(22) 聖暦一五四二年六月 仕官への道
聖暦一五四二年六月十二日の朝を迎える。
ソヴェスラフに住まう人々はそれだけで喜べた。
なぜなら、城壁北のスラム地区に住んでいた人々は、十一日にあった魔物の来襲で多くが死に絶えたからだ。
また、マレヴィガ大森林に出向いていた冒険者の多くも消息を絶った。
生死不明だが、生存はほぼ絶望的だと思われていた。
冒険者ギルドに務めるユディタは、ミロシュ達が戻ってこず、憂い顔を見せる。
自分が結成を促したパーティだ。
彼女は自分の身内のように心配していた。
だが、ドレイシー執政官からの協力要請もあり、冒険者ギルドは様々な処理に負われている。
彼女はミロシュ達を心配しているだけではいられなかった。
黙々と彼女は仕事を片付けつつ、ミロシュ達の無事を信仰する神に祈っていた。
冒険者ギルドを作らせた自由の神カフュースに。
◇ ◇
ミロシュは目覚めた。
シモナはまだ安らかな寝息をたてていたが、カミルはもう目覚めていた。
カミルを見ると、ペンで何かを書いている。
「何を書いているんだい?」
「ああ、起きたのか、ミロシュ。これは日記のようなものだ。昨日は色々あったから、忘れないうちに書いておこうと思ってな」
「へぇ、カミルにそんな習慣があったんだ」
「まぁな。シモナも目覚めたか」
シモナはむにゃむにゃ言っていたが、眼を開いて二人の方を見る。
「ふわ~、おはよう」
シモナの挨拶に二人が返事する。
カミルはペンとメモ帳をしまい、三人とも携帯食を食べ始める。
いわゆる乾パンに肉の燻製だ。
冒険者は万一に備えて、こういった食べ物を携帯して冒険に出るのがほとんどだ。
しかし、三人とも日帰りしか考えていなかったので二食分ほどしかない。
大しておいしい物ではないが、空腹が調味料となって、三人は乾パンと燻製を食べ終えた。
これで残り一食となる。
食事を終えた三人は身支度を終えて、今日の行動をどうするか話し出す。
「ルー、ヤーデグと遭遇したら、倒せそうかい?」
「たやすいことだ。お前らが出会ってきた魔物くらいなら、どれも楽に倒せるだろうよ」
「あのグァルイベンでも?」
かつて、死に瀕しながらダリボル達と共同で倒した強大な狼の魔物を、ミロシュは思い出す。
「ああ、足からやれば、後は的になるだけだ。同時に三体以上だと苦しいかもしれんがな」
「……それだけの力が今の僕の中にあるのか」
「お前は力の使い方がなってないんだよ。落ち着いたら、しごいてやるからな。今は俺が動かしてやるが」
「……頼んだよ」
「俺達はソヴェスラフに戻るだけだ。グァルイベンクラスの魔物とそんな大量に遭遇することはないだろう」
「余裕がありそうだね。なら、シモナの槍を回収してから戻ることにしよう」
「え、でも、危ないんじゃ……?」
シモナがか細げな声を出す。
「お父さんの形見なんだろう。ルーの話だと問題なさそうだから、取りに戻ろう」
ミロシュは微笑した。
シモナが抱く申し訳なさを少しでも軽くするために。
「俺もかまわないぞ、シモナ」
「……二人ともありがとう!」
シモナの顔に泣き笑いの表情が一瞬浮かんだ後、満面の笑みが広がった。
ミロシュ達は洞窟を出て、まずはシモナが槍を手放したところへ向かう。
道中でゴブリンやミドルアント数匹とでくわすが、難なく撃破した。
森を抜けて、草原に出ると、右遠方にヤーデグ三匹が見える。
三人は一様に緊迫感に包まれるが、一柱は落ち着いていた。
「フン、焦るな。魔法に対する抵抗力がほとんどないザコじゃねぇか。急所にきちんと当てれば、それで終わりだ」
「ルー、どうしたらいい?」
「お前は杖をあいつらの方に向けろ。後は俺が撃墜してやるよ」
「わかった」
ミロシュは杖をヤーデグの方へ掲げた。
ヤーデグ三匹はミロシュ達を見つけたのか、徐々に姿が大きくなってくる。
