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(5) 聖暦一五四三年一月 アズヴァーラ王国の内情(後編)

 聖暦一五四二年十一月二十二日。

 国王バルタザールに呼び出され、ワムエル=フェルデイとシードル=ブロームは王宮の一室にて、対面していた。


「ブローム公は従軍し、予を助けて欲しい。フェルディ公はイェスト公と共に留守を守ってもらいたい」

「かしこまりました。アズヴァーラの剣として盾として戦いましょう」

 ブロームは一礼する。

 バルタザールはうなずいた。

 意見を違えたとはいえ、バルタザールはブロームを最も頼りにしていた。

 指揮官としても、武人としても、率いる軍勢の強さにしても。


 ひとたび戦場に立てば、手を抜くことも裏切ることもなく、最善を尽くすだろう。

 積極的に賛成していたレベッカやオーヴェよりも信用していた。

 自分が幼少の頃から剣を、いや竜人としての生き方を学んだ師なのだ。

 老いてもアズヴァーラ最強はブロームだろう、とバルタザールは考えている。


「……私では力になれませぬか」

 俯いているワムエルの表情は冴えなかった。


「いや、そうではない。王都ヴァージェルドと予の妻子を任せられるのはフェルデイ公、……いや、ワムエルだけだ」

 ワムエルを見るバルタザールの面差しが柔らかくなる。

 その言葉を聞いたワムエルは顔をあげ、バルタザールを見つめる。


「票決では意見を違えた。しかし、俺はお前を頼りにしている。王都はイェスト公に任せられるだろう。だが、愛する妻子を委ねられるのはお前しかいない」

 バルタザールにしてみれば、ユーリー=イェストは政敵であった。

 裏切ってパーヴィリアにつくとまではいわないが、全面的に信用できるとはとても言いがたい。

 留守居役に一人は信用できる者を配置する必要があった。

 それには、出兵に反対しながらも忠良篤実なワムエルが最適であった。


 ワムエルであれば、自分を裏切ることはないだろう。

 自分とワムエルは少年時代を共にした親友なのだから。

 一度、票決で意見がわれただけにすぎないのだ。


「……それは」

 ワムエルは口ごもる。

 久しぶりにバルタザールが『俺とお前』と言った。

 それは、彼らが国王や当主というしがらみや利害の衣をまとうまで、よく話していた言葉だ。

 ワムエルに少年時代の優しい思い出を思い出させる。


 だが、本当に頼りにされているのなら、従軍を求められるのではないのか。

 自分を戦場に連れて行きたくないから、もっともらしい理由を並べているのではないか。

 薄暗い疑念がワムエルの心に浮かび上がる。


 現に、隣にいるブロームは従軍を要請されたのだ。

 ワムエルはちらりとブロームを見やるが、ブロームの面貌にこれといった表情は浮かんでいない。


 一度入ったひびに疑念がまとわりついて、ワムエルの表情は精彩を欠いたままであった。

 そんなワムエルを見て、バルタザールは


「事前に相談しなくてすまなかった」

 と一言述べ、ワムエルははっとする。


「二人にはきっと反対されるだろうと思ってな。俺はパーヴィリアへの出兵は必要不可欠だと考えている。それを邪魔されたくはなかったんだ。悪かったな。俺は二人を遠ざけるつもりは一切ない。これまで通り、二人を頼りにしている」

