(30) 聖暦一五四二年七月~九月 新たな時代の寵児達
聖暦一五四二年七月一日。
僕は名村隼人からミロシュという名前になり、今ではミロシュ=ハルヴァートだ。
間もなく、三ヶ月少し住んでいたこのソヴェスラフを去る。
カミルやシモナと共にまずは王都へ行き、それから、カミルの所領へ入る予定だ。
今にして思うと、あっというまの三ヶ月だった。
まさか、大騎士爵なんていう貴族になるとは思わなかった。
下級だが、貴族は貴族だ。
叙爵以降、政庁ですれ違うと、少年にすぎない僕に年上の官吏が何人も礼をする。
僕より、爵位が下だからだ。
街に出ても、未だに英雄呼ばわりされることがある。
気恥ずかしさに襲われるけども、少しぞくっとする気持ちよさもある。
虚栄心、うぬぼれ、思い上がり、そういうものだろうか。
でも、自力で手に入れてない事実が、僕に冷や水を浴びせてくれる。
ある意味、それでよかったのではないだろうか。
そして、僕もまた、目上の人に対して礼を心がけるようにする。
カミルに教わったとおりに。
僕は高校生だったけども、今では社会人、いや、武官になろうとしている。
冒険者ギルドに顔を出して、ユディタさんに別れを告げる。
ユディタさんが寂しがってくれた。
表情も声も切なく思えるんだけども、なぜかそれが嬉しい。
別れを惜しんでくれるからだろうか。
最初は貴族となった僕に敬語を使っていたけども、無理にやめさせた。
礼儀は大切だけども、今の僕には不適切なものだ。
「ミロシュ、近くに来たら、ぜひ寄ってね」
「はい、ユディタさん。どうもありがとうございました」
僕はユディタさんと握手をする。
ユディタさんの手のひらはなめらかで、いつまでも握っていたかった。
なんて、僕は少し変態だろうか。
ダリボルさん達とも会えたので、別れの挨拶をする。
「大物になると思ってたけど、こんなに出世が早いとはな!」
「たまたまですよ、運がよかっただけです」
この言葉に嘘はない。
僕は努力したかもしれないけど、幸運だったことが大きかった。
「冒険者にとっては、運がいいってのが一番重要なんだよ!」
「ええ、そうですね」
少しばかり話をして、ダリボルさん達ともお別れだ。
アルリットさん達が僕を見る眼に、やっぱり色気のようなものを感じる。
一緒にいたシモナに腕を引っ張られて、眼があう時間は短かったけども。
以前の話からして、ある種の可能性を感じないわけでもない。
でも、僕を引っ張ってくれるシモナと比べれば、
「さぁ、早く行きましょう!」
「わかったよ。そう引っ張らないで」
おぼろげに消える程度のものでしかなかった。
僕はシモナに引っ張られて、ギルドを出て行く。
カミルが軽く挨拶をして、後からついてくるのが見える。
そのカミルの姿になぜかいつも、僕は安心感を覚えるのだ。
聖暦一五四二年七月二日。
僕とカミルとシモナは、ソヴェスラフにあるアウグナシオン教団の聖堂を訪れた。
大理石造りの豪奢な建物は圧倒されるほどだが、内装は思ったより質素だった。
神官の人達に丁重にもてなされ、僕達を招待したブラジェク大司教と話をする。
神官というよりも、武人に見える大司教の話し方はとても丁寧だ。
僕がまるで、神様か天使かのように思っているかのようだ。
神殿に来るよう勧誘されるかと思ったが、そうではなかった。
僕がこれまでとってきた行動や好きな食べ物、趣味などを質問された。
僕達もまた、教団の姿勢や行動などについて質問する。
大司教には、僕をくつろがせるようなものを感じさせる。
理由はよくわからないけども、表情の温和さがそう思わせるのだろうか。
とても美しい年上の女性やかわいい女の子、女の子みたいな顔をした少年が飲み物や簡単な食べ物を持ってきてくれた。
いずれも神官の服装で、少年が少年だとわかったのは服装の違いからだ。
やっぱり、綺麗な容姿だと惹きつけられてしまうので、つい三人とも見つめてしまった。
自分のはしたなさが少し恥ずかしい。
そう思い、大司教に見られてないか目をやると、視線があってしまう。
大司教の眼は観察者のようだったけど、一瞬で視線の種類とでもいうか、何かが変わる。
あっというまに、さっきまでの丁重さを感じさせる大司教に戻っていた。
少しぎょっとした僕は、横目でカミルを見ると、僕が見ていることに気づいたのか、目で軽く笑ってくれた。
