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(25) 聖暦一五四二年六月 サララとの新約

 聖暦一五四二年六月十四日。

 時をややさかのぼる。


 サララはある天使に見つかり、空を逃走していた。

 遠目からでも見える緑の鎧から、グ=トヌガンに仕える天使にほぼ間違いないとサララは推測する。

 共和政府を主導した人間の一人をかろうじて落ち延びさせ、別れた直後だった。


 このヴルドヌス大陸は敵地だ。

 敵には援けが来るかもしれないが、サララが助けられることはまずない。

 一対一なら、勝てる可能性はあるが、逃げたほうが無難だ。


 逃げるサララ、追う天使。

 スピードはほぼ同じだったので、距離は縮まらず広がらず。

 サララは相手のしつこさに辟易する。


(どうして、こんなにしつこいの?)


 過去に何度か敵の天使に見つかったことはあるが、すぐに引き上げるか見逃されることがほとんどだった。

 テラヴォーリ王家が主導した穏健外交により、敵に回った神々も敵対行動を抑えるようになったからだ。

 なのに、今日は勝手が違った。


 理由はもちろんある。

 物事に偶然などほとんどない。

 必然がただあるのみだ。


 グ=トヌガンが行ったソヴェスラフへの破壊行動は最低限成功したが、大成功はしなかった。

 つまり、鉱山に駐留するパーヴィリア軍の戦力を傷つけるのに成功し、鉱山再稼動が遅れるのは間違いない。

 だが、十四日現在でソヴェスラフを陥落させるまでには至っていない。

 グ=トヌガンはソヴェスラフ陥落を諦めざるをえなかった。

 十一日から十二日に至る初撃で落とせなければ、ソヴェスラフ陥落はまず無理だとグ=トヌガンは考えていた。

 自身に仕える天使の理力による補助があり、敵が混乱している初撃こそ、もっとも条件がよかったのだから。

 また、初撃で人間を屠り、成長した魔物達が行う第二撃も多少は期待していたのだが、不発に終わったようだ。

 これは、ミロシュ達による功績だったが、仕えている天使達を撤収させていたグ=トヌガンの知らざる所だ。

 策戦はまず成功したが、成果は最低限に等しい。

 神力を大幅に消費したにも関わらず、だ。

 グ=トヌガンの苛立ちは完全にまぎれなかった。


 なので、グ=トヌガンはヴルドヌス大陸で、共和政府に与した敗残者をできる限りいためつけることで、鬱憤晴らしをしようとしていた。


 サララが知れば、理不尽に思える理由で、グ=トヌガンの命を受けている天使の追撃は執拗だった。

 天使の執拗さは報われた。

 サララには不運な事に、対面からも天使が現れたのだ。

 こちらに向かってくるのがサララには見える。


 顔をしかめたサララは、剣を抜き、右手で持ち、構える。

 左の手のひらを対面の天使に向ける。


 一連の様子をさらなる上空から眺める者がいた。

 グナイゼル王国に降りたマユカ=アサバと盟約を結んだ上級天使エフセイだ。


 彼は首席上級天使エマーファを蹴落とすべく、策動を続けていた。

 盟約を結んだマユカの成長は著しく、彼は満足する。


 だが、エマーファと盟約を結んだ人間を調べさせたところ、成長ぶりは異様だった。

 明らかにマユカ以上の成長を遂げている。

 最高の資質を持つ人間だったとはいえ、人間を越えているのではないかと思うほどだ。


 焦りを感じたエフセイは、さらなる手をうつことを迫られる。

 それが、反エマーファで手を結べそうな者達の取り込みだった。

 サララがエマーファによって、死地に追いやられていたのは把握していた。

 ならば、事情を教えれば、自分につくだろうと思い、やってきたのだ。

 しかし、手駒にするからには相応の力を見せて欲しい、と思うエフセイであった。