「回復魔法の時と同じだ。力の出し方、照準の合わせ方、感覚で覚えろ」
「ああ」
ミロシュはシモナを治した時と同様に、体内にある力が引き出されて、別種の力へと転換されるのを感じる。
回復魔法の時と違い、より熱量を感じさせる力だった。
「照準をあわせるぞ」
そう、ルーヴェストンが言うや否や、ミロシュにはヤーデグの姿が拡大されて見える。
手のひらくらいの大きさで見えていたものが、今では実物大に拡大されているのだ。
「これって、望遠鏡!?」
「そんなようなものだ」
ミロシュは体内にある力が押し出されるのを感じる。
ルーヴェストンはその力を体の外へと導き、杖を通して、続けざまにヤーデグめがけて放った。
炎弾というべき魔法は螺旋を描いて、三体のヤーデグへと殺到していく。
ヤーデグはもちろん、止まっているわけではない。
飛行しているのだ。
にもかかわらず、ルーヴェストンの絶妙な計算によって導かれた三発の炎弾はいずれも、ヤーデグの頭部を貫いた。
拡大されて見えるミロシュにはその様がはっきりと見える。
「……すごい!」
「倒せたのか?」
カミルとシモナには、そこまではっきりと見えない。
だが、頭を貫かれて生命活動を停止させたヤーデグ三匹は、失速して落下していく。
「やったわ、やったわね!」
そこまでいけば、二人にもヤーデグを倒したことがわかり、シモナは喜びのあまり、軽く飛び跳ねた。
「魔法にある程度の耐性があれば、こう簡単にはいかないんだがな。あいつ、もしかしたら、このクソ世界の生き物じゃなくて、他の世界から連れてこられたかもしれないな」
「なんだって!?」
「魔法が発達していない世界の生き物なら、魔法に対する耐性がなくても問題ないからな。初めて見る奴なんだろ?」
ルーヴェストンの言葉を聞いて、カミルが言葉を返した。
「それなら、話がつながる。ヤーデグが誰かに連れてこられて、ここら一帯の魔物の行動がおかしくなったわけか」
「これ以上考えるには、まだ情報が足りねぇな」
「ああ、速断は避けよう」
ミロシュ達は気持ちを切り替えて、シモナが槍を手放した場所へと再び向かった。
さらにヤーデグ二匹と遭遇するが、もはや敵ではなかった。
ルーヴェストンがミロシュの体を使って、あっさり撃破する。
ミロシュ達がそれらしき場所へと到達し、探してみると、あっさりシモナの槍は見つかった。
「はい、シモナ」
ミロシュがシモナに槍を手渡すと、シモナは槍を抱きしめた。
「ありがとう、ミロシュ……お父さん……」
閉じられたシモナの両目が潤み、槍を持つ腕に力がこもる。
そんなシモナを二人は見やって、微笑みをかわした。
「ごめんなさい、行きましょう」
目尻を指でぬぐったシモナは二人に心からの笑みを見せる。
その笑みは純粋で宝石以上に輝いているように、ミロシュには思えた。
「あ、ああ……」
ミロシュはどぎまぎしつつも、返事をする。
三人はソヴェスラフ目指して、再び歩き始めた。
歩き続けた三人にソヴェスラフの石壁とスラム地区が見えてくる。
見慣れた北東部のスラム地区であるが、様相がいつもと異なっている。
近づけば近づくほど、違いが明らかになってきた。
まずは二重に設けられていた木の柵がところどころ、なぎ倒されていたことだ。
警備隊の何人かが歩哨として立っているはずが、それらしき人影はない。
次に建物のいくつかが火事でも出したのか、焼け落ちていた。
さらに、人通りが全くない。
猥雑なまでに人が通っていたというのに。
ミロシュ達は柵と柵の間にある簡単な門から約数十メートルの地点まで到達していた。
「明らかにおかしいわね」
シモナは槍を握って、身構える。
「どうやら、魔物に襲われたようだな。道にいくつか何かが転がっているが、あれはもしかしたら……」
カミルは口を濁した。
