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ジゼルの家で一眠りすると夜だったので、食事をして再度睡眠。
早朝、王都に向けて出発することとなった。
この馬車は、“キャリッジ”と呼ばれる種類らしい。
昨日乗った馬車のように、荷運びの為の大きな荷台がついているわけではなく、人が乗るのでやっとの小型サイズ。
馬が引くのは雨風をしのげる程度の屋根が付いた箱であり、人間1人が横になるほどの広さもない。向かい合わせの椅子に2人ずつ、計4人が座ることができる程度だ。
特徴としては、サスペンションが付いていることだろう。単純な車輪だと路面の影響を強く受けるところ、サスペンションと呼ばれるバネの機能により、揺れが軽減される。
まるで別の乗り物のようだ。
2頭の馬が引く4輪馬車は、多少地が荒れていてもほとんど箱を揺らすことなく進む。
アリシアはやることがないと馬車が走りだすとすぐに寝てしまった。今自分は、馬を操る者の為、箱の外に付けられた座席に座っている。
隣にはジゼルが居る。彼女は馬に取り付けられた紐を握ってるものの、それを操ることはほとんどない。時折方角を確認しているが、ほぼ全てを馬に任せている。よく訓練された馬なのだろう。
「ハジメは、寝なくて良いの?」
ジゼルからの提案。
やることがないのは事実だし、ここからの道中を思うと寝るのも悪くはない。
しかし、眠気は来なかった。
「半日以上寝てたので、眠くはないんですよね」
「ま、それもそっか。ところでさ、あたし達2人を迎えに寄越すくらいだから気になってたんだけど、ハジメってば、何ができるの?」
彼女に問われて、黙ってしまう。
自分には何ができるだろう。あるのは偏ったミリタリー関係の知識、それに銃と、それを扱う身体だけだ。
銃弾を叩き落とす人間を見た後だと、自信がなくなる。本当に、自分に何ができるのだろう。
見えないところから撃たれたら避けられないとアリシアは言っていたが、殺気を感じて切り落とすくらいできそうなものだ。至近距離で連射して傷ひとつ付けられないのなら、恐らく、マシンガンなどを持っても変わらないだろう。
避けるまでもない。秒間数十発を吐き出したところで、全て落とされてしまいそうだ。
「あれを見た後、何ができるかと言われても……」
「あー、アリシアは特別だよ。アリシアには矢も弾も効かない。見たらなんとなく分かるでしょ?」
「あれって、この世界の人なら割と誰でも出来たり、するんですか?」
そう問いかけると、ジゼルは吹き出した。30秒ほど笑ってから、ようやく言葉を口にする。
「い、いやまさか、あんなの誰にでもできるわけないでしょ?」
「……やっぱり異常なんですかね。たまに消えたみたいに瞬間移動するのは?」
「それもアリシアだけ、ていうか、あんなの皆できると思ってたの?」
そういえば、盗賊集団も行商人も、誰もがアリシアの動きに反応していなかった。
訓練したらあんな動きができるのかと思っていたが、それにしても数十人相手にして誰も対応できない速度というのは、異常と言えよう。
「それ以外見たことがなかったので……」
「そっか、そういえばこの国――じゃなかった、この世界の人じゃないんだっけ?ハジメ」
さらっと彼女が口にする。
『この世界の人じゃない』。相澤との話を聞いていたアリシアなら分かっていても当然だが、それをジゼルが知っているのはどういうことだろう。
先人が何人も居るのは分かっている。彼らは、そこまで世界に影響を及ぼしたのだろうか。
「……どうしてそれを?」
「いや、ふつーに命令された時に説明されたんだけど。アリシアってば、リカちゃんと仲悪いからねえ。話半分に行っちゃったんじゃない?」
確かに、アリシアの言っていた“命令”はやけにちぐはぐだった。
場所が指定されてるのに日時は知らないようだったし、誰が来るのかも知らなかった。てっきり命令を出した下條理科も知らないことなのかと思っていたが、実際には全て理解していたのかもしれない。
アリシアが聞いていなかっただけで。