 真摯な声色であった。

 少なくとも、ワムエルにはそう聞こえた。

 わだかまりが完全に消えたといえば、嘘になるだろう。

 だが、ひとまずはワムエルの迷いが晴れる。


「身に余る光栄です、陛下。私は一身を賭して、王都と王妃様達をお守りするでしょう」

「頼もしく思う。……俺はお前に任せれば、安心できる」

 バルタザールが目で笑った。

 ワムエルはそれに応えようとしたが、その前にバルタザールに問いかけた。

 もう一つ抱いていた疑念を確かめたかったのだ。


「この出兵を決めた理由ですが、陛下はパーヴィリアのヨナーシュ王に勝ちたかったのでしょうか?」

 その言葉を聞くや否やバルタザールは笑みを消し、ブロームも首を動かし、ワムエルを凝視する。


 バルタザールとワムエルは少年の頃、何度もヨナーシュについて語り合っていた。

 二人は少なくとも公爵家を継ぐ立場であり、バルタザールにあっては将来の国王候補だ。

 隣国の王であり、賢王とも呼ばれるヨナーシュに注目するのは当然とすらいえた。


 十三年前の聖暦一五二九年、バルタザールが十四歳、ワムエルが十五歳の時、二六歳であったヨナーシュは異母兄を討ち、パーヴィリア国王に即位した。


 国内の政敵であったアプソロン公爵、南の敵国であるイゴル王国への勝利。

 ヤルディラ大森林の大開拓、冒険者らの積極的な登用。

 彼ら二人が少年であった頃から、ヨナーシュは軍事、内政に手腕を発揮していた為政者の一人であった。


 ヨナーシュの為政について深く興味を抱いたのは、ワムエルよりもバルタザールだ。

 バルタザールはワムエルの前でヨナーシュを何度も絶賛していた。


 しかし、長じるにあたり、バルタザールの言葉に変化が生じた。

 ヨナーシュについてあまり語らなくなったのだ。


 少年から青年になり、二人はアズヴァーラの政治に関わりだした。

 そうなると、隣国であるパーヴィリアの王ヨナーシュを別の視点からとらえる必要がある。

 単なる優れた為政者ではなく、事あらば敵対する可能性がある優れた敵手へ、と。

 そうなると、単純に賞賛してばかりはいられない。


 バルタザールは少年の頃から負けず嫌いであった。

 遊戯や試合で勝つことにこだわっていた。

 強い敵を打ち負かすのが大好きであった。


 ワムエルはあの票決から、疑念を抱き続けていたのだ。

 もしかしたら、それらと同じ気持ちをバルタザールが抱いたのではないかと。

 優れた敵手であるヨナーシュに勝つという愉悦に浸りたいがために、出兵を考えたのではないかと。


 もしそうであれば、とんでもないことであった。

 一国を預かる国王が、自分のために国を戦争に導く。

 ゲームや試合と違って、多くの国民が死ぬ事になるのだ。


 ハーレムに篭る暗君よりも罪は重いだろう。

 色欲の犠牲になる者達よりも、大戦で死ぬ者達の方が遥かに多いのだから。


 ワムエルが発した言葉と共に、部屋の中は数秒ほど沈黙が支配していた。

 沈黙の支配を打破ったのはバルタザールの一言だった。


「出兵は竜人とアズヴァーラの未来を考えての決断だ。シャルリーゼ様の全面的な支持に、アウグナシオンへの強い反感、ファバイダンがグナイゼル王国にかかりきりなど、形勢も悪くないゆえにな。予にやましい気持ちはない」

