梅を待つ少女
今年、陽樹は七つになりました。冬休みに入ってすぐ、お父さんの運転する車に乗って、毎年おじいちゃんとおばあちゃんの家に泊まりに行きます。その家には大きな囲炉裏があり、お父さんは、子供のころはその囲炉裏からサンタがやって来ると信じていたそうです。大きくて古い家だからでしょうか、どんな冗談でも本当に起こりそうなんだ、と笑いながら語っていました。
冬休みに入ってすぐ、十二月二十三日。今年も車でおじいちゃんの家に到着しました。陽樹の家と見た目も全然違う、大きくて古くて、時代劇に出てきそうな家です。
「おじいちゃん、久しぶり」
「おや、また背が伸びたねぇ、陽樹」
おじいちゃんが陽樹の頭をわしゃっと撫でます。おばあちゃんは近頃膝を痛めてしまったとかで、囲炉裏の部屋にいるそうです。
「陽樹、おばあちゃんにも挨拶しておいで」
「はぁい」
お母さんに返事をして、木の廊下をぱたぱたと走って囲炉裏の部屋に向かいます。その途中、ふと陽樹は硝子戸の外にある庭に目を向けました。
小さい女の子がうずくまっています。薄い黄色の着物、黒髪に葉っぱの髪飾り、裸足に草履はなんとも寒そうです。
陽樹は足を止め、硝子戸を開けました。びゅおっと冷たい風が顔にあたります。がらがらという大きめの音に、女の子は驚いて振り返りました。
「だぁれ?」
「ぼく? 陽樹っていうんだ。ここにいるのはぼくのおじいちゃんとおばあちゃんで、今は遊びに来てるんだ。きみは?」
「わたし…ゆずゆ」
小さな声で、女の子は名前だけ答えました。
「お父さん、お母さんは?」
ゆずゆは首を横に振ります。
「寒くないの?」
「だいじょうぶ」
もしかしたら本当はとっても温かい着物なのかも知れない……そう思った陽樹は、近くにあったサンダルを履いて、庭に出ました。
「何してたの?」
陽樹が尋ねると、ゆずゆは何も答えずただ目の前にある木を見上げました。つられるように陽樹も見上げますが、ゆずゆが何をしていたのかも、それが何の木なのかも分かりません。
「うめ。しってる?」
「梅干しの?」
「そう」
「もうすぐ咲くの?」
「わからない。ことし、うつされてきたの」
「お花咲くまで待ってるの?」
ゆずゆは再び首を横に振ります。
「わたしじゃなくて、おばあちゃんが」
そういえば、おばあちゃんはお花が好きだったなあ、と陽樹は思い出しました。ゆずゆは、梅の花を待っているおばあちゃんの代わりに、梅の木を見張っているのでしょうか。
「けど、お花が咲くまで時間かかると思うよ」
「どのくらい?」
ゆずゆの問いに、陽樹は言葉を詰まらせます。あと何日で咲くかなんて、まったく見当もつきません。悩む陽樹の頬を、冷たい風が撫でました。
「うっ……やっぱり寒いよ、ゆずゆちゃんも一緒にお家の中に戻ろう」
「だいじょうぶ」
「いつ咲くのか、おばあちゃんに聞いてみようよ」
提案しながらサンダルを脱ぐ陽樹を見て、ゆずゆは躊躇いがちにその後に続きました。
「おばあちゃん、久しぶり」
「あら陽樹、大きくなったわねぇ」
おせんべい用意しておいたわよ、とおばあちゃんは木の器を差し出します。ありがとう、と陽樹は一枚もらって、ふと振り向きました。
「どうしたの?」
「ゆずゆちゃんがいない…」
「ゆずゆ?」
「おばあちゃん、庭の梅っていつ咲くの?」
「そうねぇ……年が明けた後かしら」
じゃあ一月かな、ゆずゆに教えてあげなくちゃ。
「陽樹?」
「おせんべ、もう一枚もらっていい?」
「ええ、もちろんよ」
陽樹はおせんべいをもう一枚持って走り出しました。ゆずゆは何処に行ってしまったのでしょうか。陽樹はこれまで何度か探検をしたので囲炉裏の部屋まで真直ぐ来れましたが、もしかしたら、ゆずゆは初めてこの家に入って、あまりの広さに迷ってしまったのかも知れません。
