(3) 聖暦一五四三年一月 均衡の崩壊
聖暦一五四三年一月三日。
サララは他の天使達と一緒に、空を飛んでパーヴィリア軍周辺の索敵を行っていた。
会戦前に行われる天使達の支援はおおまかにいって二つだ。
一つ目は移動時における支援。
速度上昇、疲労削減、寒暑緩和となる。
今回の戦いでは、天使達の理力で疲労を削減し、寒さを緩和している。
二つ目は周辺の索敵だ。
天使達はかなり広い範囲で偵察できる。
なので、天使達に支援される軍隊が奇襲を受ける可能性はゼロに等しい。
パーヴィリア軍はアウグナシオンに仕える天使、アズヴァーラ軍は竜人の守護女神であるシャルリーゼに仕える天使が中心となって支援している。
アウグナシオンもシャルリーゼも上級神であり、ほぼ同数の天使を支援に出していた。
また、アウグナシオンもシャルリーゼも従属神の天使に支援させている。
従属神とは、大戦時で危機にさらされた中級神や下級神が、上級神の庇護を求めて従属した神のことを指す。
従属神となれば、上級神に守ってもらえるというメリットがある。
その代わり、自分が持つ神力を契約に応じて、庇護してくれる上級神に捧げねばならない。
アウグナシオンは、ヴルドヌス大陸テラヴォーリ王国の動乱において、従属神に与力させている。
なぜかというと、アウグナシオンは人間の守護女神であり、その他の種族から信仰されることはない。
だが、テラヴォーリ王国では獣人や竜人の割合が大きい。
そこで、動乱で勝利すれば、獣人や竜人には従属神を信仰させ、従属神の神力が高まれば、自分が吸い上げるという構図を描いたわけだ。
獣人、竜人 →信仰→ 従属神 →神力→ アウグナシオン
簡単な図にすると、以上のようになる。
今回のパーヴィリア対アズヴァーラでも、同じ構図を描いている。
アズヴァーラ王国は約八五%が竜人である以上、従属神を用いなければ、神力を高めることができないからだ。
竜人の守護女神であるシャルリーゼも同様だった。
パーヴィリア王国に住むのは大部分が人間であり、従属神の協力が必要だ。
従属神としても、神力を高めるチャンスであり、濃淡はあれどやる気がないわけでもない。
そのような訳で、両軍を支援する天使達の理力はほぼ対等であった。
昨日までは。
サララは下級天使のミルルとペアを組んでいる。
ミルルは高井幸太のパートナーであり、サララは愚痴を聞かされていた。
コウタは幸運系のスキルを優先して取るから強くならない。
ハーレムに入れる女を見つけて来いなどと要求される。
それだけでなく、ミルル自身もハーレムに入れといわれた。
などといった愚痴だ。
「ひどいと思いませんか?」
「本当にそうですね」
サララはミルルに対して愛想よく答える。
アウグナシオンへの叛心を胸に抱いているので、事を起こすまでは模範的な天使として振舞いたいからだ。
「こんな奴って、あり得ませんよね」
「ええ、全く」
しかし、ミルルに同じ愚痴を何度も聞かされ、サララはいらいらしてくる。
「サララさんはいい人と盟約を結べましたね。理力がかなり上がっていますよ」
「ええ、全く」
面倒になってきて、サララは同じ言葉で返事していく。
「私の盟約者がミロシュさんなら良かったんだけどな。なら、ハーレム入りも考えるのに」
(は? 何言ってるんですか?)