「リカちゃんってのは、下條さんのことですか?」
「そうそう、あれ、知り合いだったりする?」
アリシアとは、随分違った反応だ。
名前が出ただけで眉間に皺が寄っていたし、彼女について問うてもほとんど答えてくれなかった。
アリシアのような性格だと、個人的に嫌ってる、嫌う人間は、確かに多そうだが。
「知り合いではない……と思うんですが。まあ会ったことはないですね」
その名前に聞き覚えがないのは事実。彼に求められたのが自分なのか、自分の持つスキルなのかは分からない。
下條理科という名前に聞き覚えはなかった。
ネット上の人間関係で、モニターの先の人間の本名を知ることは少ないのが。
昔のクラスメイトにそのような名前の人が居たかもしれないが、最後に学校に通ったのは、10年近く昔のこと。印象的な名前も出来事もなければ、記憶には残っていない。
「そうなの?まあ、リカちゃんも名前までは知らなかったみたいだし、そんなもんかあ」
彼女の言葉で、リアルの知り合いではないことは分かった。
やはり、求められたのは個人ではなく、彼女の必要とする“何か”に該当したのが、自分だっただけなのだろう。
「下條さんは、何をしようとしてるんですかね」
「さあねえ、何にも知らないよ。知ってるのは、軍の人くらいじゃないかな?私はそもそも、アリシアと違って兵隊ですらないんだよ」
あれほどまでに卓越した技術を持ちながら、ジゼルは兵ではないと言う。それなら、何なのか。
ジゼルのことは知らないが、これまで数日間共にしている、アリシアのことも全く知らない。彼女が語りたがらないからというのはあるが、この際、聞いてしまうのも良いだろう。
「兵隊でもないのに、あんな動きができるもの……なんですか?」
そう問い掛ける。瞬間移動をできるのがアリシアだけだとしても、射撃の腕、手際は、人間に可能な速度を遥かに超えていた。あのような動きが一般人でもできるとは、考えたくもない。
「いやあ、あたしも特別だからね。ていうか、間違いなくあたしのが年下だし、別に敬語とか使わなくてもいいよ。アリシアはタメ口なのにあたしに敬語使われると、あんま気持ち良くはないから」
「じゃ、遠慮なく。2人はどこで知り合ったの?」
「士官学校の同期。まああたしは中退して、アリシアは卒業したって感じかな?アリシアは入学当初から馬鹿みたいに強かったけど、あんな性格だから友達とか居なくてね。あたしはそういうわけじゃないんだけど、家のこともあって周りから避けられてて」
アリシアが実は友達一杯居るタイプとか、そういうどんでん返しはなくて良かった。
もしそうだったら、そんな人ともコミュニケーションがまともに取れない自分に情けなくなるところだ。
「家のこと?」
「うちって代々神に仕える家系でね。この国って随分前から無神論者が増えてるけど、王家は神の血を引いてるって伝説がある国で、大神官の娘。たったそんだけなのにね」
最後の言葉は、消え入りそうな程小さな声だった。
自分が悪いわけではない。その家に生まれてしまったばかりに、人から避けられてしまう苦しみ。
彼女は、これまでの人生で、何度もその経験をしたのだろう。自分のように逃げ出すことはなく、それでも尚生き続けた。
「2人とも孤立してたんだけど、ある時レクリエーションで2人組を作る機会があってね。案の定余った2人を教官に組まされて。まあ実際話してみるとお互い話が分かる奴だったってわけで、今に至るって感じかな?」
なるほど、と口から漏れる。
孤立してる者同士、思うことがあったのだろう。それは、あの世界でも似たような構図がある。
リアルの他人と関わるのを逃げた先で、ネット上の関わりを得る。人と関わることに耐えられなくなって行き着いた先には同じ境遇の者がおり、その者達とは違和感なく、溶け込もうとしなくとも、友人でいられたのだ。
こちらから歩み寄る必要はなかった。そんなことをしなくとも、人との関わりは得れたのだから。
「中退したってのは?」