「ルー、僕の眼を遠くが見えるようにして欲しい」
「いいぜ。ほらよ」
遠くが鮮明に見えるようになったミロシュは、市街を観察する。
ミロシュはこれから見た光景が頭に焼きついて、しばらく忘れられなくなる。
カミルが言っていた道に転がっている何かとは、魔物に食い殺された人々だ。
ある者は胴体が半分ほど食い裂かれ、ある者は胸から上がすっぱり食いちぎられている。
そんな死骸が数え切れないほど、転がっていた。
道や家々は、人々が流した血で半ば塗装されている状態だ。
鮮明に見えるがゆえに、無残な様子も鮮やかに映し出された。
まさに地獄といえる風景が、ミロシュの頭脳にすりこまれていく。
「うぇっ……」
ミロシュは急激に嘔吐感に襲われ、吐き出した。
現代日本人であったミロシュは、死体など画像ですらほとんど見たことがない。
そういった物に対する耐性が全くなかったのだ。
「だらしねぇな、全く」
「ミロシュ、しっかり……!」
シモナがミロシュの背中をさする。
「やっぱりな」
カミルはそういいながら、水筒をミロシュに差し出した。
「……ありがとう」
そう言って、ミロシュは水を口に含んでゆすぎ、汚物を吐き出した。
「……少しはましになったよ」
「ミロシュ、大丈夫?」
「なんとかね」
ミロシュの顔色は少し青白い。
「市街はひどいものだったか?」
「……ああ、魔物にやられたらしい人々がたくさん死んでいたよ」
「石壁の上に守備兵はいるか?」
「見てみるよ」
ミロシュが石壁の上を見てみると、何人も立っているのが見えた。
「警備隊か騎士団かわからないけどいるよ。臨戦態勢のようだね」
「なら、ソヴェスラフ市街は大丈夫なわけだな。城門はまず開けてもらえないだろうが、梯子を降ろしてくれたらいいんだがな」
「近づいてみないとわからないわね」
「そうだな。ミロシュが問題なければ、近づいてみよう」
「僕なら大丈夫」
まだ完全に大丈夫とはいえなかったが、ミロシュは気丈にもそうこたえる。
石壁に近づくということは、死骸の傍を歩いていくということだ。
凄まじい拒絶感がミロシュを襲うが、泣き言をいってられる状態ではなかった。
三人は槍を構えたシモナを先頭にして、スラム地区に入った。
眼前に凄惨な光景が広がっていく。
カミルもシモナもミロシュが吐いた気持ちを理解できた。
顔のほとんどをかじり食われ、かろうじて残った右の目玉がはずれかけた死体をシモナが直視した時、嘔吐感に襲われる。
ここは戦地、と気持ちを引き締めかろうじて耐えたが、ずっと耐えられる自信はシモナにない。
しばらく歩くと、ミロシュ達は死骸をあさる野犬のような魔物の群れと遭遇する。
ハイエナのようにあちらこちらの死骸を夢中であさり喰らっていたが、ミロシュ達に気づくと襲い掛かってきた。
全部で八頭いたが、所詮は死肉をあさるだけが能の魔物で、ミロシュ達の敵ではなかった。
あっという間になぎ倒される。
青白い顔をしていたミロシュであったが、親子と思える死骸を見つけて凝視した後、顔を紅潮させた。
親が子供を守るように、両手で抱え込んでいる死骸だ。
だが、それも空しく、親は頭がなくなり背中は食われ、子供は胴体を食いちぎられていた。
ミロシュは親子の交わりがほぼ断絶していた。
だからこそ、命がけで親が子を守ろうとする姿を見せているこの死骸に胸うたれた。
この姿はミロシュの中にある理想だからだ。
ハイグラシアに来た以上、おそらくもう実現できないだろう理想だ。
ゆえに、ミロシュには眩しく尊い――
ミロシュの感情の大部分を支配していた嫌悪感と早くこの場を抜け出したいという気持ちが、別の感情へと変化していく。
「このままだと、野犬に汚されるかもしれない」
ミロシュは火球を放って、親子の死骸を燃やす。
「できれば、埋葬してあげたいけど、その余裕はないんだ。ごめん……」
