エリーゼのために2
謎の連日投稿です。
読んでくれてる人はすごい人。
世界一すごい。
赤く、燃えている。
家が燃えている。
草花が燃えている。
いや、それよりも。
人が、燃えていた。
竜が咆哮をあげる。
音が空気を洪水のように震わせ、周囲に叩きつけられる。
流されていく家の骨が流木のように見え、ここが陸の上であることを忘れさせた。
ーブラックボックスの異常発熱を感知。緊急停止を求めます。
『だ、ダメだ…もう、少しだけ…』
ー緊急停止を求め、緊急停止ヲ、求、メ、キンキュウ、停止…。
なぜ、自分の体は動かないのだろう。
決まっている。
自分は負けたのだ。
自然災害と同様のそれに、目の前で咆哮をあげる、圧倒的な存在に。
勝てないと知った時、逃げるべきだったのだ。
自分にはそうする時間も、まだ体力も残っていた。
それをしなかったのは、自分の傲慢だ。
まだ助けられると、一人くらいは救えるはずだと驕っていたからだ。本当はそんなことないと知っていた。
それでも、何かできるはずだと願いたかったから。自分と人間の違いを、まだ理解していなかったから。
ゆっくりと落ちてくる暗黒を、懸命に受け止めて、抗っていた。それも、意味のないことだと知っていた。
『…お、起きたか』
目覚めた時、見えたのは金色だった。
長い金色の髪の毛。知識だけで知っていた、山向こうの人間の容姿。瞳だけが紅く光り、自分のそれが同族であることを表している。
『すまない。遅くなった』
男は頭を下げた。
男の周りからは、煙が出ていた。
自動人形の排熱ではない。地面から、地面に転がった何かから、燻った煙が出ている。
それは、木であった。家であった。草花であった。
そして、人であった。
自分が守りたかったものが、黒くなって地面に転がっていた。
『……そうか』
自分はまた、守れなかったのだ。
理解と納得。
その両方にも違和感を感じるそれに、どうにか名前を見つける。
これは諦めだ。
『なぁ兄弟。お前はこれからどうするんだ?』
山向こうの人形は、流暢な言葉で話していた。こちらの言語は山向こうのそれに比べて早口で覚えにくい。生前からこちらに縁があったのかもしれなかった。
『…今は、それを考えられそうにない』
『でも、早めに答えは出すべきだ。…俺たちも、永遠ではないから』
世界はいつかのそれよりもゆっくり動いている。
それでも時間は同じ速さで、そしていつでも止まったりはしない。
自動人形の一般的な寿命は五十年とされている。今動いている自動人形は、全て廃棄寸前のオンボロというわけだ。
そして、竜にも寿命はある。
竜は永遠に生きているわけではない。人間のそれよりもずっと長いが、それでも八十年程度とされていた。
『お前は、どうする?』
『…僕は』
目を、覚ました。
白い天井に、白い壁。
白いシーツは銀色のパイプをチラつかせている。
白と銀だけで作られた空間だった。
ここが首府の自動人形調整室らしい。
嫌なところで目を覚ましたな、と思う。
夢のタイミングも、目覚める場所も。二つの意味でどちらも嫌なところだ。
アスターは山向こうの人間が嫌いだった。それは教科書に載っているような理由ではなくて、もっと単純な理由で。
アスターには戦っていた記憶は無い。
最古参の一世代ならそれもあったのかもしれないが、少なくともアスターはそういった『戦場の死体を持ち帰って作られた』自動人形ではない。
金色には嫌悪感がある。
どうしても比べてしまうから。
アスターは考えないように、普通であるようにしていても、どこかで嫌いだと感じてしまうのだ。
「…ん。昨日の会話が一部ロックされている…?」
自己診断プログラムの会話ログが読めなくなっている。アレの会話自体にそれほど意味があるとは思えないが、ロックされているというのは珍しかった。
「…気にしても仕方ないか」
誰にだって隠し事はあるものだ。
自己診断プログラムは自分と同じ存在ではない。自分の中にいる、寄り添う他人。プログラムであるから、全てに寄り添い、そしてやはり同じではない。
プログラムだから、相互理解などできないのだ。
調整室には誰もいない。先程起きた時からは時間が経っているはずなので、誰かいてもいいはずだが。
並んでいるベッドには傷ついた自動人形が動かないで寝そべっている。息をしない自動人形は、それらだけが並ぶ空間にいても何の音もしない。いるのかいないのか、音だけでは判別できない。
いてもいなくても変わらない存在だと思っていた。
しかし、それを誰かが壊した。
自分がいるから助けられたのだと、そう言っていた。
「そうじゃ、ないんだ…」
なんの否定なのだろう。
自分でもそれはわからない。
しかしあの感情を、あの言葉を肯定してはいけないと、頭ではない何かが告げている。
自動人形は自分の存在を肯定してはいけない。
自分たちは終わらせるために生まれ、そしてもう終わってしまった存在だと知っている。
だから、初めから終わりを知っている。
人間とは違い、死んだ時から生まれてきた。
自分がどうして死んで、それまでに何をしていたのか、死ぬ瞬間に何を感じていたのかを知っている。
その全てを捨てるべきだと、理解して生まれてきた。
「あら、おはよう。ちょうどよかった、あなたに話して起きたいことがあるの」
金髪に、先の方だけが銀になった髪の毛。見間違えるはずのない、特徴的な容姿。海の底のような青い瞳が、太陽の光に照らされて輝いていた。
まだ外装のついていない腕を持ち上げて応える。
全身が真っ黒のまま話すのは、どこか恥ずかしい。
「何かあるのか?」
「えぇ。あなたが昨日ここを守ってくれたことを、大統領が認めてくれてね。呼ばれてるのよ、だから顔を見せてきて欲しいかな」
嫌なところで目を覚ましたな、と思う。
とっとと逃げておけばよかった。
山向こうの人間のトップなど、会った瞬間に殺してしまいそうだ。
個人的な憎しみ、ではない。
憎しみなどない。
ただ嫌いなだけだ。
「嫌だ、と言ったら?」
「うーん、別に何かあるわけじゃないと思うけど。ちょっと残念に思うわね」
その『ちょっと残念』で何かが起こせるのが人間というものだ。
その微妙な、明瞭ではない尺度で破壊されても誰も文句は言えない。いや、山向こうの人形が破壊されたなら文句よりも祝福されるかもしれないが。
「…わかった。どこに行けばいい?」
「ああっ、ちょっとまってね。流石に外装はつけてあげる。何色がいいかしら」
「何色って…」
そんなに沢山の種類があるとは思えない。外装に使われる素材は、混ぜ合わされた内容によって大体が肌色になる。
赤とか緑とかそういうことはできないはずだった。
「白、肌色、黒があるけど」
黒を用意する意味はあるのだろうか。
北端の砂漠の一部の部族しかそういった肌の色をしてなかったはずで、それを南部の首府の人間が、わざわざ用意することが全く理解できない。
「…そんなに変なこと言ったかしら」
「いいや。…肌色でいい。そも、黒なら今でも変わらないだろう」
「そんなことないわよ。中身見えてるのなんて、こう…パジャマで歩き回るくらい恥ずかしいんだから」
眠らない自動人形にその例えはあまり適切ではない気がする。
苦い顔をして独自の理論を披露する姿は見ていて飽きないが、一々返答するのは面倒だった。
アスターが体を寝かせて、外装を全て張り終えるまで、ずっとそのことを話し続けていた。
ー疑問。返答しないのですか?
「…気が向いたら」
霜焼けがかかとにできました。
とても痒いです。