(最終) 聖暦一五四二年十月~十二月 誰もが勝者を望みて
聖暦一五四二年十月二日。
「ぐぇっ……!!」
左手で持っていた盾をミロシュの火線でぶち抜かれ、そのまま身体の中心を貫かれた山賊の声だ。
一声あげ、盗賊は絶命し、倒れた。
死んだ盗賊の歪んだ髭面を、ミロシュは少し見つめた後、両目を軽く瞑った。
「よくやった。上出来だ」
ルーの念がミロシュをほめる。
「……ありがとう、ルー」
声を出すと共に、ミロシュは両目を開ける。
「さすがだな、ミロシュ」
「やったわね!!」
カミルとシモナもミロシュに声をかけてくる。
「ありがとう。二人とも倒せたようだね」
ミロシュは二人を向いて、表情を和らげる。
「ええ、ばっちり!」
それに対して、シモナは天真爛漫な笑みを返す。
「これで全員、倒せたな」
カミルの声も表情も、平静を保っていた。
「カミル、シモナ、一応、周りを確かめよう」
「ああ」
「うん!」
ミロシュの雰囲気がやや重い。
それには理由がある。
今日初めて、ミロシュは人間を殺したからだ。
ミロシュ達はカミルの発案で、王都の冒険者ギルドから山賊退治の依頼を受けていた。
街道からかなりはずれ、低木に囲まれていた山賊の隠れ家に押し入り、全滅させたところだ。
パーヴィリア王国は、ヨナーシュの代になってから、王領の治安向上に務めている。
国全体を富ませるためにも、交易路の安全確保は必須だからだ。
なので、王領の主だった街道で山賊に襲われることはほとんどない。
しかし、諸侯領となると、勝手が違う。
カドルツェク公爵のような優れた諸侯は、治安向上に力を入れている。
だが、低劣な諸侯または中級貴族以下の小領主であれば、治安維持にも限度がある。
前者は治安を維持する力があってもやる気がなく、後者はやる気があっても、やれることに限界がある。
なので、ヨナーシュといえども、国内から山賊を一掃することはできていない。
山賊の活動が活発になると、冒険者ギルドへ退治の依頼がくるようになり、ミロシュ達はそういった依頼の一つを遂行したことになる。
「少しは慣れてきたようだな」
ルーから念が飛ぶ。
「二ヶ月くらい、修行してきたからね。そうでないと困るよ」
「まだまだ、だけどな」
「わかってるよ」
ルーの念に茶化すような調子が入って、ミロシュの返事はつっけんどんになった。
ソヴェスラフから王都への移動、カミルの所領受け取りなど諸々で、一ヶ月はすぎた。
ミロシュ達はスキルなしで魔法や気配察知など、様々なことが行えるよう修行してきたが、修行期間は二ヶ月弱だ。
スキルによる操作とは、プログラムを使った操作だとミロシュは感じていた。
スキルを使っていた場合、「火球を放ちたい」と思うと、後は自動的にスキルというプログラムが火球を放ってくれていた。
もちろん、狙う場所、火球の大きさなどをイメージする必要があるけども、イメージするだけでスキルが後はやってくれる。
しかし、スキルを使わない場合、そう簡単にはいかないのだ。
火球を放ちたければ、まずは体内にある魔力を、火属性の魔力に転換するところから始める必要がある。
その次には、火球を構成するのに必要なだけ火属性の魔力を練りこみ、射出したい部位まで自分で魔力を誘導しなければならない。
そして、自分で狙いを定めて、火球を放つというわけだ。
ミロシュはルーヴェストンの指導で、この作業を繰り返すが、なかなかうまくいかない。
スキルでやるよりもかなり時間がかかったり、魔力消費が多すぎたり、思った場所に火球が飛ばなかったりする。
そのたびに、
「お前、そんなんじゃすぐに死ぬぞ」
「やる気があるのか?」
など、ルーから容赦ない念がとんでくる。
「わかってるよ!」
「やらなきゃいけないのは、わかってるんだ!」
しかし、二ヶ月間、ミロシュはへこたれず、励んだ。
うまくいったときは、ルーヴェストンもほめるので、ミロシュはそれがうれしかったりもした。
「よーし、よくやったな!」
「ありがとう、ルー!」
といったように。
カミルやシモナに、この力の使い方を教えるのは難儀だった。
ミロシュはカミルやシモナと手をつなぎ、ルーヴェストンが手をつないだ相手の力を操作して、実演する。
「こんな感じだ。覚えたな。やってみろ」
「……そう簡単に言うな」
「……ごめん、もう一回、やって欲しいんだけど」
「チッ、覚えが悪い奴らだな」
このように、悪戦苦闘していた。