「ゆずゆちゃーん!」
台所、玄関、お風呂場、客間、ご先祖の仏壇がある部屋……どこを探してもゆずゆの姿はありませんでした。仕方なく囲炉裏の部屋に戻ろうとした、その時です。
「はるき」
「あっ」
後ろから呼びかけられ振り向いた先に、探していたゆずゆが立っているではありませんか。
「ビックリした…どこ行ってた? 探したよ」
「みんなのおはなし、きいてたの」
「みんな?」
そう言えば、客間に陽樹のお父さんとお母さん、おじいちゃんが集まって何か話していました。病院の場所が……と、よく分からない地名がたくさん出てきて、難しい話のようでした。
「そうだ、おせんべあげる」
おばあちゃんにもらったんだ、と陽樹がポケットから出した個包装のおせんべいを、ゆずゆは物珍しそうに見つめ、ありがとう、と袖の中にしまいます。そして、何を思ったのかぱたぱたと硝子戸に近付き、その鍵を開けました。
「ゆずゆちゃん?」
がらがらと大きな音が響き、冷たい風が陽樹の頬に当たりました。ゆずゆは寒そうな格好のまま、再び庭に出たのです。その足が真直ぐ梅の木に向かっているのに気付き、陽樹は呼びかけました。
「梅、咲くの一月だって! さっきおばあちゃんが言ってた!」
「…そう」
花が咲くのはまだ先だと伝えたのに、ゆずゆは再び梅の木の前に立って、見上げます。何だか放っておけなくて、陽樹も靴下のまま庭に飛び出しました。
「そんなにすぐ見たいの? ここで待ってたら風邪引くよ、お腹もへるし」
陽樹の言葉にゆずゆはゆっくりと首を横に振り、答えます。
「わたしじゃないの。みたがってるのは、おばあちゃん」
「え…?」
「そのためにきたの。おもいだした」
ふわりと微笑んだゆずゆは、おもむろに陽樹の手を握りました。
「わっ」
突然女の子に手を握られて、陽樹は少しどきっとしました。けれど、もっと不思議だったのは、びゅうびゅうと吹く北風の冷たさが、平気になっていったことでした。
「ゆずゆちゃんの手…すごくあったかい」
「そう、ゆずゆだもの」
次の瞬間、陽樹の耳にちゃぷんと水音が一つ響きました。そしてその中から、おばあちゃんの声。
---「来年は見れないかしらね…お山いっぱいの梅の花…」
---「一陽来復、融通がききますように」
「な、なんだ?」
突然おばあちゃんの声がしたので、陽樹はきょろきょろと辺りを見回しました。けれど庭には陽樹とゆずゆの二人だけ……。
「今の…」
「おばあちゃんがおねがいしたから、わたし、こうしてやってきた」
「お願いって?」
陽樹が聞き返しても、ゆずゆは微笑んだまま何も答えません。その手の温かさに、何故か涙が出そうになります。
「ねぇ、はるき、おばあちゃんにつたえてね。おひざ、もうだいじょうぶって」
「ゆずゆちゃ…」
「うめのいろ、どっちかたのしみね」
そう言って梅の木を見上げたゆずゆの姿は、眩い光を放ち……――
びゅおっと強く冷たい風に、陽樹は思わず目を閉じました。再び目を開けたその時、すでにゆずゆの姿はどこにもありませんでした。
***
「おばあちゃんっ!」
「陽樹どうしたの、そんなに慌てて」
「お膝大丈夫だって、ゆずゆちゃんが言ってたよ!」
ゆずゆを見失った後、陽樹は大急ぎで廊下を駆け抜け、囲炉裏の部屋で休んでいるおばあちゃんにそう伝えました。おばあちゃんは目を丸くしてから、涙ぐんで微笑みます。
「そう…陽樹、あなたは神さまに出会ったのかしらね」
「え?」
首を傾げた陽樹を前に、おばあちゃんは手を合わせて目を閉じました。
「ありがとうございます、柚子湯さま…」
その冬の終わり、庭の梅の木には雪のように白い花が咲いたそうです。
―おしまい―
「冬至」と「柚子湯」をテーマに書かせていただきました。読破ありがとうございました。