「親に見つかっちゃったんだ。神に仕える人間が兵として命を散らすとは何事かーって、親父にどやされちゃってね。そんで強制退学。そこからアリシアとは1年くらいは会ってなかったんだけど、アリシアが士官学校卒業して、王家の近衛兵に選ばれて、再会。まあびっくりしたけど、こいつの実力ならそんなもんかーって、納得できることもあってね」
近衛兵。君主を直衛する兵士だ。やはり、アリシアの実力はこの世界でも認められるほど、優秀なものというわけだ。
そして、王家付きの近衛兵なら、一国の宰相が動かす駒としては最上位に位置するのは間違いない。
下條理科は王家ではなく、来るであろう異世界人への護衛を優先させたのだ。国の宰相であるならば、近衛兵が守る対象には自分も含まれているはずなのに。
それが行えるということは、100年続くという戦争は過激な物ではなく、冷戦のように落ち着いた戦争ということなのだろうか。
「厳密にはあたしとアリシアの受けた命令は違ってね。アリシアの任務がハジメを王都に連れてくることなら、あたしは2人が裏切るのを阻止する任務。駒としては最強のアリシアを敵側に寝返らせたくないって、心配症のリカちゃんらしいね」
裏切り。しかし、あまり想像がつかない。
アリシアは、何か大きな目的があるようには思えない。そこまで野心家に見えないのだ。
それがなければ、国を裏切るメリットなどありはしない。
「でまあ任務を受けたのは良いものの、地図よく見たらあたしの行けるのはフェムの町までじゃん?だからそこで待ってたってわけ。リカちゃんには言ってないけど、気付いてるんじゃないかな?監視って役目はほとんど果たしてないよね。2人がここに来なかったら、そこで終わりなんだから」
その通り。ここまで聞いて思うのは、やはり下條理科の目的が分からない、ということだ。
王都に連れてくるだけならアリシアでも充分で、監視役も監視をしない。それではジゼルを同行させる意味がない。
それに、派遣されたジゼルに疑問を持たせるほど稚拙な命令。宰相にまで上り詰めた人間が、そんなアバウトな命令を出すものなのだろうか。
何か、裏の目的があるように感じる。自分達では理解の及ばないほど、高次元な。
「まあリカちゃんが何考えてるのか分かんないのは前からだし、そんな気にしてないけどね。きっと何か意味があるんだよ。あたしには分かんないような、ね」
そう、ジゼルに代弁される。
相澤やアリシア、ジゼルの話を聞いても、見えてこない下條理科の像。
「やっぱり、下條さんに会わないと何も分からない、か」
「だね。そのためにあたし達が派遣されてきたわけだし、ハジメを王都に連れてくるのには、何か大事な理由がある。それこそ、一瞬で状況を覆すほどの、ね。アリシアはそんな細かいこと考えてないだろうけど、ハジメを連れて行くことに何か意味がある、って程度には理解してるんじゃないかな?」
「うわ、脳筋だ」
「あはは、まさしく脳筋そのものだね。あの歳で、一対一なら歴戦の師団長にも勝てるくらいなんだから、個人戦力でアリシア以上の人なんて、この国には数えられるほどしか居ないよ?」
あの時、鍛冶屋のオヤジの言っていたことは事実だったのだ。
彼女より強い兵はほとんど居ない。それならば、チートと言わざるをえない剣戟も、なんとか納得できる。
『この世界の人間は、強すぎる』、相澤の言だ。ただ彼は、アリシアが異常に強いということを知らないはずで、それでも銃弾を避けられるか聞いた。その程度のスキルなら、アリシアほどでなくても可能ということだ。
強さの基準が、曖昧だ。どこまでは銃が剣より強いのか、どこからは剣が銃より強いのか。
少なくとも盗賊相手なら銃の方が強い。しかし、アリシアは銃に勝てる。
ジゼルはどうなのだろう。人間離れした銃捌きを見るに、銃より強い部類に入るのだろうか。
はたして銃で、どこまでの相手を撃てるのだろうか。
「アリシアがあそこまで強いのは、何か理由があるのかな」
「強くなること以外全てを捨てたから、かな?それでやっと見つけた居場所を、リカちゃんに蹂躙された。そりゃあ嫌いになるのも分かるし、リカちゃんはフォローが足りなかったね、こうなることくらい分かってただろうに」
