19, 真実の瞳Lv2
「永らく、お待たせしたようで申し訳ない。魔王殿」
タクラム・チューの皇帝シャッカン・ポゥが、ボソボソと告げたものを近侍のコンボウ・サムが声高に告げる。
「………」
シャイナーが魔王として、睥睨する。
数多の政治家とやり合った経験が蘇ってしまった現在の彼に臆するものなど無い。彼に対抗できる唯一の存在は現在、彼の味方としてその側に居るのだから。
「いや、残念だったな、タクラム・チュー皇帝よ。売り切れてしまった、済まない」
今張られている結界を丹念に見ながら、そう、口にする。
これだけの結界を張ることを優先していれば、巷間の噂など入ってくるまい。
かつての自分の欠点を見せつけられていて、どうにも居心地が悪かった。
ヒリュキは困り笑顔だ。どうも、彼も気付いているらしい。
「私が魔王のサンサイド・シャイナー。」
魔王側の名乗り。シャイナーの名でピクリと動きを見せた者がいる。
「彼は私の古き友、ヒリュキ・サト・スクーワトルア。」
この言葉で、また、ピクリと動く者がいる。
「そして、こちらが、スクーワトルアの宰相、タク・トト・トゥル。」
この言葉でも、身じろぎをする人物が……、複数あった。
「「床暖房」の工事責任者のエト・セトラ・エドッコォ。私でも工事の順番待ちだ。」
「床暖房」に反応多数。「エト・セトラ」に考え込むような顔をした者一人。「エドッコォ」の名に反応する者は多かった。
「エドッコォって、あの……………」「そうね、あの……」
ささやき声が聞こえる。さざ波のように、そよ風のように。
「亡国の王子の子か……」
聞こえよがしに呟いた彼の声は、静かに皇帝の間に響き渡った。
「そうだね。その通りだよ。擬の人。」
俺が認めることで侮ってくれるのなら、これ以上ないほどの結果を計算できるね。
ヒリュキもシャイナーも微かに身じろぎした。いや、肩が震えている。笑っているのだ。
何を掛けた言葉にしたのか分かったらしい。そう、魏・呉・蜀の話だよ、雁擬くん。
魔王の言葉を受けて皇帝の家族であると紹介された者たちの中から、歩み出してきた者がいる。
確実にシメなければならない存在と、こちら側が認識している当の本人である。
鴨ネギ……、魔王様以下一同がそう思ったことに非は無いであろう。
「シュッキン・ポゥである。父に代わって、一言申し上げたいが宜しいか」
出過ぎた行為だが、皇帝はそれを許しているのだろう、近侍の言葉に鷹揚に頷いている。
だが。
「誰だね、君は。魔王である私に合う格をお持ちなのかな?」
それは、暗に皇帝としての格、魔王としての格、それに匹敵しているのかと問い掛けていた。
「今、私と共に在ることが出来るのは、魔王である私がその格を認めた者たちだが、君は何を提示するのかね?」
地球連邦初代主席として君臨したサンサイド・シャイナーがそこに重圧を伴って存在していた。今までの魔王という名を持つだけの二歳児の、幼き殻を脱ぎ捨てて。
「う……、ぐぅ」
重みの増した空間に、シュッキン・ポゥの口は縫い付けられたように苦鳴しか出せないでいる。
皇帝ですらも、顔を顰めている。だが、やがて皇帝がしっかりとした声で告げた。
「魔王よ、オヌシ、変わったな」
「ふん、変わらざるを得ない状況になれば、お前も変わるさ。」
あり得ないほどの砕けた様子で話す魔王に、タクラム・チュー皇帝が目を剥く。
「いったい、どうしたという事なのだ」
「お前、こういうことが一番嫌いだって話していたって言うのに、な。まだ気付かないのか? お前もヤツと出会って変えられたクチだろう? ウェザードのアイツに……。」
「ウェザード? 魔法士ではなく? 気象? ……あ。」
「………確かに、ヤツに変えられたクチだよ、………俺も………………、『サン』サイド・シャイナー。」
魔王という呼びかけではなく、サンサイド・シャイナーと呼んだ彼。
だから、エテ『ルナ』夫人はここに来たのだと今、皇帝たる彼が気付いた。
そういうことか、いままで節穴だったな。私も………。
「控えておれ、シュッキン・ポゥ。この程度の重圧に屈しているのでは、お前に、魔王に会う資格は、まだ存在しない。そして、次期皇帝ということを画策することも、な。
今までの私は、お前に甘すぎたようだ。」
そこまで話したとき、魔王の横にいる同じくらいの年齢の子供がにこやかに頷いているのに気付いた。このシャイナーの発する重圧の中で、そんな風に笑っていられる存在など、二人しか知らない。
二代目の連邦主席殿……か。
ふむ、リンクしたままか、ヒリュキ。全部、こっちにまでただ漏れじゃないか。
皇帝様の正体にも、ようやく気付いたよ。
「ようやく気が付いたか、ラムダ。……ご褒美だ、ほらプリン。」
皇帝の目の前に差し出した手の中にガラス皿に載ったプリンを取り出す。出現したそれを凝視したかと思うと、恐る恐る受け取ってスプーンで一口。
「この味は………………、まさしくプリン。……って、お前は!」