カミルやシモナに教えている間は、ミロシュも鍛錬ができないので、最初は効率が悪かった。
しかし、カミルとシモナが力の使い方を理解するようになると、もう手をつなぐ必要はない。
三人同時に鍛錬できるので、効率がよくなる。
「いいか、力は大きければいいってものじゃない。どれだけうまくコントロールできるかが重要だ。神々は持っている力が大きいのもあるが、力の使い方が人間とかよりもはるかにうまいんだよ。お前らが奴らと戦うには、力の使い方をマスターする必要がある」
ルーヴェストンはこの言葉を何回もミロシュ達に話した。
一ヶ月、二ヶ月と鍛錬を続けると、その言葉がミロシュ達も実感できるようになる。
消費する魔力量が同じでも、鍛錬前と鍛錬後では威力が大きく異なっていたからだ。
スキルは確かに便利だった。
しかし、ルーヴェストンに教わった方法を極めていくと、効率という面では明らかに劣る。
それでも、二ヶ月の鍛錬ではルーヴェストンがヤーデグを簡単に撃ち落すようにはいかなかった。
だが、強くなったのをミロシュ達は実感している。
そこで、カミルが冒険者ギルドで依頼を受けるのを提案したわけだ。
ミロシュ達は、山賊が全滅したのを確認し終えた。
もう、ミロシュ達以外に生きている者は誰もいない。
「なら、王都に戻ろうか」
ミロシュの言葉にカミルとシモナが頷く。
「ミロシュ、大丈夫か?」
「もちろんだよ。無傷だったしね」
カミルの言葉に、ミロシュは何気ないようにこたえる。
「なら、いいんだ」
カミルはシモナにも同じように問いかけ、シモナもミロシュ同様に返事していた。
カミルがこの依頼を受けるよう提案した理由は、鍛錬で身に着けた力を実戦で確認するためというものだ。
しかし、ミロシュは本当の理由が別にあると推測していた。
実戦で確認するだけなら、山賊退治を選ぶ必要はない。
これまでのように、魔物相手に戦えばいいのだから。
本当の理由は、人殺しに慣れるためだろう、とミロシュは考えている。
三人とも、人を殺したのはこれが始めてだろう。
これまでは、ソロでしか活動しておらず、山賊退治などパーティを組まなければできない依頼だからだ。
もしかしたら、二人には秘めた過去があるかもしれないが、おそらくないだろう。
カミルが本当の理由を述べないのは、過剰に人殺しを意識させるのを防ぐためだとミロシュは思う。
ミロシュ達が隠れ家を襲撃すると、山賊達は誰もが殺気を放って迎撃してきた。
人を殺すということを意識する前に、倒すべき敵を倒すということを意識する。
また、相手が犯罪者であるのも、人殺しというやましさを軽減させてくれた。
おかげで、精神的なショックをほとんど受けずにすんだ。
国に仕える身となったからには、対人戦は避けられない。
動員令がかかるのも、ありえる身なのだ。
その前に、人殺しという一線を越えやすい形で越えておくのは必要なことだった。
だから、
「ありがとう、カミル」
と、ミロシュは声をかける。
「いきなり、どうしたんだ」
カミルは苦笑する。
「なんとなく言ってみたかったんだよ。さぁ、帰って鍛錬の続きをしよう」
「ええ!」
「そうだな」
「ああ、まだまだ全然だからな。気合入れてやれよ」
カミルの配慮を無駄にしないためにも、ミロシュはもっとがんばろうと思う。
ミロシュ達は、さらなる鍛錬を続けていく。
地味できついが、未来を考えれば、絶対に必要であるがゆえに。
◇ ◇
聖暦一五四二年十月四日。
グナイゼル王国にて、国王ヨハンネス一世崩御。
王太子であるタハヴォ=サムリ=フルメリンタ=バロカンナスが国王として即位する。
「私マユカ=アサバは王妃として、グナイゼル王国の民を守り、よりよき治世をもたらすよう、ハイグラシアに誓います」
マユカの誓いの言葉と共に、魔法陣から七色の光が放たれ、マユカを覆う。
この誓いは魔法陣で言葉を発すれば成立する。
よこしまな思いを抱いていても成立するあたり、マユカは欠陥があると思った。
もっとも、自分の言葉に偽りはないので、心からそう思わない限り成立しなかったとしても問題なかった。
心から、グナイゼル王国によりよき治世をもたらすつもりだ。
自分がやりたい事をするために、それは必要だから。
「皆様方、陛下と私をこれからも助けて下さい」
マユカの言葉に家臣一同が頭を下げる。
下げられた頭を見て、マユカはある種の感慨を持つ。
ただの女子高生だったのが、約七ヶ月で一国の王妃になったのだ。
