結婚後のお話②
「流石に様子を見に行ったほうがいいんじゃないかしら。」
ユリウス様が部屋から出て来ないので、夕食後、家族会議が開かれた。お義母様の言葉に、お義父様もわたしも頷いた。
「三日間なにも召し上がっていないので、きっと弱ってしまわれていますよね。大丈夫なのでしょうか。」
あれから、毎日部屋の前に食事を運んで声をかけるのだけれど、ユリウス様からの反応はなかった。毎回、手をつけられずに冷めてしまった食事を下げるのは、心が痛かった。……まあ、もったいないから、後で温め直して美味しくいただきましたけどね。
「そうだな……。それに、これ以上引きこもっていると、出て来た時にやらなければならない仕事の量が膨大になっているだろうからな。早く出てこなければ、後がしんどいだろう。」
三日間も、部屋でなにをしていらっしゃるのかしら。仕事も持ち帰ってはいないようだし、食事もなさっていないし。
この三年で、マルテル家の名に恥じない人間になれるよう努力してきたし、仕事の愚痴くらい聞ける妻であるつもりだったけれど、よくよく考えたら、ユリウス様に信頼していただけるほど、わたしは彼と関わって来なかった。
これでユリウス様をお支えしているつもりだったなんて、自分で自分に笑える。
「……お粥だったら、食べられるでしょうか。」
「え? アリア、今なんと言ったの?」
「わたし、なにか胃に優しいものを持って、ユリウス様のお部屋に行ってきます。」
わたしはユリウス様のことで頭がいっぱいで気づけなかったのだけれど、後で聞いた話によると、お義父様とお義母様はわたしを見て嬉しそうに笑っていたんですって。
閑話休題。
お粥を持って来たけれど、案の定ユリウス様のお部屋には鍵がかかっていたから、お粥を用意していただいている間にお義父様から借りてきた合い鍵を使って、そっと扉を開けた。
「失礼いたします、ユリウス様。」
念のため声をかけたけれど、返事はなかった。仕方ないから、そのまま部屋に入らせていただいた。……これでも一応妻だもの、大丈夫大丈夫って言い聞かせながら。
「……ユリウス様。」
部屋中のものが散乱している中、ユリウス様は机に突っ伏していらっしゃった。わたしが声をかけても、ピクリとも反応なさらない。眠っているのかしら?
ソファーの側にあるテーブルに持ってきたお粥と飲み物を置くと、わたしはユリウス様の正面に立った。二ヶ月ぶりに近くで見たユリウス様はなんだか儚げで、わたしの知っているユリウス様とは別人のようだった。
……彼にも、こんなに弱いところがあったのに。わたしはどうして、それを見ようとしてこなかったの。
「ユリウス様、」
ユリウス様。
まだ、間に合いますか。
貴方の横に、立つことは許されますか。
こんなことになるまで、わたしはユリウス様と向き合ってこなかった。ぐるぐる、ぐるぐる、後悔の念が押し寄せてくる。それを断ち切るように小さく息を吐くと、両手を腰にあてて仁王立ちをした。今はとにかく、ユリウス様を起こさないと。
「ユリウス様、起きてくださいませ! いつまでそうしていらっしゃるおつもりですか!」
ユリウス様との関係を構築していく為にも、まずはなにか召し上がっていただかなくては。
「ユ、リ、ウ、ス、さ、ま!」
ぴくり、ユリウス様の肩が動いた。起きて下さったのかしら。
「ユリウス様、お目覚めですか?」
「…………どうして貴女がここにいるのですか。」
あらまあ、綺麗なお顔だと不機嫌そうな表情でも綺麗なのね。
「おはようございますユリウス様。お粥をお持ちしました。」
「……どうしてここにいるのかと聞いているのですが。」
お粥を運ぼうとしていたけれど、わたしは手を止めてユリウス様を見た。ユリウス様はまだ、不機嫌そうなお顔のままだった。
「ユリウス様がお部屋にこもられてもう三日ですよ? いい加減なにか召し上がっていただかないと心配です。」
「…………この国の行く末が、ですか?」
「……はい?」
わたしが聞き返したのに、ユリウス様は返事もせずに、また机に突っ伏してしまわれた。
「あの、ユリウス様。」
「……以前、言っていたでしょう。」
ユリウス様は顔を上げた。とても、不服そうなお顔。
「この結婚が新興商会の台頭を阻止できるのであれば、それ以外には何も望まないと。」
「え、ああ、はい……」
確かに、そう言った記憶はある。……だけど、ユリウス様が何を言いたいのか、いまいち分からない。
「でしたら、私の妻などやめてしまった方がいいでしょう。」
「はい?」
ええ? 今なんと言ったの? わたしの聞き間違い?
「私はこの通り、小さな会議一つこなせません。将来宰相など務まるわけがありませんから、もっと有望な方のもとへ嫁ぎ直すのが良いかと思います。」
「あ、あの……」
「あんな失態をおかしてしまっては、もう王宮へ顔を出すのもはばかられます。私のような人間が政治を預かるわけにはいきません。」
「あの、ちょっと……」
「もう何をするのも嫌なんです、放っておいてください。」
わたしに口を挟む隙すら与えずそうおっしゃると、ユリウス様はまた突っ伏してしまわれた。
……どういうことなの。要するに、自分は完璧じゃないから、もうなにもしたくないということ?
「……ユリウス様。」
「放っておいて下さいと言いましたよ。」
「ユリウス様。貴方はご自分が神だとでもお思いなのですか?」
「……はい?」
ユリウス様は困惑した表情で、顔を上げた。
「初めから完璧に何でもこなせる人間も、失敗しない人間もいないと思います。神じゃないんですから、完全無欠だなんて到底無理です。失敗して、そこから学んで、改善しようともがくものでしょう?」
ああもう、本当はもっと、優しく励ますつもりだったのに。言葉が止まらない。
「たった一回の失敗で、なに女々しいことをおっしゃっているんですか。あなた様は、宰相のお家に生まれたから、仕方なく政治に関わっていらっしゃったのですか? この国を支える国民のことはなに一つお考えになっていないのですか? 中途半端なところで仕事を投げ出せるお方だったのですか?」
「そんなことは…!」
ユリウス様が立ち上がった。……うん、良い表情。
「でしたら早くいつものユリウス様に戻ってくださいませ。」
言いながら、わたしはお粥を机の上に置いた。
「……疲れた時は、わたしの所にいらしてくださってかまいません。わたしきっと、あなた様の心を受け止められる妻になりますから。」
きょとんとしたままのユリウス様。少しは、元に戻って下さったかしら。
「ユリウス様? お粥、お嫌いですか?」
「あ…、いえ。」
「でしたら召し上がって下さい。ちょうどいい具合に冷めたと思いますよ。」
「はい……ありがとう、ございます。」
ユリウス様がゆっくりお粥を食べ始めたのを見て、わたしはソファーに座った。ひとまず第一関門は突破ね、と思って、胸をなでおろしながら。