落ち着きを取り戻して、冷静に考えてみる。
僕はずっと観察されていたのだろうか。
先ほどまでの会話も、僕を知るためのものと考えれば、納得できる。
「さぁ、どうぞ、召し上がってください」
「どうも、ありがとうございます」
大司教にそう勧められるも、どうも手を出す気になれなかった。
カミルやシモナが口をつけたので、ようやく僕も少し飲み食いする。
観察されてると思うと、おいしいと思えず、味がしない。
とりとめのない話をして、僕達は面会室を辞去する。
いつのまにか、疲れたようだった。
高坂川高校から召喚された生徒達とも少し話ができた。
といっても、瀬能さん、嵯峨さん、三条君、水谷君の四人とだけだったけど。
瀬能さんと嵯峨さんは年上で、三条君と水谷君は同年齢だった。
四人とも気さくに話してくれて、僕は助かった。
ルーヴェストン関連はふせて、お互いの苦労話をする。
便所や風呂とかは思ったよりもよかったけど、テレビ、ゲーム機、ネットなどがない寂しさを共有することができた。
いくつか読んでいる漫画雑誌が同じだったので、続きが読みたいなぁ、などと話をする。
そんな話が、僕にはとても楽しい。
名前や姿を変えず、一緒に教団にいれば、話題を共有できるみんなと一緒にいられたのだろうか。
でも、そうすれば、カミルやシモナ、ルーとも会えなかった。
何もかも手に入れることはできないんだなぁ……。
「カミルさんの所領は王都に近いんだろう。俺らも王都の聖堂にいるだろうから、また遊びに来いよ」
「ああ、それがいい。また、話をしよう。それにこんな世界だ。仲良くやろうぜ」
「ありがとう、三条君、水谷君」
同年齢の二人とは話が特にあった。
同じクラスだったら、よかったのに。
でも、もう関係ないか。
「楽しかったよ。また、話をしよう」
そう言ってくれたのは瀬能さん。
学年トップだったらしいけど、そういう雰囲気は全く感じなかった。
「一回、僕と本気でやりあおう。君の強さに興味があるんだ」
「いえ、僕は弱いですから」
嵯峨さんにこんなことを言われたけど、冗談じゃなかった。
「嘘をつけっ!」
「いえ、すみません」
押し問答の後、カミルがとりなしてくれた。
「いつか、絶対に機会をつくるからな」
でも、諦めてくれないようだ。
黙っていれば、ボーイッシュだけど、きれいな先輩だと思うんだけども。
できる限り、会わないようにしよう。
浦辺さん、桐谷さん、佐久間さん、高井君と会えなかったのは残念だ。
だけど、王都で会えるかな。
いい出会いになれば、いいんだけども。
聖暦一五四二年七月三日。
王軍がソヴェスラフを進発する。
僕、カミル、シモナは中団あたりだろうか。
馬はないので徒歩での行軍だ。
理力や身体強化の魔法があるのでそうつらくない。
歩くたびに振り向くと、ソヴェスラフの土壁や城壁、政庁が小さくなっていく。
僕は約三ヶ月、命がけで生活してきた。
鍛錬、冒険、戦闘、日常、そして、魔物の襲来、道々に転がる骸、ゴーズァイとの戦い。
言葉に出来ない感情が僕の中でかけめぐる。
よくわからないまま、
「行こう、カミル、シモナ!」
「ええ!」
「ああ」
二人に声をかけて、僕は振り向かないようにした。
上を向くと、サララが姿を消して他の天使達と共に、理力で支援してくれている。
視線があって、軽く笑いかけたら、サララも微笑んでくれた。
まず目指すは王都ザハリッシュ。
そして、カミルの所領へ。
僕は新たな生活に入るんだ。
◇ ◇
聖暦一五四二年七月六日。
グナイゼル王国。
タハヴォ=サムリ=フルメリンタ=バロカンナス第二王子の正夫人として、ヘイスカネン侯爵の養女、マユカ=アサバが迎えられる。
◇ ◇
聖暦一五四二年七月十一日。
アウグナシオンは蒼を好み、神界にある蒼晶殿という城に住んでいる。
同じ人間の守護神であり、上級神でもあるファバイダンは翠を好み、翠晶殿という建物を造成させ、住まいとしている。
彼は、アウグナシオンがミドガロールからの大規模召喚を成功させ、ここ数ヶ月で勢力や神力を一気に伸張させる様を見てきた。
黄昏条約がある以上、一対一で戦うことはないだろうが、もし戦えば、思わしくない結果となるだろう。
同格である彼にとっては、忌々しいことに。
「ファバイダン様、準備は整いました」
彼に仕える首席上級天使が声をかけてくる。
