(1) 聖暦一五四三年一月 新年の儀式(前編)
右前方には白に染まったクアドルン山脈。
靴の下にはうっすらとつもった雪。
日中はまだしも、夜ともなると水は完全に凍りつく。
そんな中、国王ヨナーシュ二世率いるパーヴィリア軍は、王都ザハリッシュを北上している。
ソヴェスラフの危機では急行軍であったが、この行軍では極めて速度が遅い。
天使達の理力で支援を受けているにも関わらず、一日あたりの移動距離は、約二ファクタ<約十キロメートル>もいかないのだ。
その時と今回で事情は異なる。
ソヴェスラフは救援を待ち焦がれていた。
しかし、今回は北上すればするほど、氷竜人にとって有利な寒い場所での戦いとなる。
王都ザハリッシュにアズヴァーラ軍を近づけるわけにはいかないが、北上しすぎると不利を招く。
なので、軍隊が疲れない速度で行軍を続けていた。
王都を出て二週間が過ぎ、ある特別な日を迎える。
聖暦一五四三年一月一日。
本日、パーヴィリア軍は北征途上にて野営地で新たな年を迎えた。
本来であれば、信仰する神の教会に赴き、祈りを捧げる日だ。
されど、遠征中ではそういう訳にもいかない。
同行している各教団の主導によって、略式の祈りを捧げることとなる。
信仰する神の教団が同行していない者は、個人で祈りを捧げていた。
今日だけは行軍を停止するよう、全軍に通達が出されている。
ミロシュ、カミル、シモナは近衛師団所属となっている。
三人を有用な戦力と考えたヨナーシュが、手元においたのだ。
ミロシュの後見人といえるカシュバル将軍が師団長なのは、三人にとって好都合であった。
ミロシュ、カミルは表向き、アウグナシオンを信仰していることになっている。
なので、ブラジェク大司教から誘われ、祈りの儀式に列席していた。
エルフのシモナは留守番だった。
アウグナシオン教団は青空の下、天幕などを張って、儀式の場を作り上げていた。
各教団の中で信者の数が最大であり、儀式の規模も最大であった。
ブラジェク大司教は大勢の神官を指揮して、荘厳なる祈りを捧げている。
千年以上の年月によって洗練された儀式は、列席した者の多くにある種の感動をもたらす。
それが、教団の思惑であり、恐らくはアウグナシオンの思惑でもあろう。
その気持ちが信仰につながればよいのだ。
しかし、もはや内心ではアウグナシオンへの信仰など全くないミロシュからすると、なかなか苦痛な時間だった。
多くの者達をふみにじっておきながら、荘厳さを主張されてもかんに触るのだ。
隣にいたカミルをちらりとみると、カミルもミロシュの方を向き、目で笑ってみせる。
(カミルも同じなんだな)
ミロシュも目で笑ってみせた。
やがて、儀式は終わり、ミロシュが本当に楽しみとしていた場となる。
教団主催の立食パーティだ。
ハイグラシアの新年では身分や財力に違いはあれど、それぞれが精一杯のごちそうを食べる習慣がある。
なので、遠征中にも関わらず、教団がご馳走を用意したわけだ。
テーブルと料理が並べられていくが、出席者は驚く。
様々な動物の焼肉、野菜、果物、ジュースなど、遠征中とは思えないほどの料理が並んでいるからだ。
教団の補給体制の充実ぶり、ブラジェク大司教の辣腕に舌を巻く者もいれば、無邪気に喜ぶ者もいた。
ブラジェク大司教が大勢の信者の前で挨拶をする。
「これから行われる戦いは、聖戦であるとのお言葉をアウグナシオン様より頂いております。ゆえに、我々は大勝利をアウグナシオン様に捧げねばなりませぬ。今、出されている料理も飲み物もアウグナシオン様から授かりしものです。アウグナシオン様に感謝しながら食べましょう。それでは、皆様のご活躍と会戦での勝利を願いまして、乾杯!」
ブラジェクは挨拶を短くまとめ、ブドウジュースが入った杯をかかげる。
列席している皆も杯をかかげ、乾杯と唱和する。
粗食ばかりでうんざりしていた出席者達は、喜び勇みながら料理と飲み物に手をつけ始めた。
ミロシュとカミルも食事を楽しもうとするが、挨拶に来る者達が数多い。
ヨナーシュ王の甥であるカミルは誘蛾灯のごとく、人を集めるのだ。
その中の一人に、第三師団を率いるレネー=ハヴェルという男性がいた。
二十五歳である彼は、準男爵家の当主にして准将だ。
といっても、元々は平民である。
己の武勇と卓越した指揮によって、ここまで上りつめたのだ。
国王がヨナーシュではなく、保守的な考えであれば、到底ありえなかっただろう。
彼は赤毛の髪をオールバックにし、その下に活気あふれる眼差しを持つ。
若くして頭角をあらわした者にふさわしい覇気を放っていた。
そんな彼が、カミルとミロシュに挨拶してくる。
「新年おめでとうございます、カミル殿下、ミロシュ殿」
