだった。深い緑色をした勾玉。
「なあ、これ見て見ろよ、凄くないか?」
「ん?なにそれ、縄文時代のなんかじゃん」
コンビニのサラダ麺をすすりながらの素っ気ない発言に、好奇心ないな~とつくづく思う。
ちゅうぶらりんの状態から、今度は勾玉自体を手に取りじっくり眺めまわす。
「なあ、これめっちゃ綺麗だぞ、見て見ろって」
俺は大也に向かってそれを差し出した。しかし大也からの反応はなかった。
「おい無視すんなって、これ、見て見ろよ」
それでもサラダ麺をすすっている大也。すると、大也はあたりをキョロキョロ見回し、それでも無視を続ける。なんだよこいつ、かまってちゃんかよ。そう思って俺は石をポケットに入れおにぎりをいくつか食べた。
その後チャイムが鳴り、皆が昼飯の片付けを始め、あたりは騒がしい喧噪から、次の授業準備の忙しい喧噪へと変わり、俺もそれに合わせて片づけを始めた。
それでも尚、大也は俺を無視している。それが若干癪で、やり返したいという反発心で、
こちらも無視をし続けた。
俺が席を立ったときだった。席の引く音にビビったのか、大也がビクンッ!と体を反応させ、
俺の椅子をじっと見つめている。というよりかは、俺の股間あたりをじっと凝視している。
まるで、俺がいないみたいに。
「な、なんだよ」
俺は、悔しかったが、無視をするのをやめて話しかけてしまった。それでも大也は無視を続ける。俺はすり足でそっと椅子から横にずれて、椅子を確かめはじめた。
「おい、いい加減やめろよ、気味悪いーぞ」
それでも、無視を続ける大也から奇妙な発言がされる。
「航士朗どこいったんだよ、おっせぇーな」
耳を疑った。大也を疑った。そして、そそくさとそばに寄ってきて席を直し、仕舞には俺のおにぎりもビニール袋にしまいだす。
「何言ってるんだよ、俺ここにいるぞ」
少々震えた声で大也に応答を願うが、返事は一切返ってこなかった。
はあ?どうなってんだこれ!?
俺は三百六十度回転して、あたりの様子を確認した。しかし、全く誰とも目が合わない。
だんっ!という音とともに「いたっ!」という声が響く。
俺はおもわず後方の声がする方を見やる。通路に座り込んでいたのは貴衣だった。
「・・・・わりいっ!」と叫んでみだが返答がない。
なんなんだよ、いい加減にしろよ、どいつもこいつもどうなってるんだ。俺誕生日九月だぞ、
今六月だぞサプライズじゃ済まさねーからな。そんな葛藤をしている時。
ガラガラガラと教室の扉が開き、ついに授業始まっちまうか、と思った時だった。
そこには目を大きく見開き完全に俺の姿を認識しながら硬直をみせるカイトの姿があった。
でも、俺は視線を外し、カイトに話しかけることができなかった、この異常事態のときにも俺はカイトと仲がいいと思われたくなかったからだ。俺の頭の中じゃ、自らの危険よりクラスでの株の方が断然大きいことに起因していた為だ。
でも歩み寄ってきたのはカイトの方からだった。その今まで隠していたかのような素早さで俺の方へ接近しおもむろに腕をつかみカイトの一番後ろの席の横の通路に体をしゃがむように促される。それでも俺はカイトに話しかけることができなかった。
話したくないという訳のわからないもどかしさも若干はあったが、それよりも俺の脳と心臓はどちらもパンパンになってしまうほどパニックが発生していた。
えっえっえっ。と小さな声で呟きながらもカイトの隣の通路にしゃがむよう促してくる。
すると、再び教室の扉が開く。次に入ってきたのは、担任の東海林先生の【古典】の授業だった。すると、「起立」と声がかかり、お願いします。と日直が言いだす。
おもわず俺も立ってしまう。しかし、カイトの異様な力に肩を抑えられ、立つことを許されなかった。
「あれ、誰か航士朗しらないか?このままじゃあいつ皆勤賞とれないぞ」
と先生がクラス全体を見渡したあと、俺の目標の危機を感じだ。
「え、まじかよ、それだけはっ・・・」
と言いかけたところで、唇に人差し指をあてたカイトがシーッと口封じのポーズをしてくる。
その表情はまずい、ダメ、とかの域ではなかった。まるで何かを必死に守ろうとしている母親のような顔を浮かべている。
「すまん許せ、航士朗、お前の皆勤賞はここまでだ!」
まるでこれから切腹する侍が自害するような言い方をする先生にクラスが笑いの渦に。そんな中でも決して笑わない真剣な表情をしているカイトの横顔。
