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「待たせたな」
彼女がそう言って現れるまでに、1時間ほどの時間がかかった。
流石にそれだけ時間があれば息も整うし、町を見て歩こうにも戻ってこれる自信もなかったので、座って町の様子を眺めていただけだが。
門を出入りする人の数、町中で行商をしている人の数からして、それなりに賑わっている場所のようだ。高さは低いがそれなりに立派な壁もあり、円形に町が広がっているように見えた。
「何か気になるものでもあったか?」
反応から、先程の狙撃が罪に問われないであろうことを察し胸を撫で下ろすと、質問を考える。
いや、沢山ありすぎて、どれを聞けば良いか分からないというのが主だが。
何せ彼女はそこまで頭がよろしくない。少し聞いただけで熟考するのは立場的なものもあるかもしれないが、会話を得意としないことは間違いない。
彼女に即答できないようなことを聞いて無駄に時間を使うより、彼女の答えられることだけ聞いて、他のことは知っていそうな人に聞くのが一番と判断。
「さっきのことは?」
「さっき?ああ、敵兵のことか。領土侵犯は間違いないという判断だ。独断で殺したのがそのうち本隊に見つかるだろうからと、褒められはしなかったがな」
「……戦争とかになるんですか?」
「戦争?というなら、もう100年も前から続いてる。この町の人間も慣れたものだ。先程まで野菜を売ってた奴らが、もう防具を売っている」
戦争は、あった。
これから起きるのではなく、最初から。まだ若い彼女が戦場に出ていないのは所属故か階級故かは分からないが、人を殺して大問題になる世界ではなく、ほっとした。
その場合、人を殺す以外に使い道のない銃など、役に立たないからだ。
「これからは?」
「まあ、まずは偵察を出して本隊を確認、その後に戦闘になるだろうが……安心しろ。私達の出番はない。この町の兵隊は、よそ者を使うほど人手不足でも、練度不足でもないからな。ああ、そういえば、貴様――お前――いや、なんて呼べば良いんだ?お前」
そう問われ、少し考える。
ゲーム内ではほとんどone、もしくは1に纏わる言葉、文字を使ってきた。
しかし口で発音されるのにoneはわかりづらい。名前らしさが欠片もない。
「ハジメ、で。まあダイチでもいいけど」
「じゃあハジメ、お前に会いたがってる人が居る。着いて来い」
結局お前だった。いやまあ、別になんでも良いのだが。
◇
「へえ、これで700メートル先の敵を?とてもそんな飛びそうな形はしてないが」
彼女に連れて来られたのは鍛冶屋のような店で、周りには鎧や盾、剣の他に、僅かながら銃もある。
猟銃程度まで文化が進んでいるかと思ったが、壁に並んでるのはマスケット銃とでもいうのだろうか、マガジンなど付いていない、先込め式の銃に見える。
恐らくフリントロック式。火縄の一つ先で雷管ができる一つ前。引き金を引くと撃鉄にある火打ち石で皿に載せた火薬を点火し、その火が銃身に入った火薬に届き炸裂、弾を飛ばすシステムだ。
まだ薬莢というシステムが生まれる前の銃。店内を見回しても、丸い弾丸が箱に入っているのが見えるが、薬莢は見当たらない。
――割と最悪な状況だ。
鍛冶屋のオヤジというべきか、肌は焼けたように黒く、恰幅の良いこの男性が、目的の人物のようだ。
「で、有効射程が400メートルなのに700メートル先の人を一発で撃ったってアリシアが言っていたが……間違いはないか?」
「ええ」
「それは銃の性能か?それともあんたの腕なのか?」
「どちらも、ですかね」
「スコープの倍率も、700メートル先を撃つにははるかに低い。いくら銃の性能が良くても、そう上手く当たるとは思えないが」
疑いの目。
一発で当たったのは、偶然のようなものだ。
相手が飛来する弾丸への警戒を怠っていたこと、その為、一定の速度で進み続けていたこと。
