5、やんちゃ雪男と泣き虫雨女
時節柄のお話かも。
あのスクリーンみたいのの正体は、後日、親父の呟いていた言葉で判ってきた。
鑑定用のスクリーンだった。
畑に向かって、よく開いては満足げに頷いている。
所有するブドウ畑の収穫の度合いを確かめているようだ。
このエドッコォの領地のほぼ半数がブドウ畑、残りが小麦を育てている。だから、今までの水の量でもなんとか賄ってきたのであろう。
ただ、水を確保するための手段がワインとの等価交換だったから、毎年、相当量のワインが消えていったようだ。
だから当然のように貴族として王都での貴族社交界にデビューするということには一切参加できていない。この辺りの辺境国は同じ状況下にあったから、エドッコォ家だけの話では無いが。
現在の領地の中の溜め池の貯水量は、八割を保持しており飲み水や家事洗濯へと使用されている。
長期の渇水を乗り越える手段として水は何段もの鉢に分けられ、さらに下段へと溜まりながら流れることで、細い流れでも有効利用できる回数を増やしていたようだ。
俺は産まれて半年、ようやく、這い這いが出来るようになった。
扉を開けるというハードルは高いが、横に移動できる手段が出来たのは素直に嬉しい。
最近は、アトリというメイド見習いが来るのを隠れて待って、扉が開いた瞬間に猛ダッシュ。
くぐり抜ける手段を取っている。
何度か、試したのだが、今のところこの手段が抜け出せる確率が一番高いのである。その際、スカートの中に入ることもあるが、暗くてよく分からん。
「きゃあ、また?」
うまく部屋を抜け出すと、家具の隙間を縫って移動。
目指すのは、親父の書斎では無くて意外かもしれないが、俺の部屋のすぐ隣の納戸。
魔術書が無造作に置いてあるのだ。
ずいぶんと古いものらしく、俺のほかは誰も読めないようで、絵本代わりに読んでいるように見えているらしい。
漢字交じりの学術書で、前世で生存当時のニッポン州では漢字検定が国際選手権にまでなっていたのだが、常に上位ランクに顔を出していたため、この古い魔術書でも問題なく読めた。
問題は、この国の言葉が日本語で漢字は貴族以上で無ければ読めないと言うことくらいか。
その貴族でも漢字の旧字体には手が出せないと言うことらしい。
「また、ここですか、セトラ様?」
ぷんぷんという言葉がぴったりなくらいに膨れたアトリが戸口に立っていた。
「う゛ぁぶ、ぶーう」
思いっきり、頷いた俺に、ため息一つ。
「はぁ……、お昼のミルクはこちらにお持ちしますね。そ、れ、と、私のスカートの中を通り道にしないでください。いいですね!?」
呆れていた顔が突然、夜叉になったのを見て、ちびりそうになった。
今度やったら、命懸けかもしれん。
だが、あの通り道は、部屋の扉が開き、閉まるまでの数秒しか無い。外すと、扉に激突して目を回す。
それは痛いのだ。部屋中、転がりまくるほどには。
こうなったら、いま読み進めている魔術に成功するしか無い。
それまでは、知らんふりして、特攻しようか。
いま、読んでいる本は、『転移魔術の書』という背表紙を持っている。埃を被っていたから、親父の父も母も読めなかったんだろうなと推測できた。転移する場所の安全を確かめるためにも、一度はその場所に転移以外の手段で訪れなければならない。
マーキングという行為に似ている。
最近は今のところ、天気は普通に晴れたり、曇ったり雨降ったり俺は何も操作していない。
なぜなら、台風が居座っているからだ。目の前に…。
親父の従兄ワガ・レキシ・ワダンスの愛娘、二歳年上の従姉のワガ・コヨミ・ワダンスが子守と称して、俺の行くところかまわず付いてきてはすぐ側に鎮座していた。
「セトラちゃん、よろしくね」
という初対面での挨拶で、なぜか鳥肌が立った。
その日が雨だったから、そのせいかもしれない……、そう思っていた。
だが、俺の家に来るたび、天気は雨になるのだ。
いくら、俺が操作していないとしてもそれは、絶対におかしい事だった、そして、気付いた。
雨の気配に。
彼女、コヨミには膨大な魔力が埋蔵されていることに気付いた。
それも俺に匹敵するくらいの…。そして、雨に愛されていた。俺と同じくらいに……。
でも、本人にその自覚は無く(まだ二歳じゃねぇ…)、雨は嫌いと泣くのである。
俺の家では、外で遊べなくなるからな。で、雨達は慰めようとする、癒やしの雨で。
そして、コヨミは、また泣くということを繰り返していた。
いい加減に鬱陶しくなった俺は、つい、使ってしまった……雪の魔法。
「う゛ぁう゛、う゛う゛ぁぶ」
発動した日は冬に向かっていたある日の朝の事。
魔法の下地はコヨミの降らせた雨。
放つは、意思ある言葉とイメージ。
「う゛ぁぶ、ぶーぶぅ、う゛ぁう、う゛ぅ、ぶぁう゛、ぶー、ぶぉう」
その日、領民達は忙しかった。
昼近くに雨が、みぞれに変わった。
冬に向かっていた時期だ、あり得ない事では無かった。
そのみぞれは、霰に変わった。
雹に変わった。雷も鳴った。
淡雪に変わって、牡丹雪に変わった。
そうこうしているうちに吹雪いた。
本格的な冬かと、覚悟した瞬間、唐突に晴れた。
あ然とする領民の目の前に見た事も無い様なでっかくて綺麗な虹が、雪に覆われた大地に架かっていた。
「セトラ、あなたでしょ! 何やってんの!」
魔力の流れに気付いた母上に大目玉を食らった。
「あはははははははは、すごいすご~い」
コヨミは、笑い転げていた。
コヨミとの出会いだった。