軽く両目を閉じた後、ミロシュは強い眼光で二人を見る。
「どうした、ミロシュ?」
カミルが様子の違うミロシュに問いかける。
だが、ミロシュはそれを無視した。
「ルー、この場所は危ないかい?」
「いや、大した気配はないな。森の方は気配が濃いが、ここらはザコしかいねぇよ」
「ありがとう。カミル、シモナ、僕のわがままだけど、もしかしたら家の奥とかに潜んで、生き残ってる人が一人でもいるかもしれない。そういう人達を一人でも助けてあげたいんだ。どうだろう?」
「うん、ミロシュがそういうなら、いいよ!」
長居したい場所ではないが、シモナは即答する。
今のシモナは、ミロシュの提案であれば、ほぼ全てのむだろう。
だが、カミルは違う。
「ルーがそう言っても、リスクはゼロじゃない。お前だけじゃなく俺にもシモナにも危険が及ぶ。一人も生き残りがいないかもしれない。それでも、救助活動を行いたいんだな?」
「ああ、僕はルーの力を手に入れて、気が大きくなっているかもしれない。でも、それだけじゃないんだ。助けられるだけの力が僕にあるなら、少しでも助けてあげたい。カミルやシモナに迷惑をかけたとしても」
カミルの厳しい眼差しをミロシュは真っ向から受け止めた。
そんな二人をシモナは心配そうに見ていた。
やがて、カミルの眼光は柔らかくなる。
「リスクがわかっていても、そう判断したというのなら、俺は従おう」
「ありがとう、カミル!」
ミロシュばかりでなくシモナも笑顔になる。
カミルは心から反対したというわけではない。
ルーがリスクが低いというのならば、まず間違いないだろう。
ミロシュの姿勢、心の強さを確かめたかっただけだ。
だが、大局を見失いそうになれば、自分がブレーキ役にならなければいけないだろう。
ミロシュの甘さはカミルにとって心地いいものだが、浸りきるのはシモナだけでいい。
三人は、「誰かいませんか! 助けに来ました!」と叫びながら、北東部から北西部へと歩いていく。
だが、その声に応えるのは、救助を待つ人々ではなく、魔物達であった。
呼応して現れる魔物は、ルーヴェストンがいったように大物はいなくて、犬種の魔物でザコばかりだ。
三人は次々と蹴散らしていく。
破竹の勢いとはこのことだった。
だが、誰一人助けられず、ミロシュは意気消沈しそうになる。
そんな時だった。
最も西にあたる路地に面したあばら家の前で、貧しい身なりをした母子を見かけた。
三人は息せき切って、母子の下へ駆けつける。
「よく、無事でしたね!」
「私達は魔物に襲われた時、とても逃げきれそうになかったので、地下室に潜んでいました。静かになったから、門に向かおうと思って出てきたところです。急でしたので、食べ物も水も用意できなくて、ずっといられませんでしたから……」
三十歳くらいの母親がこたえる。
五歳くらいの女の子が母親の服のはしをつかんで、母親の体を使って隠れるようにしていた。
「そうでしたか。私達はソヴェスラフに戻ろうとしている冒険者です。よければ、一緒に戻りませんか」
カミルが丁寧な物腰で母親に提案する。
「そうして下さると助かります。門までそう遠くないとはいえ、私達だけだと魔物に見つかれば……」
「あたし達に任せてください!」
シモナが胸を張った。
三人は母子を挟んで、石壁へ向かうことにする。
自分達の行動が無駄にならずにすみ、特にミロシュは意気揚々としていた。
野犬や狼のたぐいを何匹か倒して、ソヴェスラフの石壁へと到達する。
「すみませーーん!!」
三人と母親は声を張り上げた。
この壁の高さは約八メートルある。
兵士の何人かが声に気づいて、下を向く。
「僕達は冒険者です。避難していた人達を連れてきました。梯子を降ろして下さい!!」
三人は大声で壁上の兵士に話しかける。
「ちょっと待て!!」
