(26) 聖暦一五四二年六月 ソヴェスラフの決戦(前編)
聖暦一五四二年六月十九日。
歴史的には『ソヴェスラフの決戦』があった日だ。
もっとも、一部の歴史書には『ソヴェスラフの虐殺』と書かれることになる。
十九日は雨が少し降っていた。
じんわりと鎧兜がしめる程度で、戦闘に差し支えない。
一日遅らせれば、それだけソヴェスラフの生産力が回復するのが遅れる。
たかが小雨で、パーヴィリア軍の攻勢を遅らせるわけにはいかない状況であった。
作戦は極めて単純だ。
ソヴェスラフ農村部にこもるゴーズァイを各門から突入して、一気に撃破する。
それだけにすぎない。
小細工をしかける余地はほとんどなく、それ以前に無用であった。
先陣だが、南西門はアウグナシオン教団、南門、南東門、東部土壁を破砕して作る入り口の三箇所は王軍が務める。
西部土壁を壊して作る入り口の先陣は、カドルツェク公爵だ。
全ての手柄を王軍が独占するのはさすがに問題がある、とヨナーシュ二世はみた。
諸侯にも先陣を与えた方が無難だろう。
となると、従軍諸侯の閲歴からして、カドルツェク公爵がもっともふさわしいということになる。
ヨナーシュ二世の要請に対して、公爵は快諾した。
アウグナシオン教団が先陣の一つを受け持てたのは、王軍と同時に兵団を出したのが大きい。
やはり、ヨナーシュ二世としては、率先して協力したアウグナシオン教団に配慮せざるをえなかった。
また、支援を行う天使の数も、アウグナシオンに仕える天使がもっとも多いのだ。
ブラジェク大司教は、旗下にいる高坂川高校の生徒達に、盟約を結んだ天使へ支援してもらうよう要請させた。
サオリと盟約を結んでいる上級天使のレギーハが受けたこともあり、全天使が受諾。
それだけで九体の天使が参加していた。
アウグナシオンが寄越した正規の増援とあわせると十五体となり、ずば抜けた戦力であった。
他教団としては沈黙するしかない。
十九日朝、各軍団が担当する各門、破砕予定の土壁へ移動していく。
私語厳禁であったが、王軍で八千、諸教団で千、諸侯が五千、総勢一万四千だ。
どうしても、移動すればある程度の騒音が発せられる。
ゴーズァイの索敵活動は貧弱なものであったが、それでも各門には数人配備していた。
せまり来るパーヴィリア軍を発見し、慌ててヨラン王へ注進に向かう。
状況を把握したヨラン王は、各門にそれぞれ千二百ずつまわし迎撃態勢をとった。
ヨラン王の手元には残り千八百だ。
女子供が多く、戦闘には使いづらい。
各軍団の配備が完了した報告を受け取ったヨナーシュ二世は、総攻撃の指示を出す。
ブッパと呼ばれるごく簡単な構造の金管楽器が鳴り響く。
総攻撃の合図だった。
一斉に各門へ先陣がとりつき、閉じられている門扉を無理やりにこじあけようとする。
また、西側、東側の土壁にも軍勢がとりつき、大きなハンマー、属性魔法など思い思いの方法で壁の破壊がはじまる。
やがて、各門の扉がこじあけられ、壁が破壊され、軍勢が入り込む。
門前で待ち構えていたゴーズァイと戦端が開かれた。
だが、西側、東側の壊された壁には、防ぎ手のゴーズァイがいない。
ヨラン王は慌てて、手元にいた五百ずつを両側に派遣し、南西門勢には西側を南東門勢には東側をフォローさせた。
アウグナシオン教団が先陣を受け持った南西門では、一人の少女が日本刀を両手に持ち、突進していく。
門前では、ゴーズァイ達が隊列を組んで槍を持ち、待ち構えていた。
槍の長さは二メートルほどだ。
普通であれば、間合いの長い槍を並べられると、日本刀ではどうにもできない。
だが、少女は違った。
足さばきを使って、瞬時に近づき、まずは数本の槍をなぎ払う。
槍の穂先が何本も落ちていく。
穂先がなくなった槍をゴーズァイ達は急いで捨て、腰の小剣を抜こうとする。
そこを少女に袈裟懸けで斬り下げられた。
まるで、バターのごとくなめらかに。
ゴーズァイは黒い体液をふきだして倒れる。
「一人ッ!」
黒髪のポニーテールを揺らせながら、少女はその左にいたゴーズァイを逆に斬り上げる。
「二人ッ! もういちいち数えてられないねっ!」
後は思いのまま、少女はゴーズァイを斬殺し続ける。
奥へと歩みながら、黒い血しぶきを身にまといながら。