 バルタザールは友に対する純粋な笑みではなく、君主が部下に見せる笑みを浮かべた。

 ワムエルからしたら、その違いは明らかだ。

 いや、ブロームから見ても。


「……不敬な質問でした。お許しください」

「いや、気にすることはない。フェルデイ公に相談なく出兵を提案した予が悪い。他にも存念があれば、遠慮なく言ってくれ。わだかまりをなくしておきたいからな」

「……はっ、かしこまりました」


 バルタザールの顔に張りつけられた儀礼的な笑みが本心を隠していた。

 しかし、『俺とお前』から『予とフェルデイ公』へ戻したことに、ワムエルは気づく。

 だがもう、ワムエルの中からバルタザールを追求する気持ちは消えうせていた。

 これ以上、追求したところで気まずさが増すだけだろう。

 今の状況が変化することはないのだから。

 ワムエルの心中に諦念や失望といった感情がはびこりつつあった。


 ブロームは暗い翳を表情に宿して、かつての教え子である二人からそっと視線をはずす。


「二人ともご苦労だった。細かい打ち合わせは後日行うとしよう」


 ブロームとワムエルは一礼して、部屋から退出する。

 バルタザールは二人が退出した扉を見つめ続けていた。


 即位してからの五年間において、バルタザールはできる限りの改革を行ってきた。

 能力ある者の抜擢、治安向上、開拓の推進など。

 パーヴィリアほどではないにしても、アズヴァーラもまた国力を高めていたのだ。

 そう、ヨナーシュの改革をモデルにして。


 パーヴィリアとアズヴァーラで内情は大きく異なる。

 人間と竜人の違いもあれば、アズヴァーラの方が貴族が持つ力が強かったりもする。

 それをよく承知しているバルタザールは、アズヴァーラにあわせたアレンジを施していた。

 型どおりではなく柔軟な改革を為したバルタザールへの支持は高い。

 役職や利権を剥奪された者達が敵に回っていたが……


 国力が大きく拡大していくパーヴィリアを放置できないのは事実だ。

 だからこそ、レベッカやオーヴェらの賛成を得られた。

 出兵を発表した際の諸侯、国民の反応も悪くはない。

 全員賛成とまではいかないが、多くの賛成を得られている。

 五年間の施政を見てきた国民が、バルタザールを信頼してるのが大きな要因だろう。


 しかし、この機会に出兵するという判断。

 それには、国の繁栄を導いた知性だけではなく、心中にうごめく野心が影響していた。

 軍事に絶対はない。

 勝算があるのは間違いないが、敗北する可能性もある。

 それでも出兵へと後押ししたのは、知性ではなく野心であった。


 多くの国民を死なせるという後ろめたさが、バルタザールには当然ある。

 何人死んでも構わないというほど、彼の人間性は摩滅していなかった。


 それゆえ、ワムエルにされたくない質問をされたバルタザールは、野心の存在を認めることができなかったのだ。

 咄嗟に表情と答えをとりつくろった。


 だが、あの様子では二人に気づかれただろう。

 嘘の下手な自分に対して、年をとるに連れて偽りを積み重ねる自分に対して、バルタザールは自嘲した。


 自嘲した自分に対して、バルタザールは心中で鞭を入れる。

 バルタザールの瞳に活力がみなぎる。


 すでに戦いは始まっていた。

 勝利をつかむためには、動き続けねばならないだろう。

 ヨナーシュ率いるパーヴィリアは強敵であった。

 自嘲する暇などないのだ。


 バルタザールは侍従を呼び、次の行動を開始する。

 アズヴァーラが、自分が、パーヴィリアに、ヨナーシュに勝つために。

 この戦いに勝利すれば、覇王への道が開けるのだから。


 ◇  ◇


 聖暦一五四二年十二月三日。


 バルタザール国王が勇ましい檄を発し、南征軍三万五千の軍勢が出立を開始した。

 一面、雪に覆われた白銀の世界において、アズヴァーラ軍は軍列を組んですすんでいく。


 冬となった今では、寒さに強い氷竜人でも風が強く吹けば、凍えるような寒さだ。

 今日は風強く、本来であれば凍えるであろう。

 しかし、竜人の守護女神シャルリーゼに仕える天使達が、理力で寒さを緩和していた。


 理力の恩恵によって、寒さを感じることなく、軍勢は威風堂々と出撃していく。