しばらくしてから、返事がかえり、兵士の一人が走り去っていく。
「おそらく、責任者に相談しにいったんだろう」
「はしごを下ろしてくれたらいいけども」
三人と母子は壁の下でしばし待たされる。
その場所は北西門から二十メートルほど離れた場所であったが、そこからですら、多くの死体が門の近くに転がっているのが見えた。
母親は子供にそちらを見せないようにしていた。
ミロシュは門近くにある死体の山から、目を離せずにいた。
おそらくは、魔物に殺されたのではなくて門を閉めるために殺されたのだろう、と推測できた。
ソヴェスラフを守るために仕方ない措置だったのだろう、とは思う。
魔物の群れが門の中に入れば、さらに多くの人々が死ぬことになるだろうから。
だが、あまりにもやるせない。
力なき人々はこのような形で死んでいかなくてはいけないのだろうか。
それは違うはずだ、とミロシュの心の中で叫ぶ声がある。
ならば、どうすればいい? ミロシュがこの問いに答えようとした時であった。
死体のいくつかが立ち上がり始めたのだ。
「……アンデッド化か。あまりにも恨みが募ると起きるらしいが」
カミルの声に力がない。
どんな恨みか、すぐにわかったがゆえに。
魔物ではなく同胞に殺された恨みが、門前の死体をアンデッドモンスターに変えたのだ。
『グールだろう。別に強くはないぞ』
ルーヴェストンが母子に配慮して、念を三人にだけ届けた。
あくまでも、ルーヴェストンを宿したミロシュから見て強くないのであって、新人冒険者なら勝ち目はない魔物であった。
壁上の兵士達も死体のアンデッド化に気づき、騒ぎ始めた。
三体ほど、ミロシュ達の方に近寄ってくる。
恨みがましい表情を浮かべて。
「アンデッドは生きている者全てに恨みをぶつけようとする。ごく一部をのぞいて会話などできない。グールもな」
「……恨みを持ってアンデッド化するなら、魂が恨みに捕らわれているってことだよね」
「転生があるんだ。魂は存在するだろうし、そうかもしれん」
カミルは淡々としてこたえる。
「……なら、少しでも早く解放してあげたいよ」
ミロシュは近づいてくるグールに杖を向けた。
『ルー。過大な力は抑えて』
『ああ、人間離れしたところをまだ見せるわけにはいかないからな』
『それもあるけど、必要以上に痛みを与えたくないから』
『……フン』
ミロシュの杖から炎弾がとび、グールと化した死体が一体ずつ倒されていく。
カミルもまた、光球でグールを打ち倒す。
数十体のグールが近づく前に、ミロシュとカミルによって倒されていく。
グールは怪力でマヒ毒も持ち、魔法を使える者がいなければ強敵だ。
だが、ルーを内在させるミロシュとグールの弱点である光属性が使えるカミルの二人とは、あまりにも相性が悪すぎた。
距離があったのも二人には幸いする。
最後のグールをミロシュが倒してすぐに、壁上から声がかかる。
「梯子を降ろすぞ! それで上がってくれ!!」
「グールを倒したから、信用してくれたのかな?」
シモナの声は意地悪い。
「そうかもしれないな」
カミルは苦笑した。
「早く上ろう」
ミロシュの声はやや沈んでいた。
母親を先頭に、子供を背負ったカミルが続き、シモナ、ミロシュの順番に上った。
五人は無事に上りきり、母親が礼を言う。
「本当にありがとうございました! 皆様と出会わなければ、私達も……」
「いいんですよ。二人だけでも助けることが出来てよかったです」
ミロシュの本心だ。
せめて二人だけでも助けることが出来て、ミロシュの心は楽になった。
カミルとシモナの顔も晴れがましい。
やがて、五人の下に供を二人つけた責任者がやってくる。
「私は騎士団副長のレオシュ=ボジェクだ。貴殿らの戦いぶりを見せてもらった。見事なものだ。よければ、外の様子を聞かせて欲しい」
