Nice to meet you, my brother!
「シリウス=マルテル、ただ今戻りました!!」
今日は、頑張っていつもの仕事を早く終わらせて、夕方からハンカチを買いに行く予定だった。もうすぐお義母様のお誕生日だから、刺繍をしてプレゼントしようと思って。そういうわけで、外出する支度をして、ドアを開けようとしたら、わたしが開けるより先に勢いよくドアが開いて、冒頭に戻る。
大きな声でハキハキと挨拶をしたシリウス=マルテルと名乗った方は、目を丸く見開いて、わたしを凝視していた。わたしも思わず、固まる。しばし、沈黙が続いた後。
「ど、どどどどちら様でしょうか!? 私が帰る家を間違えたのでしょうか!?」
先に口を開いたのは、シリウス殿だった。
「いえ、あの、マルテル家の方でしたら、お家を間違えておられるわけではないかと。」
「そうですか、安心しました……」
ほっと息を吐くシリウス殿は、よくよく見てみると綺麗なお顔をしておられた。鍛え上げられた体格の方に先に目がいってしまったけれど、容姿は、ユリウス様にどことなく似ている。
「あの、もしかしてユリウス様の弟君でいらっしゃいますか…?」
「はっ! ユリウス=マルテルが弟、シリウス=マルテルで間違いございません! 失礼ながら、貴女様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか!」
緊張しておられるのか、シリウス殿の表情は硬かった。少しでも気を楽にしていただこうと思って微笑んで見せて、わたしは口を開いた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ユリウス=マルテルが妻、アリアにございます。」
それから、一呼吸おいたあと。
「あ、あああ兄上の妻ぁ!? 兄上はいつの間にご結婚を!?」
シリウス殿はこちらが驚いてしまうくらい、それはもう驚いておられた。
「シリウスにも招待状は送ったのですがね。」
シリウス殿が声を上げたのと同時に、ドアが開いた。誰かと思ったら、ユリウス様がお帰りになったようだ。シリウス殿の横に立ったユリウス様は、呆れたようにおっしゃった。
「兄上!?」
「ユリウス様! おかえりなさいませ。今日は随分と早いのですね。」
「ええ、アリアが昨日、買い物に行くつもりだと言っていたでしょう? 一緒に行けたらと思って、仕事を早く終わらせたのです。間に合ったようで安心しました。」
そう言って、ふわりと笑ってくださった後。ただいま、と言って、いつものように口付けをくださるユリウス様。その後、目を見合わせて笑い合うのも、いつもと同じ。
「ちょ、ちょちょちょちょっと待ってください貴方本当にうちの兄上ですか!? なんていうか、色気が! 甘い空気が!! どうしたんですか、うちの兄上はこんなじゃなかったはずです!!」
「シリウスうるさいですよ?」
いつもと違うのは、シリウス殿が見ているということだった。
* * *
シリウス殿は、ユリウス様より四つ年下の十八歳とのこと。十二歳の頃から兵学校に行っていて、今年ご卒業なさったそうなの。配属先が決まったので、久しぶりに家に帰ってご報告なさるおつもりだったとか。そうしたら、見たことのない女の人がいたんだもの、驚かせてしまったわよね。
「まあ、第一師団に入ることになられたのですか! すごいですね。」
「ありがとうございます、義姉上。」
身体を鍛えて騎士になられたとは言え、流石はマルテル家のご子息。シリウス殿が紅茶を飲む姿は、とても優雅だった。
「僕からすると、兄上をそんな風にした義姉上のほうがすごいと思いますが……」
そんな風に、と言われたユリウス様は、わたしの隣にぴったりとくっついて、私の腰に手を回してソファーに座りながら、これまた優雅に紅茶を飲んでおられる。
「見ているこちらが恥ずかしくなってきますね……」
シリウス殿がお顔を真っ赤にしてそうおっしゃるから、なんだかわたしまで恥ずかしくなってきた。うーん…、慣れてきたつもりだったのだけれど、まだまだだったようだわ。
「あ、あの! 兄上と義姉上は、その、恋愛結婚なのですか?」
「どうしてそんなことを聞くのです? 久しぶりに帰ってきたのですから、シリウスの話が聞きたいのですが。」
「いや、それはまた、父上と母上も一緒にいる夕食の時にでもと、思いまして……。今は兄上のお話が聞きとうございます!」
ユリウス様は、少しだけ拗ねたような表情をなさっていた。……もしかして、最初の三年のことを考えておられるのかしら?
