結婚のお話
「私は、結婚したからと言って仕事を疎かにするつもりはありません。結婚前と同様に働きたいと思っています。なので、屋敷にもそう頻繁に帰ってくることはできそうにないですし、家庭よりも仕事を優先させるつもりですが、それでもかまいませんか?」
見合い相手、と言っても、ほぼ結婚が決まっている相手と初めて二人で食事に出かけた日に、目の前に座る綺麗なお顔をされた、この国の次期宰相と言われている方が開口一番に言ったのは、そんな言葉だった。
「は、はぁ……。まぁ、お話は後で聞きますので、まずは料理を注文致しましょう。」
「…………それもそうですね。失礼致しました。」
「いえ。」
ユリウス=マルテル。代々この国の宰相を輩出しているマルテル家の長男で、現在はこの国の第二王子、アルディーン様の側近として王宮に勤めていらっしゃるお方。
そんな彼とわたしの結婚の話が出たのはほんの一ヶ月前。
わたしは、アリア=ラングストーン。国内有数の商家、ラングストーン家の娘。父が「ラングストーン商会」の会長で、兄はその跡取り。女であるわたしは、ラングストーン商会にとって有益なお家の方と結婚するものだと小さい頃から思っていた。父と母、それに兄も、普通に恋をして、好きな人と結婚すればいいと言ってくれてはいたけれど。
ラングストーン商会は、ただ自分たちがお金を儲けることのみを考えているわけではない。稼いだお金の一部は社会に還元するようにしているし、本社、支部に関わらず、地元の人たちとの関係も良好。ここ十数年の間に戦争に乗じてたくさんの新興商会が出てきたけれど、何処も自分たちの儲けを一番に考えすぎていて、酷いところは闇商売にまで手を染めているという噂。それが真実かどうかは別にして、ほとんどの新興商会の評判がよくないのは事実。
そういう状況を考えると、ラングストーン商会が潰れるわけにはいかない。この国の経済を新興商会に牛耳られでもしたら、国民の生活が脅かされるのは目に見えている。そうならないためにも、有力な家の方との結婚を望んでいたんだけれど、まさかマルテル家からお話がくるとは思ってもみなかった。
「さて、先ほどの話ですが。」
料理が運ばれてくると、それまで黙っていたユリウス様が口を開いた。……この方は、まどろっこしい物言いは嫌いなのかもしれない。両親も一緒に会っている時は、もう少しこう、物腰柔らかで人当たりの良い感じだったんだけれど……。
まあそれは良いか。今はとりあえず、返事をしなければ。
「ああ、はい、それでしたら、わたしは別にかまいませんよ。」
「……え?」
「ですから、それでもかまいません。」
自分から言い出しておいて、どうして驚いていらっしゃるんだか。
「この結婚が、国民の生活を脅かすような新興商会の台頭を阻止できるのであれば、それ以外に特に望むことはありません。」
ユリウス様は、しばらく手を止めたままだった。
「もちろん、マルテル家に嫁ぐのですから、その名に恥じない女性になれるよう努力致しますし、あなた様の名に泥を塗るような妻にならないよう努めます。」
「……良いのですか? 女性は、大切にされることを望むものでしょう?」
「えーと…、そうですね、一般的にはそうだと思います。」
よく分からないって顔をしてらっしゃる。こんなお顔もできるのね。
「ですが、わたしが望んでいるのはそういうことではありませんから、気にしないで下さい。むしろ、あなた様がお仕事を頑張って下さることの方がわたしには重要です。」
好きな人との結婚を夢見てこなかったわけじゃない。暖かい家庭を築きたいと思ってこなかったわけじゃない。
……だけど。
「ユリウス様が嫌だとおっしゃった場合は仕方ありませんが、わたしの方からこの結婚をお断りするつもりはありませんよ。」
この国の未来を築いていく方の妻になれるのなら。その方をお支えすることで、少しでもこの国の役に立てるなら。
小さい頃から父の取り引きに付いて色々な地域を行き来して、この国の現状を知ったわたしにとって、これ以上ない幸せだと思うの。
「ですから、あとはユリウス様が決めて下さい。」
ユリウス様は、いずれは宰相となってこの国の政治を担っていくお方だから、本当はわたしみたいな商家の娘とは身分も釣り合わない。でも、結婚の申し入れをしてきたのは、そちらだもの。もちろん、ユリウス様のお父様が言い出したことではあるのでしょうけれど、こんな機会、無駄にはできない。
「……変わった方ですね。」
ユリウス様はぽつりとそう零して、どういう感情の表れかは分からないけれど、少しだけ口元を緩められた。
その三ヶ月後、ユリウス様とわたしは結婚式を挙げた。