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(7) 聖暦一五四三年一月 迫り来る会戦

 聖暦一五四三年一月九日。


 パーヴィリア軍はエーケダールからごく近い地に到着した。

 まだ日は高く、今日中にエーケダールへ到着するのも可能だ。

 しかし、今日は行軍をここで留めて疲れを癒し、明朝に出撃することとなった。


 パーヴィリアとアズヴァーラが戦ったのは、初めてのことではない。

 過去に何度も小競り合いがあった。

 エーケダールも戦場に選ばれており、約百年前のパーヴィリア第二代国王の御世、双方が数千の兵を繰り出して戦っている。


 エーケダールは人間と氷竜人の居住圏の境にあり、なおかつ大軍を動かしやすい平野であることから、会戦の地に選ばれやすかった。

 パーヴィリア王国もアズヴァーラ王国もない時代から、氷竜人と人間の関係が悪化するたびに、この地で会戦が行われている。


 第一次エーケダールの会戦は聖暦七三八年のことで、実に約八百年も前のことだ。

 明日に行われようとしている戦いは、歴史的には第六次エーケダールの会戦と呼ばれる。


 しかし、後世の人々はエーケダールの会戦と聞くと、この会戦を想起する。

 なぜかというと、実に簡単な話であった。

 戦いの規模、後世に与えた影響、そして、戦死者の数がこれまでの戦いとは比較にならないほど、大きかったからだ。


 パーヴィリア軍の兵士達が野営するために、賑やかにあれこれと働いていた。

 そんな中、赤毛の長髪を後ろで束ねてなびかせた麗人が側近、従兵を連れて、緩やかに馬を進めていた。

 一見、美青年に見える彼女はナターリエ=バレシュ=ディーチェ。

 名門であるディーチェ侯爵家の令嬢だ。

 二十四歳にして、王軍最高幹部の一人である第二魔術士団長で、ヨナーシュ王の天幕を目指していた。


 彼女は憂い顔を兵士達に向ける。

 明日になれば、会戦で多くの者達が果てるだろう。

 現在、パーヴィリア軍は優勢であった。

 保持する戦力において、改革に改革を重ねていたパーヴィリア軍は、アズヴァーラ軍より勝っていると彼女は考えていた。

 それに加えて、グルードゥスとヴァステノスが当方に加勢するのだ。

 よほどの事がなければ、勝利するだろうと考えていた。

 しかし、勝利は戦死者ゼロを意味するものではない。

 アズヴァーラが強敵であるのは間違いなく、彼ら彼女らは氷竜人の誇りにかけて、戦い抜くだろう。

 彼女は軍人であり、平和主義者ではない。

 強大な魔術の力で、賊や魔物を容赦なく屠ってきたのだ。

 されど、生来持つ彼女の優しさが、これから生まれるであろう犠牲を想い、憐憫の感を抱いたのであった。


「閣下、どうかされましたか?」

 二歳年上の側近であるレオニールが彼女に声をかけた。

 レオニールはディーチェ侯爵家に代々仕える家の出身で、彼女が篤実さと有能さを見込んで側近にしていた。


「いや、軍議について考えていただけだ。気にすることはない」

「かしこまりました」

 彼は納得しきっていないようだったが、敬愛する主の言葉に従い、馬の歩みを数歩下げた。

 ナターリエは再び、思考の海へと潜った。


 ◇  ◇


 ナターリエが第二魔術士団長の地位についたのは二年前であった。

 二年前、前王の時代から就任していた前任の第二魔術士団長が、軍を引退した。

 前任者は伯爵家の当主であり、魔術の能力はさほどでもなかったが、性格は善良だった。

 名門出身でありながら門地をひけらかさず、驕り高ぶらず、名望は群を抜いていた。

 門地と衆望によって昇進した典型的な例みたいな人だった。


 能力でもって登用するヨナーシュですら、彼を解任しなかった。

 ヨナーシュは果断であったが、待つことを知っている。

 能力が乏しいにしても、人望厚い彼を解任すれば、貴族中心に不満は高まるだろう。

 配慮なき抜擢人事は組織を活性化させる前に、混乱させるものだ。


 だから、時の流れが彼を老いで排除するまで待ち続けた。


 魔術士団は千五百人で構成され、五百人を指揮する連隊長が三人、百人を指揮する大隊長が十五人で構成されていた。

 二年前のナターリエは大隊長に過ぎない。