でも、特に満足はしていない。
マユカが欲しいのは、本当のパートナーだから。
今は通過点にすぎない。
この誓いによって、神々の干渉をかなり防げるというのがマユカにとっては大きかった。
神々が持つ力は強大だ。
自分の行動が派手になれば、いずれ神の誰かに敵視されるだろう。
身を守るために、この誓いは必要だった。
死ぬのは構わない。
いずれ、死ぬものだから。
(でも、死ぬのはやりたいことをやってからね)
家臣一同が頭を上げると、マユカは女神のごとき微笑みをたたえていた。
◇ ◇
聖暦一五四二年十月二十五日。
イゴル王国がグナイゼル王国に宣戦布告する。
イゴル王国はパーヴィリア王国の南西、グナイゼル王国の南東に位置し、獣人が人口の約九十%を占める。
建国されて、二五三年だ。
国土の北部をのぞいて、ミドガロールこと地球の亜熱帯に近い気候であった。
王都ガオナルは十月末でも、日中はまだまだ暑い。
イゴル国王アードルフは三十六歳。
即位して十五年になる。
十三年前、若かった彼は血気にはやり、パーヴィリア王国に侵攻し、一敗地に塗れた。
反省した彼は内治に専念する。
といっても、他国への侵攻を断念したわけではない。
絶好の機会が巡るまで、我慢していただけだ。
ソヴェスラフに魔物が襲来し、駐在していたパーヴィリア軍は大きく傷ついた。
その一報を受けた彼はパーヴィリアへの再度の侵略を検討するが、断念した。
パーヴィリア国王ヨナーシュに、彼は畏怖に近い感情を持っていた。
その理由は、敗北しただけではない。
ヨナーシュの治世が優れていたからだ。
彼はヨナーシュの治世をかなり参考にしていた。
イゴル王国にも諸侯がいて、国土の約七割を諸侯が治めている。
ヨナーシュと同じように彼もまた、王権の拡大に務めていた。
国土開発、治安向上、街道整備も同様だ。
ゆえにパーヴィリアを詳細に調査していた彼は、パーヴィリアの国力戦力が大幅に向上しているのを知っていた。
だから、ソヴェスラフでのダメージを知っても、侵略を断念した。
しかし、ついに絶好の機会が訪れた。
グナイゼル王国における国王崩御だ。
即位した新国王は凡庸なタハヴォ。
新王妃マユカ=アサバはなかなか賢明だと調査によって知っていたが、内政と戦争は異なる。
衰退したグナイゼル王国に大勝し、国土を拡張する千載一遇の好機だろう。
彼は腹心と協議し、重臣に諮り、諸侯の同意を得る。
獣人の守護神エルヴィオに教団を通じて、戦争の支援を求めたが、全面的な支援を約束してもらえた。
何柱かの神々に支援するよう、エルヴィオが要請までしてくれるという。
もっとも、彼はそうなるだろう、と確信していた。
ヴルドヌス大陸で人間の守護神アウグナシオンが、獣人が王族のテラヴォーリ王国に対して、内乱を仕掛けたのを彼も知っている。
エルヴィオが憤慨しているだろう、と推察できた。
アードルフには野心がある。
イゴル王国において、史上最高の国王となることだ。
そのためには対外戦争において、大きな勝利を手に入れ、領土を拡張する必要があった。
その為には何もヨナーシュ率いるパーヴィリア王国と戦う必要はない。
弱敵から、勝利の果実をもぎ取ればよいのだから。
◇ ◇
聖暦一五四二年十月三十日。
グナイゼル王国の王宮で、王妃マユカはファバイダンが召喚した勇者達の拝謁を受けていた。
イゴル王国から宣戦布告されたというのに、タハヴォ国王は酒色に溺れるのをやめず、政務はマユカに一任していた。
彼はもう、政務を見る気はない。
そうされてしまったのだ。
死なれては困るので、健康面だけはきっちりメンテナンスされていた。
彼はある意味幸せだった。
勇者達は総勢十五人。
代表して、マユカと話をする勇者の名前はアルスといった。
アルスの容貌はマユカから見て、好ましいものだ。
きりっとした碧眼、さらりとした青い髪、すっと通った鼻梁、シャープなマスク。
十代後半の美少年だ。
「人間を守る勇者として、私達はイゴル王国の侵略を防ぐべく、全力を尽くします」
アルスの仕草も優雅で、態度も恭しい。
だが、瞳だけは違った。
どことなしに薄暗さがあり、精彩を欠いている。
マユカはその事にすぐ気づく。
「アルス様並びに勇者の皆様方のご協力に感謝いたします。私はアウグナシオン様に召喚された身。勇者様方はファバイダン様に召喚されています。私達の立場はよく似ていますね」
マユカの言葉にアルスを初め、勇者達が驚きの表情を顔に浮かべる。