走っていたなら当てることはできなかっただろうが、速くない速度で歩いていたこと。
風はほぼなく、ほぼ真横からの狙撃になったことなど、様々だ。
しかし、全て計算に入れたところで、あの結果は偶然だったと言わざるをえない。
一発目で当てなければ狙撃手で居る価値などない、そういう自分の考えが、この結果を生み出しただけなのだから。
「当たったものは、当たったんですよ。別に偶然って言ってもらっても構わないです」
「……それはそうだな。すまんな、変なこと聞いちまって」
「いえ別に」
彼はそれきり黙り、時には虫眼鏡等を使い、銃の各部を眺めている。
しかし分解をしようとはしない。鍛冶屋として、作れないものを分解するつもりはないのだろうか。
「ありがとよ。何がどうなってこんな形になってるかも分からねえ。ただまあ言えることといえば、これの弾を俺が作ることはできない、ってことだな」
銃を返されると、質問もしてないのに、銃弾のことを言われた。
そう、聞きたかったのはそれだ。この弾丸、9x39mm弾をこの世界で複製できるか否か。
正直、VSSという銃は、性能のほとんどを特殊なこの弾丸に依存している。遮音性が完璧なのも、それに比べ威力が高いのも、全て弾の力だ。
ゲーム内で追加マガジンを持ち歩く風習は自分にはなく、この世界に一緒に来たこの銃、VSSには、マガジン1つ分、計10発の弾しか入っていなかった。
そして先程1発使い、残り9発。いくら銃が特殊でも、いつ醒めるか分からないこの夢で生きていくには、あまりに心もとない。
死んだら使用した全てが初期化され、元の場所に戻るゲームのようなシステムがあるのかもしれないが、それを試したくはない。
「銃は息子が趣味で作ったもんだからな、俺は詳しくねえ。視界の開けたこのあたりじゃまだ弓だけで事足りるんだ。王都に行きゃあ銃を専門で作ってるところもあるはずだ。そこで聞いてみるのが良い」
「ありがとうございます。まあ、そこに行けるかは――」
言葉を止め、振り返る。
暇そうに周りの剣を物色していたアリシアは、「何だ」とでも言いたい顔でこちらを見る。
「今から、どこに行くかを知らないんだけど」
「なんだそんなことか。安心しろ、王都には行くぞ。多少長旅になるがな」
「どのくらい?」
「直帰して、半月といったところか。ただ途中で寄りたいところもあるから、もう少しかかるだろうが」
半月。彼女の口にしたその言葉を反芻し、考える。
この国は、相当に広いということなのだろう。そして、時間がかかるのにはもう一つ理由がある。
町を歩き、この鍛冶屋に着くまでに、車の類は見つからなかった。
街灯はあるし、家の中にもライトはある。電気は存在するようだが、ガソリンか、それに該当する物質が存在しないのだろうか。
この鍛冶屋も水路の脇にあり、水車を回し、何かの動力にしていた。
主な移動手段は馬、馬を用いた移動速度がどれほどのものなのかは分からないが、車と違い馬も疲れるし食糧もいる。車があれば1日の距離でも、そこまで掛かるのも仕方がない。
新たな銃弾を入手するのに、1ヶ月。それまでの間は、残りの9発しか使えない。
折角銃を触れているのだから射撃の練習でもしたかったのだが、まるで海外の射撃場に行って大事に弾を撃つ時の気分のようだ。射撃場へ行ったことはないし、パスポートを取ったこともないのだが。
「9発、か……」
「なんだお前、残りの弾のことを考えてるのか?安心しろ。この町が国の西端、ここから中心に向かって進む。そうそう銃を撃つ機会もないはずだ」
「まあ、それなら」
これほどまでに、普段から予備マガジンを持たない自分を恨んだことはない。
次にゲームをする機会があったら、無意味でも複数のマガジンを所持してゲームをプレイしよう、そう心に誓った。
「自国内でも襲われる可能性は0じゃないがな。行商だったら護衛を付けるが……私が兵士だ。私で良いだろう」