 連隊長の誰かが昇任すると彼女は考えていた。

 侯爵家出身であるナターリエであったとしても、空いた連隊長のポストに入ることができれば、上出来すぎるくらいだった。


 しかし、ヨナーシュの果断はナターリエの想像以上だった。

 ヨナーシュに呼ばれて密かに二人きりで謁見することとなり、ヨナーシュから、


「予は卿を第二魔術士団長に任命しようと思う。受けてくれるかな」

 という言葉をさらりと言われたのだ。


「……私は大隊長にすぎません。連隊長を飛び越すことになります」

 驚愕を隠し切れず、ナターリエはそう答えるのがやっとだった。


「だが、第二魔術士団の中で魔力は卿がもっとも高い。それに隊を指揮する力も連隊長達に劣っていないのを予は知っている。さらに、卿は名門出身であり、門地を重視する貴族も異論を出せまい。ゆえに、予は卿を任命しようと思う。異論はあるかな」

 ヨナーシュの言葉は自信に満ち溢れていた。

 この時、ナターリエはかなり前から、自分が注目されていたのを知った。


 彼女は返答に困った。

 それらを認めれば、自画自賛することになるからだ。

 また、魔術士団に身をおいたのは実力で自分を認めさせるためだった。

 ここで第二魔術士団長になれば、ディーチェ侯爵家の七光りだと思われるだろう。

 それは、彼女のプライドが許さなかったのだ。


 ヨナーシュは逡巡する彼女を見て、表情を和らげた。


「さらに卿は謙譲の心を持つ。出世のために上官を悪く言ったりもしない」

「……人として恥ずべき振る舞いをしたくないだけです」

「話題をかえるとしよう。卿は魔術士団が現状のままでよいと思うかな? 本心を聞かせてもらいたい」

 ヨナーシュの真剣な表情から、ナターリエは遁辞が許されないことを知る。


「いえ、能力高く功績をあげた者を抜擢する必要があるでしょう」

「予もそう思う」

 ヨナーシュは得たりとばかりにうなずく。


 ヨナーシュが国王に即位してから、人事は門地重視から能力功績重視へと大きく舵をきった。

 しかし、いくらなんでも咎なき者をすぐには罷免できなかった。

 また、貴族は人脈で連なり、相互援助している。

 いくらヨナーシュが能力や功績で引き上げていっても、平民出身では出世に限界があった。

 だが、限界を知り、混乱を招かず、改革の歩みを止めないからこそ、彼は賢王と呼ばれている。


 魔術士団も即位してから十年の時間をかけて、緩やかに改革していったが、未だにヨナーシュが思う最善の形には程遠い。

 ヨナーシュという大器がふるう改革に対して、百年以上の伝統を担う貴族達は頑強に抵抗していた。


 だが、待つことを知っているヨナーシュは天機が到来すると、改革を一気に進めていく。

 第二魔術士団を改革するための天機こそ、今であった。


「卿と予は同じ志を持つのが先ほどの言葉でわかった。卿よ、臆することはない。予が後ろ盾になり、卿の改革を後押ししよう。侯爵家出身だから、という声は必ず上がる。しかし、自分の手腕でそのような声はねじふせればよい。予もそうしたのだからな」


 ナターリエはヨナーシュの過去に思いを馳せる。

 今こそ賢王と呼ばれているが、即位当初の悪名はひどいものだった。

 即位時、侯爵である父が私邸でヨナーシュを悪し様に罵っていたのを、ナターリエは覚えている。


 ヨナーシュの言葉に嘘偽りはないだろう。

 これまでの実績からして、必ず自分を支えてくれるはずだ。

 ナターリエは自分でも決断力はあると思っていた。

 しかし、ここで昇進を受け入れることによるデメリットを考えると、決断に踏み切れないでいた。

 連隊長達、自分よりも先任の大隊長達の多くが妬み、嫉んで敵となるのだから。


 思い悩む彼女にヨナーシュは、


「ナターリエ=バレシュ=ディーチェよ、天与の機会は二度もない。卿が決断しきれないのであれば、予は次善の人材を選ぼう。今この時を逃せば、次はないのだ」

 と、厳正な口調で述べた。


 ナターリエは、はっとする。

 この昇進を辞退すれば、別の者が昇進するだろう。

 自分よりも魔力に劣る者が……

 そうなれば後悔するだろう。

 必ずやきっと……


 そして、ヨナーシュが言うように次があるのだろうか?

