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周辺を畑に囲まれた小道に、オレ、赤嶺晴天を含めた三つの人影があった。
「今日もようやく終わったな~! 高校の授業ってのは、疲れるから嫌だよな~!」
クラスメイトの高薗健太郎が、オレの隣で大きく伸びをしながら解放感を全身で表現している。
小学生時代からの友人でもある。
「ふふっ。健太郎は中学のときも、授業は疲れるから嫌だって言ってたよね?」
そしてこうして、たおやかな笑みを浮かべて優しげな声を響かせているのは、同じく小学校からの友人の久留見真夕だ。
今は下校時刻。三人で帰宅している最中ということになる。
お父さんの母校であり進学校でもある春牧高校に入学して数日経ち、高校生活にも徐々に慣れ始めている。
部活動への参加が強制ではないため、オレたちは帰宅部状態となっている。
「それにしても、必死に勉強して春牧高校に合格したってのに、真夕はともかく、健太郎まで一緒だなんてな。なんか、納得がいかないよ」
「おい、ソラ! なんだよ、それ!? オイラはこう見えて、結構優秀なんだぞ!?」
「自分で優秀だとか、普通は言わないけどな」
とはいえ、実際に健太郎が優秀だったのは疑いようもない。
中学時代の定期テストは、学年トップとまでは行かないまでも、確実に一桁の順位をキープしていたのだから。
普段から髪の毛がはねまくっていて、性格的にもかなり適当、喋り方も非常に軽い印象を受ける、そんな様子からはまったく想像もつかないのだけど。
「ふふっ。でも、高校でもふたりと一緒で、ほんとによかった。
クラスまで一緒なんて、運命的って言ってもいいかもしれないよね!」
ニコッと。
周囲に花びらをまき散らすような明るい笑顔の真夕には、小中学校の頃から驚かされている。
「うん、そうだね。健太郎、真夕、改めて、これからもよろしく!」
「ああ、もちろん」「うんっ!」
こうやって三人一緒に過ごすのも、すでに当たり前の日常となっている。
なんでも気兼ねなく言い合える、最高の友達。
そばにいてくれるだけで、気持ちが楽になる。
こんなふたりと同じ高校に入れたのだから、それだけで満足すべきなのかもしれない。
確かに、とても楽しい日々は約束されたようなものだ。
だけど……。
オレには、不満に思っていることがある。
もちろん、健太郎と真夕に対しての不満じゃない。
いわば、自分自身に対しての不満、とも言えるだろうか。
今現在ではなく、過去の自分自身に対しての――。
オレの不満。
それは、彼女がいないことに他ならない。
中学時代までのオレは、このふたりと一緒にバカ騒ぎをして、充実した毎日を送っていた。
とても楽しかったのは間違いない。
でも、彼女のいる生活というのは、友達がいる生活とはまた違ったもの。
その充実度は、何倍、何十倍もの差がある……はずだ。
これまで女の子とつき合った経験なんてないから、よくはわからないけど。
そもそも、オレは女の子と話すことからして苦手だ。
とくに意識している相手じゃなくても、上手く話せなくなってしまう。
相手が好きな女の子だったら、顔を合わせただけで真っ赤な茹でダコ状態になる自信だってある。
あれ? 真夕は?
そう思われるかもしれない。
光をまとったような温かな笑顔が素敵な真夕。
そんな真夕とは、緊張したりもせず、話すことができている。
なら、恋愛対象として充分にふさわしいのでは?