「ご苦労だった。では、『勇者召喚』を始めるとしよう」
ファバイダンはごく簡単な結論に至った。
アウグナシオンに完全に遅れをとる前に、自らもまた、手足となる者を異世界から召喚すればよいのだ、と。
異世界からの大規模召喚の有効性は、アウグナシオンがすでに証明してくれているのだ。
アウグナシオンにはミドガロールとのつながりがあるように、ファバイダンにも別の異世界とのつながりがある。
彼は召喚する異世界人を『勇者』と名づけた。
「ハイグラシアを救ってくれる勇敢な若者。つまり、『勇者』だ」
ファバイダンの大いなる神力がほとばしり、異世界へと道をつなげる。
勇者の敵は、彼にとって望ましくない者全てということになる。
まもなく、彼の敵からハイグラシアを救う『勇者』達が召喚されようとしていた。
◇ ◇
聖暦一五四二年七月十三日。
グナイゼル王国。
王太子が病死する。
タハヴォ=サムリ=フルメリンタ=バロカンナス第二王子が王太子となる。
◇ ◇
聖暦一五四二年八月六日。
「リョウ=スズカを護民官に任命する。護国の誓いを」
俺はついに定員十名の護民官に任命された。
グラズエール共和国の平民議会議長から、任命書を受け取り、俺は魔法陣の中心に入る。
「私リョウ=スズカは、グラズエール共和国の民を守り、よりよき治世がもたらされるよう、ハイグラシアに誓います」
俺が誓いの言葉を言い終わると、魔法陣から七色の光が放たれ、俺を覆った。
少し驚いたが、何事もなく光は消え去った。
「偉大なるハイグラシアは誓いを受け取り、リョウ=スズカは聖別された。スズカ護民官、前線では君の援護を待っている。部隊を率い、憎きダーノイア軍を撃破してくれたまえ」
「必ずや、勝利をグラズエールに捧げてご覧に入れます」
「頼もしい限りだ!」
俺は議長に頭を下げ、議事堂より退出する。
待っていた部下数人を引きつれ、軍営に向かって、俺は歩み始める。
この数ヶ月を走馬灯のように、俺は思い出す。
俺は鈴鹿亮。
アウグナシオンに召喚され、エマーファと名乗る首席上級天使と盟約を結んだ。
生徒会長だった俺とはある意味、似たようなものだ。
神<教師、校長>に対する立場がな。
学年トップだった瀬能には及ばなかったが、学年二位だった俺も東大は間違いなかった。
問題はそこからだ。
実家がごく普通の俺は、どの進路を歩めば、力や金が手に入るのかそれだけを考えていた。
せっかく生まれてきたんだ。
俺はできる限り、上を目指したかった。
もっとも、今となっては考える意味はなくなったがな。
だが、ハイグラシアに関する説明を聞いて、俺は悪くないと思った。
資質トップでスキル選び放題とも聞けば、なおさら。
このエマーファという女の言葉を、鵜呑みにできないのをおいといてもだ。
もっとも、俺に強くなってもらわないと困るあいつの立場を考えれば、ある程度信用できるだろうが。
エマーファとの相談がまとまり、俺のポイントとあいつからの理力を注いで、<スキルラーニング>レベル二のみを取得した。
他のスキルはない。
つまり、戦闘用のスキルはなく、俺はもちろん殺し合いなどしたことはない。
でも、何の問題もなかった。
グラズエール共和国に降りた俺は、エマーファの召使い達に迎えられ、エマーファとは別れる。
召使い達はレブラノイドという種族らしい。
容姿は整ってるが、無表情さが少し不気味だ。
最初にやるのは、エマーファの召使いが持ってきた息絶え絶えの魔物に、とどめをさす作業だ。
これをひたすら続ける。
とどめを刺すのが俺であれば、経験値もスキルも手に入る。
最初に殺したのはゴブリンウォーリアだ。
剣が奴の肉を切り裂く感触を、しばらく忘れなかったな。
貴族や大商人などは、この育成をけっこうやってるらしい。
もっとも、俺ほど徹底してないだろうがな。
普通の奴はスキルまで手に入らねぇし。
俺は二ヶ月ほど、ずっとこれをやった。
手に入れたスキルは約八十。レベルは二十三。
召喚された奴らの中では最強らしい。
それを聞いて、少し安心する。
おそらく、生徒達の誰かが敵になるだろう、と俺は考えていた。
俺は特別としても、これだけ成長しやすい世界なんだ。
生徒達が何人も、いずれは世界で台頭してくるに決まっている。
全員を味方にできるほど、お花畑にもいくまい。
そうなれば……結論は見えていた。