彼女は黙っていれば、上品な顔立ちで通るであろう。
だが今は、口が大きく開かれ、獰猛な笑みを顔全体に浮かべていた。
彼女の名前は嵯峨領子。
高坂川高校三年二組、つまり浅羽真由香と同じクラスだ。
彼女は嵯峨流剣法を継ぐ家に生まれた。
しかし、現代日本で生死を賭けた戦いなど行えない。
彼女は鬱屈とした想いを募らせていた。
剣道で強い相手と戦うのも好きだったが、それでは紛れないものだ。
「これで、僕の実力を試すことができる!」
そんな彼女に、ハイグラシアへの召喚は願ってもないことだった。
彼女にも愛すべき家族はいる。友達もいる。
だが、剣より大事なものではなかった。
彼女の前に現れたのは、プラチナブロンドの中級天使リベラータ。
華奢だがその分守ってあげたくなるような容貌だ。
リベラータは早速、リョウコが持つポイントの使い方を教える。
レベルポイントはすぐに使い方が決まった。
腕力、持久力、敏捷に三等分だ。
女性ゆえの非力さに苛立っていた彼女は、これで男とも戦えるとにんまりした。
だが、リョウコはスキルポイントの使用を拒否した。
「スキルなんていらない! 僕が今までやってきた鍛錬で身に着けた技をバカにするつもりか!」
「いえ、バカになんかしていません……でも、強くなるには……」
「くどい! 僕は僕の剣技を試したいんだ。スキルなどいらない」
リョウコとリベラータの話し合いは平行線のままだった。
しかし、話が武器へといたった時、話がすっとまとまる。
リョウコは愛刀をハイグラシアへ持っていけない。
その代わりにスキルポイントを消費して、ハイグラシアで使う刀を作ったわけだ。
リョウコは中級天使が派遣されたように、それなりの資質を持っている。
保有するスキルポイントはかなりあった。
それを全部費やして作られた刀『寂雨』(ジャクウ)<リョウコ命名>は優れた切れ味のみならず、魔法防御力すらもたらす名刀となった。
リョウコはリベラータと盟約を結んで、ブラジェクに招かれ、現在へと至る。
「ハッハッ、どうした。外見の割にはだらしないな!」
リョウコはまた一体のゴーズァイを切り裂いた。
ゴーズァイは単眼黒色で二本の角が生えている。
体躯は矮小だが、日本人の眼には迫力があった。
そんな容姿を気にせず、恍惚とした様子で、リョウコは一人でどんどん切り開く。
彼女の左右には、ゴーズァイの屍が量産されていった。
指揮をとるブラジェクはリョウコの勇姿を見て、珍しいことに呆気にとられたような表情を浮かべる。
「味方でよかったですね、ブラジェク様」
隣にいたアヤカが静かにそう言った。
「……そうだな」
ブラジェクの顔は冴えない。
彼の元には九人の元生徒がいる。
だが、浦辺佐織、瀬能和哉、そして、嵯峨領子。
この三人は把握しきったとはいえず、意のままに操れないからだ。
嵯峨領子とは何度も面談したが、つけいる隙がなかった。
「僕は剣でどこまでやれるか、それが知りたいだけなんだ」
「……そうですか、協力できるだけのことはいたしましょう」
「助かるよ、ブラジェク様」
からりとした表情でリョウコにそう言われたブラジェクは頷くだけだった。
(能力ある者ほど御しがたいものよな)
ブラジェクはリョウコがあけた穴を拡大していくよう、部下に指示を出した。
アキラ、アヤカ、コウタの三人は、それぞれのパーティを率いて、無難に戦っていく。
初めての実戦であったが、全体的に優勢であり、ゴーズァイが大して強くないこともあって、危なげなかった。
その近くで戦う少年のパーティがいた。
水谷楓冬は三条彰と同じ二年五組だった。
容姿に優れた彼は、女子からの人気をアキラと二分していた。
アキラとも親しく話をする。
だが、アキラと違って、つきあっていた女の子はいない。
彼はブラジェクと面談してから、アキラと同じようにパーティを率いて戦っている。
冒険の楽しさもパーティとの絆も女性の身体も、全てブラジェクに与えられた。
彼も他の生徒と同じようにブラジェクに餌付けされていたのだ。
だが、彼の冷めていた性格は、それに気づいていた。
心地よさに浸りつつも、彼はブラジェクに飼われたままでいいのか自問自答している。
(アキラ、お前はこのままでいいと思っているのか?)