そんな勘違いをされる前に、ここでひとつ、ある事実を伝えておこう。
オレが通っている春牧高校は、男子校だ。
「うふっ」
ぱっと見、女の子としか思えない顔立ちをしてはいる。
だけど、真夕は正真正銘、男なのだ。
近くに寄ると甘くていい香りがほのかに漂ってきて、なんだかドキドキしてしまうけど、それでもこいつは男なのだ。
「ん? ソラ、どうしたの? ボクの顔をじっと見つめたりなんかして」
こうやって小首をかしげる姿は、まるで小動物のように可愛らしく、思わず守ってあげたくなるけど。
だとしても、真夕はれっきとした男なのだ。
……残念ながら。
同世代の女子でまともに話せる相手なんて、妹くらいしかいないことになる。
ただ、妹を好きになるとか、現実には絶対にありえないことだ。
ましてや、妹と結婚したいとまで考える人なんて、そんなのフィクションの中でしか存在しえない。
通っている高校が男子校だから、女の子との出会いなんてあるはずもない。
そんなわけで。
オレはVRMMOのゲームに目をつけた。
それが「ファンタジアーツ」だ。
ブレイン・インパルスという技術を用い、専用のヘッドセットで脳に刺激を与え、あたかもゲームの世界に入り込んだかのようにリアルな感覚を楽しめる。
CMも頻繁に流れ、今やかなり有名なタイトルとなっている。
そんなバーチャルな世界の中で、女の子と仲良くなり、彼女を作ろう。オレはそう考えた。
もともとゲームが好きで、気になっていたゲーム。
受験生だったから泣く泣く諦めてはいたものの、日に日に思いは募っていった。
それで親に頼み込んで、入学祝いとして買ってもらう約束を取りつけた。
春牧高校への入学が必須条件だったから、もしダメだった場合のために、お小遣いやお年玉を必死で貯めて残してあった。
そのお金を使って、もう1セット分、妹用に同じゲームを購入してあったりもするのだけど。
そちらが今どうなっているかは、後々話すとしよう。
とにかく、ファンタジアーツ内で女性と出会い、あわよくば彼女にする。
そんな目的のために、オレは既にゲームを始めている。
実際のところ、女性と話すことすら苦手なオレでは、いくらゲームの世界といえども、目的を達成するのは難しい気がしなくもない。
それでも、まるで現実のように五感の刺激を感じることのできる世界なのだから、実践的な訓練にはなる……はずだ。
まぁ、今はまだゲームをスタートしたばかりで右も左もわからない。
だからこそ、オレは決心したのだ。
このふたりも、同じゲームに引き込もうと。
「ところでさ、ふたりとも」
ファンタジアーツってゲーム、知ってる?
すごくリアルで面白いんだ。
オレ、入学祝いに買ってもらったんだよね。
ふたりも一緒に遊ばない?
オレは友人たちに提案してみた。
きっと、OKしてくれる。
そう思っていた。
でも――。
「う~ん、興味はあるけど、ちょっとな~」
健太郎は渋い表情を見せる。
「確かそれって、結構な値段だったよね? しかも、月額利用料も高めだし」
「あ~、確かにそうだね」
「じゃあ、パスだな~。無駄遣いが多すぎて、毎月小遣いがギリギリアウトだし!」
「アウトなのかよ。足りてない分はどうしてるんだ?」
「そんなの、泣いて頼むに決まってるじゃんか!」
健太郎……高校生にもなって何やってんだ……。
とりあえず、健太郎はあてにできなさそうだ。
だったら、せめて真夕だけでも。
その望みも、あっさりと絶たれてしまう。
「ゴメンね。残念だけど、ボクもお小遣いが足りないんだよね」
意外だった。真夕なら、健太郎と違って、堅実に貯めていそうだと思ったのに。
「うふっ。お金、貯めてはいたんだ。でもこの前、使っちゃった。
両親の結婚記念日に、旅行をプレゼントしたの。日頃の感謝を込めて」
「旅行か~。すごいな」
というか、なんていい子なんだ、真夕。
男にしておくのが本当にもったいない。
徐々に赤みを帯びる風景の中、オレたち三人は住宅地の中を歩きながら会話を続けている。
赤信号に変わりかけた横断歩道を足早に渡り切り、病院前の道を通っていく。
