(5) 集いし者達(後編)
聖暦一五四二年七月九日。
あれから約百日が経過し、シュウイチ達は白磁器、ガラス製品、精製を施した鉄製の道具を売り始めていた。
シュウイチ、テツ、クニアキの頭文字をとって名づけたシュテック商会を設立し、直営店舗で販売している。
わずかの時間でそこまでこぎつけられたのは、教団の極めて大きな支援があったからだ。
信者が経営する陶器工房、ガラス工房の全面協力、カオリンの産出、資本金の提供、店舗設営、売り子の斡旋、シュテック商会の商業ギルドへの登録。
これら全てを、ニコラ首座司教主導で教団が行っている。
シュウイチ達は製品開発だけに全力をつぎ込めた。
鉄製の道具担当はシュウイチ、白磁器担当はクニアキ、ガラス製品担当はテツだが、時折、中間発表会を開いて、お互いの意見を聞くようにしていた。
担当者が気づいていなかった点を、他二人から指摘されて気づくこともあり、極めて有効だった。
教団の財源は、信者が支払う十分の一税だ。
この税金は年収の十分の一を教団へ支払うというもので、ハイグラシアに住まう民ほぼ全ては、自分が信仰する神の教団に納めなければならない。
支払いを免除されるのは、世界への誓いを行った王族、上級貴族のみだ。
無宗教は許されず、大商人や中級貴族ですら支払わなければならないので、莫大な金が各教団へ流れることになる。
それだけの財源があっても、シュテック商会の立ち上げにかかる費用は莫大なものだ。
失敗を危惧する一部の司教、神官達から反対意見が出ていたが、ニコラはナゼールの名前を出して、反対を斥けた。
ニコラは金属精製以外の全事業を説明されていたため、計画の革新性から成功を確信し、泰然と構えていた。
彼女の予想通り、従来品の半値に抑えられた白磁器、七割程度の価格のガラス製品、新製品となるマジックミラー、鉄製品は飛ぶように売れた。
特に、シュテック商会専売といえるマジックミラー、鉄製品は入荷待ち状態となっている。
都パトラゴンにも支店を出し、生産を拡大させる計画が進んでいた。
この大成功によって、シュウイチ達は食べるのに困らなくなるどころか、大商人となる展望が開けた。
また、ニコラは首座司教といっても叙階されて間がなく若いため、従わない年長の司教、神官達がいた。
しかし、この事業成功でニコラの威信が上昇し、パトラゴン大公国の教団を完全にまとめあげた。
シュウイチ達は現在、後回しになっていた自身の鍛錬に精をあげている。
そんな中、ヴルドヌス大陸から帆船が一隻、スピノカに入港した。
バルナシュト大陸とヴルドヌス大陸は、帆船で十日から十五日かかるくらいの距離だ。
定期航路がいくつもあった。
風属性の魔法が使える者を何人も乗せて、帆に風魔法をあてて航行するため、風が弱い季節や場所でも、安定した速度で航行することができる。
これについては、ハイグラシアが地球より優れていた。
その船には、かつてテラヴォーリ王国の動乱に巻き込まれ、下級天使マティオに助けられた七野明里が乗船していた。
マティオの言葉「恋人の影浦徹平はバルナシュト大陸のパーヴィリア王国にいる」にすがって、ここまでやって来たのだ。
(ついにバルナシュト大陸へ来れたのね……徹平……)
船を降りて、港に入ったアカリは、海と港町が発する匂いをかぐ。
その匂いが彼女に異郷へ来たことを知らせた。
彼女は疲弊しきり、残りの金もわずかであった。
また、パーヴィリア王国への旅程もよくわからないため、スピノカにあるアウグナシオン教団の神殿に赴き、相談することに決める。
彼女は神殿への道を通行人に聞きながら、港を出て歩き続ける。
道中では多くの人通りがあり、栄えていた。
様々な店舗、食料品や土産品を売っている露店、大小の神殿、貴族や商人が住んでいると思しき大邸宅。
船中ではずっと船酔いし、疲労に身体を蝕まれ、彼女の足どりは重い。