 サララは対面の天使を自分が持ちうる最高の力で倒す、と決めた。

 二対一で対決となれば、勝ち目は極めて薄くなるからだ。


 対面の天使との距離がぐんぐん縮んでいく。

 相手も剣を構えていた。


 サララは目一杯の理力を左手にこめる。

 間合いに入った瞬間、理力を衝撃波として放出する。

 白い閃光が対面の天使を襲う。


 慌てて左に回避する対面の天使だったが、サララは左手を回避する方向にずらして、回避先へとコースを変更する。


 カーブを描いた白い衝撃波は、対面の天使に命中した。

 大きな衝撃音があたりに鳴り響く。


 だが、対面の天使は右手で持っていた剣で防いでいた。

 ぼろぼろになりながらも健在だった。


 サララはそれも想定ずみだ。

 一気に距離をつめ、剣を両手で持ち、対面の天使をなぎ払った。


「てぇぇいいっっ!!」


 衝撃波で大きなダメージを受けていた対面の天使は反応しきれず、上半身と下半身に両断された。

 天使の宿命であり、この世に死体は残らない。

 両断された彼は光の粒子となり、消え去った。


 地面に降り、ぜいっ、ぜいっ、両肩で息をするサララ。

 ミロシュにいつも見せる微笑などない。


「やった……」


 乱れた髪を整える余裕もなく、サララは鋭い気迫を顔全体に表していた。


「シャクタ!?」


 サララを追撃していた天使が到着し、叫んだ。


「よくも、やってくれたな!!」


 僚友を殺された怒気をみなぎらせ、グ=トヌガンに仕える少年の天使がサララに剣を向ける。


「……ええ、だから、なんだというのですか」


 サララもまた、少年天使に剣を向ける。


「シャクタの仇は俺ダブランがとる!!」


 ダブランが斬りかかり、サララがそれを受け止める。

 天使達は斬りあい、鍔迫り合い、十合、二十合と戦いを続ける。


 その結果、剣技では及ばないとみたサララは距離をとろうとする。

 理力による遠距離戦に持ち込むためだ。

 シャクタを倒す様子を見ていたダブランはそれを許さない。


 三十合、四十合と戦いが続き、サララが明らかな劣勢となった。

 シャクタを倒す際に理力を大きく使ったのが響いてきたのだ。


 サララがおされて退いていくのだが、足元にあった石でつまずく。

 体勢を崩したサララにダブランの容赦ない斬撃が見舞う。


「もらったっ!」


 だが、サララはかろうじて回避し、致命傷を受けるには至らなかった。

 しかし、左腕を斬られ、地面に倒れてしまう。


 ダブランは倒れたサララにとどめをさすべく、斬りつけていく。

 サララに起き上がる余裕はなかった。

 体を転がして、斬撃をかろうじてかわしていくだけだ。

 死を回避するため、サララは地面を無様に転がりあがく。


 ダブランが勢いあまって、剣を地面に大きく斬りつけてしまい、それを抜こうとした合間に、サララはようやく立ち上がることができた。


 斬りつけられた左腕からは赤い体液が流れ、全身泥まみれのサララは優雅さに程遠かった。

 だが、両目に宿った生気はとても強い。


「あんた、しぶといな」


 ダブランが毒づく。

 口中にたまった赤い体液をぺっと吐き捨てたサララは、剣を構える。


「私は死にません! 必ず帰ると約束したんです!」

「あんたはここで死ぬんだよ!」


 天使達の間で激しい斬り合いが続く。

 だが、今度こそサララは力尽き果てようとしていた。


 ダブランの剣撃によって、サララの剣が宙にとぶ。

 得意げな顔になったダブランに対して、それでもサララはきっと睨みつける。


「こんなところで私は……!」

「今度こそっ!!」


 と、ダブランが剣を振り上げたその時、ダブランの背中から一筋の白光が貫いた。