 愛しき家族を戦地へと送り出す民の多くが、激励の言葉をかける。


「生きて帰ってくるのよ!」

「絶対に勝つんだぞ!」

「アズヴァーラ、万歳! パーヴィリアに敗北を!」


 見送る民の表情も、声の張りも様々であった。

 それでも共通しているものがある。


 愛する人々の帰還を祈る情だ。


 王都の正門に隣接する城壁上から、出征軍を見送る者達がいた。

 王都留守居役を任されたワムエルとユーリー、その配下達だ。


 ワムエルは気遣わしげに、ユーリーは超然として軍勢を見下ろす。

 ユーリーがワムエルに声をかける。


「フェルデイ公は、我が軍がパーヴィリア相手に勝てると思われるかな?」

 ユーリーの声に暖かみは感じられなかった。

 ワムエルはユーリーへと向き直る。


「……勝たねばなりませぬ。でなければ、国難に陥ります」

 どこか他人事のように言うユーリーに、ワムエルもまた冷たく応じた。


「質問の答えにはなっていないようだが」

 それには応えず、ワムエルは再び眼下の軍勢へ視線をやった。


「機嫌を悪くされたかな。ならば、謝るとしよう。我らはこれから力をあわせて留守を守っていかねばならぬ。ゆえに、公のご存念を聞かせてもらいたかったのだ」

「……こちらこそ申し訳ありませんでした。年長であるイェスト公のご指導を仰ぎたく思います」


 表情を改め、ワムエルはユーリーに対して端然と一礼する。

 王位継承時において、バルタザールを支持していたワムエルはユーリーの政敵といえた。

 出兵に関して、反対ということで意見は一致したが、あまり深くユーリーと話したことはない。

 ユーリーがまとう雰囲気に冷たさを感じていたのも理由の一つだ。


 だが今は、ユーリーの怜悧な顔立ちに宿る眼光を見て、それほど冷たさを感じさせない。

 出兵に関する意見が一致した自分に対して、ユーリーが感情を和らげたのかとワムエルは思う。

 ユーリーが言うように、今は協力する必要があった。

 子供じみた反応をしたことについて、ワムエルは反省する。


「私の指導など、フェルデイ公には必要ありますまい。公はとても優秀だ」

「いえ、とんでもありませぬ」

「謙遜することはない。この出兵がもたらす結果について、私と公はほとんど同じ予想をたてていよう。先ほどの反応からそう推測させてもらった」

「それは……」

 返答に困ったワムエルは眉をひそめて口ごもった。


「公がおっしゃるように勝たねばなりませぬな。でなければ、国は大きく傾く」

「ええ……」

「しかし、不幸にも敗北する可能性がある。我らはどのような事態になったとしてもいいように備えるといたしましょう、フェルデイ公」

「公のおっしゃる通りかと……」

 ユーリーはうつむいたワムエルから軍勢へと視線を移す。

 何の表情も浮かべないまま。


 やがて、バルタザール率いる本陣が移動を開始する。

 金管楽器が勇壮に鳴り響く。

 ワムエルとユーリーがいるこの城壁の上にも。


「陛下が出陣なされるか。ご無事に帰ってこられるとよいな、公よ」

 ユーリーがワムエルを向いて微笑む。

 女性が見れば、色気を感じさせる笑みかもしれない。


「……必ずや、勝利をつかんでこられるでしょう」

 ユーリーに比べ、ワムエルの表情は硬い。


「きっと、そうであろうな。私もそう考えている」

 ユーリーは微笑みをたやさずにそう応えた。


 ワムエルも微笑みを返すが、ぎこちない。

 ユーリーの言動は重臣の一人として適切なものだというのに、ワムエルになぜか不実な印象を感じさせる。

 王位継承時にバルタザールを争った過去が、そう感じさせるのかもしれない、とワムエルは思う。


 移動を開始した本陣を見つめるユーリーの横顔は、ワムエルに言いようのない不安感を与え続けた。


 ◇  ◇


 聖暦一五四三年一月四日。


 馬上のシードル=ブロームは過去の御前会議から、今後の対応へと思考を切り替えた。


(この凶報、いつまでも隠しておけまい。敵が積極的にこのことを触れ回るであろうしな。敵から知らされるよりは、当方で発表すべきだ。その方がまだ動揺は少なかろう。後は今夜の軍議でどう動くか……)