 この昇進を辞退すれば、ヨナーシュの不興を買うだろう。

 また、軍人である自分はいつ戦死するかもしれない。

 昇進を拒んだがゆえに、新しい上司の理不尽な命令を受けて、戦場に骸をさらすことになれば、愚か者であろう。


 ナターリエは決意を顔に表して、


「迷っていた私が愚かでした。陛下にそこまで言われなければ気づかないほどの愚昧な私ですが、陛下のご決心が変わっておられなければ、第二魔術士団長に就任いたします」

 と、よどみなく応えた。


 ヨナーシュは破顔一笑する。


「よくぞ決心してくれたな。無論、予の気持ちは変わらぬ。卿を第二魔術士団長に任命する。予が後見するゆえ、思う存分、改革するがいい」

「かしこまりました、陛下」


 こうして第二魔術士団長、ナターリエ=バレシュ=ディーチェが誕生した。


 ナターリエに正式な辞令が下されると、第二魔術士団内部は大混乱に陥る。

 団長の後継本命と思われていた最先任の連隊長は激怒した。

 四十六歳で子爵当主だった彼は、ナターリエに決闘を申し込む。


 ヨナーシュが決闘を認め、ナターリエは決闘において数分で彼を倒した。

 ナターリエにしてみれば、自分の権威を打ち立てるためには絶好の機会であった。

 ゆえに一切容赦しなかったのだ。

 決闘に立ち会ったヨナーシュは満足げな表情を浮かべて、


「予の人事に不服がある者はナターリエに決闘を申し込むがよい。ただし、その行動に責任をとることだ」

 と、厳かに述べた。

 敗北した連隊長は解任された。

 解任後、彼は領地へ帰り、王都に戻ることはなかった。


 もう一人の連隊長は自ら辞任し、三人目の連隊長はナターリエに従うのを誓った。

 それから、ナターリエは人事の大刷新を行う。

 能力、功績によって、連隊長、大隊長を選定した。


 パーヴィリアは他国との戦争はなかったが、賊や魔物との戦いは数多い。

 彼女は戦いを通じて、部下の能力を見極め、人事を動かしていく。

 アズヴァーラ王国に宣戦布告された際には、第一魔術士団よりも実力が上ではないかと謳われるほどになった。

 今では、彼女をディーチェ侯爵家の七光りだと言う者は誰もいない。


 ◇  ◇


 カミルは王位継承権を放棄した現在、王族ではあるが一介の大勲爵士にすぎない。

 本来、ヨナーシュの天幕で行われる軍議に出席する資格はなかった。

 しかし、ヨナーシュは侍従の一人として出席するよう命令し、カミルは恭しくそれを受け入れた。


 カミルは父のアーモスから目立ちすぎないよう釘を刺されていたが、情報を集めるのも重要なことであった。

 軍の最高幹部が列席する軍議に出席すれば、軍部の現状をつかめよう。


 カミルは軍議を行う部屋に入ろうとした時、ヨナーシュの息子であり、いとこにあたるルジェクとミクラーシュにすれちがった。

 ルジェクは十八歳、ミクラーシュは十六歳であり、十七歳のカミルとほぼ同い年だ。


 ルジェクはヨナーシュが十八歳の時の容貌によく似ているといわれている。

 ミクラーシュは目が少し垂れていて、おっとりとした風貌で母親に似ていた。

 二人の母である王妃はミクラーシュを産んだ後、亡くなっている。

 なので、現在は側室がいるものの、王妃はいなかった。


「カミル、お前はどうしてここにいる。軍議に参加できるような身分ではないだろう?」

 ルジェクはつっかかるような物言いであった。


「陛下の命により、侍従の一人として参加いたします。発言権はありません」

 カミルは淡々としていた。


「父上の命だと……」

 ルジェクは不機嫌そうな表情を浮かべる。

 カミルはそんなルジェクを観察していた。


 ルジェクは文武の修練に懸命だときいている。

 しかし、惜しむらくはどちらにも天稟がなかった。

 それゆえに、カミルの長兄や次兄はルジェクの力量を追い越さないよう、父であるアーモスから念をおされているのだ。


 カミルがみるに、父であるヨナーシュがあまりにも巨大すぎて、その存在がルジェクにプレッシャーをかけているように思える。

 偉大すぎる父に追いつこうとして潰れてしまう人間は多いものだ。


「フン、一度手柄をあげたくらいでいい気になるなよ。分をわきまえるようにな」

「承知しております、ルジェク殿下」

 頭を下げたカミルにルジェクはすさんだ視線を浴びせる。


「ならばよい」

 ルジェクは足早に過ぎ去っていく。