 ダブランの胸から赤い体液が噴き出る。


「危ないところだったね」

 エフセイがサララに近づいてくる。

 彼はサララの戦いぶりを見て、及第点を与え、サララを助けたのだ。


「そんな……」

 ダブランもまた、白い粒子となり、世界から消失する。


「……ありがとうございます、エフセイ様」

 サララは一瞬呆然としていたが、エフセイに一礼する。

 上級天使であるエフセイとはほとんど話をしていないが、もちろん顔見知りだ。


「君を助けられたのは幸運だったよ。これも、アウグナシオン様のお導きだろう」

 典雅にそう言ったエフセイは理力を用いて、サララの傷を治し、汚れた姿をきれいにする。


「ただ感謝するばかりです、エフセイ様」

「君は下級天使だが、失うのは痛手だからね。エマーファはひどいことをする」

 エフセイは本題へと入る。


「……エマーファ様が?」

「君の前任者のマティオは戦死した。エマーファはね。自分の座を脅かしそうな下級天使は危地に追いやって、つぶしてきたんだよ。千年以上もずっとね。君もその毒牙にかかるところだった」

「そんな!?」

 サララは目を見開いて、両手を口にあてる。

 それほどの悪意を自分が受けていたとは、想像してなかった。


「私は偶然、ここに来たんじゃない。君を助けに来たんだ。どうだ、私の庇護下に入らないか。そうすれば、私は君を助けよう。逆に君に助けてもらうこともあると思うけどね。悪くない話だと思うが」

 エフセイの笑顔は優しい。

 ほとんどの女性が虜になりそうだ。

 サララは目をつぶって、俯いている。

 やがて、サララは目を開いて頭を上げた。


「エフセイ様へのご恩を返すためにも、私はエフセイ様のために働きます。今後とも、よろしくお願いいたします」

 サララは一礼する。


「そうか、よく決断してくれたね。なら、早速連れ立ってアウグナシオン様に拝謁しよう。君はもう十分ここで働いたさ。敵方の天使一体を倒したという功績もあるしね」

「よろしくお願いいたします」

 エフセイはサララを手中におさめて、満足げな様子を見せる。

 サララは軽く微笑んだ。


 エフセイとサララはアウグナシオンに拝謁し、報告する。

 敵天使を一体倒したこともあって、喜んだアウグナシオンはサララにしばらくの休暇を与えた。

 同席していたエマーファは、


「サララなら、やってくれると信じていました。よくやりましたね、サララ」

 と、目を細めていた。


「ありがとうございます。エマーファ様」

 サララは無表情でエマーファに一礼する。


 何事もなく、エフセイとサララは退出する。


「何かやってもらうことがあったら、連絡するよ」

「わかりました、エフセイ様」

 二人は別れた。


 エフセイはエマーファに対抗するための手駒が増えたことに満足する。

 さらなる手駒を増やすべく、彼は別の策動に乗り出そうとしていた。


(エマーファ、いつかその座から引き摺り下ろしてやる)


 エマーファはエフセイの思惑に気づいていた。

 格下と侮っていたエフセイだが、今後気をつける必要があるだろう。

 しばらくは、サララのような下級天使を始末するのもやめなければなるまい。

 それに、そんな事をする必要がないほど、彼女の盟約者である人間は彼女に力をもたらしていた。


(せいぜい、がんばるがいいわ。劣る者がどれだけあがいても、無駄で終わるけどね)


 サララは、いつものように好きな大木の枝に座っていた。

 物事を整理して考えるためだ。

 自分はエマーファに殺されそうになった。

 それを絶対に許すつもりはない。

 必ず、復讐してやるつもりだ。


 それに、アウグナシオンがエマーファの暗躍を本当に知らなかったのだろうか?