 ブロームは将帥として沈思黙考し続ける。

 率いる兵士達への責任を全うすべく。

 忠誠を誓う国を守るべく。


 弱い風が吹き、ブロームの白髪が、リュドミラの銀髪が、アズヴァーラの軍旗がなびく。

 天使達の理力が厳しい北風を温和にしている。

 北国の柔らかい日光がアズヴァーラ軍を照らし続けていた。


 真冬の今、北方の地では日が落ちるのは早い。

 日が紅くなると早々に、アズヴァーラ軍は行軍を停止し、兵士達はテントを張り始める。

 最初に張られたバルタザール王の豪奢で巨大な天幕に諸将が集まり、軍議を開く。


 バルタザール王を中心に位の高い順で配席され、十五名の出席者が出揃い、着席した。

 椅子の前にある卓の上には、地図と差し棒が置かれていた。

 雰囲気は重苦しく、諸将の多くは沈鬱な表情をしている。


 バルタザール王の一声で軍議は始まった。


「グルードゥスとヴァステノスが敵に回った。この二柱はパーヴィリアが勝つとふんだようだな」

 間をおいて、バルタザールは諸将をみやった。

 沈鬱さが増した列席者と裏腹に、バルタザールは余裕げな笑みを浮かべる。


「だが、その判断は間違いだ。我が軍は三万五千、敵は三万二千。数は若干だが我らが多い。それに敵王ヨナーシュの直属軍はともかく、敵の半数を占める諸侯軍の質は高くない。当初の目論見より苦戦するだろうが、問題なく勝てる。そもそも、天使達は戦いに直接、介入できるわけではない」


 バルタザールの双眸に力がこめられる。


「直接戦うのは我々竜人と人間なのだ。神々の判断が全て正しければ、かつての大戦で滅びたりしようか。神々とて間違い、誤る。臆することはない」

 精悍なバルタザールの言辞によって、列席者の何人かは表情を和らげる。


「さて、諸将よ。これからどうすべきか、意見があれば聞かせてもらいたい」


 すぐにマーカム=ヒョランダルの右手があがる。

 列席者には意外であった。

 積極性に欠け、軍事にも詳しくないというのが彼に対する共通認識であったからだ。


「では、意見を言わせていただく。グルードゥス様とヴァステノス様が敵対したからには、帰還すべきではあるまいか。大いなる神々と敵対すべきではあるまい」

 積極出兵派のレベッカ=グルンデンとオーヴェ=ダールマンは、マーカムを冷たい目つきでみる。


 マーカムがいいそうな言葉だと、心中で多くの列席者がうなずいた。

 彼は竜人の守護女神シャルリーゼの敬虔な信者であるが、その他の神々に対しても領内で数多くの神殿を寄進していた。

 もちろん、上級神であるグルードゥスやヴァステノスに対しても。


 レベッカが反駁する。


「何もせぬまま退却などすれば、我らは笑い者になろう!」

「仕方あるまい。偉大な神々の前では我らなど小さき存在よ」


 オーヴェがレベッカに加勢する。


「陛下のお言葉を聞いてなかったのか。我らは直接、神々と戦うわけではない。敵はパーヴィリア軍だ。卑小な人間にすぎぬ」

「人間とて神々がご加護を与えれば、恐るべき存在よ。撤退すべきだ。そもそも、私はこの出兵に乗り気ではなかった」


 今更の台詞であった。

 レベッカやオーヴェ以外の諸将も何人かマーカムを白眼視する。


「そう、ブローム公であれば、私に賛成であろう」

 マーカムは味方してくれそうなブロームに話題をふった。


「いや、帰還はやめた方がよかろう」

 ブロームの言葉にマーカムは少し顔をしかめる。


「なぜかな。ブローム公は出兵に反対していたではないか。帰還すれば、公の思い通りになろう」

「確かに。だがそれは帰還できればの話だ」

 ブロームの言葉にバルタザールがうなずく。


 やがて、マーカムは思い当たったかのように、


「……まさか、パーヴィリア軍はどこまでも追ってくるというのか?」

 と、覇気がひとかけらもない声を出した。


「その通り。戦力が整った好機を逃すほど、ヨナーシュ王は甘くありますまい」

「……いや、両軍の距離はまだ開いている。逃げ切れるはずだ」

「グルードゥスとヴァステノスに仕える天使達が助力すれば、パーヴィリア軍の行軍速度は一気に上げられよう。軍勢が後ろを向いた状態で戦えば、勝ち目はなくなりましょうな」