「アルス様、立場がよく似たあなた方ともっと話をしたく思います。受けて下さいますか」
「喜んで、話をしたく思います」
アルスがマユカを見る眼差しは先ほどと異なり、鋭さを増していた。
「それはうれしいですね。我が国は危機を迎えようとしています。ファバイダン様、アウグナシオン様と信仰する神は異なっても、私達は同じ人間です。手をたずさえ、一致団結しなければなりません」
マユカが王太子妃、王妃となるに連れて、アウグナシオン教団は活発に布教を行い、大きな成果をあげていた。
しかし、イゴル王国から宣戦布告を受け、エフセイは教団に布教中断の指示を出している。
元々、グナイゼル王国はファバイダンの縄張りだ。
共通する外敵が現れた以上、ファバイダンとの協調が必要となる。
盟約者であるマユカが王妃となって実権を握った以上、エフセイは焦る必要がなかった。
外敵を倒してから、勢力拡大を再開すればいいのだ。
「王妃様のおっしゃる通りだと思います」
アルスが同意する。
マユカは微笑み、勇者達の何人かがどぎまぎするも、アルスは微笑みを返しただけだ。
その微笑みを見て、マユカはアルスとの会話を楽しみとする。
おそらく、アルスは自分達同様に無理やり召喚されたのだろう。
不本意げな様子は、そのためだとマユカは推測していた。
(なら、つけこみやすいかしら。彼とは親密になりたいものね)
勇者達の強さはまだよくわからないが、強いのは間違いないだろう。
マユカは一人でも多くの勇者を、心から自分に協力するよう、すすめていくつもりだ。
「我らは手を携え、イゴル王国の悪辣な侵略を退けましょう」
まだほんのわずかだが、イゴル王国にもマリファナやヘロインを輸出し始めていた。
アヘン戦争などを知っているマユカからしたら、イゴル王国の侵略は正当防衛といえなくもない。
だが、そんなことを教える必要はなかった。
グナイゼル王国は侵略された被害者。
それでいいのだ。
◇ ◇
聖暦一五四二年十一月二十二日。
ミロシュ、カミル、シモナはアルノーシュ王国の王都セリュノーにある王宮にて、女王ジェルメーヌに拝謁していた。
アルノーシュ王国はパーヴィリア王国の南東に位置する。
王都ザハリッシュは十一月末ともなると寒くなり、上着は必須だ。
しかし、セリュノーでは日中はまだ、上着を必要としなかった。
ヨナーシュの命によって、ミロシュ達は使節としてアルノーシュ王国に派遣されていた。
正使が王の甥であるカミル、副使がミロシュ、エルフであるシモナだ。
他に副使がもう一人、護衛として何人か同行している。
カミルは自分達が外交官としてどれだけ使えるかのテストだろうと考えていた。
王の甥である自分は爵位こそ低いが、王族なのであらゆる場面に起用できる。
無役でもあり、使いやすいのだろうな、とカミルは苦笑する。
また、ミロシュはカミルから見ても、外交官に向いているかもしれない、と思う。
容貌に優れ、粗野さがなく、真摯さもある。
不器用なのが欠点だろう。
シモナの起用はエルフだからだろう。
もっとも、誇り高いハイエルフの女王がどう思うのか、少し懸念していた。
エルフだというのに、人間が王族の国に仕えているのだから、面白くないと思われなければいいのだが。
任務は、ヨナーシュから女王への書状、贈答品を渡し、手紙の返事をもらうことだ。
手紙の内容はカミル達に知らされていない。
いたって簡単で、初めてにふさわしい任務だろう。
もう一人の副使は外交のベテランで、カミル達は彼に道中、あれこれ教わっていた。
また、ヨナーシュに自分達のテスト結果を報告するのだろう。
謁見の間は豪奢さよりも上品さを感じさせた。
派手さを抑え、なおかつ地味にならないよう、まとめられている。
もうすでに、ヨナーシュの手紙と贈答品を渡す最初の拝謁は終わり、歓迎会も無事にすんでいた。
今行われている拝謁は、返書を受け取る最後のものだ。
「返書をしたためました」
ジェルメーヌの落ち着いた声と共に、侍従が返書をカミルに差し出し、カミルが受け取った。
ジェルメーヌは即位して二四八年。
四二三歳のハイエルフだ。
長きにわたる歳月を全く感じさせず、老いは微塵もない。
清冽たる美貌を保ち、静かな威厳が彼女から発せられている。
左右に重臣が並んでいたが、いずれもエルフで容貌の美しさはいうまでもない。
「どうも、ありがとうございます。陛下」
カミルは優雅に一礼する。