小学校以来かもしれないカイトの顔をしっかりと近くで拝むのは。その目は昔の名前をバカにされ、それでも襲い掛かっていくあの時の目と同じだ。何も変わってない。
こうして俺の皆勤賞は水の泡となった。
でも皆勤賞どころではない。俺に今、何が起きてるんだ。あたりを見渡しても決して俺に対しての視線などない。実際に机や床、身体に触れることができる。
すると、カイトが、黒板に板書されていないのに、ノートになにやら書き出す。
それをそっと横にスライドし、「見て」と示唆してくる。ノートには
『悪いけど、この時間だけ、その状態でいてもらえる?』
と女の子文字で書かれていた。可愛い字だという印象を覚えたが、その考えもすぐさま焦燥の意識に切り替わる。
先生が通路を通過してくる。それに合わせてカイトは手を通路側に小さく降ろしパタパタと後ろに隠れてと促してくる。
「・・・・あたらないで」
そう小さく呟かれ、俺はボクサーの要領で身軽に先生を避ける。
教科書を片手に持ちながら文を読み聞かせる先生に対しクラスのみんなは寝ていたり、外を見ていたり手をいじっていたりしている。
案外みんなも俺と同じじゃねえか。成績もよくないスポーツしかやってこなかった俺は一番前の席で今みんながやっているように同じことをやっていた。
自身を過小評価し過ぎていたかもしれない。今この状況になってようやく気が付いた。そして同時にもっと、楽しいクラスにならないかなとも感じた。
俺は後ろのロッカーに背中を預け腕を組みながら立っていた。時々ちらちらと、こちらの様子を伺ってくるカイトに何回かジェスチャーを送ったが一瞥されるだけで決して返事はかえって来なかった。
その時だった。
ぼぁぁあん。という奇妙な音とともに教室の壁からなにか音が聞こえた。
俺はその音のする方角をみておもわず驚愕の一途をたどった。
壁から出てきたのは、人型の薄透明な影、いや靄と言った方が良いだろう。ゆっくりぼんやりとねっとりとしたオーラをまとっている。その影は生徒へと直進し、ゆっくりと通り過ぎていく。しかし確実に生徒の体をするすると通過していっていることが確認できた。
そのまま影は座っている生徒の体を直進していき、鉄枠の窓すらも、平然と通り過ぎていく。
その奇妙で不思議な出来事に瞳孔がギンギンにひらき、心臓がバクバクしていることがよく読み取れた。顔にはじんわり汗が染み出てくる。
通り過ぎた直後、チャイムが鳴り響きみんなはロボットのように立ち上がりあいさつをすると支離滅裂に、中のいいグループ同士で集まりトークに花を咲かす。俺もいつもならそのグループに自身から歩み寄り大也や仲のいい男子と猥談を交えながら話をしていたが今はそれができない。というより認識されていないのだから。
その光景を俯瞰して見ていたら、なんとなくだが、なぜか空っぽな気持ちになり始めた。
そのままみんなの姿を惚けて見ていると、カイトが席から立ち上がりこちらに体半分回し、
俺の目を鋭い視線で睨みつけてくる。ように見えただけかもしれない。
「ついてきて」
極小さく冷えた声を鼓膜が敏感に反応した。
「おいちょっと待てよ」
呼び止めてみるが、反応がない。
ますます怪しいやつだと思った。俺はまだ半分、夢見心地でついていく。相変わらず机と机の間の通路を通ろうとしても、クラスメイトが、次々に突進してくる。おれはそれを幾度か当たりそうになりながらも、バスケで相手を抜くようにひょいひょいと抜けていく。
教室をでると、次の授業へ向かう生徒たちが大勢行き交っている、中には財布を片手に購買に行く生徒、鬼ごっこして遊んでいる生徒もたくさんいてそれぞれの喧噪が響いていることを感じ取れた。
彼女は俺達のクラスのすぐ横にある階段を一段飛ばしで、どんどん登っていく。
俺も部活動をやっていてか、帰宅部であるカイトに見せつけられた気がして、負けじと一段飛ばし、二段飛ばしを繰り出して登っていく。部活現役時代の校内ランニングを思い出す。
屋上へと続く階段の踊り場で、カイトは歩をピタっと止める、その後に航士朗もようやく追いつき手を膝に置き息切れ状態になる。
なんでこいつこんなに早いんだ、しかも疲れてねえじゃねえか。
確かに俺は、炭酸やお菓子は体力を無くすということは承知の上で、くっちゃね生活を過ごしていた。それが今になって仇になって跳ね返ってきたか。
息切れ状態のままの俺にカイトは口を開いた。
「石」