「そうだよ、あんたハジメだったか。安心しろよハジメ。このアリシアって嬢ちゃん、たぶんこの町の兵の中で、誰よりも強いぜ?」
「え?」
そう言われ彼女に振り返ると、少し照れくさそうに顔を掻いている。
間違いだったら否定するだろうに否定をせず、照れくさそうにしているということは、事実なのか。
いつ来るかも分からない人間を待つ命令を受けた下っ端兵士と思っていたがそうではなく、単独で敵国スレスレのところに置いても任務を達成し、生還できる人間ということで選ばれたとでもいうのか。
「ハジメも変な気起こさないほうがいいぜ。アリシア、王都で酔っ払った先輩兵士に襲われたそうになった時、斬り殺したって噂があるくらいだ」
「殺してはいない。一物を切り落としただけだ」
「ヒッ」と、鍛冶屋のオヤジと二人して股間を押さえる。
力のある暴力者に刃物を持たせると危ないということが、痛いほどよくわかった。
「用事は済んだ。じゃあな、アダンのおっさん。死ぬ前にはまた来るよ」
「おう、次来た時も俺が生きてる良いな」
「ああ、お互いにな」
店を出る彼女に着いて行く。
軽々しく死を持ち出し、笑える。やはり、命をかけた戦争中なのだ。
そしてこの町は、国の西端、話から推測するに敵国とは隣接しており、いつでも小競り合いが起きている。
いつ、誰が死ぬかは分からない。命をかけて戦う兵士の彼女だけではない。自分の死を当然のようにジョークとして使える彼も、また、この町の住人というわけだ。
「ところでお前」
食糧や水などを購入し、彼女はある場所で立ち止まって口に出した。
予想はしていた、その問いかけを。
「馬には乗れるか」
「乗れません」
即答。
乗馬体験というのをどこか修学旅行か何かでやった記憶はあるが、それは遠い昔の話。
立ち止まったのは馬小屋だった。小屋には複数の馬が繋がれており、管理人であろう人間の後ろには数字の書かれた看板がある。予想はしていたが全て日本語。通貨単位が分からないが、値段も書いてあり買い切り、レンタルなどを選ぶのだろう。
「軍人は馬も……いや、そういえば軍人じゃなかったな」
特に聞いたわけではないが、彼女は時折“軍”と“兵”を別の言葉として使う。そういえば鍛冶屋に入った時も軍人さんと呼ばれた気がするし、町中でもそうだ。
アリシアのように軽装に剣や弓を持った“兵士”の他にも、迷彩服に近い格好をする“軍人”というのが存在するようだ。
しかし、現状この格好は無駄に目立つだけ。軍人に見えるからと何か特別な扱いをされるわけでもないし、むしろ腫れ物のように扱われる気がする。この国で軍人は一体何をやっているんだ。
「この格好軍人に見えるみたいだし、着替えてきていい?」
「ああ何だ服か。確かにその格好は無駄に目立つし、別に迷彩効果もないな。服屋の場所は覚えてるか?」
「なんかさっきあったから適当に見繕ってもらうよ。ただ――」
「ただ?」
「金がない」
そう言うと彼女は大きなため息。
この国の通貨を持っていないし、先程会計している姿を見る限り“円”ではない。
働いて稼げと言われても生まれてこの方労働に準じたことがない人間に、何ができるというのか。いや自慢ではないが。
「当面の生活費として支給された金が明らかに多いと思ったが……そうか、お前の分もということか……」
どうやら命令した人間はある程度予想をしていたようだった。まあそれは服ではなく食事や宿代のことかとは思うが。
「ここでお前に金を渡しても使い方も分からない、よな」
無言で頷く。通貨単位が分からない以上ぼったくられる可能性もあるし、お釣りを正確に払われたかどうかも分からない。
ここは彼女に財布を任せたままにするのが一番賢いやり方だ。
「まあいい。私もついてく」
「お願いします」
きた道を戻って、ショッピング。ついでに欲しいものもいくつかある。