「わたしたちは政略結婚でしたわ、シリウス殿。ユリウス様と仲良くなるには、三年かかりました。」
ユリウス様の代わりにわたしが答えると、腰に回された手に、少しだけ力がこもったのが分かった。心配いりませんよという意味を込めて、ユリウス様の手に自分の手を重ねる。
「三年ですか!?」
「ええ、三年です。でも、それだけ時間をかけたからこそ、こうして心を通わせることができたのだと思います。ねえ、ユリウス様?」
貴方の隣にいられる今が、とても幸せですと、それを伝えたくて。微笑んで見せると、ユリウス様は目を細めた。その表情は、泣きそうでもあって、でも、幸せそうでもあった。
「アリア……」
そして、次の瞬間には何故か口付けられていました。……あ、あら〜? 確かに良い雰囲気ではありましたけれど、シリウス殿がいるというのに、これはどうしたら。そう思っている間にも、ユリウス様の舌の動きがなんだか怪しくなってきた。絶対、絶っ対に口は開けませんから! そう思っていたのに、息が苦しくなってきて、無意識に口を開けてしまった。そうしたら、容赦なく口付けは深いものに。……ユリウス様本当に容赦ない! これは流石にわたしも人前でするのは恥ずかしいと言うかなんて言うか心臓がもちません!! ユリウス様、ちょっと待って!!
「あ、あああ兄上!? ちょ、僕には刺激が…!!」
わたしが降参の意を込めてユリウス様の胸を叩く前に、シリウス殿が鼻血を出して倒れた。
* * *
ユリウス様がシリウス殿をベッドまで運んでくださったので、わたしが側について見ていることになった。はじめはユリウス様も一緒にいてくださったのだけれど、お城からなにやら書類が届けられたとかで、渋々書斎に行かれたの。
「ん…っ、ここは…?」
しばらくして、シリウス殿が目を覚まされた。わたしはお水の入ったコップを持って、ベッドに近付いた。
「シリウス殿のお部屋です。なにも変えていないとユリウス様はおっしゃっていましたが、見覚えがありませんか?」
「あ、言われて気が付きました。確かに僕の部屋です。」
シリウス殿は、上体を起こして部屋を見渡した。
「気分はいかがですか? 驚かせてしまって申し訳ありません。」
「い、いえ。僕こそ、倒れるなどみっともないところを……」
コップを渡すと、シリウス殿は一気にお水を飲み干された。
「いえ、シリウス殿が謝ることではありませんわ。あとで、ユリウス様にはきつく言っておきますから。」
アリアがあまりに可愛くてシリウスがいるのを失念していました、だなんて言っていたけれど、絆されてはいけない。時には強気で接することも必要よアリア、と自分に言い聞かせる。
「いえ、そんな! 確かに驚きましたが、僕、とても嬉しいんです。」
「……え?」
「僕の知っている兄上は、いつも、周囲からの期待とか、責任感とか、そういう重圧に押し潰されそうになりながらも、努力を怠らず、それに応えてきた人でした。周りに愚痴をこぼすこともなく、ただひたすら、前に進み続けていたと言うか……。」
なんとなく、シリウス殿の言いたいことはわかった。そうしているうちに、ユリウス様は失敗を恐れるようになってしまったのね。
「そんな兄上が、立ち止まって、安らぐことのできる居場所を見つけられたのですから。僕はそれが、とても嬉しいんです。……ありがとうございます、義姉上。」
シリウス殿は、両手でわたしの右手を握った。
「それから、これからも兄上のことを、どうかよろしくお願いします。」
シリウス殿は、本当にユリウス様のことがお好きなんだわ。大好きな兄の妻として、わたしを認めてくださったのだとわかって、嬉しかった。
「ええ、精一杯ユリウス様をお支えしていきます。」
ユリウス様のご家族は、素敵な方ばかりだ。嫁ぎ先がマルテル家で、わたしは本当に恵まれていると思う。
「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願い致します。」
そう言いながら、わたしが左手をシリウス殿の手に重ねたのと、ユリウス様がお部屋に入ってこられたのは、ほぼ同時だった。
「アリア。シリウスの様子はどう……、私は浮気現場に遭遇したのでしょうか?」
ユリウス様がそんなことをおっしゃるから、わたしとシリウス殿は顔を見合わせて笑った。
「シリウス、いい加減アリアの手を離しなさい。」
「え、兄上僕に嫉妬ですか!? なんと言うか、思いの外可愛い一面が」
「シリウス? 無駄口を叩いているのはどの口ですか、この口ですか?」
「いたっ、ごめ、ごめんなさい兄上冗談ですごめんなさい!!」
「ふふ、仲がよろしいですねえ。」