「そんな……」

 マーカムはそういったきり、黙り込んだ。


 天幕の中が寂然とするが、ブロームは話を続ける。


「陛下、一つお聞きしたいことがあります」

「何であろう」

「我らが敗北すれば、シャルリーゼ様にとっても苦しいはず。何か伝言はありませんでしたか」


 ブロームはバルタザールの雰囲気に余裕を感じていた。

 諸将を鼓舞するための演技もあるだろうが、それだけではないように思えたのだ。

 ここまでくれば、起死回生の策などはないだろう。

 時間の余裕がなさすぎるのだ。


 そして、天使達の援護がある以上、夜襲、奇襲などは全て防がれる。

 正面から敵軍と接して戦うのみ。

 以上の状況から、神であるシャルリーゼしかアズヴァーラ軍を援護する術がないと、ブロームは推察した。


「さすがはブローム公だ。よくわかったな」

 バルタザールは余裕げな微笑みを浮かべる。


「シャルリーゼ様は我らにさらなる助力をしていただけますか!」

 オーヴェが大きな声をあげる。


「おおっ!」

 諸将の顔に喜色が浮かんだ。


「さもあろう、さもあろう! 私はシャルリーゼ様を信じていた!」

 マーカムが調子はずれな声をだす。


「では、シャルリーゼ様からの伝言を伝えよう」

 列席者は静かにして、バルタザールの言葉を聞き漏らすまいとする。


「シャルリーゼ様の偉大な神力によって、会戦時には異世界から援軍を召喚して下さるそうだ。アウグナシオンが召喚した人間などよりも、遥かに強大な存在を」


 諸将がどよめきの声をあげる。


「黄昏条約に違反しない範囲でありましょうか」

 昂奮した諸将と裏腹に、ブロームは冷静さを保っていた。


「無論だ。シャルリーゼ様とて黄昏条約は破れぬ」

「でありましょうな」


 それはつまり、アウグナシオンが用いた召喚と規模はそれほどかわらぬということだ。

 援軍の規模に限界があることを意味している。

 しかし、この明るくなった雰囲気に水をさすことはない。

 ブロームは口に出すのを控え、心中で楽観を強く戒めるに留めた。


 ブロームはレベッカと視線があう。

 先ほどのやり取りを聞いて、レベッカも落ち着きを取り戻していた。

 レベッカの方から視線をはずす。

 ブロームに心中を探られるのを嫌ったかのように。


「して、シャルリーゼ様が遣わしてくださる援軍とはどのようなものでしょうか?」

 マーカムの瞳は爛々と輝いていた。

 先ほどまでのひ弱な彼はどこにもいなかった。


「それは言うまでもない。シャルリーゼ様が召喚されるのだ。その援軍とは、異世界に住まう力強き竜よ」

「素晴らしい! シャルリーゼ様、万歳!」

 マーカムの昂奮は最高潮に達した。


 諸将達も、さっきより大きくどよめく。

 ブローム、レベッカ、エステリア=ヤンソンをのぞいて。

 エステリアは票決の時同様、静謐さを保ち続けていた。


 バルタザールは静まるよう声をかけ、天幕内に静けさが取り戻される。


「これでパーヴィリア軍を怖れる必要がないことがわかったであろう」

 列席者の多くが深くうなずく。


「他に意見がなければ、予定通りの進軍といたすが意見はないか」


 即座にブロームが右手をあげ、意見を述べる。


「このままいけば、アバエフ平原で会戦となりましょう」

 ブロームは差し棒を取り、地図上の一点を指し示す。

 アズヴァーラとパーヴィリアの国境より、やや南であった。


「アバエフは多くの街道が接続する要地。ここを抑えるのが当初の予定でありました。行動の自由が担保されるゆえに。しかし、敵軍が強化された以上、もう少し行軍速度を抑えて、ここエーケダールの地にて待ち受けるべきかと」