強くなろうとするあまり、人間性は希薄になり、笑うことも、喜ぶこともなくなる。それで幸福なのだろうか。
強くなろうと思って努力をしたのに、その途中で目的を思う心すらなくなってしまったかのような、不安定さを感じる。
ジゼルは、居場所と言った。恐らく、それがアリシアを必要とする場所だったのだ。
しかし、その居場所は下條理科が奪った。どういうことなのだろう。近衛兵としてての自分が居場所なら、近衛兵を解任されてない以上、それは、居場所で良いのではないだろうか。
下條理科は、何をして、アリシアの居場所を奪ったのだろう。
「全てを、か……」
「まああれでも、たまには笑ったりするんだよ?特に、自分を殺しに来る誰かが居る時とか。脳みそ筋肉というより、狂戦士だね。ハジメは見てなかっただろうけど、さっきあたしの銃弾を弾いてる時、すごい嬉しそうに笑ってた。死地の中に喜びがある、みたいな?」
そういう異常性。全てを捨てて、他人より優れた剣技を身につけた彼女が、唯一誇れる自分の実力。
それを曝け出せる時、アリシアは笑うのだ。
人を殺したことがないと言っていた。恐らく、それは事実だ。彼女の中の人間が、自制心を働かせている。
実力が拮抗していればどちらかが死ぬまで決着がつかないこともある。しかし、自分の実力が圧倒的に上ならば。殺さなくとも、相手に負けを認めさせることができる。
その時、彼女は笑うのか。
「いきなり矢とか銃を撃ったのは、それ?」
「そ、たまには喜んでる顔見たいしね?ただ別に、アリシアの為だけじゃない。アリシアになら、あたしの全力をぶつけられるんだ。絶対死なない、アリシアになら」
『絶対死なない』、その言葉は、虚栄や妄想ではないのだろう。
自分の実力では、遠く及ばない存在。それを理解しているからアリシアは反撃をしなかったし、ジゼルは全力をぶつけられた。
剣技を競うだけなら不殺で戦闘に勝利もできる。しかし、手から離れる武器は別だ。
銃や弓矢同士なら、的当てでもすればいい。だが、剣と弓のように、明らかな異種戦だとそうはいかない。
弓は当てなければならない。わざと外して敗北を認めさせることなどできない。剣を相手に自分の実力を知るには、殺しに掛かるしか方法がない。
絶対に殺せない相手を、殺しに行く。それは、合理的と言えよう。人間的であるかは別として。
「で、話戻すけど、ハジメには何が出来るの?アリシアに通用するかは関係なく、出来る事を教えて」
そう口にした彼女の目は、真剣だった。
話している最中もずっと正面、馬の進む先を見ている。今もこちらを見ることはないが、目つきが変わったことが、横顔からも見て取れる。
「銃、って言っても、狙撃だけ。この銃だと、届いて700メートルくらいかな」
「ソゲキ?」
キョトンとした顔でこちらを見た。質問した時も視線を正面から動かさなかった彼女がだ。
数秒して、言葉の意味を知る。
狙撃というものが、何か分からないのだ。
「狙撃ってのは、銃で遠くを撃つことで」
「それで700メートル?うーん、なんか、微妙に凄そうだけど、ギリギリ凄くない……銃でそこまで届くことには驚くけどね」
「弓で300メートルくらい飛ぶんだっけ、この世界。まあ、その倍程度なら……」
「あたしなら、500は届くよ。昨日撃って見せたの、そのくらい離れてたからね」
300mどころではなかった。
500m。それは、VSSの射程である400mよりも長い。しかもこの言い方、恐らく、動いている相手に当てることができるのだろう。
人間技ではない。彼女も自身の言う通り“特別”なら、まだ納得できなくもないが。
確かに、限界でも700m程度の距離しか撃てないのなら、特別有用とは思えない。500mでは駄目で700mなら届くという限定的な状況でもなければ、ジゼルの弓以下というわけだ。
それに、700m狙撃が当たったのは偶然。有効射程越えの狙撃をするためスコープを変えているというのはあるが、それでも、百発百中とはいかないだろう。