奮闘しているアキラを見ながら、フウガは戦いの手を止める。
そんな余裕があるのも、圧倒的な優勢だからだ。
「フウガ、どうかしましたか?」
彼のパーティメンバーにして初めての相手、ジュスタが声をかける。
「いや、何でもない。戦いはこれからだな」
「はいっ!」
淑やかにして、敬虔な信徒でもあるジュスタが杖を強く握る。
彼女は真面目で優秀な魔法使いだ。
ジュスタを見るフウガの視線は限りなく優しい。
フウガはジュスタを紹介してくれたブラジェクをありがたく思い、憎む。
恨めしく思い、感謝していた。
(ジュスタは好きだ。恥ずかしいが多分、愛している。でも、ジュスタに依存し続ければ、あいつの思う壺だろうな)
フウガはブラジェクがいる方を射すような目線で睨んだ。
ひとまずは視線をはずし、他のメンバーにも声をかけ、フウガは戦いを続ける。
(ハイグラシアに来て、一つだけは間違いなくよかった)
楓冬と書いてフウガと読む自分の名前は、アニメや漫画っぽくて好きではなかった。
佐久間亜実は高坂川高校一年一組だった。
彼女はハイグラシアになど来たくなかった。
文芸部に所属していたおとなしい彼女は、案内役の下級少年天使エメリヒと会ってからも、しばらく泣き止まなかった。
彼女は不承不承、ハイグラシアに降りて、ブラジェクの庇護下に入る。
ブラジェクは面談後、すぐに気立ての優しい少年ばかりをツグミにつけた。
ツグミは少年達に支えられ、少しずつ戦えるようになる。
ミドガロール人であり、資質的には高いものを持つツグミは強くなり、多少は自信を持つようになった。
彼女はブラジェクにすすめられたパーティがいなければ、おそらく死んでいただろう。
荒くれた冒険者などで生計をたてられる資質や性格ではなかった。
だからといって、安藤波留真のような小器用さが求められる生産系の仕事もできない。
彼女はそのことをよく理解していて、世話になった教団の為に、魔法で懸命に戦っていた。
スキルポイントUPは、レベルを上げれば確実に彼女を強くしてくれるのだから。
彼女はそれにすがって、戦い続けている。
瀬能和哉は少女を供に連れて、スケルトンウォーリアー三体を召喚し、戦っていた。
彼と少女は何もしない。
何もせずとも、骸骨の戦士三体でゴーズァイを蹴散らすのは容易いことだった。
彼は自分の力をできる限り隠しておきたい。
戦功にも興味がないカズヤは、ブラジェクへの義理立てのため、最低限の戦いを続ける。
そんな様子を、少女はあくびをかみ殺しながら、見ていた。
浦辺佐織は兵団のほぼ真ん中で、負傷兵の手当てに当たっていた。
ゴーズァイは大して強くないが、集団戦だ。
誰も彼もが高坂川高校の生徒達のような強さを持つわけではない。
大小様々な傷を受けた負傷兵が、次々と運び込まれる。
サオリは黙々と負傷兵に回復魔法を唱えていった。
そこらの術者では治せない深い傷も、彼女の魔法で完治していく。
もうここで死ぬのだと思った者ほど、深い感謝を彼女へ抱く。
絶望が深ければ深いほど、それを乗り越えた歓喜の想いはふくらんでいくものだ。
髭を生やした強面の戦士が涙を流しながら、両手で彼女の両手をかき抱く。
「あんたがいなければ、間違いなく俺は死んでた……本当にありがとよ……」
「私が今ここにいるのは神のお陰です。ですから、あなたを癒したのは私ではなく神でしょう。気にしないで下さい」
「そんなことはねぇ! 絶対、この恩は返してみせるからな!」
「それは私が受けるべきものではなく、神が受けるべきものです」
「なら、神に恩返しをするさっ!」