 アウグナシオンは上級神である。

 自分の件は仮に知らなかったとしても、千年以上同じようなことをエマーファが続けていたら、いつかは気づくはずだ。

 エフセイですら、知っていたのだから。

 それでも、エマーファの力を信任しているがため、見逃してきたのではなかろうか。

 恐らくそうに違いない、とサララは断定する。

 ならば、アウグナシオンも同罪であった。


 エフセイの手助けもあまりにも都合よすぎた。

 もっと前から、サララの状況に気づいていたのではなかろうか。

 だから、サララが倒されそうになったところで、助けに入ることができた。

 これはただの推測だが、確度は高いとサララは推測する。


 つまり、下級天使である自分は、アウグナシオン、エマーファ、エフセイといったより力ある存在に、自分の運命を翻弄され続けていたのだ。

 泥だらけになって、必死にもがいていた先ほどまでの自分を思い出す。


「許せない……」

 サララは小さくつぶやき、


「絶対に許せない!!」

 と、さらに怒声を発した。


 サララの瞳に憤怒の炎が燃え盛る。

 生を受けてまだ一年もたっていない彼女にとって、生まれて初めての激怒であった。


 エフセイには誤算があった。

 彼にとって、アウグナシオンは絶対である。

 アウグナシオンへの反逆心がもてないよう、彼は設計されていた。

 だから、サララもまた、エマーファへの反抗心しか持たないと考えていた。

 というか、アウグナシオンに怒りを向けるなど、想像できなかった。


 だが、サララは違う。

 大いなる絶対神ではないアウグナシオンは、完全な創造を行えない。

 サララはアウグナシオンへの反逆心を持てる天使として、生を受けた。

 これまでは完全なる自由のみを欲していたサララだったが、今は明らかにアウグナシオンへの叛意を抱くようになる。


 サララはミロシュの下へ戻るべく、飛び立つ。

 慎重なミロシュにもっと強くなるよう、檄をとばすつもりだ。

 彼女が力を手に入れるために、ミロシュが強くなるのは絶対に必要なのだから。


 ◇  ◇


 聖暦一五四二年六月十一日にゴーズァイ達は、ソヴェスラフへの攻撃を開始する。

 当初は互角以上の戦いが行えたが、グ=トヌガンに仕える天使の支援理力がきれて、ソヴェスラフ側が完全に体勢を立て直すと、明らかに劣勢となった。


 六月十六日に至ると、ソヴェスラフを落とすのはまず無理だとゴーズァイの指導者であるヨラン王は考えるようになる。

 なので、激しい攻撃は手控え、散発的にしていた。

 グ=トヌガンへの手前、全く攻撃しないわけにもいかないと思ったのだ。


 ゴーズァイは自分達の世界ヴィゾグレンでは、彼らがタムイと呼んでいる粟のようなものを栽培して食していた。

 ソヴェスラフで栽培されている麦も煮れば食べられると天使達から教わっており、彼らは貯蔵されていた麦を煮て、食欲を満たしていた。


 夕食が済んだ後、ヨラン王は有力者を何人か呼んで指示を出す。


「百のつがいを三組ほど、明晩には外の世界に出す。その指揮をとってくれ。新たに住めそうな地があれば、定住するがよい」

 この指示に有力者達はいくつか意見を述べるが、受け入れた。

 彼らもまた、ソヴェスラフを落とせるとは思えなかったのだ。

 落とせなければ、逆に攻撃されるようになるだろう。

 そうなれば、この地はかなり危険であり、他の定住地を探す必要があった。

 だが、グ=トヌガンが約束したこの地から、全員が離れるわけにもいかない。

 諸事情を勘案した折衷案だ。


 夜が明けて、六月十七日がやってくる。


 ゴーズァイの子供達が鬼ごっこをして遊んでいた。

 飢えからひとまず解放されたその様子にヨラン王は目を細める。

 ひもじくて泣いていた小さい子供達も、母親と一緒に笑っていた。

 ヨラン王はグ=トヌガンに感謝する。


 だが、そのグ=トヌガンはゴーズァイ達をすでに用済みとみなし、見捨てていた。


 ヨラン王はソヴェスラフ城門側に壁をつくるよう、指示をだしていた。