学年トップだった瀬能は薄気味悪いし、下級生の誰かが優れているかもしれない。
俺は気を緩めず、次の段階に移行した。
エマーファの召使いを引き連れて、実戦を積み重ねる。
俺はかなり強くなってて、剣の速さも魔法の威力も凄かったが、実戦となると勝手が違うのがよくわかった。
それも終えた後は、エマーファの紹介で教団に入り、優秀な奴らと共に冒険者として実績を積み重ねるだけだ。
一度戦えば、俺の強さに驚いて、尊敬するような眼差しで見てくれるようになったな。
ハハッ、悪くないものだ。
もう、俺と互角に戦える敵なんていなかった。
破竹の勢いで冒険者ランクを上げ、いよいよ、ダーノイア王国相手の依頼を受けるようになった。
俺のいるグラズエール共和国は、ガードバルド大陸の中部にあった。
その南にある魔族治めるダーノイア王国とは戦争状態だ。
ちなみに、ガードバルド大陸の東にはバルナシュト大陸があり、その大陸のアウグナシオン教団本部はパーヴィリア王国にあるらしい。
今のところは遠すぎて、何の関係もない情報だが、やがて意味が出てくるだろう。
俺がグラズエール共和国に降りたのは、人間の国でアウグナシオン教団の力が強く、なおかつ、ダーノイア王国と戦争してるからだ。
魔族には固有スキルが多い。
俺は小規模な戦いで、魔族を何人もぶっ殺し、名声と軍功とスキルを貯めていった。
そしてついに、高まった名声と教団の力で、護民官に叙任された。
これからが本番だ。
まずはダーノイアを滅ぼす。
その後、肥大化したグラズエール共和国を英雄の俺が治める。
そうなれば、ガードバルド大陸制覇が見え、バルナシュトや他の大陸が視野に入るわけだ。
口でいうのは簡単だが、そう上手くいくわけがない。
いつかは、強敵とぶちあたるだろう。
それまでに、俺はスキルを無限に増やして、最強とならなければならない。
おっと、軍営が見えてきたか。
「いよいよですね、リョウ様」
「ああ、俺と共にダーノイアの魔族を滅ぼすぞ!」
「はいっ!!」
この部下は、武官のくせにいい女だな。
身体強化魔法のお陰で、むきむき女ばかりでなくて助かる。
眼をきらきらさせてやがるな。
英雄としての俺を慕ってくれてるわけか。
いいだろう。
リョウ=スズカの部下となったことを感謝させてやるよ。
◇ ◇
聖暦一五四二年八月二十九日。
私がグナイゼル王国の王太子正夫人として、自室にて執務を執り始め、もう一ヶ月が過ぎる。
陛下はなぜかご病気で、王太子様は女性方と遊ぶのにお忙しくて、私に政治を委任なされた。
ならば、私が政治を行う必要があるだろう。
今は西太后、いつかは武則天かしら。
かつてのパトロンから聞いた歴史上の人物を思い出す。
以前は愛人、今では義兄にして側近のマルッティのみならず、義父のヘイスカネン侯爵、名だたる重臣、諸侯が私の前で左右に並んでいる。
最初の頃は不服な表情を隠せない者が何人もいたが、日が経つにつれて少なくなり、今ではほとんどいない。
また、伺候する臣下の数も増えてきた。
別に色仕掛けでおとしたわけではない。
一人もいないわけじゃないけども。
ただ単に、私はいわゆる善政を布いているだけだ。
奢侈を減らし、税を減らし、公正な論功行賞を行う。
私はこの国を奪うにあたって、表だけでなく、寝室からも情報を集めた。
確度が高い情報が集まるので、笑ってしまうほどだ。
だから、このくたびれた大国にまだ残っていた有能な人材も手に入れることができた。
善政という武器で。
能力が錆びない程度に、少しだけ心もつかんで。
面倒だとは思うけども、仕方がない。
グナイゼル王国のみでこの世界が完結しているのであれば、私はめちゃくちゃにしただろう。
しかし、無数の外国がある。
その中には、私が求める人間もしくは異種族がいるかもしれない。
食べがいのある魂が、この広大な世界のどこかにあるだろう。
その為にも、このグナイゼル王国を利用して、私が伸ばせる手をもっと長くしなければならないのだ。
ハイグラシアを覆えるほどに長く出来れば、望ましい。
だから、まずは善政を布く。
前にいる皆さんに、快く協力してもらうためにも。
「マユカ様、報告いたします」
「どうぞ」
侍従が私に様々なことを報告する。
グナイゼル王国の国土は広い。
多くの町や村に行政課題がある。
「スレーター商務次官」
