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サッカー? いいえ、フットボールです

作者: 一日一説

「廊下は走るな。走りたければ、フィールドを走れ」

 そう言われてサッカー部に入ったのだから、サッカーを始めた理由はそれに尽きる。それというのは、個人的な欲求として走りたかった、ということではなく、他人から受けた指図を指す。

 えらく後ろ向きだ、という批判を受けそうなものだが、そもそもきっかけ自体にたいした意味はない。山があったから登る。それでいい。山に登らざるを得ないそいつの情念なんて、誰も聞きたくない。聞いたところで結局、左右の耳を貫通するだけだ。


 ロッカールームで肌にまとわりつくユニフォームを引きはがしたあと、その足でシャワールームへといつも向かう。シャワールーム奥の壁、天井付近にはレンガ二個分ほどの穴が窓代わりに開いている。色褪せさせた黄色がそこから室内へと差し込む。その気だるげな午後の雰囲気と暗くてじめじめしたタイルが来る者を退廃的に包む。

 いつまで経ってもお湯が出ないシャワーは、身体が火照ったうちに浴び切ってしまうにかぎる。壁から直に生えたシャワーヘッドは蛇口をひねった瞬間、水圧に負けてぐらつく。ざらついた足元を伝う水は我先にと排水口へと逃げいていく。先に汗を流したチームメートがちらほらと別れを告げてそれぞれの人生へと戻っていく。彼らには、家族があり、家庭があり、恋人がいる。もちろんそうじゃないやつもいるが、俺ほどではない。

 髪を軽く絞って、犬よりは数段下手くそに身体の水を切る。振り返ることなくシャワールームを去った。


 濡れたままロッカールームに戻ったので、数人のチームメートから笑いながら非難された。ついタオルを忘れてしまうのが癖だ。謝罪の言葉を投げかけてそそくさと支度をした。べつに急いでるわけではない。とくに用事があるわけでもないし。ただ、彼らと同じように、ここを出るときくらいは自分にも何かがあってほしいのだ。出た先には何かが待っていてほしいのだ。


 結局シャワールームに残っている人間をのぞけば、最後にここを出るかたちになった。

 プロとはいえ、人気はたかが知れている。だから知名度なんてものはないに等しい。しかしもし仮に名が知れたとて、それさえどうせ鬱陶しいと思うだけなのだろう。昔は欧州(3部だが)でプレーしていた時期もあった。だが川が下流へと流れるように、自然と東へとプレーの地は移っていった。日本に帰るという選択肢は常にあった。しかし、なぜか自分はそれを選ばなかったのだ。


 サッカー場から数分も歩けば、ニューデリーの賑わいはすぐそこかしこに出現する。その関係のない喧騒のなかを縫うようにして、俺はワンルームの我が家を目指した。

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