 こちらから攻撃して落とせない以上、逆に攻撃を受けるのを防ぐべきだから。


 夜となり、百のつがいで構成されたゴーズァイ三組が麦を持って土壁から退去していった。

 ゴーズァイがいた世界ヴィゾグレンは荒涼たる世界だ。

 人口が増えて、その地で養えなくなると、同じように移住していた。

 ハイグラシアでも、彼らは同じ行動をとったにすぎない。

 彼らが住むにたる移住先があるかどうかはわからないが。


 明後日の六月十九日は運命の日だ。

 旅立ったゴーズァイ以外、ヴィゾグレンから召喚された生物全てが死ぬことになる。


 ◇  ◇


 ルーヴェストンを宿してから、ミロシュとルーヴェストンは激論を繰り広げる。

 サララにどう対処するかで、だ。


 ルーヴェストンはサララを始末するように主張し、ミロシュは強硬に反対していた。

 カミルは最初、ルーヴェストン寄りだったが、グァルイベンによる負傷をサララに治してもらったことを知り、翻意する。

 シモナはミロシュに味方した。


 二人の間でついに同意に至った。


「結界をはって、外部に会話がもれないようにする。その後、俺の存在を秘密にする盟約をサララに結ばせる。同意しなかった時は強制的にでもな」

「……なんとか説得するよ」

「天使が自分を生んだ神に逆らうのは無理だと思うがな。俺は強制的に盟約を結ばされた後、神に報告しようとして失命する天使の姿が思い浮かぶぜ。そんな事になったら、お前に疑いがかかって、厄介なんだがな。完全にマークがはずれるまで、お前の中でずっと寝ている羽目になる。やっぱり、考えなおさねぇか?」

「くどいな! サララは僕を助けてくれたんだ。僕はサララを見捨てることはしないっ!」

「ああ、わかったよ。お前の怒りの波動がダイレクトにくる。仕方ねぇか。お前の記憶からして、サララってのは下級天使だろうしな。盟約を強制的に結ばせるのは楽勝だ。そうならないよう、がんばって説得してみせろよ」

「……ああ」


 聖暦一五四二年六月十八日夜半。


 サララはミロシュがいつもの借家にいないのをいぶかるが、ソヴェスラフ政庁客室を訪れた。


「ミロシュ、戻ってきました」

「お帰り、サララ。無事に戻ってこれてよかったよ」

 微笑むミロシュにサララも笑みを返す。

 アウグナシオンも上位の天使達も信用できなくなったサララにとって、ミロシュだけが支えとなった。

 サララ自身はそう自覚していなかったが。


「それで、どうして、引越したんですか?」

「……ああ、それはね」

 ミロシュが答えようとした瞬間、客室はルーヴェストンが張り巡らせた結界で閉じられた。


「ミロシュ!?」

 サララは結界に気づき、顔色を変えた。


「……サララと別れてから、今までにあったことを全部話すよ。僕が嘘をついたらサララにわかる魔法みたいなのがないかな? あれば、それをかけてほしい。荒唐無稽な話だから、なかなか信じられないだろうしね」

「……わかりました」

 サララは左手から理力を発し、ミロシュに浴びせた。

 精神魔法の一つに、対象が嘘をついたらそれがわかる魔法がある。

 普通の会談で用いられることはまずない。

 魔法をかけたら、魔法をかけた対象に魔法をかけた事がわかってしまうからだ。

 なので、ほとんど捕虜や犯罪者への尋問などで用いられている。

 サララは理力を用いて、それとほぼ同様の術をミロシュにかけた。


「さぁ、話して下さい」

 サララの目つきが厳しくなる。


「うん、話すよ」

 ミロシュはすべての出来事をありのままに話す。

 ルーヴェストンの名前を出した時、サララがぴくっとなった。

 ミロシュは何か言われるかと思ったが、サララは無言のままだったので話し続けた。

 一通り話し終えたミロシュは、サララに説得を試みる。


「ルーの存在をアウグナシオン様に黙っていてくれないかな。その代わり、ルーの手助けで神にも通用するだけの力を手に入れて見せるよ! そうなれば、サララの役に立てると思うし!」