「それ以外は?なんか特別な才能とかあったりするの?」
さらっと狙撃のことは流して、彼女は問いを重ねる。
しかし、浮かばなかった。狙撃以外に自信を持てる能力がない自分に、それ以上の取り柄など。
「ない、かな……」
「うーん、そうなると、リカちゃんの目的、やっぱ分かんないなあ……500mくらいの距離で良いんなら、あたしを足で使えば良いだけなのに」
ジゼルの言う通りだ。
限定的な状況でなければ、たった200mの差など意味をなさない。思考を重ねていくと、思い当たる節に辿り着いた。
「……もしかして、アテが外れた、とか?」
「アテって、リカちゃんの?」
「そう。まさか、こんな射程の短い狙撃手が来るとは思ってなかった……かもしれない」
彼女が求めていたのは、駒であり狙撃手。
それに、銃だ。仮に狙撃のスキルだけを求めており銃はあるというのなら、その銃の持ち主も居ないとおかしい。そしてその持ち主が居るのなら、改めて狙撃手を求める理由は何なのか。
銃もなく狙撃手も居ない。そのような状況だからこそ、下條理科は狙撃手を求めたのだ。
狙撃銃としては最短と言っても過言ではない、400mというミドルレンジ。最もそんな有効射程の短い銃はあのゲーム内にも現代にもほとんど存在しなかったから、彼女が計算に入れていなかった可能性も考えられる。
そもそもVSSという銃自体、目的と用途が、中途半端な存在なのだ。
ソビエト連邦の特殊部隊、スペツナズの為に作られた。用途としては『中短距離の消音狙撃』もしくは『近距離の銃撃戦』であり、そもそも開発コンセプトから長距離狙撃とは無縁の銃だ。
その中途半端な立ち位置により、部隊でも狙撃という用途で使われることはあまりなく、専ら大容量マガジンを取り付けての近距離射撃で活用することが多かったという。
銃自体は中途半端だが弾丸の性能は素晴らしい水準となっており、同9x39mm弾を用いる銃として、VSSと同コンセプトで作られたアサルトライフル、“AS Val”という銃の方が有名なくらいだ。
狙撃銃としては中途半端、ほぼ唯一と言ってもいい完全消音銃ではあるが、この世界には弓という消音長距離武器が存在する。現実世界と、立場は同じだ。
「リカちゃんなら、全部想定した上だと、思うけどなあ」
ジゼルが呟いた。独り言のようなトーンで言われたそれを、理解するのに少し時間がかかる。
想定した上。つまり、射程の短い狙撃銃を持ってこられることも、その銃に慣れた人間が来ることも、だ。
VSSを持ってきただけであり、長距離狙撃ができないわけでもない。少人数のチーム戦では“九九式狙撃銃”という銃も使っており、そちらなら1キロ離れた動体に当てることができる。九九式狙撃銃のスコープ精度は1500m先の人体まで把握できるほどであり、技術さえあれば、その距離の射撃も可能だ。
九九式狙撃銃に用いられる九九式普通実包という弾丸の初速はVSSに用いる9x39mmの倍どころか3倍近い速度で飛ぶのだから、3倍以上の射程も当然と言えよう。
しかし、こちらに持ってきた銃はVSS。いくらスキルがあろうが、銃がなければ宝の持ち腐れにすぎない。
ジゼルの言うように、それすらも、想定していたのだとしたら。
「そうじゃなかったら困るなあ」
「あはは、間違いない。呼んでおきながらやっぱ要りませんとかやられたら、ここまで足運んだあたし達もショックだし」
確かに、彼女達にも申し訳がない。
必要とされてこの世界に舞い降りた人間が、必要とされなかった場合。それもこの世界は想定しているのだろうか。
必要とされる人間が呼ばれる世界。その発想が間違いないのなら、この世界、下條理科に求められた一大地も、必要とされる人間――のはずだ。
「ジゼルさ……ジゼルは、下條さんのこと、どう思ってるの?」
そう、疑問をぶつけてみる。
やけに信頼しているのだ。アリシアとは全く別の感情を抱いている。ジゼルは下條理科に悪いようにされていないのか、アリシアだけが嫌っているのかは分からない。
しかし、兵が軍を嫌うというのは、アリシアだけではないことのように思えるのだ。
