[MA]アリスの休日
超短編、アリシア博士のとある休日。2019年秋のもの。
日曜日の午後ともなると、郊外といえど人混みが激しくなる。公都大通りほどではないにせよ、パン屋では焼き立ての香りをめがけて人だかりが生まれ、雑貨店では来週分の用品を買い足すための人々が会計を待つ。週に一度の休日を人々が思い思いに過ごしている中で、アリシアはお気に入りのコーヒーをカフェの定位置でこくりと一口、口を付けた。ほろ苦いコクと甘酸っぱい後味。先ほどまで味わっていたイチゴのタルトのとろりとした甘さがさらりと流されると、いったんコーヒーカップをソーサーに戻して、次の一口をとフォークを手に取る。丁寧に端を切り取ると、口へと運んでそのあまったるい味わいを愉しむ。そしてそれをひとしきり味わったら、再びコーヒーを口にする。なんと贅沢な休日だろうか、アリシアは酸味を味わいながら思った。
公都郊外のこのカフェは通りの少し奥まった場所にあり、喧騒が苦手なアリシアのお気に入りの場所であった。平日のデスクワークで凝った肩も、たまにある発掘作業でたまった疲れも、このイチゴのタルトとコーヒーだけで流れて行ってしまう。少々古臭いアンティークな内装と染みついたコーヒーの香りのする店内もまた、彼女のお気に入りの一つであった。だんだんと冷えてきた秋の風がさらりと頬を撫ぜて、空いた窓からすり抜けていく。
ふと窓の外を見ると、日陰から黒猫がこちらをじっと見ていた。野良猫だろうか、すこしぼさついた黒い毛並みに山吹色の双眸をたたえてこちらを眺めている。
そういえばあいつも猫が好きだったな、とアリシアは思い出した。研究室仲間で何かとすかした風にふるまう’あいつ’は、今確か南の地方都市にいるらしい。ああ、今度うちに姪を連れてくるとか言っていたかな。手紙によればそこそこにおてんばらしい。’あいつ’がまだ見ぬ姪に困らされているところを想像すると、少しおかしく思えてしまって、アリシアはふっと笑った。あいつの姪、ねえ…。
何気なく持ち上げたコーヒーカップの中身が空になっていることに気づく。おや、と思って懐中時計をみやると、そろそろ帰らねばならない時刻だった。アリシアはフォークを四時の方向に置いて、席を立つ。視線を窓の外にみやると、どうやらもう黒猫は立ち去っていたようだった。
さて、あの研究はどうなるかな、アリシアは明日からの仕事に考えを巡らせながら、ステンドグラスの扉を押し開けた。退店を知らせるベルがちりんちりんと寂しそうに後ろで鳴った。