大騎士爵の爵位を持つレオシュであったが、ミロシュ達の戦いぶりに感嘆し、応対は丁寧なものであった。
ミロシュ達はもちろん同意し、母子とは別れ、騎士団の屯所でレオシュと話をすることになる。
カミルがルーヴェストンのくだりなどを省略して、事情を説明していく。
逆に、レオシュからはソヴェスラフの現状を教えてもらった。
「そうか。これで、外の様子がある程度わかった。感謝する。冒険者ギルドから情報提供の謝礼が出るように取り計らおう」
「ありがとうございます。それと一つ、お願いがあります」
「何かな。できる限りのことはさせてもらうが」
「私の本名はカミル=ダニェク=ブラーハ。アーモス=ドベシュ=ブラーハ公爵の三男です。シュテファン=ベルキ=ドレイシー執政官と面会できるよう、取り次いでいただけませんでしょうか」
「なっ……!?」
レオシュは驚愕する。
カミルの顔をまじまじと見つめるが、嘘をついているようには見えない。
「……わかりました。ただ、それが虚偽であれば、ただではすみませぬぞ」
「執政官は私の顔をご存知です。私を一目見ていただければ、真偽は明らかとなります」
「しばらくここで待っていただきたい」
「はい」
三人は屯所で待たされることになる。
その間、カミルが二人に自分の意図を伝える。
「俺達が倒してきた魔物はギルドカードで証明することができる。ヤーデグを倒した数といい、情報提供といい、今のソヴェスラフだと貴重な功績といえるだろう。早速、俺達を売り込むってことだ」
「ミロシュを出世させるためにね!」
「ああ」
「執政官ってことはソヴェスラフのトップってことだよね?」
「そうだ。重臣の一人だ。王国きっての能吏だな」
「……緊張してきたけど、がんばるよ」
「基本的には俺が応対するから、リラックスしてくれ」
「わかった」
三人は屯所を出て、ソヴェスラフ政庁に向かうよう伝えられる。
レオシュと騎士二人に連れられて、三人は政庁に入った。
政庁の一室で三人は少し待たされるが、すぐに応接室に入るよう促される。
「カミル様、ドレイシー執政官がお会いになられます。どうぞ、こちらへ」
レオシュが恭しくカミルに一礼する。
もう疑う様子はなかった。
三人が政庁に入ってから、執政官が遠くからカミルの顔を確認して、本物だとレオシュに伝えたのだ。
レオシュは内心、横柄な態度をとらなくてよかった、と安堵する。
応接室には、ソヴェスラフ近辺を描いた風景画が飾られていた。
丁度は執政官にふさわしく豪奢なものだが、どれも下品にならないよう派手さを抑えられている。
温厚そうな顔でミロシュよりやや背が低い中年の男性が、ソファーに腰掛けるよう三人にすすめる。
その男性がシュテファン=ベルキ=ドレイシー執政官であった。
三人と執政官はソファーに座って、相対する。
「お久しぶりです。ドレイシー執政官」
「カミル様はご健勝なようで何よりです」
「ご多忙にも関わらず、面会してくださり、どうもありがとうございます」
「いえいえ。殿下は陛下の甥御であらせられますから。また、それだけではありません。ソヴェスラフにとって、多大な功績をあげてくれました」
「少しでも役立つことができたのであれば、うれしく思います」
「ご謙遜がすぎますぞ、殿下」
その後、カミルがミロシュとシモナを紹介して、二人は軽く話し合い、本題に入った。
「それで、私にどういったご用件でしょうか?」
「執政官、よろしければ、私達に任務を与えてくれないでしょうか。ソヴェスラフのために働きたいのです」
「ほう、殿下のご活躍はもう十分なほどですが」
「危難に襲われたソヴェスラフのために、もっと役立ちたいのです」
「左様ですか……」
ドレイシーは沈思黙考する。
むろん、ドレイシーはカミルの言葉を額面どおりに受け取っていない。
さらなる功績をあげたいのだろう、と推測できる。