「そうですか。私も神に助けられた身です。何かあれば、行動を共にしましょう」
「おうっ!!」
サオリは新たな負傷兵の下へ向かう。
彼女の献身は嘘偽りないものであった。
ゆえに、彼女を慕う者達も加速度的に増えていくことになる。
身分、年齢、立場、種族をこえて。
皆はサオリが信じる神をアウグナシオンだと思っていた。
実は異なるとやがては気づくのだが、皆にとってはどうでもいいことだ。
皆が慕うのは神ではなくサオリだったのだから。
ブラジェクはしばらく指揮をとっていたが、前線で戦うと周囲の者に告げる。
「危険です。おやめ下さい!」
近侍のシェルが、ボーイソプラノの声を張り上げて止めるも、
「大丈夫だ。これは必要なことでもある」
と、聞かず、ブラジェクは馬を駆って前線に出た。
ブラジェクは剛槍を一閃させると、槍ごとゴーズァイが切断された。
それにとどまらず、ブラジェクは槍を振るい続ける。
近くにいたゴーズァイが何匹も倒されていった。
ブラジェクの奮戦は、周囲にいる信者達が知るところになり、
「大司教様に続けっ!!」
と、一気に士気が上がった。
高坂川高校の生徒達も、ブラジェクの戦いぶりを見て、視線に感嘆の気持ちがこもるようになる。
ブラジェクはひたすら、槍を振るい続ける。
一介の神官戦士のように。
本来、大司教として正しい振る舞いではない。
だが、自身が前線で戦えるというのを、信徒に見せなければならなかった。
高坂川高校の生徒達にも、だ。
やがて、彼らはさらなる力を身につけるだろう。
だというのに、力なく地位のみの男にいつまでも付き従うはずがない。
だから、ブラジェクは彼らに自分の力を見せ続ける。
彼の示威のために、哀れなゴーズァイの首がまた一つ飛んだ。
高位の神官といえば、財貨にまみれ欲深い者が多く、やはりイメージはよくない。
ブラジェクには大望がある。
ゆえに、己はそういった高位神官と一線を画すのだと知らしめる必要があった。
信望がなければ、誰もついてこないからだ。
高坂川高校の生徒達を、様々な手練手管で手中に収めたのも大望のためだ。
その大きな力を、自分の為に役立ててもらわなければならない。
世界各地に散った生徒達の多くは、ブラジェクのような有力者の誘いを受けていた。
彼らは竜にも鳳にもなる雛だ。
だが、今は雛にすぎない。
手練手管に抗す力も弱く、何人もの生徒達が飼われていった。
チートを持っているだけでは、どうにもならないのだ。
メンタルや持っている経験と知識はただの高校生なのだから。
ごく一部をのぞいて。
やがて、雛は育って、大人となる。
ブラジェクも有力者達も、様々な手段で自分達を頼りにしなければ生きていけなくなるように仕向けるだろう。
しかし、全ての雛がそうなるとは限らないのだ。
有力者達はともかく、少なくともその事をブラジェクは知っていた。
ブラジェクの打つ手はそれだけではない。
派手な行動を慎み、信仰を捧げ、力なき間は天使と神々にひれ伏す。
それもこれも、人望をつみあげ、影響力を広げ、大望を成し遂げるためだ。
ブラジェクとて人間であった。
抑圧された生活を続ければ、ストレスがたまる。
それはほぼ毎夜、近侍のシェルを相手にして発散していた。
ブラジェクが確保した高坂川高校の生徒だが、三年生は、瀬能和哉、嵯峨領子、安藤波留真、二年生は、三条彰、水谷楓冬、桐川綾香、一年生は、浦辺佐織、高井幸太、佐久間亜実、合計九人だ。
ミロシュではなく名村隼人がソヴェスラフに降り立ち、そのメンバーに加わっていれば、歴史は異なる方向へ進んだだろう。