 差し棒が北へと動き、国境線に近い位置で止まる。


「公よ、その利点はどこにある」

「この季節、エーケダールは強い北風が吹き、北に位置する我が軍の矢は勢いが増しましょう。それに、地形を利用して陣を作れば、少しでも有利に戦えるというもの」


 ブロームの提案にバルタザールは顎に手をあて考える。


「……少しでも有利な状況で戦いたい。良案に思えるな。誰か対案はあるか」

 いくつか質問がとぶが、大きな反対もなくブロームの提案は採用された。


「それと、敵味方双方に援護があるのを開示しておくべきでしょう。グルードゥス、ヴァステノスが敵に味方することを隠し続けるのは難しく、こちらにも援軍があるのを教えれば、士気が下がるのを防げるはず」

 ブロームは続けざまに提案する。


「それでは、援軍の存在が敵にもれて、奇襲効果がなくなるのではないか」

 オーヴェが反論する。


「士気が下がるよりはましであろう。グルードゥス、ヴァステノスに仕える天使達が姿を見せれば、こちらの士気は間違いなく低下するのだ」

 ブロームの言葉にうなずく者もいれば、オーヴェに同意する者もいた。

 賛否両論となり、バルタザールが決を下す。


「ブローム公の提案を受け入れよう。ただし、援軍が竜であることは秘することにする」

 諸将はうなずいて、バルタザールの決断を受け入れる。


 バルタザールがブロームの提案を受け入れたのには理由があった。

 どれだけ奇襲効果があるか、疑問だったからだ。

 黄昏条約を破れない以上、パーヴィリア軍のど真ん中に召喚するわけにはいかないからだ。

 条約で禁じられているのだから。


 ある程度距離をとったところに竜が召喚されて、近づく形になるだろう。

 であれば、奇襲効果などほとんどない。


 他に意見はなく、軍議は終了する。

 列席者は自陣に戻ろうとするが、バルタザールはブロームを呼び止める。

 人払いをして、二人だけの場を設けた。


「公の意見を一つ聞きたい」

「何でありましょう、陛下」


 バルタザールは少し躊躇してから、話し出す。

 軍議における力強さは、いつの間にか失われていた。


「ヨナーシュ王は予が宣戦布告をする前から、グルードゥスとヴァステノスを味方に引き入れていたと思うか?」

 ブロームは即答しかねた。

 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 判断材料が全くないのだ。

 ブロームの返答を待たずにバルタザールは話し続ける。


「予はもしかしたら、ヨナーシュ王に誘い出されたのではないかと思ってな。パーヴィリアにとってやや不利な状況に見えるよう演出しておいて、予に宣戦布告させた後、状況を激変させられた。もし、ヨナーシュ王の意図どおりに踊ったのであれば、予は愚かにもほどがあるであろう」

 バルタザールの顔はゆがみ、声は苦い。


「……陛下、そう断定できる証拠は一切ありませぬ。それに、黄昏条約を破らないほどの規模とはいえ、シャルリーゼ様が援軍を派遣して下さいます。これはヨナーシュ王にとっても予想外でありましょう」