 頭を上げたカミルにミクラーシュは小声で話しかける。


「久しぶりだね、カミル。この戦いが終わった後でゆっくり話でもしたいな。王族としてではなく、いとことしてね」

「御意のままに、ミクラーシュ殿下」

「それじゃ。兄上を追いかけないといけないから」

 ミクラーシュはルジェクの後を追っていった。


 ミクラーシュは剣技にも学問にも力を入れていない、カミルはそう聞いていた。

 しかし、先ほどの態度は余裕を感じさせるものだ。

 凡庸な第二王子、そういう世評を鵜呑みにしない方がいいかもしれない。

 少しつっこんだ話をしてみる価値がありそうだ、とカミルは思った。


 ◇  ◇


 パーヴィリアの王軍は以下のような編成であった。


近衛師団・騎歩混成(三千) ヨナーシュ国王直属

      カシュバル=アンドルシュ=ハルヴァート(五十四歳)将軍・伯爵当主


第一師団・歩(二千)ヴェストル=ダンヘル=フリドルフ(五十五歳)将軍・伯爵当主

第二師団・歩(二千)トマーシュ=ファルスキー=グロシェク(四十八歳)将軍・子爵当主

第三師団・騎(千五百)レネー=ハヴェル(二十五歳)准将・準男爵当主

第四師団・歩(千五百)カラン=ヤクル=カーブルト(二十七歳)准将・準男爵当主


第一魔術士団・歩(千五百)マヌエル=アレクサ=ドラーベク(三十六歳)魔術師長・男爵当主

第二魔術士団・歩(千五百)ナターリエ=バレシュ=ディーチェ(二十四歳)魔術師長・侯爵令嬢

後方支援連隊・歩(千人)ワリス=チペラ=ハイニー (四十五歳)准将・大勲爵士


 ミロシュの後見人でもあるハルヴァート将軍が将軍首席であり、事実上の副司令官であった。

 ヨナーシュ即位時は、将軍、准将、魔術師長の全員が男爵以上の爵位を持つ名門出身者で占められていた。


 しかし、十三年の月日をかけて、混乱を招かないように少しずつ能力を持つ若者を抜擢していた。

 第三師団のレネー=ハヴェル准将、第四師団のカラン=ヤクル=カーブルト准将、後方支援連隊のワリス=チペラ=ハイニー准将、そして、第二魔術士団長のナターリエがその象徴だ。

 また、連隊長、大隊長クラスにも下級貴族、平民がかなり抜擢されている。


 その結果、賊や魔物相手の戦果が飛躍的に上がっていった。

 これまでは平民であれば、功績をあげても昇進に限界があり、ほとんどが中隊長どまりであった。

 大隊長に昇進できるのはほんの一握りといってよい。

 しかし、今では大隊長、連隊長、准将への道が開かれ、叙爵される人数も大きく増えた。

 努力すれば、奮闘すれば、報われる。

 これまでとやる気が違って、当然であった。

 ナターリエが自軍の強さに自信を持っていたのは、こうした改革が成果をあげているのをよく知っていたからだった。


 今日の軍議には上記のメンバーに加え、ルジェク、ミクラーシュの両王子が参加していた。

 それと、壁近くで立っているカミルを含む侍従数人がいる。


 ヨナーシュが第一声を発した。


「グルードゥス様、ヴァステノス様が味方してくださった事により、当方の魔術防御力は大きく高まった。距離をとって魔術の打ち合いとなれば、当方が確実に勝利する。敵方を支援する天使達の理力がこちらよりも早くなくなるからだ。ここまではよいな?」

 ヨナーシュが列席者を見回すと、誰もがうなずいた。


「アズヴァーラ軍とて人がいないわけではない。そんな事は百も承知だろう。ゆえに、敵方は間違いなく突撃してきて乱戦に持ち込もうとする。そうなれば、天使の支援理力はあまり意味を持たなくなり、軍団の打撃力で勝敗を決することになるからだ。そこで当方の陣立てだが、中央に諸侯軍を配し、王軍は左右に分かれることにする」

 ヨナーシュはそこで言葉をきると、何人かが表情をしかめた。


「フリドルフ将軍、何か意見があるようだな」

 ヨナーシュはこの中で最古参であり、第一師団を率いるフリドルフ将軍を指名した。

 フリドルフ将軍は武門の名門出身であり、威厳と風格を万人に感じさせる。

 貴族としての誇りは極度に高かったが、それに比例するだけの指揮力を備えていた。

 ゆえに、ヨナーシュは第一師団の将軍に任命していたのだ。


「アズヴァーラは強兵の国。おそらく、ブローム公かダールマン公が先鋒となるはず。そうなれば、諸侯軍では支えきれぬ恐れがありましょう。最悪の場合、中央を突破されて四分五裂となりますぞ」