にも関わらず、それらの景色を見て、彼女は少し楽しめた。
やがて、彼女は大理石造りの豪壮なアウグナシオンの神殿に到着する。
(けんもほろろに追い出されなければ、いいんだけども……)
教団が相手にしてくれなければ、他にすがるところはない。
意を決して、彼女は神殿に入った。
神殿で彼女は快くもてなされ、客間に通される。
彼女の悩みは杞憂で終わった。
しかし、シュテック商会の成功がなければ、こうあっさりいかなかっただろう。
確たる実績が、召喚された生徒達全てへの高評価につながっている。
彼女は神官から同じ立場であるシュウイチ達の存在を知らされ、彼らが帰還してから話を一緒に聞くといわれて、従うことにする。
この過酷なハイグラシアでシュウイチ達が成功していると聞き、彼女は驚く。
しかし、不安定な身の上である彼女にとって頼もしく思え、対面を楽しみにしながら、彼女は待ち続けた。
夕方となり、神官から話を聞かされたシュウイチ達が神殿へやってくる。
また、視察の為、スピノカに来ていたニコラも同席する。
五人は応接間で対面し、自己紹介を行ってから、アカリが自分の状況について説明した。
話を聞き終えると、他の四人は差こそあれど、アカリに同情する。
「ここまで無事に来れて何よりです。できる限り、力になりますよ」
日頃は冷たいクニアキですら、そう言葉をかけた。
アカリの様相はやつれて、やせ細っているように見える。
長い黒髪もところどころ乱れているのが、彼女の苦境を際立たせていた。
「しかし、その様子では休養した方がいいですね。パーヴィリア王国でしたら、ブラジェク大司教が皆様と同じような方々を庇護しています。私から大司教に手紙を送りますので、返信が届いて状況を確認してから、行かれた方がよいのではないかと思います」
ニコラが優しげな表情で提案する。
「……でも、私は」
アカリの声はか細かった。
シュウイチ達もニコラの提案に従うよう、勧める。
アカリは俯いてしまう。
「教団の方々に護衛してもらっても、その身体じゃ危ないよ。せっかくここまで来たんだからさ。今は少し辛抱して、確実に会うべきだよ。俺達の家に来るといい、部屋はたくさんあるから。それに、俺達は戦わずに稼げて、生きていける方法を見つけたんだ。アカリさんはもう戦いたくないだろうし、ここでそういう道を模索したらいいと思うよ」
シュウイチは真摯にアカリへ語りかけた。
アカリは顔を上げ、シュウイチの顔を見つめる。
それから、クニアキ、テツ、ニコラの顔を見渡す。
四人の表情を見て、皆が自分を心配してくれているのが、彼女にはわかった。
「……お言葉に甘えさせていただき、ます……」
語尾は乱れるが、アカリが泣きそうになったからだ。
アカリが同意して、四人は安堵する。
すぐ長旅に出るのは自分でも無理だとわかっていたが、テッペイに早く会いたかった。
安らぎが欲しかった。
再会できれば、以前の生活に戻れるような気がするから。
それは夢物語だと理性が声をあげても、感情が受け入れを拒否していた。
でも、四人の言葉がアカリの疲れた心にしみこみ、留まる道を選べた。
完全に心が安らいだわけではないが、支えを欲していたアカリの支えになれたからだ。
また、戦わずに生活できるという言葉は大きかった。
テラヴォーリの凄惨な戦いに巻き込まれたアカリは、戦いを忌避していたのだ。
アカリは今日から、スピノカでシュウイチ達と共に暮らすことになる。
◇ ◇
聖暦一五四二年八月十一日。
アカリはシュウイチ達から現状の説明を聞いて、陶器工房で働いていた。
最高級品の白磁器に絵付けを施す仕事だ。
花々、風景、人物などの絵を白磁器に入れれば、高価な一点物となり、貴族、富豪などに飛ぶように売れていた。
アカリは美術部だった。
自分が持つ技能を生かすのは、これだと思えたのだ。