カミルは王位継承権を返上していた。
一臣下として国に仕え、功績をあげて出世したいのだろうか。
それはままある話であったが、それだけではないように思える。
ギルドカードを見たが、ヤーデグのほとんどを撃破したのは隣にいるミロシュという少年だった。
カミルはこのミロシュという少年を推挙したいのではないか、という結論にドレイシーは達した。
推挙したければ、功績が大であればあるほど、当然望ましいからだ。
それに力を貸すかどうかだが、ドレイシーはカミルの父親である公爵との関係を良好に保っている。
カミルは王位継承権を返上したが、今回の働きぶりといい、将来無視できない存在になるように、ドレイシーには思えた。
ならば、力を貸すべきだろう。
都合がいいことに、成功すれば功績多大な仕事が一つあるのだ。
「わかりました。実は重要な任務が一つあります。しかし、危険性があまりにも高くて、名乗りをあげる冒険者が一人もおりませんでした」
「どういった任務でしょう?」
「鉱山近辺と森の偵察です。さらなる魔物の来襲があるかどうかが、ソヴェスラフを防衛するにあたって極めて重要ですから。危険な任務ですが、成功すれば功績第一なのは間違いありません」
だが、このような状況下で、偵察依頼を引き受ける冒険者はいなかった。
高ランクの冒険者も何人かいるのだが、リスクが高すぎて断られたのだ。
都市防衛への協力は果たしている。
南のゴーズァイ来襲時に、冒険者達も共に戦っていた。
なので、罰することもできなかった。
騎士の誰かに任務を与えるかどうか迷っていたが、騎士達は防衛するにあたって重要な戦力だ。
不慣れな任務を与えて、むやみに騎士を失うのは避けたかった。
「わかりました。引き受けましょう」
カミルは即答する。
普通ならかなりの危険を伴うが、広範囲に魔物の存在を察知できるルーヴェストンがいる以上、リスクは極めて小さい。
危険と思われるからこそ、成功させれば功績は大きくなる。
功績第一というのは間違いない、とカミルはにらんだ。
「ありがとうございます、カミル殿下。吉報をお待ちしておりますぞ」
「必ずや、成功させて参りましょう」
三人は応接室から退室する。
ドレイシーは三人を見送りながら、考え続けていた。
カミル達が任務を成功させれば、何の問題もない。
問題なのは帰ってこなかった場合である。
王位継承権を返上しているカミルが自主的に任務をうけた以上、死亡したとしてもドレイシーが責任をとわれることはまずない。
だが、王弟である公爵との関係は気まずいものになるに違いない。
その場合、王子閥に属する貴族達との関係を強化する必要があるだろう。
ソヴェスラフ執政官として、ドレイシーはカミルが任務に成功することを願った。
ソヴェスラフ政庁の客室で三人は一泊し、聖暦一五四二年六月十三日を迎える。
三人は北西門近辺から、梯子で石壁から降りて、ボグワフ鉱山へ向かう。
冒険者達は魔物を倒せば、強くなっていく。
同様に、魔物達もまた、敵を倒せば強くなるのだ。
鉱山とスラム地区で多くの人々を殺戮した魔物達の何体かが、強力な種へと進化していた。
しかし、強力になった魔物は森の奥地へと去っていた。
強力な魔物ほど、濃密な魔力漂う森の奥地や山地を好むようになる。
脆弱な個体が多い人間達が草原で生きていけるのは、強大な魔物が森や山地から出るのを嫌うからだ。
だから、グ=トヌガンに仕える天使達の誘導がきれた現状は、三人にとってそれほど危険ではなかった。
いくつかの例外をのぞいて。
ゴブリン、オークといった魔物はある程度の知能があり、群れを形成する。
敵を倒したり、魔力を蓄えれば、ウォーリア、シャーマン、メイジといった種に進化する。
そして、今回の襲撃によって、さらなる進化を遂げた個体が現れた。