「カミル殿下、ヨナーシュ陛下によろしくお伝え下さい。それから、シモナ、何かあれば、いつでも我が国に来て下さいね。魔力障りの家系というだけで、あなたの能力を見抜けなかった不明をお詫びします」
「いえ、滅相もありません。陛下にそう言っていただけただけでうれしく思います」
シモナは慌てた様子で、頭を下げる。
シモナは道中、感情がやや不安定だった。
ハイテンションになったり、沈みがちになったり。
亡き父が鍛えてくれたお陰で、魔力障りである自分が晴れがましい立場で故国に戻れる。
しかし、カミルが抱いていた危惧を、シモナもまた抱いていた。
いや、カミルよりも濃厚に。
うれしさと憂いがシモナを不安定にしたのだ。
そんなシモナにミロシュが道中で、
「シモナ、よかったら帰り道にでも故郷に寄る? 進路から大きくずれてたら厳しいかもしれないけど」
と、提案した。
「そうだな。そんなにずれてなければ、問題ありませんよね」
カミルがもう一人の副使に質問した。
「……事情は少し聞いています。大幅に時間が遅れなければ問題ないでしょう」
少し考えた上で、副使がそう返答を返した。
シモナはミロシュ達の顔を見やって、気づいた。
ミロシュ達が自分を気遣ってくれたことに。
その気持ちがシモナの胸を打つ。
「……ありがとう。でも、いいの。お父様の槍はここにあるし、あたしにとって大切な人は故郷じゃなくて、目の前にいるから」
「……いいのかい?」
ミロシュの声にシモナは間髪いれず、
「いいの。ありがとう!」
と、笑みを浮かべてかえした。
そして今、女王から温言をもらい、憂いもなくなった。
頭を上げたシモナの顔は晴れ晴れとしていた。
シモナの表情を横目で見て、ミロシュの顔も明るいものとなった。
そんな二人の様子が、女王ジェルメーヌの目に留まる。
何事もなく、謁見は終了し、カミル達は帰国の途についた。
夜、王宮の自室にて、ジェルメーヌはヨナーシュからの書状を手に取り、再読する。
書状を机におき、彼女はつぶやいた。
「攻守同盟なんて本気で望んでいるのかしら」
ジェルメーヌは攻守同盟を婉曲に断り、これからも友好関係を続けようという趣旨の返書を出した。
エルフは長寿だが、その代わり、繁殖力が低い。
戦争ともなれば、エルフの軍は強力だが、犠牲者は必ず出る。
その被害を埋めるのに、かなりの時間がかかるだろう。
ゆえに、アルノーシュ王国は中立を保っていた。
パーヴィリア以外の他国からも同様の誘いを受けていたが、全てはねのけている。
ジェルメーヌのみならず、王国を率いるハイエルフ一同の総意であった。
ジェルメーヌはパーヴィリアの建国王エルヴィーン=ブラーハと対面したことがある。
一平民だった彼は徒手空拳で、王にまで成り上がった。
それを果たせたのは、圧倒的なまでの強さだ。
ジェルメーヌはエルヴィーンの雄姿、覇気を未だに覚えている。
鮮やかに、くっきりと。
パーヴィリア王国にとって、人間にとって、エルヴィーン=ブラーハとは歴史上の存在だ。
だが、彼女にとっては過去なのだ。
約五百年の寿命を誇るハイエルフは、人間ととるべき戦略が異なる。
敵対すればどうなるかと怯えまで感じさせたエルヴィーンですら、老いに勝てず世を去った。
ヨナーシュが屈指の英傑であったとしても、健康に気を遣い長寿を保っても、国王として陣頭に立てるのは残り三十年ほどだろう。
ジェルメーヌから見たヨナーシュの評価は限りなく高い。
エルヴィーンに迫るほどだ。
ゆえに、直接対峙するのは避けて、残酷な時の流れが彼を退場させるまで、待ち続けるつもりであった。
彼女は物思いにふけるのをやめて、書棚から本を取り出し、椅子に座って読み始める。
その姿はまさに絵になる美しさであった。
◇ ◇
聖暦一五四二年十二月三日。
パーヴィリア王国の北に位置するアズヴァーラ王国が、パーヴィリア王国に宣戦布告する。
アズヴァーラ王国の人口は約八五%が竜人で、十%ほどが人間、残りがその他という構成だ。
竜人は人間よりやや体格に優れ、平均寿命も人間より約十年ほど長い。
額の上部に角めいた突起が、左右に二個飛び出ている。
竜人のほとんどが炎竜人か氷竜人だ。
前者は金瞳赤髪で赤味がかった肌を持ち、後者は銀瞳銀髪で青みがかった白い肌をしている。
炎竜人は暑い気候を好み、氷竜人は寒冷な気候を好む。
アズヴァーラ王国に住まうのは氷竜人だ。
アズヴァーラ王国の王都ヴァージェルドでは、夜ともなると野外の水が凍りつく。