「・・・・はぁはぁ、え、なに?」
俺の息遣いと、下から聞こえる喧噪によって、俺はカイトの言葉を聞き取れなかった。
「緑色の勾玉、拾ったりしてない?それが原因なの。」
緑色・・・・あっ!あれの事か、大也との会話をフラッシュバックさせながら、ポケットをかき回すように体をくの字に曲げて、例の勾玉をちゅうぶらりんに肩あたりに掲げる。
すると、勾玉を嫌悪感満載で睨みつけている。
「もしかして、その石、髪の長い女の人から渡された?」
渡された?頭の中で最大の疑問符が浮かび上がる。
「渡されたってか・・・はぁ・・・コンビニの・・はぁ・・・袋に入って・・・たんだ」
航士朗がそう言うと、彼女はため息交じりに横を向きどこか遠くを見つめだす。
「また、ヒビネさんのいたずらかぁ」
再びうつむき、ため息を漏らしながらも今度は鋭い眼光を俺へと向けてくる。
「その石返して」
手の平をこちらに広げてくるカイト。しかし、思いついたように、
「あ、でもダメか、消さないと。」
と続けて呟くと、カイトはその手を引いた。
「消すってどういうことだよ、つか説明しろよ、どうなってんだよこれ」
やっと息を持ち直した声で、聞き返すが質問なんてまるで聞いてないかのように、顔前にピンッと『話すな』と言わんばかりに手の平を広げてくる。圧倒された俺はしぶしぶ黙ることにした。
するとカイトはブレザーの内ポケットからスマホを取り出す。うちの学校では朝、スマホを学校に提出しなければいけない校則があるのだがそんな校則まるでないみたいに平然とどこかへ連絡をしだす。
「あ、もしもしミツネさん今どこにいますか?警察?分かりました向かいます、ちょっと相談があるので、はいわかりました。」
そのあとも長々と真剣な面持ちで相手の言い訳を聞いているような会話をしている。
「あのさあ、学校をでましょう」
その敬語で話したいのか、話したくないのか分からない口調に航士朗は、疑問と笑みを顔に浮かべる。確かになんとなくだけど、その絶妙な感情は俺も同様にあった。
小、中、高と一緒なのに最後に話したのは、確か六年生の冬あたり・・・いや卒業式の時だったけ?なにか話したような気がするな。中学に上がってからは一度だけ同じクラスになったことがあったが話した記憶なんて微塵もない。
「抜け出す?無断でかよ」
「そう、無断」
「流石にそれはダメだろ・・・しかも俺、だ・・・・・」
「そんなこと気にしている暇はないの、さっさと行動に移すよ、その石を首に下げて」
大学・・・とも告げたがったが、何を言いたいのか分かっているかのようにそれを付けることは許されなかった。そして、またしぶしぶと緑に輝く石を首に下げた。
教室に戻る廊下には生徒はすでに入室しており、それぞれの教室から、板書する音、
げらげら笑い声が耳に届く。授業が始まってしまっている。
黒板脇の両方に扉が設備されていて、扉上部が木枠のあるガラスで透けており、通りかかった人がガラス越しに見えてしまうため俺とカイトは体をかがめそこを通り過ぎ、黒板の裏側。誰からも認識されない場所で止まった。
「私の手首をつかんで」
カイトは右腕のブレザーをまくり上げて、細く白い肌の手首を見せてくる。
思春期でこういうのには抵抗を覚えるが、カイトは女性なのだ。手汗がないかなと気になるのが人間の性ではないだろうか。
カイトは航士朗の躊躇を察し、無理やり左前腕をつかみ、自身の手首を握らせる。
するとカイトは瞼を閉じ悩むような顔をし、教室の引違扉の前にすたすたすたと身を出す。航士朗は当然、中で授業を受けている生徒が黙視すると思ったが、クラスの同級生は真剣に黒板に視線を送る生徒もいれば、寝ている生徒もしばしば。
俺はその光景を見て映像をみているような感覚に陥った。
「なあ、これどうなってんだよ」
カイトと話したくない感情はもうすっかりなくなってしまった。
「まず、いいから目を閉じて。」
航士朗は、無理やりな命令に従い、眉間に縦じわを作りながらもゆっくり瞼をとじる。
そのまま、腕をひっぱられる。目の前の扉に衝突するに決まっている。
しかし、扉が衝撃によって外れるという現象は決して起きることはなかった。
そのまますり抜けて、航士朗の体はいつの間にか教室に入室してしまっている。
「うあ!」
教室に響くほどの声を上げてしまった。しかし、クラスメイトは誰も、こちらに気が付かない。
誰も本当に俺を見えてないのか?