この先が、オレたちの住んでいる町内ということになる。
小学生の頃から同じ学校だったオレたち。
同じ学区内になるわけだから当然だけど、家も比較的近い範囲内にある。
こうして学校の行き帰りで思う存分お喋りできるのもまた、利点だと言えるだろう。
「けほっ……!」
唐突に、真夕がせき込んだ。
この場所を通ると、たまにこうなるのだ。
オレはそっと背中に手を乗せ、軽くさすってやる。
「大丈夫?」
「うん、平気。ありがと。ソラって、優しいよね」
「いや、べつにそんなことは……」
「ソラは下心があるからだろ!」
健太郎が余計なことを言い出す。
「なにバカなこと言ってんだよ! 真夕は男だっての!」
「でもな~。ラブレター事件とかあったしな~!」
「けほっ!」
健太郎の言葉で、真夕がさらに激しくせき込む。
「こ……こら、健太郎! 真夕が苦しんでるだろ!?」
オレ自身、恥ずかしさを紛らわすため、強く糾弾する。
「けほ、けほっ! ん、大丈夫だよ。
ちょっと……さっきとは違う意味でむせちゃっただけだから」
違う意味で。
さすがに覚えてるからだろうな、あのことを。
小学校五年生の頃、オレは別の学校から引っ越してきた。
飼育委員の仕事でニワトリ小屋に向かう際、慣れない学校で迷ってしまった。
そのとき、親切に道を教えてくれただけじゃなく、一緒について来てくれた子がいた。
それが真夕だった。
甘くていい匂いのする可愛い子。
ひと目惚れだった。
最初の出会いは、ニワトリ小屋までの短い道のりだけで、すぐにサヨナラだったけど。
クラスが違ったから名前も知らなかった真夕の姿を、オレは廊下などですれ違うたびに目で追っていた。
そのことは、真夕の方も気づいていたみたいで。
あ、どうも。なんて軽く挨拶を交わすところから始まって。
そのうちに、お互いの名前も教え合って。
そしてオレは、夏休みに入る前日、真夕を呼び出してラブレターを手渡した。
ハートのシールを貼った封筒だから、中身を読むまでもなく意味は伝わったようで……。
「あの……ボクでいいの……? ボクのすべてを、受け入れてくれるの……?」
真夕は頬を染めながら問いかけてきた。
オレは力いっぱい頷き返した。
ただ、それでもまだ確信が持てなかったのだろう。
真夕はそっとオレの手を取った。
「恥ずかしいんだけど……一応確認……するね……?」
なにをするつもりだろう?
ドキドキしていると、真夕はオレの手を自分の下半身の方へと引っ張った。
「……えっ……?」
なにか、思ってもいなかった奇妙な感触が……。
…………。
ここから先は、まぁ、細かな描写は割愛させてもらうけど。
オレはそのとき、初めて真夕が男だと知った。
よくよく考えてみれば、自分は男だと、言葉にすればいいだけだったように思う。
おそらく、真夕の方もかなりテンパっていたのだと推測できる。
このことをちょっとでも話題にすると、今でも「ボク、なんて大胆なことをしちゃったんだろう」と真っ赤になるくらいなのだから。
名前も女の子っぽくて、見た目は完全に女の子で。
基本的にいつも笑顔で、甘い香りまでして。
確かに毎日ズボンをはいていて、スカート姿なんて見たことはなかったけど、服の方は結構ひらひらした感じのものばかりで。
後になって聞いた話では、「だってボク、フリル大好きだから……」とのこと。
加えて、すごく気遣いのできる、優しさ溢れる性格で。
こんなの、勘違いしたって仕方がないと言えるだろう。
で、オレが事実を知らなかったと悟った真夕は。
ごめんなさい、と言って去ろうとした。
その手を、オレは掴んで止めたんだ。
「だったらさ、友達になろうよ! 男同士なんだから、ね?」
オレ自身、混乱してはいたと思う。
だけど、このまま真夕を傷つけて終わり、ってことにはしたくなかった。
「う……うん……。わかった……。これは、その……見なかったことにするね」
「そ……それがいいね、うん」
オレは封も切られないまま返されたラブレターを、そっとポケットに仕舞い込んだ。
そういえば、あのラブレターって、どこにやったんだっけ?