王都は内陸部にあり、降雪量はさほどでもないが、うっすらと雪がつもっていた。
だが、王都郊外に集められた南征軍三万五千の軍勢がもたらす熱気によって、王都は活気付いている。
宣戦布告と同時に、王国全土から集められた南征軍が進発する予定だ。
王都郊外で全軍を前に、設えられた台の上に立ち、アズヴァーラ国王バルタザールが檄を飛ばしていた。
「ソヴェスラフでパーヴィリア軍は大きな傷を被った。国境近辺で蠢動するパーヴィリアの輩を排撃するまたとない好機である!」
激しい声が魔法によって音量を増し、全軍に響いていく。
国境付近に住むアズヴァーラ王国の民は人間が多かった。
ヨナーシュの善政や開拓推進を知り、移住する者がたえなかった。
また、ヨナーシュは工作員を送り、それを促していたのだ。
「アズヴァーラの総力をあげたこの軍であれば、パーヴィリアごとき姑息な奴らの軍は必ずや一蹴できる!」
バルタザールは即位して五年の二七歳だ。
精悍な顔に堂々たる体躯は、王者にふさわしい姿であった。
「迎撃してきた軍を打ち破った後は、王都ザハリッシュまで進撃し、攻め落とすであろう! パーヴィリア王国の歴史は一二七年で終わらせ、全土を併合するのだ! そうなれば、恩賞は望みのままを与えよう。戦いで活躍すれば、栄光と共に富貴が手に入るのだ。アズヴァーラの勇士達よ、予と共に勝利をつかもうぞ! アズヴァーラ、万歳!」
「アズヴァーラ万歳!! バルタザール陛下万歳!!」
若き王の檄に応え、兵士達は高らかに唱和する。
士気高い軍を眺めて、バルタザールは満足げな表情となるが、少し翳りが射す。
この宣戦布告は万全な状況で発せられたものではない。
本来であれば、イゴル王国と共に宣戦布告し、挟撃する予定であった。
だが、イゴル王国との交渉が長引いた挙句、グナイゼル王国に攻め込み、共闘を拒否されたのだ。
バルタザールは、イゴルのアードルフ王がヨナーシュに怖気づいたのだと憤慨せざるを得なかった。
富強を誇るパーヴィリアといえども、挟撃できれば勝利が間違いないと思えただけに、バルタザールはほぞをかむ。
それでも、パーヴィリアへの宣戦布告に踏み切ったのには理由がある。
ソヴェスラフにおける軍の損傷は表向きの理由であって、実際には大した理由ではない。
まずは、アズヴァーラの南東、パーヴィリアの北東に位置するパトラゴン大公国が、内密に中立を確約したことだ。
パトラゴン大公国は人間が治めているだけに、アズヴァーラとはやや疎遠でパーヴィリアに近い。
この国が動かないでくれるのは重要であった。
次に、竜人の守護女神シャルリーゼが、積極的な支援を約束したことだ。
彼女もまた、獣人の守護神エルヴィオ同様、アウグナシオンの横暴を忌避していた。
最後に、イゴル王国がグナイゼル王国に攻め込んだ事で、アウグナシオンはともかくファバイダンはそちらの支援にまわるという事だ。
パーヴィリアを支援する天使の数が少なくなるのは大きい。
バルタザールの風貌をみれば、ただの若い武人に見えるかもしれない。
だが、彼もまた、外交、戦略的な判断で軍を動かしていた。
そうでなければ、重臣や諸侯の同意は得られない。
バルタザールはパーヴィリアに攻め込みたいと、即位当初から考えていた。
その理由は、パーヴィリアの成長力を恐れているからだ。
個体としては竜人のが優れている。
平均的な個体を抽出して、一対一で戦えば、竜人が勝つだろう。
しかし、農耕に適した土地を多く持つパーヴィリアは食糧生産力が高く、建国時よりも人口を大きく伸ばしている。
それに比べて、亜寒帯、寒帯気候に住まうアズヴァーラの竜人は農耕、牧畜を主体としており、人口がほとんど伸びていない。
座していれば、パーヴィリアの国力がアズヴァーラを圧倒するのは間違いなかった。
そうなる前にバルタザールは、パーヴィリアを叩きたかったのだ。
今であれば、互角の戦いが挑めるであろう。
アズヴァーラの若き王バルタザールは祖国のため、乾坤一擲の戦いに打って出た。
◇ ◇
聖暦一五四二年十二月十七日。
アズヴァーラ王国の宣戦布告を受けたヨナーシュは、動員令を発した。
王都ザハリッシュには王軍一万四千、諸侯軍一万六千、各教団軍二千、合計三万二千の軍勢が集結している。
ソヴェスラフの時とは状況が異なる。
ヨナーシュは急進するのではなく、じっくりアズヴァーラ軍を引きつけてから、叩くつもりであった。