 ミロシュは力強く言おうとするが、ルーヴェストンは神々に追われている指名手配犯だ。

 自分でも説得力がないとわかっているだけに、ミロシュの声は強くなったり弱くなったり、妙な按配に聞こえる。

 サララが無表情なままなのが、ミロシュにとって怖い。

 沈黙をある声が破った。


「俺がルーヴェストンだ。あのクソアマに俺のことをどう吹き込まれてるか知らないが、黙っていてくれると助かるがなぁ」

 いつもより、ルーヴェストンの声に凄みがあるとミロシュは思った。


「……クソアマって誰のことですか?」

 少し間をおいてサララがこたえた。


「アウグナシオンに決まってるだろうが」


 また少し時間をおいて、サララの口から小さく声がもれだす。

 笑い声だった。


「ハハハッ、アウグナシオン様がクソアマですか。ハハハッ」

 サララは盛大に笑い出した。


「……どうしたんだ、急に?」

 ルーヴェストンは毒気を抜かれたような声を出す。


「どうしたの、サララ……?」

 ミロシュも同様だ。呆気にとられていた。


「そうですよね。神といっても、対等な力を手に入れれば、敬う必要はありませんよね」

 サララは反意を抱いていたが、まだどこかしらアウグナシオンに畏怖心を抱いていた。

 だがそれも、クソアマの一言で打ち消されたのだ。


「ミロシュが嘘偽りなく話してくれたのだから、私も話します。私はアウグナシオンや上級天使にいいように使われていました。私を生んでくれたのはアウグナシオン様です。ですが、一度生まれた以上、私の命は私のものです。誰にも弄ばれたくありません!」

 サララが声音を強め、ミロシュはたじろいだ。


「ミロシュ、ルーヴェストンのことは話しません。盟約を結んだ時に話した私の言葉を覚えていますか?」

「……ごめん、強くなろう、力を手に入れよう、みたいなことは覚えているんだけど」

「誰よりも強く、侵されることない最強を目指しましょう、です。今日からはわかりやすいように一言付け加えましょう。『誰よりも強く、“神々にも”侵されることない最強を目指しましょう』に」

 サララは微笑む。

 今まで見せた微笑みの中でもっとも不敵なものだ。


「ああ、うん」

 説得しようと気構えていたミロシュだったが、すっかりサララにリードされていた。

 でも、これで難問が解決したと知り、顔に笑みが浮かぶようになる。


「お前さんの気持ちはわかった。だが、完全に信用できねぇ。盟約を結んでもらうぜ」

 そんなミロシュの微笑みもルーヴェストンの不穏な一言でかき消されたが、サララの答えはあっさりしたものだ。


「いいでしょう。私もあなたを信用できません。裏切らないよう、盟約を結んでもらいます」

 サララの視線がルーヴェストンの宿るミロシュに突き刺さる。

 ミロシュはいつも思う。

 サララにしても、カミルにしても、にらまれるのが自分になるのはたまらない、と。


「精神体の俺相手にどういう盟約をかわすんだ?」

 ルーの声に笑いが混じる。


「真名を使いましょう。いえますよね?」

「……ほう、下級天使のくせにそんなことまで知ってるのか」

「知らないのは罪だと、さんざん教わりましたから」

 スキルの一件以来、サララは時間ある限り、知識を増やすようにしていた。


「いいだろう。天使なのは気にいらねぇが、てめぇの協力は必要だしな」

「極めて不本意ですが、私もあなたの協力は必要ですからね」

「……二人ともできる限り、仲良くしようね」

 ミロシュの言葉は二人の耳に届いてなかった。


 サララとルーヴェストンの盟約が交わされることになる。

 ルーヴェストンの真名は長いものだった。

 ミロシュにはよく聞き取れない部分もあったが、五十字くらいだ。


「ミロシュ、これからはできる限り早く、力を手に入れましょう」

「……無理はしないんじゃなかったのかい?」

「無理をせずにできる限り早く、です」

「……努力するよ」


 サララは楽しく笑う。

 ヴルドヌス大陸にいた時は気分が沈み、エマーファの企みを知ってからは激怒していたというのに。

 感情の機微に疎いサララにもわかる。

 気弱げに横で微笑むミロシュのお陰だということが。


 言葉をだそうとして、サララは思いとどまる。


「サララ?」

「……これからも、よろしくお願いします」

「よろしく、サララ」

 二人がお互いを優しい眼差しで見やった。


 聖暦一五四二年六月十八日、ミロシュとサララの盟約は更新された。

 ただ一言付け加えられただけにすぎないものだ。


 だがその一言は、ハイグラシアという世界ではとても重いものだった。

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