 シードル=ブロームやオーヴェ=ダールマンの武名は、パーヴィリアでも広く認知されていた。

 フリドルフの低くとおる声が席上を流れていく。


「フリドルフ将軍の意見、あいわかった。グロシェク将軍はどう思うかな」

 ヨナーシュが次に指名した第二師団を率いるグロシェク将軍は両手剣の名手であった。

 四十八歳にしてまだ衰えを見せず、瀟洒な身なりをしている。


「フリドルフ将軍の意見に同意いたします。ブローム公が敵の先鋒であれば、最悪の結果を招くでしょう」

「左様か。ならば、両准将の意見を聞くとしよう」

 ヨナーシュは軽い笑みを浮かべていた。

 両将軍に自分の意見を否定されたというのに、列席者から見て不可解であった。


「怖れながら……両将に同意いたします」

 レネー、カランの両准将はヨナーシュ子飼いといってもいい。

 ヨナーシュがいなければ、ここまで引き立てられることはなかったであろうから。

 それゆえに、反対側に回るのは二人にとって心苦しいことであった。


「そうか、予の案には続きがある。その上で改めて賛否を問うとしよう。諸侯軍の中陣にはカドルツェク公爵の軍をおく。さらにアウグナシオン教団など諸教団の兵団を配置する。おそらくは諸将の言うとおり、諸侯軍の前陣は突破されるだろう。しかし、中陣で受け止めて、左右から我ら王軍が半包囲し、これを殲滅する。どうかな、フリドルフ将軍」


 つまり、わざと敵にある程度まで中央突破させてから、半包囲するという作戦であった。

 うまくいけば、華麗な勝ち方といえるかもしれない。

 しかし、いくつかの危惧がある。

 フリドルフはそれを指摘する。


「公爵と教団の兵団で敵の鋭鋒を支えられますかな。もし突破されれば、後ろに回られ、こちらが包囲されます」

「諸侯軍で頼りになるのは公爵と数人だけだ。教団の兵団は数が少ない。しかし、質はもっとも高い。予は公爵と教団の兵団であれば、支えられると判断した。戦力に限りがある以上、彼らに奮戦してもらわなければ、どのような陣形であれ勝つのは難しいだろう」

「……それはそうでしょうな」

 フリドルフはうなずく。


「陛下、万一、敵も両翼に戦力を集中させれば、いかがなされますか?」

 ドラーベク第一魔術士団長が質問する。

 彼は五年前に三十一歳で第一魔術士団長に就任した。

 飄々とした性格と物言いだが、魔力についてはナターリエ以上と噂されている。


「それはあり得るだろうな。敵も半包囲を狙って両翼に主戦力を配置すれば、こちらの先鋒となる第一師団、第二師団に奮戦してもらうしかない。戦況に応じて、後詰の近衛師団を両翼のどちらかへ動かし、半包囲を狙う。両魔術士団は左右の後方に陣取り、敵に間断なく攻撃してもらうことになる」