アズヴァーラ軍は寒さに強い。
北上して寒さが厳しい地で戦うのは、愚かというものであった。
ヨナーシュもまた、全軍の前で演説する。
「パーヴィリアに何の非もないというのに、アズヴァーラは攻めてきた。このような侵略には断固として立ち向かう必要がある。敗北すれば、街や村にもアズヴァーラの兇暴な軍が殺到するだろう。自分ばかりでなく、妻や子供、大事とする人々も失われるかもしれないのだ」
ヨナーシュの声は大きいが、静かな調子を保ち、静寂を保つ全軍に浸透していった。
「そんな未来を招かぬためにも、我らは全力で戦おう!」
一転して、ヨナーシュは声を張り上げる。
「侵略してきたアズヴァーラに正義も大義もないのだ! 弱き民への略奪を防ぎ、故郷を守る我々にこそ、大義がある!」
ミロシュ、カミル、シモナも近衛部隊に混じって、ヨナーシュの演説を聴いていた。
カミルは所領持ちだが、まだ間がないので兵士の供与は免除されている。
ヨナーシュにしても、必要なのはミロシュ達三人だけであった。
「このようなアズヴァーラを隣人としておくわけにはいかない。侵略軍を撃破し、我々はそのまま、敵の本拠ヴァージェルドに攻め込むのだ!!」
ヨナーシュの言葉にどよめきが起きる。
かつて、ヨナーシュはイゴル王国軍を撃破した後、和睦に応じて帰還した。
今度の戦いでもそうなるだろう、と考えていた者が多かった。
ヨナーシュの言葉は衝撃的だった。
「予は陣頭に立ち、諸君らと生死を共にする。戦功をあげた者は、一人残らず賞すであろう。予は確約しよう。大功にふさわしき富貴を授与する、と。全員の力でパーヴィリアに勝利をもたらそう! パーヴィリアに栄光あれ! パーヴィリア万歳!!」
「パーヴィリア万歳!! ヨナーシュ陛下万歳!!」
ヨナーシュの声に応じ、兵士達も大きな声で万歳と唱和する。
その光景は、ヴァージェルドに集結したアズヴァーラ軍と酷似していたが、一つ異なっていた。
異なるのは、国王の表情だ。
ヨナーシュの表情には、翳りが一切ない。
満足げな笑みがしみ一つなく広がっている。
即位後まもなくイゴル王国の軍に勝利した時、ヨナーシュはこのまま攻め続けてイゴル王国を攻め落とすという誘惑にかられた。
しかし、このまま戦い続けてイゴル王国を征服できたとしても、それを保ち続けることはできないと考え、軍をひいた。
当時は諸侯や国民の信を完全に得ておらず、北のアズヴァーラ王国が今のように干渉してくれば、支えきれないと判断したのだ。
それから、外征に耐えられるよう、ヨナーシュは内治に専念し続けた。
十三年の時を経た今、ヨナーシュの支持基盤は厚く固い。
外征にうってでても、国内の乱れはごくわずかだろう。
ヨナーシュは十四才にして騎士団に入り、十二年かけて異母兄を倒すだけの力を手に入れた。
外征できる環境を整えるのに、十三年かけたことになる。
ヨナーシュは笑みを浮かべて兵士に手を振っていたが、待ち続けるのがようやく終わるという安堵の意も笑みに込められていた。
ヨナーシュは、賢王のまま、生を終えるつもりは毛頭ない。
一度、生を受けたからには、限界まで力を振り絞り、覇道を突き進むつもりだ。
その巻き添えで多くの者が死ぬだろう。
眼前で万歳と唱和している兵士達の多くも倒れるだろう。
ヨナーシュはそれを誰よりも理解していたが、だからといって怯むことはない。
彼の眼にブラジェク大司教が映る。
そばには高坂川高校の生徒達もいる。
新たに雇い入れた高名な魔導師、冒険者が視界に入る。
彼らもまた、彼らの目的があり、この場にいるのだ。
名誉を、富貴を、ハーレムを、あるいはそれ以上を手に入れるために、自分に仕えた。
自分が踊らせていると考えるのは、彼らに失礼というものだ。
多くの一般兵も同様だった。
ここにいるのは専業兵士だ。
全てを理解した上でここにいる、とヨナーシュは考えている。
甘えなど許すつもりはない。
ただ、農業などに従事している弱き民については、別の想いもある。
だからといって、躊躇をするつもりはないが、賢王として配慮を続けるつもりだ。
弱者として生まれついた者に対しては、情けが必要だとヨナーシュは考えていた。
誰もが強者になれるわけではないのだから。
ミロシュ、カミル、シモナの姿も眼に入る。
これからは戦いにつぐ戦いとなるだろう。
成長力の高い彼らは、それらの戦いで成長してもらいたいものだ。
自分のためにも、彼ら自身のためにも。