それから、陶器工房に通い、職人の指導を受けて、絵付けを習得していく。
一心不乱に作業していると集中できて、心に落ち着きができるようになった。
陶器工房担当のクニアキが、アカリの面倒を見るようになっていた。
工房にて、アカリが描いたナターリヤの花のカップをクニアキが検分する。
「どうですか?」
おずおずとアカリが聞く。
眼を凝らしてカップを見ていたクニアキは、
「よくできていますよ。店頭で売れるレベルです。これも早速売り出しましょうか」
と、シュウイチやテツ相手には出さないような優しい声でこたえた。
「本当! うれしいな」
アカリは笑う。
クニアキにはそんな彼女がまぶしい。
ようやく食欲を取り戻し、彼女は食事をきっちりとれるようになっていた。
なので、彼女はやつれがなくなり、本来の可憐な容貌を取り戻している。
「……僕はお世辞なんて言いませんよ」
クニアキは眼鏡に指をあてることで、アカリを見つめていた視線や表情を隠した。
二人はしばらく歓談していたが、テツが入室してくる。
「おい、二人とも!」
「どうしたんだ、騒がしい」
「騒がしくもなるさ。パーヴィリアから手紙の返書が届いたそうだ。全員、神殿に来てくれって。シュウはもう向かってるぞ」
「本当ですか!?」
テツの言葉にアカリが飛び上がる。
「ああ、よかったな、アカリさん!」
「ありがとうございます!」
喜色を浮かべる二人に対して、クニアキは、
「よかったですね。早速、向かいましょうか」
と、抑えた声をだした。
「クニはいつもそんなんだな。もっと、喜んでやれよ!」
「うるさいな、テツ。アカリさん、参りましょうか」
「ええ、行きます」
三人は連れ立って神殿に向かう。
テツが賑やかに話をしていたが、いつしか会話が途切れる。
クニアキは約一ヶ月、共に働いたアカリと別れたくはなかった。
その想いは、パーヴィリアからの返書が凶報であることを望むようになる。
テッペイが見つからないか、あるいは死んでいれば、アカリは残るかもしれないからだ。
そんな事を考える自分を知り、クニアキは自嘲した。
神殿の応接室に四人がそろい、ニコラが入室する。
パトラゴンに返書が届いたので、ニコラ自ら返書を持ってスピノカへやってきていた。
沈痛な面持ちで、ニコラは四人へ話し出す。
影浦徹平は、パーヴィリアのソヴェスラフ近辺で死んだという話を。
ニコラはあらましを語っていく。
ソヴェスラフにて瀬能和哉が彼を発見し、ブラジェク大司教に報告。
大司教は影浦徹平を迎え入れるべく神官を派遣するも、彼は六月にマレヴィガ大森林で死んだという報告が冒険者ギルドに入っていた。
瀬能和哉は直接会って話をしており、本人に間違いない。
彼は影浦徹平から、「アカリに会いたい」という言葉を聞いていたそうだ。
そこまで聞いて、アカリの両目から涙が止まらなくなる。
「徹平……」
アカリは両手で顔を覆って、泣き崩れる。
ニコラは話をやめ、四人が気遣うような顔をするもうかつな事を言えず、そろってアカリを見つめていた。
静寂の帳を破ったのはクニアキだった。
「アカリさん、良ければこのまま留まって暮らしていきませんか。生活のことを考えると、それが一番いいと思います」
だが、アカリはクニアキの言葉に反応しなかった。
「彼の言うとおりだと思うわ。ずっとそうするかはともかく、ひとまずは落ち着くまでね」
ニコラが口ぞえするも、アカリは下を向いたままだ。
クニアキがさらに言葉を紡ぐ。
後に彼が話したことを悔やみ続ける言葉だ。
「今はショックだろうけども、ここで暮らし続けたらその人を忘れられるようになるよ。そうしたら、アカリさんは元気に……」
クニアキはそこまでしか言えなかった。
アカリがぱっと顔を上げて、叫んだからだ。
「私が忘れたら、徹平が死んだのを悲しむ人は誰もいなくなるんですよ! 彼のお父さんお母さんは死んだことすら、わからないんですから! そんなのなんて……」