……ともかく、オレはこうして、真夕と友達になった。
その日の放課後、同じクラスで既に仲良くなっていた健太郎とも顔合わせをして、仲良し三人組での学生生活が始まった。
今では懐かしい、甘酸っぱい想い出だ。
グッバイ、オレの初恋。(相手は男だったけど)
そういえば最初に真夕と会わせたとき、ポケットに仕舞ったラブレターを健太郎に発見されて、さんざんからかわれたんだっけ。
だから健太郎も、このことを知っていたんだった。
こんな恥ずかしいこと、自分から話すわけないもんな。
それにしても……。
思い返してみると、小学生の頃の真夕、嬉しそうな様子で「ボクのすべての受け入れてくれるの?」なんて言っていたような気がする。
……やっぱり、そっち系の趣味が……?
思わず、じっと真夕の顔を見つめてしまう。
「もう、そんなに見つめないでよ! 恥ずかしいでしょ?」
う~ん……。
ま、まぁ……。
こいつは友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。
中学生になっても、なかなか三人同じクラスにはなれなかったけど、それでも放課後や休みの日はいつも一緒に遊んでいた。
そして高校生になった今、ようやく三人とも同じクラスになれた。
この先も、楽しい日々が過ごせるはずだ。
「けほっ……」
真夕はまだ少し、せきが出る状態のようだ。
オレの初恋(?)話で中断してしまったけど。
この病院の前を通ると、真夕はたまにせき込んでしまう。
昔……小学校低学年くらいまでだと言っていただろうか、真夕は頻繁に入院していたのだという。
家からほど近い、この病院にご厄介になることが多かった。
真夕は少々体が弱い。高校生になった現在ではだいぶ改善されているものの、以前は学校も休みがちだった。
今ではもう、とくに気にしていない。
本人はそう言っている。
でも、無意識レベルで当時の記憶が呼び覚まされ、せき込むという形となって表れているのだと思う。
とはいえ、わざわざそれを指摘して、真夕を不快な気分にさせることもない。
オレは違う話の方を蒸し返す。
「ファンタジアーツ、オレはひとりだけでも続けるつもりだよ」
「そっか、頑張れよ」
「ごめんね、一緒に遊べなくて」
そっけない健太郎の返事と、謝る必要なんてないのに心から済まなそうな気持ちでいっぱいな真夕の返事。
それぞれの答えが、それぞれの人柄をよく示している。
こんな感じだけど。
いや、こんな感じだからこそ、か。
友達づき合いがこんなにも長く続いているのだろう。
それはおそらく、これから先もずっと変わらないに違いない。
「真夕、歩ける?」
「うん、もう平気。いつも心配かけてゴメンね」
「いいって。友達なんだから」
「そうそう。なんでも力になるって! 主にソラが!
オイラは応援だけしとくよ! 疲れるのってイヤだし!」
「健太郎、お前な~!」
「あはははは!」
「ふふっ」
こんなことを言ってはいても、健太郎だってオレや真夕が本当に困ったときには、絶対に力になってくれる。
普段はおちゃらけた印象しかなくても、実は一番、周囲に気を配って状況を見ている。
そういうヤツなんだ、こいつは。
改めて、オレはいい友人を持って幸せだな、と感じる。
会話はまったく途切れることのないまま、オレたちは夕日を背に受け、再び歩き始めた。
今日も一日、疲れたな。
とはいえ……ここからが本番だ。
友人たちを引き込むことには失敗したけど。
その程度で、めげてはいられない。
帰ったら早速、「ファンタジアーツ」の世界に入るとしよう。