「公は本当にそう思うのか?」

「はい。策士策に溺れるという言葉もあります。ヨナーシュ王とて全能の存在ではありますまい」


 ブロームは間髪いれず、力強い口調で受け答える。

 自分の言葉に確証があるわけではないにも関わらず。

 今ここで、総司令官であるバルタザールが思い惑うのは、アズヴァーラ軍にとってプラスは何一つない。

 それどころか、かなり危険であった。

 ここは動揺を一切見せず、励まし支えなければならないのだ。


「……公は俺に嘘をついたことなど、一度もなかったな」

「はい、陛下」


 両者の間の雰囲気は、君臣の関係ではなく師弟であった昔に戻ったかのようであった。

 ブロームを見つめるバルタザールの瞳に活力が取り戻される。


「世迷言をいった。忘れてくれ」

「御意のままに」


 二人は本来の関係である君主と臣下へと戻った。


「予は公を頼りにしているぞ」

「御心にそうよう、微力を尽くします」


 ブロームが退出し、バルタザールは一人となった。


「まるで子供のようだな。情けない。公にいつまでも甘えていられないというのに……」


 バルタザールは国王としての心持ちを強く意識する。

 彼は国王であって一介の青年ではない。

 甘さ、弱さは罪であり、必要とされるのは強さであった。

 ましてや泣き言など、恥の極みであろう。

 二度と弱音を吐くまい、と彼は誓った。


 ◇  ◇


 ブロームは騎乗して夜道を行く。

 孫娘のリュドミラと側近達を引き連れての帰陣であった。


「軍議はいかがでありましたか、おじい様」

 リュドミラの問いにブロームは話せる範囲でこたえる。


「シャルリーゼ様の援軍ですか!? 頼もしいですね、おじい様」

「ああ、私もそう思う」

 灯火に照らされるリュドミラを見るブロームの眼差しは優しい。


 リュドミラはブロームの優しげな眼差しの中に、憂いがあるように思えた。

 だが、それを指摘してもブロームを困らせるだけだろう。

 ゆえに、彼女は話題をかえる。


「おじい様、私はこの戦いが初陣です。初陣にあたって、もっとも注意すべきことは何でしょうか?」

「そうだな……戦況は時間の経過と共に大きく変化していく。激しいうねりのようにな。視野をできる限り広く持ち、その変化に対応できるようにせよ。勇猛さではなく臆病さを大事にな。もっとも重要なのは、勝つことよりも生き残ることを優先することだ」


 リュドミラの顔に驚きが広がる。

 言葉が漏れ聞こえた側近も同様であった。


「おじい様の言葉とは思えませぬ。我が家は武門の名門です。勇猛さと勝利は何よりも必要なことではないでしょうか」

 リュドミラは心中に秘める激しさを露出させたかのようであった。


「その二つを優先させたがゆえに、我が息子であり、お前の父であるヨルゲンは北方の巨人族相手に戦死した」

 ブロームの声は闇の中にしみこむかのようだ。


「お父様は名誉の戦死でした。命を賭けて勝利したからこそ、多くの辺境に住む民が救われたのです。それが間違っていたとは思いたくありません……」

 リュドミラの声はゆれ、涙を抑えていた。


「……ヨルゲン亡き今、ブローム家はお前が継ぐことになる。お前の命はお前一人のものではない。どうしても、私の言葉が聞けぬというのであれば、初陣はまだ早かったということだ。お前一人でも帰国させる」

 毅然とした声であった。

 リュドミラはブロームが本気だと知る。


「……申し訳ありません。私が間違っていました」

「……ならばよい」


 それから二人は黙したまま、帰陣する。


 リュドミラにはブロームの言葉に反発したい気持ちをまだ持っていた。

 しかし、ブロームの言葉は自分を思いやってのことだ。

 それがわからないほど、愚かでも幼くもなかった。


 帰陣後、ブロームはリュドミラに声をかける。


「まだ、私の言葉を心の底から受け入れたわけではあるまい」

 リュドミラは沈黙を答えとした。


「会戦まで、まだ若干の時がある。私の言葉について考え続けよ。お前は敏い。思索は無駄になるまい」

「……かしこまりました」

「うむ。さぁ、早く寝よ。睡眠をしっかりとるのも重要なことだ」

「はい、おじい様」


 リュドミラは一礼して、背を向け歩き出す。

 ブロームはその後姿が見えなくなるまで、見守り続けた。

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