カミルとミロシュも挨拶を返す。
「殿下達の武勇は聞き及んでおりますが、残念ながらソヴェスラフの戦いに参戦できませんでした。この戦いで、殿下達の武勇を拝見するのを楽しみにしております」
「武勇に名高いレネー准将にそう言われるのは、面映い限りです」
カミルがそつなくうけこたえる。
その横で、ミロシュは幸せそうな顔をして甘いジュースを飲んでいる。
相変わらず、ミロシュはこの手の応対をカミルに任せていた。
相手からしても、ほとんどはカミル目当てなので、それで問題なかった。
むしろ、相手によっては、ミロシュにしゃしゃり出られるとうっとうしいだろう。
「ご謙遜なされますな。ミロシュ殿の戦いぶりも楽しみにしています」
「コホッ、ど、どうもありがとうございます」
話題をふられると思ってなかったミロシュは、ジュースでむせた。
カミルは少しあきれたような顔をする。
「私の妹が魔術士団に所属していますが、今日は闘神グルードゥス様の儀式に出席しているので、残念ながら紹介する事はできませんでした。よければ、後日にでもお二方に紹介したいのですが、よろしいでしょうか?」
「喜んで、お会いいたします」
「僕でよければ」
「どうも、ありがとうございます。それでは、他の方々に挨拶してきますので」
その言葉を残して、レネーは二人から離れた。
この手の話はかなり来るようになっていた。
カミルは十七歳で婚約者がいてもおかしくない年齢だ。
血筋に加えて、戦功をあげ、ヨナーシュ王の覚えめでたくなった今では、貴族高官豪商などから娘、養女、孫娘、妹などがどんどん売り込まれてくる。
そのたびにカミルは言質を与えぬよう、うまくかわしていた。
ミロシュも庶民からしたら、高嶺の花だ。
しかし、貴族からしたらまだ大した存在ではないので、そういった話はない。
なので、レネー准将の話はミロシュともどもであり、かなり珍しい。
カミルが即答したのは、婚姻目当ての色彩が薄かったからだ。
もっとも、油断するつもりは毛頭ないが。
ミロシュとカミルはそれから別れることになる。
カミルへの挨拶はずっと続きそうだし、ミロシュには会いたい人達がいたからだ。
一人になったミロシュは探し続ける。
高坂川高校の生徒達を。
ソヴェスラフでは楽しく話ができたが、修行やアルノーシュ王国への使いなどで、生徒達に会う機会を作れなかった。
せっかくの機会である今日、同じ世界からきた彼らとミロシュは話をしたかった。
ようやく、生徒達の一人である水谷楓冬を見つけ、ミロシュは話しかける。
「水谷君、どうもお久しぶり」
「ミロシュじゃないか。本当に久しぶりだな。半年振りか。もっと会えると思ってたが、貴族ともなると忙しいんだな」
「何かとね。今日会えてうれしいよ」
「ああ、俺もだ」
フウガの表情は明るく、邪険にされなくてミロシュはほっとする。
「そういや、初めてか。こいつはジュスタだ。俺のパーティメンバーで、その、付き合っている」
「どうも初めまして、ジュスタといいます」
「えっ!? こちらこそ初めまして、ミロシュです」
ジュスタは淡いブロンドの髪を後ろでまとめていた。
ミロシュはジュスタに淑やかな美しさを感じる。
「水谷君、きれいな彼女だね。うらやましいなぁ」
なので、ミロシュは本音をもらした。
「だってよ、ジュスタ」
「ありがとうございます。でも、ミロシュさんもお綺麗ですよ。最初はフウガのガールフレンドかと思いました」
「違いますよ、そんなの!」
ミロシュはローブを身にまとっていて、服装だけでは男とも女とも判断がつかなかった。
「ハハッ、ミロシュが浮気相手か」
フウガは愉快そうに笑う。
「だったら、どうしようかと思いましたよ」
ジュスタは笑うが、ミロシュから見ると少し怖かった。
「ないからないから。で、異世界人同士で話があるから、はずしてくれないかな。浮気じゃないのはわかっただろう」
「わかりました。ではまた」
「ああ」
ジュスタは離れ、ミロシュとフウガは二人きりで話し合う。
主に、この半年間で何があったのかについてだ。
二人とも和気藹々と会話を楽しんでいた。
やがて、フウガはおもむろに話題をかえる。
「……なぁ、ミロシュはなぜこの戦いに参加してるんだ?」
「それは、僕はもうこの国に仕えているからだよ」
「もっと上を目指してるのか? お前はあまり金目当てとも思えないんだけどな」
ミロシュは甘いフルーツジュースを、おいしそうにちょびちょび飲んでいる。
フウガからしたら微笑ましいほどで、野心を持っているようには到底見えない。
「食べていくのに困ってないし、お金はもう十分あるよ」
「なら、なぜ戦えるんだ? 敵は氷竜人って種族だそうだが、人間みたいなものだろう。もう、人殺しに慣れたのか?」