兵ではなく、彼女に足で使われるのを嫌がらないジゼル。彼女にとっての下條理科を、聞きたい。
「機転の利く、凡才かな?」
ジゼルの答えだ。
天才では、ない。それなりに近くに居るであろうジゼルからの印象は、凡才。
「リカちゃん自身に力はない。人身を掌握する絶対的な頭脳があるわけでも、誰しもを従わせる指導力があるわけでもない。天才的な発想じゃなくて、地道な計算による予想に過ぎないっていうのかな。それに、常にその予想が外れる前提で行動してる。失敗を恐れない凡才は天才をも凌駕する。そんな感じ?」
常に最悪のパターンを想像して動く。それは一般的にはマイナス思考と呼ばれるものだが、どのようなマイナス思考の者でも、結局サイコロを振る瞬間は、目的の目が出ることを祈るのだ。
彼女にとっては、違うのだろうか。
サイコロを振るのは自分ではない。他人の振ったサイコロに合わせて行動する。下條理科にとっての下條理科は自身ではなく、駒の1つ。ジゼルの言葉を聞くと、そう思えてくる。
「凡才、か」
「そうそう。あの北門事件の時は、天才策士とか言われてたけどね。失敗する前提で行動する姿は、どう見ても、天才じゃない」
「北門事件?」
「あれ、知らない?まーたアリシア中途半端にしか教えてない感じかな。3年前にね、王城北門を担当してる王政派の兵士達が一斉蜂起して王城に立て籠もった事件。王からの信頼も厚かった王政派だったから、最初は演習か何かかと思った人が多くてね、反抗行動が遅れた結果、王も妃も死んだ。結局蜂起した兵士達の目的は分からずじまい。歴史に残る最悪の事件があったんだよ?」
兵士のクーデターを鎮めたのが下條理科、ということしか知らない自分にとって、その話は驚きの連続だ。
一部の兵士のクーデターどころではない。王と妃が死んでいるのなら、それは立派な大事件だ。
身内の犯行に遅れてしまうのは仕方のないことだ。それでも、守るべき主君を、従うべき国を失いかけた事件ならば、それを鎮めた人間が認められるのは当然と言えよう。
戦争は長く続き、兵達は平和ボケしていたのかもしれない。恐らく蜂起した王政派の彼らは、誰よりも大局を見ていたのだ。要望を何も伝えることができないまま鎮圧されたというのが、悲しい話だ。
「動かない兵士達に変わって、義勇兵を募ってそれを鎮圧したのがリカちゃん。その義勇兵が正式な部隊と認められて、いつの間にか国軍を名乗るようになって、そこからはまあ色々。そのへんは本人から聞いたほうが分かりやすいんじゃないかな?」
知識と経験と計算だけで、そこまでできるのだろうか。
正式な兵士となれば、その戦闘力は伊達ではない。アリシアほどの者は居ないにせよ、それは一般人が相手できるほど弱い存在ではないはずだ。
「その義勇兵って、皆銃で武装したみたいでね。当時は『都合よく銃を扱える人間が集まるはずない』ってリカちゃんによるヤラセ説まであったくらいだけど、宰相になってからは落ち着いてるね。流石に、イカサマだけで地位を上げられるほど、国ってのはヤワなシステムじゃないってことかな?リカちゃんのことだから、逆らう人間全部殺したとか言っても、まあ驚けないけど」
「どんな銃を使ってたかとかは?」
「知らないなあ。ただその情報が回ってない以上、ハジメみたいに変わった銃を使ってるわけじゃないと思うよ?」
この世界の銃で、はたして兵士のクーデターを鎮めるほど効果的な使用が可能なのだろうか。
銃について完全に無知ならともかく、既にこの世界には存在しているのだ。それなりの速度で連射のできる、雷管式のマスケットが。
「クーデターの主犯を含めて、反乱を起こした人は皆現場で死んでる。死人に口なしって言うから、まあ可能性は0じゃないと思うけど」
「……義勇兵の死者は?」
「確か、参加したのが70人。どれだけ死んでどれだけ抜けたかは知らないけど、正規部隊として認められた時には、20人も居なかったはず」
相当数減っている。あちらの世界から来た人間を集めて組織した可能性も考えたが、それは見当違いかもしれない。