と、サララは口に出しそうになったがこらえた。
「誰を担当するかはアウグナシオン様が決められたことですから」
サララは取り澄まして答えた。
「それはわかってるんですけども」
ミルルは不満げな表情になる。
(明日はペアを代わってもらいましょう)
と、サララが考えていた時だった。
サララの表情が厳しいものになる。
南から、極めて大きな理力が接近してくるのに気づいたからだ。
目を凝らしても、青空ばかりで何も映らない。
だが、その向こうに紛れもなく巨大な理力の持ち主がいた。
「ミルルさん、大きな理力が接近してきます! 上級天使一体、いや、複数います!」
「え!?」
ミルルは驚くが、まだ何も感じない。
感覚を研ぎ澄ませると、やがてミルルも理力の接近に気づく。
「万一、敵でしたら、勝ち目がありません。報告を兼ねて、本隊に戻りましょう」
サララが提案する。
アズヴァーラに味方するシャルリーゼの天使達は北にいる。
しかし、敵性な第三勢力かもしれないのだ。
「わ、わかりました!」
ミルルがそう答え、サララと共に本隊への合流を図るが、徐々に近づいてくる。
つまり、相手の方が速いということだ。
サララもミルルも気が気ではなかったが、レギーハとコンタクトがとれる距離まで近づいた。
浦辺佐織と盟約を結んでいる上級天使レギーハは、ここにいる天使達のとりまとめをしていた。
「南から上級天使数体と思われる大きな理力が接近しています」
サララは理力でレギーハに通信を行う。
「わかった。全速力でこちらへ。迎撃の用意をさせる」
レギーハの答えはサララにとって頼もしい。
「かしこまりました」
サララは通信を切り、ミルルと共に全速力でレギーハ達の方へ向かう。
徐々に距離をつめられるが、かろうじてサララとミルルは逃げ切るのに成功した。
二百体近い天使が集結している中、サララ達はレギーハの下へ向かう。
サララが思うよりも天使達は落ち着いていた。
その理由はレギーハの口から語られる。
「よく知らせてくれたな。近づいてきてる奴らは闘神グルードゥスと魔術の神ヴァステノスに仕えている奴らだ。旧知の仲でな。攻撃してくるなら、もう少し理力を落としてくるだろうよ。おそらく、接近を知らせるために理力をたれ流しにしてるんだ」
レギーハは、接近する理力の方に視線を向けている。
「そうでしたか。慌てて申し訳ありませんでした」
サララはレギーハの方へお辞儀し、ミルルも慌てて追従する。
「なぁに。偵察が任務だったんだから、それでいいんだよ」
レギーハがそう言ってから間もなく、声が聞こえてくる。
「我々はグルードゥス様とヴァステノス様に仕える者達です。敵ではありません。繰り返します、我々には敵対する意志はありません。味方としてここに参りました」
優しさを感じさせる女性の声だった。
「やっぱり、あいつか。味方として参戦するのか。こいつは面白くなってきたな」
レギーハは楽しそうに笑う。
「よければ、どういう方か教えて下さい」
サララがレギーハに問う。
知識のなさで痛い目にあったサララは、できる限り知識を広げようとしていた。
「闘神グルードゥスに仕える上級天使クロディーヌの声だ。上品そうな見かけをしてやがるが、異様に強いな。あたしもあまり戦いたくないね」
「レギーハ様でも戦いたくない、と……」
自分では到底及ばないレギーハの言葉にサララは驚く。
「あまり、に過ぎないさ。戦えば、あたしが勝つよ」
そう言ったレギーハは不敵な面構えをしていた。
◇ ◇
空同様に、陸地にも来訪する者達がいた。
アウグナシオン教団のブラジェク大司教は面会の申し出を受ける。
それ自体はよくあることだが、ここは野営地だ。
怪訝に思ったブラジェクは来訪者の名を聞き、軽くうめいた。
ブラジェクは陣幕の中で椅子に座り、ヴァステノス教団のドリディン法王と美少女、美少年の従者と対面していた。
八十三歳のドリディン法王はドワーフであり、恰幅がよく顎髭も髪もほぼ白かった。
ドワーフの寿命は約百五十年と人間の倍くらいある。
上級神で魔術の神であるヴァステノスの教団トップは法王だが、ドワーフが叙任されるのは初めてであった。
ドリディンの容貌は野卑さを感じさせるが、ブラジェクは底の浅い人物ではないのを承知している。
「ヨナーシュ陛下に挨拶せねばならぬのだが、先に大司教殿へ挨拶せねばならぬと思うてな」