アカリの剣幕にクニアキは後ずさりするが、ここまできた以上、ひっこめなかった。
「でも、その人はもう死んだんだ。過去にとりすがっても、仕方ないじゃないか。未来を生きようよ、アカリさん!」
「そんな簡単に割りきれません!」
二人の間にシュウイチが割って入った。
「俺はアカリさんがその人を忘れなくていいと思うよ」
「シュウ!」
「クニ、最後まで話させてくれ」
クニアキはなおも言葉を発しようとするも、口を閉ざす。
「サンキュー。無理に忘れようとしなくていいと思うよ。でも、その人を追って死のうとまでは考えてないんだよね?」
「え、ええ、そこまでは……」
「よかった。そうだったら、何が何でも止めないといけなかったから」
シュウイチは目を細めて柔らかい表情になり、話し続けた。
「なら、ひとまずここに留まって、生活するといいよ。もちろん、その気になったら、ずっといてもいいし。無理に忘れなくていいんだ。少しずつ、楽しく暮らせるようになればいいんだから」
シュウイチは時間が解決することを知っていた。
時の経過が優しく、記憶を風化させていく。
彼自身もそうだったから。
「……私はここにいていいんでしょうか?」
「もちろんだよ。なぁ、みんな」
「おお、もちろんだよ!」
テツが一番に、
「ええ、歓迎します」
ニコラが続き、
「……僕の気持ちはもう話したよ」
最後にクニアキがやや俯いて話した。
「……ありがとうございます。お世話になります。絵付けもがんばりますから」
アカリは右手で涙を拭う。
まだひどい顔だったが、さっきまでよりは落ち着きを取り戻していた。
シュウイチがハンカチを取り出して、アカリに渡す。
「はい。これ、使って」
「ど、どうもすみません」
アカリは受け取り、顔をふいていく。
「アカリさん、クニは不器用だけどいい奴なんだ。さっきの言葉も元気付けようとしてかけたものなんだよ。一月一緒にいて、こいつが悪い奴じゃないのはわかったよね」
「はい、それはわかっています。……さっきは気が動転していたので。ごめんなさい、クニアキさん」
アカリはクニアキに向かって、頭を下げる。
「……いや、僕も性急な言葉だったよ。こちらこそ、ごめん。反省してるから」
クニアキは心から反省していた。
また、シュウイチにかなわなかったのだ。
自分が彼女を慰めたかったというのに。
(僕はなんて子供なんだ。アカリさんの気持ちを考えず、焦りすぎた……)
「クニがそんなにしおらしくなるなんてな。俺相手にも反省しろよ」
「……テツ相手に間違えた対応など、一度もしたことはない」
テツがまぜっかえすが、彼なりの励ましというのをクニアキは理解していた。
「話はまとまったようね。何かあったら、また連絡して下さい。私はあなた方のためにできる限りの便宜を図りますから」
ニコラが微笑みながらそういうと、四人はニコラに礼を言った。
今日から、アカリは正式に三人と暮らしを共にする。
クニアキが今日の失態から巻き返そうと、懸命にアカリを助けていく。
シュウイチやテツも何くれとなく、アカリの面倒をみる。
何日かすぎて、アカリはまた笑えるようになった。
時間の力か、シュウイチ達の力か、あるいは両方の力でか。
何はともあれ、それをシュウイチ達は喜ぶ。
四人は製品開発、鍛錬、製作を繰り返すだけだが、平穏で楽しい暮らしを営み続けた。
ある日が訪れるまで。
聖暦一五四二年十二月三日。
パトラゴン大公国の北に位置するアズヴァーラ王国が、パーヴィリア王国に宣戦布告する。
現時点では、パトラゴン大公国が戦争に巻き込まれたわけではない。
しかし、隣接する二国が大規模な戦いを行うのだ。
この日から、パトラゴン大公国の民は戦雲の影を意識するようになる。
四人もまた同様であった――




