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数分の静寂。スコープを覗けば見えるところに居る偵察兵は、先程よりは大分離れてしまっている。
しかし、まだ見える。追いつける距離に居るし、いざとなったら撃てば良い。
「今は、ない」
沈黙を破ったのは、彼女の否定の言葉。
予想はしていた。新米の兵隊一人に出迎えさせる以上、自分の立場は世界を救う英雄などではない。余計な混乱を起こさせないよう、管理される人間だ。
手にした権利は一般人に等しく、特別な権利が与えられる立場ではない。
「だが、この場は仕方ないな。後ろに本隊が居るのが事実なら、いずれこの森も捜索され、私達も捕まる。それを未然に防ぐ為の行動なら、私の権利に置ける正当防衛の範疇だ」
そう続けられた。つまりこの言葉は――
「ちょっと手違いで殺しちゃっても、責任は取ってくれるということで良いんですか?」
言葉を返すと、彼女はぐっと言って黙ってしまう。
再び数分沈黙。彼女の中ではめまぐるしい議論が繰り広げられていることだろう。
「責任は、取る。場合によっては、ここで敵国の侵入を発見したことも褒章に値するかもしれない」
「ありがとうございます。じゃあやります」
「やる?何を――」
彼女の言葉は、途中で止まってしまった。
立膝の状態から、左膝を立てて半身。
立てた膝に左肘を置き、左手は銃身に添え、ストックを肩に押し当て狙撃姿勢。
見慣れた姿勢だからなのか、夢の中で過去に何度もこの姿勢をしたのかは分からない。
しかし身体は、考える前に動いた。
「こんなところから、届くのか……?」
彼女の疑問は最もだ。
スコープについているメモリから測ると、偵察兵との距離は700m近い。
有効射程400mのこの銃で狙うにはあまりに遠いが、スコープにはしっかりと男の全身が映っている。
VSSの、狙撃銃にしては短すぎる射程も、あくまで“防弾チョッキを貫通する距離”だ。
100mの距離を狙えないと言われてる小型の拳銃弾でも弾丸は2km以上飛び、1km程度の距離でも当たれば肉には突き刺さる。当たりどころによれば一撃で致命傷だ。特に、防弾チョッキなど着ていないであろう、あの偵察兵には。
狙えるか、狙えないかというだけの話。有効射程を超えた瞬間、弾が消滅するわけではない。
「そもそも、銃声で他の兵に見つかる可能性は、考慮しなくていいのか?」
「大丈夫です」
「そうは言っても……この距離だぞ?」
慎重に照準を合わせる。ゲーム内ならあえて一発外し、風でどれだけ逸れたのか調整する選択肢も無くはないが、ほぼ水平、標的の先に壁などがない状況だと、弾がどこに飛んだか確認する術などない。
逆に言えば、外しても見つかる可能性も低いわけだが。
「この世界の銃は、どこまで飛ぶんですか?」
「当てて100メートルか。私も以前教練を受けたことがあるが、威力はあっても音は響くし手間はかかる。弓の適正があったから、それきり触ったことはないな」
文化レベルの違いだろうか。彼女の装備が弾丸耐性などないプレートアーマーなところから見ても、この世界では銃はメインウェポンになりえない。
100mと言えば猟銃の一粒弾、スラッグショットの射程が確かそのくらいだったはずだ。つまり、その程度というわけか。
弓がどこまで飛ぶのかは知らないが、銃程度の射程があるのなら、確かに銃は不要だ。構える手間や大荷物を持たなくても良い分、弓に完全に劣化しているわけではないようだが。
「俺の世界だと、2800メートル先に当てた記録があります」
あくまで狙撃の記録であって、使われた銃は狙撃銃ではなく対物ライフルだったと記憶してる。
狙撃銃での記録は2400mだったか。100年程前に作られた重機関銃での狙撃記録を最新の狙撃銃で塗り替えると、数年後にはまた数十年前の対物ライフルで記録を塗り替えられた。
戦後、狙撃銃は距離ではない方向に進化しているというのもあるが。
「二千だと?その銃もそれだけ届くのか?」
カマを掛けるつもりで“世界”というワードを入れたが無反応。聞いていなかったのか、2800に反応したのかは分からないが、違う世界から来るという状況が、特に珍しいことでもない可能性がある。
「まあこの銃は400メートルくらいしか狙えないんですけどね。撃ちます。黙ってて下さい」
黙らせる意味はあまりないが。話しかけられると、つい返事をしてしまいそうだからだ。
偵察兵の行動パターンは予測できた。もし外した時の為に、弾丸飛翔時にこちらを向かないタイミングで撃つ。
大きく息を吸って、止める。呼吸で肺を動かすと手がそれに合わせて上下してしまう。この知識も、何故知っているのかは分からない。
心臓の鼓動が聞こえる。ドクン、ドクンと音が鳴る。血液の流れも、僅かながら手を揺らす。
引き金を絞ると、聞き慣れた射撃音。
小鳥の囀り、森の葉音に消え入りそうなほど小さな、パスっという音。
凡そ半秒後、着弾。
偵察兵の首に小さな黒い穴。数拍後、心臓の動きに合わせて血が吹き出す。
危なかった。首ではなく頭を狙ったつもりだったが、やはり、射程を超えると思ったより下に落ちる。
長距離狙撃銃に慣れていたのが幸いし、重力の計算もしていたが、弾速が長距離狙撃銃に劣るという点をあまり認識していなかった。
幸い一撃で仕留めることが出来、仮に生きていても声を発することはできないだろう。結果オーライというやつだ。
「クリア。行きます。町まで案内して下さい」
「……当たったのか!?」
「当たってます。先導お願いします」
ラッパが見えなかったというし、彼女は動体を把握しただけで、敵兵の姿まで見えているわけではないのだろう。
ただ単純に目が良いとそこまで見えるのか、特殊な訓練を受けているのか、視力が極端に良い世界なのかは分からない。少なくとも、現実世界よりも遥かに視力の良い今の自分とも、比べ物にならないほど良いのは間違いない。裸眼だと動いているものすら見えなかったのだから。
小走りで姿勢を低くし彼女に着いて行く。
現実世界の自分は数秒で疲れるはずだが、何故か疲れは来ない。心臓の鼓動が先程よりも大きくなっているから、いつかは疲れが来るはずだが。
それにしても、人を殺してしまったというのに、何も実感は沸かない自分がここに居る。夢の中、いや、この世界の自分はそれに慣れてしまっているのか、それとも、ゲームと同じ感覚だからかは分からない。
武器というのは、殺しの実感が沸かない方へと進化している、そう聞いたことがある。
石、刃物、槍、弓、銃、そしてミサイルのスイッチ。原始的な殺しという行動からかけ離れ、日常の中に溶け込んでいる行動と、等しくなっている。
無人爆撃機を本土から操作し、翌日に娘の運動会へ行く米兵という話もどこかで見た。つまり、そういうことだ。
2時間ほどかかっただろうか。あれ以来敵を発見することなく、無事に町まで辿り着いた。
疲れない身体かと思っていたが、流石に1時間もすると疲れが出、ペースを落としてもらっていたのにも関わらず、門を越えたところで疲れてへたりこんでしまった。
「ここで待っていろ」と言われたので、大人しくその場で休憩していることにする。町の住人から不審そうな目で見られるが、そのような目は現実で慣れた。いや、慣れなかったから引き篭もったのだが。