ドリディンの左手は美少年の身体に、右手は美少女の身体にのばされ、さすったりさわったりセクハラし放題だった。
従者二人は声を出さぬよう、表情を温和に保っている。
「猊下自ら、このような場へ何用でしょうか」
ブラジェクはドリディンのセクハラを丁重に無視していた。
「明敏なお主ならわかっていように。この聖戦に我らもグルードゥス様も味方させてもらう」
「……グルードゥス様もですか」
ブラジェクは予想が的中し、忌々しさと多少の喜びを感じる。
忌々しさとは、戦勝後の分け前が大きく減ることだ。
アズヴァーラの氷竜人達とて、別の神を新しく信仰させられるとしたら、神格が低いアウグナシオンの従属神より上級神のグルードゥスやヴァステノスを選ぶだろう。
アウグナシオンやブラジェクが描いた構図が成り立たなくなるのだ。
多少の喜びとは、これで味方の戦力が向上するので、勝算が高まり被害が減ることだった。
「左様。旧知であり、かわいく思っておるお主を助けることが出来て、うれしく思うぞ」
ブラジェクが大司教に叙任された折、ドリディンと一度面会している。
「……猊下の助けを得ることが出来て、誠にうれしく思います」
ブラジェクはドリディンの視線から目を背けた。
「シェルだったか」
ドリディンはブラジェクの近侍であるシェルを見やった。
「はい、シェルと申します」
プラチナブロンドの髪を揺らして、シェルは一礼する。
「相変わらず、かわいいことよな」
ドリディンはにやりと笑った。
シェルはドリディンの笑みを見て、身も心も硬直する。
ドリディンとシェルは初対面だ。
ブラジェクはドリディンの言葉が意味するところを掴み取る。
スパイが放たれているのか、ドリディンが“直接”魔術か何かで覗き見ているかだ。
「我らはこれより味方。そなたの稚児とわしの稚児を交換して交わってみぬか?」
ハイグラシアにおいて、同性愛は禁忌の対象ではない。
一部の教団でのみ、禁止されている。
「お戯れを、猊下……」
「戯れではないが、気がすすまぬのであれば、無理強いはすまい」
シェルは一つ、息をつく。
「アウグナシオン様の勢いは天を覆うがごとし。そなたも同様にな。わしはその余禄に預からせてもらうとしようぞ」
「私など、猊下の数歩後ろを歩くだけでございます」
ブラジェクはドリディンと決して、目をあわさなかった。
「ほんに、お主はかわいいことよ。そろそろ、ヨナーシュ陛下の下へ参るか。また会うとしようぞ」
「はっ、猊下……」
ドリディン達は音を一切立てずに消失した。
「シェル、水を一杯頼む」
「かしこまりました」
この場から早く立ち去りたいと思っていたシェルは内心喜ぶ。
ブラジェクの心身には、かなりの疲労感が残っていた。
◇ ◇
ヨナーシュは六人の人物から、拝謁を受けていた。
グルードゥス教団大司教ゲオルクとその従者二人。
ヴァステノス教団法王ドリディンとその従者二人。
ゲオルクは獅子の獣人であり、四十五歳だ。
たてがみと耳が獅子を思わせる。
大司教というよりも武人を思わせる容貌であり、現に武勇で大司教の座をつかんでいた。
教団制度はアウグナシオン教団とほぼ同様で、ゲオルクはバルナシュト大陸におけるグルードゥス教団の代表ということになる。
従者二人はドワーフと人間の男性で、闘神に仕えるに相応しい容貌だった。
ヨナーシュの横にはカシュバル将軍、レネー准将ら軍高官が立ち並んでいる。
カミルも王の甥として左端に立っていた。
「猊下に大司教殿、よく来て下さった。予は頼もしく思う」
ヨナーシュの声音に満足げな響きがある。
グルードゥスとヴァステノスに、参戦を働きかけたのはヨナーシュだった。
この二柱は個別種族の守護神ではないので、全種族から信仰を集めることができる。
しかし、個別種族の守護神ほど一種族に信仰が広がっていない。
また、全種族に信者を持つ性格上、戦いに参戦することはほとんどなかった。
あちらを立てればこちらが立たず、となるのだ。
だが、人間という種族が突出するようになり、その守護神であるアウグナシオンやファバイダンらが勢力を伸張しつつあった。
この二柱に限らず、全種族から信仰されるタイプの神々はこのまま動かなくてもよいのかという焦りを持つようになっていた。
ヨナーシュは、それら神々が持つ焦りの全てを知っていたわけではない。
しかし、様々な情報からほぼ類推できていた。