その光景をみておもわずしびれるように握力が抜けてくる。
カイトは握力が無くなりそうな俺の手を素早く察知し、再び俺の左腕を掴み強制的に握らせる。
「私の腕を放さないで、そのまま、ゆっくり自分の荷物とって。」
最前列窓際にある席の横で止まった。隣には必死にマーカーペンを机にいくつか転がしながら、授業を真剣な表情で聞いている貴衣、そして後ろにはどこか暇気な大也が頬杖を掻きながら、外を眺めている。
航士朗の椅子にはおにぎりが何個か入ったビニール袋がれながら狭苦しそうに机と椅子の座面の間に苦しそうにしている。それを見送って、今度はカイトの席へと、やや強引に腕を引っ張られていく。
航士朗は、いつも机の中に筆記用具やノート、教科書もろもろ置き便しているため、身支度はしなくても、そのままフックにかかっている肩掛けカバンを取るだけで済んだ。
強引に引っ張られる途中俺は口を開口して程度な声で質問した。
「なあ、もしかして俺のことみんな見えてないのか?」
ぴくっ。と動きが止まった後、カイトは軽く首肯した。そのまま無言で、足早に自席の肩掛けカバンを取り、向きを変えて教室の扉へと向かった。
急ぐ彼女の顔はだんだんと青白くなっていく。
その加速について行こうと必死になったせいか、手に持って行ったカバンがクラスメイトの机に何度もぶつかりそうになり、というより実際ぶつかるスピードだった。
「ああ!ごめん!」
カバンは『すぅー』っと机と生徒をすり抜けた。
その現象を目の端で驚愕しさらにカイトの加速は早まる。体は流されるままにカイトに引っ張られていき、気が付くと眼前には教室の扉が接近して来ていた。
「おおっ!」そう言いながら目を閉じた。
すぅー。しかし航士朗とカイトの体は扉をもすり抜けていく。そのまま黒板の後ろへ体を隠す。
航士朗の腕を振り放したカイトは、膝に両手をつき今まで首を閉めれていたかのように、激しく顔を赤くして呼吸している。
はあ・・・・はあ・・・・はあ・・・・ぎりぎり・・・・
相当足音を教室に響かせたはずなのに、中のクラスメイトはそれでもまだ平然と授業を行っている。
「これでまた、注意される・・・」
カイトは俺を相当強く睨んでいたがその視線を航士朗は気付かない。そのカイトの敵意を察知しなかった俺はそっと黒板の裏側の壁を触れる。
「触れる・・・」
そう呟いてから今度は強めに壁を叩く。どんっ!衝撃音が廊下を貫いていくのを感じた。
壁を叩く。その行動は好奇心から来るものだった。
すると、中のクラスメイトのざわめきが起こり、黒板にパタンとチョークの置く音が聞こえ、登壇から降りる音が聞こえ、そのままガラガラと扉が開かれる。
初老の数学の先生は辺りをキョロキョロと見渡し、誰もいないことを確認するとまた教室の教壇へと戻った。一瞬、『ばれる!』そうとも思ったがそれでも先生は気付かなかった。
俺の横で偏頭痛でも起こしているのか、眉間をつまんだあと、こめかみあたりをトントンと叩いたカイトは改めてカバンを肩にかけ直す。そしてカバンから航士朗と同様の勾玉を取り出し首にかけ、襟足をパッと紐の外に通す。ほんの少し癒される髪の匂いに気が付いた。
「・・・警察向かうよ」
鼻腔に付いた髪の匂いの新鮮な感覚が好きで、小さく鼻息をたてた。今だにこの現象の正体を明かしてくれない彼女に疑問を抱きつつ、航士朗は仕方なく返事をする。
「あ?ああっ・・・・」
玄関に向かう黒ロング彼女の背中を追いながら、どうせ聞いてもなにも答えは返してくれないだろう。と思いながらも口は開口してしまった。
「なあ、いい加減教えてくれよ、この石が原因か?」
カイトは歩を止めなかった。その後ろ姿を見ながら『しゃべるな!』と言わんばかりに、首の骨を左右に鳴らした。
「・・・・・・・・・・」
航士朗は圧倒され、黙りながらも靴を履きかえた。沈黙が続く。
「これ、ばれたらまずいんじゃねえの?停学とかくらわないか?」どうせまた無視されると思っていたが沈黙がカイトの「ふふふ」という笑いにより消し去られる。