アリシア以下の一般兵に、あちらの世界の銃がどれほど有効なのかは、まだ分からないが。
それに、過去のことだけではない。
現在、いや、未来だ。近い未来、自分もこの世界の人間に銃を向けることになる。
その時にどうしたら当てられるのか。どうしたら自分は死なないでいられるのか。それを考えなくてはいけない。
ゲーム内で生きることをやめ、一方的に撃った後はすぐに死んでいた。責任感から逃れていたと言われたら、そうなのだろう。
しかし、この世界にリスポンはない。死んだらそれで終わり。もがいて生きるのは、WASDの4つのキーで操作できるゲーム内のキャラクターではない。今ここに生きる、自分なのだ。
どうやって生きるか。そこまで下條理科は教えてくれない。
下條理科は、指揮者だ。演奏するのは彼女でない。
「ジゼルはさ」
「ん?」
「俺、どうしたら生きられると思う?」
思考が行き詰まって、口から出ただけの言葉。
別に、答えを求めているわけではない。
「銃を捨てて、慎ましやかに生きれば?」
「……やっぱ、そうだよね」
「『人を殺すことのできる人間は、いつか人に殺される』、まあ、親父の言葉なんだけどね。ハジメは、絶対に死なないアリシアじゃない。この馬車から落ちたら死ぬ程度の、弱い人間。そんな人間、戦場に出るべきじゃないんだ」
「……けど」
否定をしないといけない、そう感じたから声が出た。
しかし、上手い言葉が浮かばない。即興でそんな話ができるほど、できた人間ではないのだ。
そして言葉が出るより先に、ジゼルが続ける。
「けど、死なない人間なんてありえない」
人は、人である限り、いつか死ぬ。
それが早いか遅いかというだけの話だ。
「ハジメは死ぬ。けど、戦場に出なくてもいつか死ぬんだよ。アリシアに聞いたけど、ハジメは躊躇いなく人を殺せるんだってね。少なくとももう2人殺してる。……すごいや。あたしには、できない」
「ジゼルは、人を殺したこと、あるの?」
そう問うと、ジゼルは俯いて数秒。
「うん」という声と共に、顔を上げる。
「あるよ。14人。全員の、名前も顔も、最後の言葉も思い出せる」
「いやに多いようだけど」
「……そう思うよね。この国では、審判を下した神官が、罪人を裁かないといけない。あたしは家を継いだわけじゃないけど、家業として殺した。死刑執行人が神職を兼ねてるんだよ、おかしなことにね」
国の、宗教的なことは分からない。異常と言われれば異常と感じるし、そういうものと言われればそうと思える。
どうなのだろう。
未だに人を殺したことがない兵士と、14人殺した神官。
それは、この世界として正しいのだろうか。それとも、間違っているのだろうか。
「他者の死を引きずらない君を、冷たいって言ってるわけじゃない。あたしに言えることは1つ。ハジメは、ハジメと同じように、他人を殺しても何とも思わない人に殺される。それでも、ハジメはリカの元へ望む?」
今度はこちらを向いて、ジゼルは言った。
冗談で言っているようには思えない。これは、問いかけだ。
答えの分かっている疑問視ではなく、回答をこちらに求めている。それに正解も不正解もない。この世界に来てしまった時点で、不正解なのだから。
「会うよ」
「……そっか」
そう呟いた彼女は、少し寂しそうだった。
「行かないって言ったら?」
「適当な町で置いてって、リカには『気付いたら居なくなってました』とでも言うかな。そう言われたらリカはきっと、ハジメを探せなんて命令は出さない。ホントかウソかは関係なく、次の人を探すだろうね。覚悟のない人間は要らないって言って」
いつか自分も殺されて、その時は後悔もするだろう。だが、それは最善を尽くせなかったことへの後悔であって、ここで選んだことへの後悔ではない。
人を殺し、殺される、そんな道を選ぶことに、後悔などなかった。
自身が、必要とされているのだから。
「俺を必要と思う人間のところに、連れてって。後のことは、それから考えるかな」
「りょーかい、それがあたしの、今の役目だからね」
馬車は走る。そして8日後、王都へ到着する。