「こちらは天使の理力で傷つかず、一方的に蹂躙したいね、ディーチェ団長」

 ドラーベクは不純さを感じさせる笑みを浮かべるが、ナターリエは、


「それが最善だとは思います」

 と、正反対に硬い表情で応じた。


 それからは、軍事的な技術面で細部の検討をしただけで、ヨナーシュの提案は了承された。

 完全なトップダウン形式だ、と横で見ていたカミルは思った。


 ハルヴァート将軍は泰然としていて、ほとんど発言しなかった。

 ルジェクとミクラーシュも同様だ。

 ハルヴァート将軍は恐らくヨナーシュと事前に話し合いをしており、ルジェクとミクラーシュは発言を控えるようヨナーシュにいい含められていたのだと、カミルは推察した。

 それだけ、ハルヴァート将軍はヨナーシュに信頼されていることを意味する。


 この軍議を見ていたカミルには、ヨナーシュの先見性、指導力が強く印象に残った。

 逆にいえば、富強を誇るパーヴィリアといえども、ヨナーシュを欠けば案外もろいのではないかという想いが、カミルの心の片隅によぎった。


 ◇  ◇


 馬上のカミルがミロシュやシモナが待つ陣へ戻ろうとしていた時、すでに夜を迎えていた。

 北国の冬では夜を迎えるのが早い。

 夏だと、まだ夕方にもなっていないだろう。


 各地におかれた灯火がカミルを誘導する。

 ようやく、陣が見えた時、陣の前にはミロシュとシモナが待っていた。


 馬からさっと下りたカミルは従者に馬を預け、二人に声をかけた。


「二人とも待っていてくれたのか」

「ああ、綺麗な星を見ながらね」

 ミロシュはそう言って、夜空を見上げる。

 空には無数の星が瞬き、半月が一つ見えていた。

 現代日本で生活していたミロシュでは見たことがない星空だった。


(遠い、遠いところまできたんだな。明日、僕はこの手を血で染めることになる。罪もない多くの人々を殺す。自分の想いを果たすために、でも……)


 ミロシュはカミルとシモナの顔を見やった。


(そうしなければ、二人は守れないし、僕もまだ死にたくはない)

(そういうことだ、ミロシュ。気張っていくぞ)

 ルーヴェストンの声がミロシュに届く。


(ああ、頼むよ、ルー)


 空を見上げるミロシュの顔を見つめていたシモナが話しかける。


「こうして外で待てたのは、天使様の理力のおかげよ。でないと、かなり寒いでしょうから」

 本来、この地の冬となると極めて寒く、零下十℃をきる。

 しかし、天使達の理力によって、長袖の服を着てちょうどいいくらいの温度に調整されていた。


「それは間違いないね」

 ミロシュは見上げていた顔を戻し、二人へと向き直った。


「明日の戦い、戦力的にはこちらが優勢だ。しかし、戦いでは何が起こるかわからない。俺たち三人は力をあわせて生き残ろう」

『俺もいるぞ』

 カミルの言葉に対して、茶化したような念をルーヴェストンが三人に飛ばす。


「そういや、いたな」

 カミルは素っ気ない。


「それに一緒に戦えるかどうかはわからないけど、サララもいるよ」

「援護してもらえればかなり楽になるが、恐らくは敵方の天使相手の戦いにかりだされるだろう」

「そうなんだろうね、残念だけど」

「ミロシュはあたしが守るから、心配しないで!」

 シモナがミロシュを励ます。


「僕もシモナを守るよ。それにカミルもね」

 ミロシュは微笑んだ。


「俺も同じだ。ついでにお前に寄生してる奴もな」

『ケッ、お前達は一応戦力だし、戦い方を教えた弟子でもあるしな。見殺しにはしねぇよ』

「ありがとう、ルー!」

 シモナは屈託もない笑みをルーヴェストンへ、つまり、ミロシュへ向けた。


 その笑みを見て、ミロシュは暖かい気持ちになる。

 三人と一柱は確固とした友誼と絆で結ばれていた。


 まもなく、ミロシュ達は屍が積まれ、血が川のように流れる戦地へ赴くことになる。


 ◇  ◇


 竜人の守護女神であるシャルリーゼが神界から下界を眺めている。

 冷徹さと美麗さが絶妙な割合で混ざった面差しで。


 敵方がグルードゥスやヴァステノスを引き込んだように、彼女もまた外交に力を入れた。

 しかし、利害が一致して同盟を結んだ獣人の守護神であるエルヴィオは、イゴル王国の戦いに手勢をとられていた。

 他の神々を口説き落とすには時間が圧倒的に足りなかった。


「アウグナシオンに、このハイグラシアを渡さぬ」

 彼女に残された手段は神力を消費して、異世界から援軍を召喚することだけだ。


 彼女が左手をあげ、偉大な神力がほとばしって、下界エーケダール近くの地に何度も降り注ぐ。


「これでよい」


 会戦時には、彼女が異世界から召喚した竜達がパーヴィリア軍に襲いかかることになる。

 アウグナシオンなんぞに仕える卑小な人間どもが多く死に絶えるであろう。

 見る者に美麗さよりも冷酷さを感じさせる笑みを、シャルリーゼは浮かべた。


 ◇  ◇


 エーケダールを上空から眺めると、アズヴァーラ軍三万五千が北に陣取り、パーヴィリア軍三万二千が南に陣取っていた。

 アウグナシオン、シャルリーゼに限らず、神々の多くがエーケダールに注目している。

 この会戦の結果によって、ハイグラシアの状況は大きく変化するだろうから。


 約七万の命が力の奔流に巻き込まれ、次々と散っていくことになる『エーケダールの会戦』。

 それは明日の聖暦一五四三年一月十日に行われることになる。

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