ゴブリンジェネラルが二体、オークジェネラルが一体、誕生したのだ。
ジェネラルになれば、ウォーリアよりもさらに力が増し、筋骨隆々となる。
ゴブリンジェネラルで身長が二メートル近く、オークジェネラルで二.五メートルほどとなり、完全に別種の魔物だ。
だが、最大の特徴は率いることができる数が増大するということだ。
時間がたてば、百体をこすゴブリンやオークが従うようになる。
ジェネラルが進化すれば、キングとなり、まさに王国を形成する。
とはいっても、オークもゴブリンも決して強くはない。
ゴブリンキングやオークキングが誕生して、千匹以上の群れを形成しても、最後は鎮圧される運命だ。
だが、鎮圧されるまでにもたらされる犠牲は大きなものとなる。
ゆえに、各国は常時依頼で冒険者に退治させていた。
キングが生まれる前に。
三人はそのゴブリンジェネラル二体、オークジェネラル一体を退治するのに成功した。
成功した理由は二つ。
一つ目はルーヴェストンの力によって、距離をとって魔法を連発することで倒せた。
キングに進化していれば、魔法耐性も大きく上がり、現在のミロシュでは困難だっただろう。
二つ目は、いずれも進化したばかりであり、大きな群れを形成できていなかった。
時間が経てば、大きな群れを形成して、魔法で狙撃する距離まで近づくのは難しかっただろう。
ミロシュがジェネラルを魔法で倒している間、近づいてくる配下の魔物はカミルとシモナで撃退した。
あいつぐ戦いに勝利することによって、二人もまたミロシュほどではないが、強くなっていたのだ。
三人は鉱山と赤いリボンが結ばれた木のラインまで森を見回り、ソヴェスラフへと帰還した。
ドレイシー執政官は早速、三人と会う。
「無事に戻ってこられたようで何よりです、カミル様」
「強力な魔物は森の奥深くに戻ったようです」
カミルは鉱山と森の様子を説明し、ゴブリンジェネラル二体、オークジェネラル一体を退治したことを伝える。
ドレイシーはジェネラル撃破を示すギルドカードを見て、軽く嘆声をもらす。
「……見事な戦果ですな。万一、キングになっていれば、事態は切迫していたでしょう」
北からゴブリンキングやオークキングに率いられた群れに襲われるのを想像し、ドレイシーはぞっとする。
ゴーズァイと挟撃されれば、ソヴェスラフは陥落していたかもしれないのだ。
「ミロシュ殿、ソヴェスラフ執政官として厚く礼を申します」
ドレイシーは頭を下げて、ミロシュは恐縮する。
「いえ、僕にできることをしたまでです」
現状、ルーヴェストンに頼りきりだった。
そんな自分が礼を言われても、ミロシュにしてみれば恥ずかしいだけだ。
「皆様方、事が終わり次第、陛下に推挙させていただきますぞ」
「よろしくお願いいたします、ドレイシー執政官」
ドレイシーは三人が退室した後、部下を呼ぶ。
「カミル殿下達の功績を街中に触れ回らせよ」
「はっ、かしこまりました」
執政官として、騎士団、警備隊の士気を高めるためにも、住民を落ち着かせるためにも、北辺の危機を回避できたのを伝える必要があった。
ドレイシーはソヴェスラフの執政官として、カミル達に大きな借りができたのを自覚していた。
なので、彼らに借りを少しでも返すためにも、カミル達の名声上昇に一役買ったのだ。
出世するためにも、評判を高めておくにこしたことはないだろう。
もっとも、嫉視されるのは間違いないが、出世を目指すには避けられないことだ。
自分とて、準男爵の家柄でここまで出世して、多くの嫉み妬み妨害を受けたのだから。
また、国王が能力ある者を愛するのをドレイシーはよく知っている。
彼らはきっと出世するだろう。
それを考えても、彼らとの関係を深めるのは重要なことであった。
ミロシュが想像していたよりも、彼の仕官は華々しい経歴で始まることになる。