フウガの口調がきつくなる。
ミロシュの幸せそうな顔が、沈痛な面持ちに変わった。
「あ、すまない。ミロシュを責めるつもりはなかったんだ。俺もソヴェスラフで戦ってる。俺もここに来てる以上、同じなのはわかってる。ただ、俺は迷っているんだ。話をしてたら、つい聞いてみたくなって。悪かった」
ミロシュの沈痛さが伝染したかのように、フウガの表情も重苦しくなる。
「いいんだよ、僕に話をしてくれてうれしいよ。まだ二回しか話してないけど、僕は話していて楽しいから。それに、同じ境遇なんだから、できる限り助け合おう」
ミロシュは軽く笑う。
名残惜しそうな目で、ミロシュはジュースが入ったコップをテーブルにおく。
「……ミロシュ、ありがとう」
フウガの表情が和らぐ。
「それで続きだけども、戦うのにある程度は慣れたかもしれないよ。でも、積極的に殺し合いをしたいわけじゃないんだ。それはわかってもらえるかな?」
「ああ、もちろんだ。俺も殺し合いなんてしたくない」
フウガの口調が真剣そのものとなる。
「でも、僕が戦えるのはそうする必要があって、そう決めたからだよ。僕はもう迷わないことにしたんだ。後悔もしたくない」
そう語ったミロシュの顔をフウガは見つめる。
真剣な言葉でもあり、抽象的な言葉だ。
だけど、自分と同じように全てを話せないんだろう、とフウガは思った。
「……ミロシュは色々あったんだろうな」
「そうだね。もう僕達は高校生じゃいられないんだよ」
「……ああ、全くだ」
「僕も質問させてもらうけど、水谷君の迷いって何かな? もちろん、無理にこたえなくていいから」
ミロシュの言葉でフウガは周りを見回す。
知り合いと話をしてるジュスタを探し当て、見つめ続けた。
フウガは殺し合いなどしたくはなかった。
ましてや、敵であるアズヴァーラ軍はこちらより数が多い大軍だという。
負ける可能性がソヴェスラフよりも格段に高い。
最悪の場合、死ぬのだ。
その恐怖がフウガを襲い、最初は出陣を拒否していた。
しかし、敬虔な信者であるジュスタはどうしても戦いに赴くという。
聖戦に参加できるのは幸せだと。
フウガには理解できない考えだ。
同じ考えであろう三条彰に相談するも、
「レジーヌと生死を共にするから」
と、言い切られた。
そう、フウガとアキラは同じ考えではなかったのだ。
フウガの中で激情が走る。
(俺だってジュスタを見殺しにできるかよ! だけどな、ブラジェクや教団の思惑に踊って、戦い続けるのかよ! 何度も何度も! いつかは死ぬことになるんだぞ!)
でも、結局はジュスタの為に彼は参戦することになる。
ジュスタがブラジェクの回し者であれば、遠慮なく彼は関係をきれただろう。
しかし、そんな素振りは一切なく、ただ敬虔な信者にすぎないのだ。
ブラジェクの思惑が見えないアキラは幸せだとフウガは思う。
フウガの眼に浮かぶジュスタは愛すべき存在であり、死神であった。
フウガはジュスタからミロシュに視線を戻して、ミロシュに近づく。
「ジュスタは信者で戦いたいそうだ。俺は見殺しにできない。でも、俺は……って迷いだよ、ミロシュ」
聞き取れるかどうかのか細い声だった。
信者が集まっており、うかつなことは話せなかったが、できる限りの言葉で話したのだ。
ここまで来た以上、誰に相談してもどうなるものでもないだろう。
だが、ミロシュと話してみて、フウガは思いを話してみたくなった。
他の生徒達とはそれほど親しくなく、教団に世話になっている。
うかつな相談などできなかったからだ。
ミロシュはフウガの迷いを知る。
思わず、ミロシュもまたジュスタを見やった。
どう答えていいか、ミロシュはしばし迷うが、言葉が漏れないようフウガにより近づいた。
「僕には後悔ないようにとしか言えない。でも、水谷君達が危なくなれば、僕は助けるよ。同じ部隊ではないから、断言はできないけども」
「……ありがとう、ミロシュ。俺もお前を助けられたら、助けるよ」
「ありがとう。共に生き残ろう」
「ああ、きっとな。死んでたまるかよ」
二人は軽く笑いあった。
その後、フウガはジュスタの下へ、ミロシュは他の生徒を探しに行く。
フウガは少し気分が楽になる。
一人で抱え込んでいた懊悩が、人に話せたから。
そして、その相手がミロシュだったことを彼は幸運に思い、喜んだ。
ミロシュはフウガの事情を知るも、解決できるような返事ができなかったのを残念に思う。
もっとも、周りをはばかって、フウガはブラジェクについて語っていない。
そのことについて話を聞いていれば、ミロシュの考えはまた違っただろう。
(僕に力があれば、どうにか出来たのかな……)
ミロシュはしばらく、フウガ達について思いを馳せていた。