低い靴棚の上を通してカイトがにやけているのが確認できた。
「停学?そんなのが不安なんだ、笑える。」
――――なんだよそれ、お前みたいな陰キャになんかバカにされたくないな。
「じゃあ、お前だって停学くらって、大学いけなくなったら怖くないのかよ」
眉根を八の字に曲げながら、聞き返すが返答はなかった。
玄関を出て、俺は自転車置き場の方角へ向かった、しかしカイトは校門前に直進する。
「バスで行く!」
と耳に通る声をこちらに首だけを向け、発言してくる。
はちゃめちゃだな・・・・。
航士朗はどっちかと言うと引っ張られる側の人間ではなく、引っ張る側の人間でありたいと思考が回るタイプだ。今のこの現状は好ましくない。対抗心を燃やしつつ、しぶしぶついて行くことにした。
だがそう思うと同時にこんなプライドなんてなくればいいのに。そんなことも考えてしまう。
校門をでて、すぐ左側に、高校前のみすぼらしい小屋のバス停留所がある。そこにちょうどいいタイミングで、バスが向かってくるのが見て取れた。
「おお、ラッキーじゃん」
小屋から、のっそのっそと出てきた老人が乗車する。
その後をつたつたとついて行くカイトに航士朗も続く。しかし、運転手の人はまったく二人には気付かず航士朗が乗ると、すぐに扉が閉められた。「プシュ」という音をならし揺れながらもバスは発進し出す。料金を支払わずカイトはバスの一番後ろの席に着き、こちらを凝視している。バスの階段でぼーっと突っ立って運転手を不思議の眼光を向けていた俺に「来い」と彼女は手で示唆してくるので、カイトの左隣に座った。
「なあ、警察ってどういうことだよ」
眼だけをちらっとこちらに向けた彼女は口を開いた。
「幽霊、今あなたは幽霊と同じ状態。だから誰にも認識されないの、その石を使ってどうするかはこれから会う人と決めるから、それまでは黙ってついてきて」
こいつは何を言ってるんだ?命令口調で発言した後、外の風景を眺め出した。
カイトとは特に小学、中学と仲の良かったわけでもない。かと言って嫌いだったわけでもない。
でもルックスはイケてる女子並みに高く、学校生活を謳歌してそうな風貌なのだが、カイト自身が人と関係を築かない、というよりあえて築かないと言った感じである。
「はあ~」
突如ため息をしだすカイトの顔を見やった。
「ミツネさん、隠れなくていいですよ」
独り言にしか見えないその声の意味はすぐに読み取れた。
いつの間にか左前の座席に座っている、ゆるフアな髪の後頭部があることに気が付いた。
びくん、と条件反射する俺にゆっくりと、首を向けてくる。
「ああ、今度もヒビネさんの犠牲者が・・・」
と言いながら、航士朗の表情を見てがっかりする。ゆるフア男。
「はい、これじゃあ、また私たち叱られますよ。」
カイトはとなりから立ち上がりそのゆるフアな男のそばにいく。平衡感覚が優れているのか、一度もバランスを崩さずそばに寄っていくカイト。
そして、ミツネと言われる男とカイトが俺を見せ物のように見物する。
「ねえ君、このままその石を返してくれるならいいんだけど・・・」
「え、でも記憶を許可なく消していいんですか?」
続けて、意味の読み取れない会話を披露し、頭の思考回路がパンク寸前。
「そっか・・・・仕方ない、連れていくしかないみたいだね」
と目鼻がきっちりしているイケメン男が答える。
「そうですね」
「記憶を消すってどういう・・・・」
「まあ、まずちょっと付き合ってもらえないかな?」
そう言うと、髪を一本抜き、バスの車内通路に撒く。
そこから六芒星の紋章が発生し、バスの中は転移門によって、琥珀色の光が包んだ。
それでも運転手も乗っているおばあさんも全く気付いてない。
先にカイトが転移門に吸い込まれるように入っていく。その流れでミツネも入ろうとしたが、入る直前にバスの奥でへばっている俺に対して、転移門前で振り向きこう言い放った。
「怖いの?この門は待ってくれないよ、ぐずぐずしてると閉じてしまうよ」