「久し振りだなぁ、いじめっ子だった村田ラムダ君? フラレンチ・トゥストもあるが、いるか?」
「その言い方は、確かに気象魔法士のセトラだ…。…ったく、古傷をえぐりやがって。フラレンチ・トゥスト?」
「アハハハ、俺たちが来た理由は察しが付くだろう? そういうこと、さ。三代目。」
「フラレンチ・トゥストとはこれか、懐かしい味だな。 三代目? ああ、そういうことか判っているよ、シャイナー。」
シュッキン・ポゥの目の前で、ほぼ自分の傀儡として存在していた皇帝は、魔王と同じ重さを醸し出し始めていた。
絶対なる存在として。
「ち、父上………」
突然、自分の手のひらより飛び立ち、遙かな高みに登った今までの皇帝の姿に、驚くよりも唖然としていた。
なにが、何が起きたというのだ。
ただの駄馬だと思っていた馬が、いきなり羽を生やして天馬になったかのように、今はシュッキン・ポゥの遙かな高みを悠々と駆けていた。
それは絶対に許せなかった、今このときではなく、もっと前にその背中を見せつけて欲しかった。だから、許せないのだ。
「判りました、出過ぎたことはお詫びしましょう。ですが、既に結界は閉じてしまいました。こちらの方々には、この国での生活を保障する以外に償いは出来ませんよ」
「ぬ? 結界? なんの結界を構築していた? む、これは、金剛胎蔵曼荼羅結界! 現界幽界多重式か?」
このぼんやり皇帝がそんなことまで把握できるとは……、意外だ。
「ほお、曼荼羅結界の現界幽界多重式とは。ずいぶん破格なものを奢ってくれたな?」
「もはや、我らですらも割り符無しでは出ることは敵わん。」
どこのネズミーランドだ?
「だとさ、セトラ。」
「また、俺か?」
『主様、某どもも結界内に封じられたようでござる。爪が通らないでござるよ。ただ地上人に変化するには問題ないでござるが……』
「コーネツ達も閉じ込められたようだ。」
「そこまで、強い結界か? これ?」
素直に感想を言っただけなのだが、シュッキン・ポゥに睨まれた。
「な、何? たわ言もいい加減にせよ!」
「だって、空気は出入りしているだろ?」
風が通り抜けているのだ。それに、俺の魔法は………。
「ああ、微細な穴が開いているが、この空間の支配権は私に。このシュッキン・ポゥの意思のままになっている。簡単に行くと思うな!」
俺の突つきで怒りをあらわにするシュッキン・ポウだったが、俺の仕草に声を失った。
「そ、それは?」
俺は、人差し指を立てたままの軽い握り拳で天井に向け、クルクルと回していた。
その立てたままの指先に集まってくるのは、風。回すたびに一巻き、二巻き、と増えていく。
そこに俺は意思を、望みを乗せるだけだ。
「風よ、疾(速)く散りて、癒やしの雨を呼べ」
「止めよ、その術を為させるな!」
既に手の者と入れ替わっていた近侍の者たちに命を下す、シュッキン・ポゥだった。
「はっ!」
が、いくつもの風の渦に取り囲まれていたために、その言葉を聞いて動こうとしたシュッキン・ポゥの手の者たちも散逸する風の渦に近づけないでいた。
「うわっ、風が……」
「結界面認識、層転移で固定強化、広いな……、装転移を並列発動。よし、崩れは無いな。後は時間か……。ブースト展開……、颯転移!」
結界とやらで囲ってしまった空間は、解除すると切り離されていた空間に帰着、固定に何秒かを消費するのだが、それは結界によって切り離されている時間が多ければ多いほど帰着時の衝撃が大きく、その空間には崩壊の恐れが出てくる。
これは、俺が使用している層庫が空間を切り取っているために発見できた法則だった。
完璧な結界ほど、その衝撃は激甚だ。
いまはまだ、結界によって切り離されるまでに時間があった。
それほど巨大なのだが、今は俺の層転移と装転移を並列起動することによって、この星の時空間にへばりついているところ、癒やしの雨による結界解除までの時間をひねり出すために風の渦によるパワーで颯転移を発動していた。
もし、転がり出したら、この大きさでは戻ってはこれない。
何も知らないで、術を発動させるとは……、ガキめ。
時空から切り離されようとしている結界の中では、外の景色は変わらない。昼なのか、夜なのか。晴れているのか、雨が降っているのか、判らない。
だが、一人だけ、俺の他に一人だけ、真実の姿を見られる者がいた。
ぽつっ。
ぽつっ。
ぽたぽたぽたぽた、さーっ。
「セトラ、降っているぞ。」
「ああ、そうだ。良かったな、ヒリュキ。心置きなく、会えるな」
「ああ、ありがとう……、セトラ」
「ふふっ、そうね、ありがとう。久し振りだね、ヒリュキ君」
「うわっ、え、え、あ……、パット……………」
驚きながら、振り向き、絶句するヒリュキに非は無い。
明るい栗色の髪をポニーテールにし、タクラム・チューの国装である袖無しドレスがひどく似合っていたのだから。
俺は、ヒリュキの後ろから彼女が近づいていたのは分かっていたが、黙っていた。
だって、そういうものだろう。