アズヴァーラ王国との戦いになるのは予期していた。
国境で挑発を繰り返していたのも、侵略を誘発するためだ。
打つべき手はもう打ってある。
後は、完全なる勝利をもぎとり、アズヴァーラ王国を併合するだけだった。
◇ ◇
聖暦一五四二年十二月二十五日。
神界からハイグラシアを眺める自由の神カフュースは憂慮する。
アウグナシオンに続いてファバイダンまで、異世界から勇者達を召喚していた。
二柱に触発された他の神も、次々と異世界から召喚を行っていたのだ。
あえて名づけるなら、大召喚時代だった。
黄昏条約を推進したカフュースは、異世界からの召喚を完全に禁じたかったが、それを為しえなかった。
禁止ではなく、制限に留まったことを今になって後悔する。
神々は愚行を繰り返しても、ハイグラシアの神だ。
最後は、ハイグラシアを守るだろう。
だが、異世界から召喚された者達はそうではない。
無理やり召喚された恨みも手伝い、ハイグラシアそのものへの復讐を考える者まで出てくるかもしれない。
大戦時に召喚した外界の神々は、大きな災いとなった。
それに比べれば、異世界人など小さな存在かもしれないが、戦いが続けば、大きな存在へと成長するだろう。
異世界からの召喚は愚行だと神々が気づかないことに、カフュースは嘆く。
異分子が次から次へと流入することによって、ハイグラシアは大きく安定を欠いている。
カフュースは大きな戦いとなるのを予感していた。
アウグナシオンが今になって、大規模召喚にふみきったのは偶然ではない。
大戦終了時に減少していた人口は千五百年あまりを経て、約十倍にふくらんでいた。
それによって、人々の信仰が増えて、神々にもたらされる神力も増加したのだ。
特に、人間の人口増加がもっとも著しかった。
これには、カフュースも貢献している。
カフュースが組織した冒険者ギルドの恩恵を、もっとも大きく受けたのは人間だからだ。
一個体ではもっともひ弱な人間だったが、組織力はもっとも高かった。
冒険者ギルドという組織を有効に活用できた人間は、活動領域を大きく広げることが出来た。
それと、繁殖力の高さも大きく貢献している。
人間の勢力増強が、アウグナシオンやファバイダンの力を大きく伸ばした。
もっとも積極的なアウグナシオンが、異世界からの召喚を始めたというわけだ。
カフュースは人間対諸種族という図式で戦いが拡大するのではないか、と懸念している。
そうならないよう、自分もまた行動すべきかもしれない、と考え始めていた。
◇ ◇
高坂川高校から召喚された生徒達の何人かは王妃、高官、商人、冒険者として、大きく台頭し始めていた。
約九ヶ月しかたってないというのに。
これは、彼らの持つ資質のみならず、アウグナシオン、天使、教団といったサポートが充実していたのが大きい。
しかし、光があれば影を伴う。
聖暦一五四三年を迎えた時には、すでに十五人の生徒が死んでいた。
ハイグラシアに来なければ、王妃や高官などにはなれなかったに違いない。
しかし、この十五人が死ぬこともなかっただろう。
ミロシュがリスクをとって、スキルポイントUPや経験値獲得UPを取得したように、他の生徒達も数十人、同じ選択をしていた。
その結果、育つ前に死んでしまった者が何人もいたのだ。
また、鈴鹿亮のように、スキルラーニングを取得した者は他に二人いた。
スキルラーニング取得は、独創的な考えというわけではない。
誰もが考えることなのだ。
しかし、この二人のうち一人は、スキルを奪う前に魔物に敗れ、息絶えた。
一人は生き残っているも、成長しあぐねている。
リョウ=スズカのような恵まれた環境でなければ、戦闘スキルをほとんど取得せずに戦えるわけがなかった。
また、環境の激変に精神が耐えられず、死んだ者も何人かいた。
天使がサポートしようとしても、どうにもならなかったのだ。
このように影がつきまとうも、生徒達は懸命に生きていた。
これから来る乱世で、生徒達は力を増し、さらに地位を向上させることになる。
平時において、新参者が立身出世するには限界がある。
しかし、力が全ての乱世では、貴族いや国王にすら、なれる可能性があるのだ。
その影で、さらに多くの生徒達が倒れるだろうが――
生徒達の一人であるミロシュもまた、同様であった。
ミロシュはカミルやシモナと共に、パーヴィリア王国とアズヴァーラ王国の戦いに、身を投じることになる。
<第一部完>