そこで、パーヴィリアに味方する可能性があり、なおかつ強力な神ということで、グルードゥスとヴァステノスに白羽の矢を立て、見事に射止めた。
ヨナーシュが満足するのも無理はなかった。
これで、互角から、こちらが有利となったのだから。
ヨナーシュには少ない戦力で敵を倒したいという悪癖はない。
勝てるための態勢を整え、目標に達するまで勝ち続けるのが重要なのだ。
「グルードゥス様は、これからも陛下と共に闘いたいと仰せになられました」
ゲオルクが神の言葉を代弁する。
これは事実であった。
こうなれば、少なくともバルナシュト大陸ではパーヴィリア王国を後押しするつもりだ。
居並ぶ軍高官のほとんどが驚く。
この外交に関しては、カシュバル将軍ら数人しか知らなかった。
(陛下はここまで手を打っていたのか)
カミルも内心、賛嘆する。
「ただの人に過ぎない予にとって、過言の極みというもの。ご期待に沿うべく、懸命に働くといたしましょう」
「その代わりといってはなんですが、戦勝後の布教に関しましてはご配慮のほどを」
「予は味方して下さった全ての神々に配慮せねばなりません。グルードゥス様ばかりを配慮しては、ヴァステノス様がお怒りになりましょう、ドリディン猊下」
ヨナーシュがドリディンに話を振る。
グルードゥス、ヴァステノス、そしてアウグナシオン、この三柱のどれかを突出させるのはヨナーシュにとって、あまり好ましくない。
ゲオルクとドリディン、同時に対面することにしたのも、余計な言質をとられぬためであった。
「陛下の仰る通りぞ。ゲオルク殿、ここはアズヴァーラという果実を仲良く食べ分けるのが肝要」
ドリディンはヨナーシュの思惑を承知で話にのった。
さすがに、この場では従者に手を伸ばしてはいない。
「……左様ですな」
ゲオルクはやむなく頷く。
「大司教殿も猊下も、頼もしそうな従者を連れておられる。教団の方々も戦われますかな」
ヨナーシュが従者達を見やった。
「無論、すでに後方で兵士二百が集結しつつあります。グルードゥス様の名を辱めない働きをいたしましょう」
ゲオルクは胸を張った。
グルードゥス教団はさらなる動員が可能であったが、精鋭に絞っていた。
「わしの手勢は三十に過ぎませぬが、ヴァステノス様に仕える者達の魔術をご覧に入れましょうぞ」
「従者二人はエルフとみたが、かなりの使い手であろうな」
「左様、エルフは魔術をよく使うのでな。それにいつまでも見目良く寵愛するにもってこいよ」
ドリディンは笑うが、ゲオルクもその従者達も軍高官の多くも渋い顔になる。
この老人が美少女、美少年を玩弄するぞっとしない光景を想像した者もいた。
だが、ヨナーシュは面白そうな表情になって、こう話す。
「猊下は老いてもますます盛んなことよ。長寿のドワーフが予はうらやましい」
「種族の差ではありませんぞ。若さを保つ秘訣は寵愛を続けること。よければ、ミヒェルを陛下に貸しましょうぞ」
ドリディンの言葉で後ろに控えていた美少年のエルフが一歩、前に出る。
男色の趣味など一切ない軍高官ですら、血迷いそうになるほどの美貌だった。
何人かは直視を避けているが、カミルは冷然と見ていた。
「ミヒェルと申すか。直答を許す」
「ありがとうございます、陛下」
ミヒェルがお辞儀する。
「そなたの忠誠は誰に向けられておる」
ヨナーシュが問う。
「天におられるヴァステノス様と地におられるドリディン様にです」
「死を賜れば、死ねるか?」
このヨナーシュの問いで高官の何人かとカミルはヨナーシュを見る。
「はい」
ミヒェルの言葉にためらいは一切なかった。
「猊下はこの者の言葉を信じておられるか」
「答えるまでもありませぬ」
ヨナーシュの口元がほころんだ。
「それだけの者を、予が寵愛するわけにはゆかんな。愛でられる花の気持ち、猊下ほどの方なら、おわかりであろう」
ミヒェルはヨナーシュを直視した後、頭を下げる。
ドリディンは声をあげて笑う。
「いやはや、陛下のお味方となれたのは幸いぞ。謹んで、陛下の御力になり申す」
ドリディンは大仰に礼をし、従者二人がそれに続いた。
かくして、両軍の均衡は崩壊することになる。
(動いているのは俺達だけではないという事か。当たり前だがな)
カミルは御前を辞去した後、この会談についてミロシュ達に伝える必要があると思っていた。
問題は内容をどこまで伝えるかであった。
恐らく、うぶなミロシュやシモナには刺激が強すぎるだろうから。