「はい、マユカ様」
「この件はあなたに一任します。もう、私の考えはわかっているでしょう。結果は後で報告を」
「はっ、かしこまりました」
私は一介の女子高生にすぎない。
だから、優秀と思える人材に任せた方がいい。
失敗したら、その時はその時でしょう。
フフッ。
執務が終わり、私は本当の側近だけを残す。
少し、きつい色合いの物事だ。
善良な臣下に見せるのは悪いでしょうから。
「大麻草の群生地を多数見つけて、テストしました。おおむね、良好にきいています」
すっかり従順になった桜沢那美が、私によい結果を教えてくれた。
「芥子らしい花の群生地も見つかりました」
坂西浩二が少し疲れた声で報告してくれた。
癒してあげないといけないのかしら。
「それで、どう?」
「……テストを繰り返したところ、ヘロインを摂取したような気持ちよさを被験者は報告しています」
「よくやってくれたわね」
「……でも、これは……!?」
「コウジ、マユカ様に向かって無礼よ!」
あらあら、ナミの方はしつけが完全ね。
「いいのよ。コウジはよくやってくれたわ。久しぶりにセイを向かわせるから。それともう何人か。疲れを癒しなさい」
コウジは抗弁したそうな顔になる。
どうなんでしょう、まだ抵抗できるのかしら。
「……はい、ありがとうございます」
「どう、いたしまして」
それでいいの。あなたは優秀だし、現代知識もあるんだから。
何もしなければ、私と運命を共にできるわよ。
「では、マルッティ義兄上。どちらも、大規模栽培に入ってください。グナイゼル王国の新たな財貨獲得手段となります」
「わかったよ、マユカ」
「義父上、マリファナ並びにヘロインを各国に密輸出しますが、グナイゼル王国の民が使用するのは一切禁止といたします。密売人は即死刑。使用した者は牢獄に送りますから、安心して下さい」
「かしこまりました。これで富国がなりますな」
「ええ、楽しみですね」
さすがに侯爵ともなれば、腹がすわっていること。
ヘイスカネン家の親子がけっこう使えるのは幸運だったわね。
「それと、陛下のご病気ですが……」
「再来月くらいでいいのではないかしら」
「……かしこまりました」
侯爵でも、小暗い顔になるのね。
国王といえど、同じ人間だというのに。
「さぁ、多くの人々が楽しんでくれたらいいわね」
私は心からそう思う。
◇ ◇
カミル=ダニェク=ブラーハが遺した手記の聖暦一五四二年九月二十七日より抜粋。
『所領での鍛錬が積み重ねられている。ミロシュの成長には著しいものがあった。私もシモナも伸びてはいるが、到底及ばない。自分にはアメリカにいた頃から、強い自己顕揚欲があるのを自覚している。貧しい頃から這い上がる必要があり、その過程でつちかわれたものだろうか。論文発表に強い意欲を持てたのは、明らかにその欲望が後押ししていたからだと思う。ミロシュを助けるのもまた、同様だった。彼が宿願を果たせば、私もまた歴史に名を強く深く刻むだろう。それを想像すると、私にある種の愉楽をもたらす。私はミロシュと共に新たな歴史を創っていきたい。彼への純粋な献身の情は、シモナよりも弱いだろう。だがそれは、私は冷静さを保ちながら、ミロシュを助けていけるということだ。戦闘で助けられなくても、それ以外の面で助けるのは可能だと考えている』
◇ ◇
ハイグラシア新歴全書を研究した歴史家の一人、エイナル=ベルマン=クルームの考察。
『カミル=ダニェク=ブラーハはミロシュがどのような危地に陥っても、ミロシュを終生助けている。ミロシュに対して愛情を感じさせるほどであり、利害など度外視していた。つまり、カミルの行動は売名目的とは考えにくい。カミルは王家出身であり、幼少の頃から貧しくはなかった。アメリカという地名はパーヴィリアには存在しない。この手記は極めて重要な資料だが、この部分に関しては偽書の可能性が高い。偽書だとすれば、カミル=ダニェク=ブラーハの名誉を毀損するのが目的であろう』
◇ ◇
『アウグナシオンによって異世界召喚という名の箱が開かれた後、様々な災厄がハイグラシアに広がった。誰も彼もが自分の思う最善を尽くして、力を増やし奪い、国を大陸を世界を手に入れようとしていた。だが、私にはミロシュという名の希望が残った』
カミル=ダニェク=ブラーハ著『ハイグラシア新歴全書』より抜粋。




