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(21) 聖暦一五四二年六月 ソヴェスラフの危機

 三人と一柱は今後について話し合っていた。

 状況がこれだけ激変した以上、ただ冒険者として行動する、というわけにはいかないからだ。


「ミロシュが平穏な生活を過そうと考えていたのは悪くなかったと思う。だが、ルーヴェストンを取り込んだ今では、その選択肢は捨てるべきだ」

「……どうしてもかい?」

 ミロシュの表情が曇った。


「ルーヴェストンがそれを望まないだろう?」

「ああ、強くなった後は、クソ神を倒しにいかないとな。一柱でも多く滅ぼしてやる……俺も滅びるんだからな。道連れにしてやるよ……」

 ミロシュの中にいるルーヴェストンにシモナが強い視線を向ける。

 だが、シモナはルーヴェストンの力によって助かったのだ。

 ミロシュを危機にさらすのは我慢できないが、口には出せなかった。


「……だけど、僕は神を倒しに行きたいとは思えない」

「チッ……」

「ミロシュとルーの基本スタンスは再確認できたな。シモナはミロシュの安全が確保できれば、それでいいか」

 気まずい雰囲気になるが、カミルは淡々とすすめていく。


「それでいいわ。あたしは確かにルーの力で助けられた。でも、ミロシュを危険にさらしたくない!」

「ならば、利害が一致するラインを設定して、そこまでは一致団結して行動する。その後は、また相談するとしよう。ミロシュはルーヴェストンの指示で鍛錬するのはかまわないんだな」

「それは、僕からお願いしたいくらいだよ。神を倒しに行くかどうかは別にして、力は欲しい」

 グァルイベン相手に死にかけ、ヤーデグに追い回されて、シモナを失いかけた。

 ミロシュはもう綺麗事をいうつもりはない。


(力が欲しい。自分を仲間を助けられるだけの力がなければ、どうにもならない)


「わかった。むろん、ルーヴェストンはミロシュを鍛えるのに異存はないな」

「ああ、クソ神を倒せるところまで鍛えてやるぜ!」

「あたしも一緒に鍛錬する!」

「俺もだ。できれば、スキルなしで魔法を使う方法を教えてくれ」

「カミルも神々と戦いたいのかい……?」

 ミロシュは不安そうな表情になった。


「今のところは、そうでもない。だが、ルーを抱えている以上、神々に存在がばれたら攻撃されるだろう。俺は座して死を待つつもりはない。勝てなくても一矢を報いるために、スキルなしで戦う技術は必要だ」

「僕の為に……ありがとう」

「お前がいなければ、状況はもっとひどかったさ。で、どうだ、ルー」

「いいだろう。俺も仲間がいれば、大戦の時にここまで追い込まれずにすんだ。ミロシュ一人だと限界があるからな」

「あたしにも!」

「わかったわかった」

「ここまでで、それなりの時間がかかるだろう。まずは、これが第一目標だ。そして、次の目標を設定する必要がある。無計画に事をすすめれば、効率が悪い」

「次の目標って?」

 ミロシュが問いただす。

 カミルはすでに答えを用意していたのだろう。間髪いれず、話し出す。


「ミロシュはパーヴィリア王国に仕官して、最低でも男爵までの出世を狙うべきだ」

「ええっ!?」

 ミロシュばかりでなく、シモナも驚いて声をあげそうになる。


「貴族にか。どういう意味があるんだ。説明しろよ」

「もちろんだ、まず、パーヴィリア王国の貴族制度を説明する。そうしないと、意味がわからないだろうからな」


 支配階級を図にすると、以下の通りになる。


      国王、王族

 上級貴族:公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵

 中級貴族:準男爵、大勲爵士、勲爵士

 下級貴族:大騎士爵、騎士爵、士爵


 領地を持つには、騎士爵以上でなければならない。

 騎士爵以上の爵位を持ち、所領を持たない者は、階級が高いほど多くの年金が支給される。

 騎士爵の年金だけでは、生活を切り詰めて家族を養うのがやっとだ。

 何か役職を務めることによって、年金と役料をたしあわせた収入でそれなりの生活が営める。


 当主が死んだ際、新当主は所領をそのまま受け継げるが、上級貴族と騎士爵以外は爵位を一階級落とされる。

 たとえば、大勲爵士家の当主が死ねば、新しい当主の爵位は勲爵士となる。

 功績をあげるか、何か役職を長年大過なく務めれば、前当主の爵位に戻るのは比較的たやすい。

 これは、爵位に安穏とさせず、働かせるための制度だった。

 ただし、それ以上の昇爵はかなりの功績が必要となり、爵位が上になればなるほど難しくなる。


 また、爵位とは他に役職がある。

 文官であれば、大臣、次官、会計官、執政官、町長などだ。

 武官であれば、将軍、准将、佐官、尉官となる。

 これらの役職に爵位が低い者が就任しても、儀礼上、役職にふさわしい待遇で遇される。

 例えば、準男爵の者が大臣であれば、伯爵相当として遇される。

 武官も同様で、将軍であれば、伯爵相当、准将であれば、子爵相当だ。

 もっとも、将軍、大臣が中級貴族ましてや下級貴族から選ばれることはほとんどなかった。


 最下級の士爵には年金もつかず、叙爵に伴う利益は一切ない。

 その代わり、比較的手に入れやすい爵位だった。

 平民が二十年以上軍務や役所勤めをするか、十年以上村長を務めるか、それなりの軍功をたてれば、士爵に叙爵される。

 いわば、平民が出世していくための足がかりというべき爵位だった。

 だが、士爵が代替わりすると、平民に逆戻りだ。

 なので、平民で成り上がりたい者は最低でも騎士爵獲得を目指していた。

 騎士爵まで上がれば、よほどの失敗をしない限り、爵位を保ち、世襲できるからだ。

 かなりの能力と幸運が要求され、道半ばで倒れる者は数多いが――


「制度についてはわかったよ。でも、どうして僕を男爵に? 貴族になりたいわけじゃないんだけども……」

 ミロシュは明らかに困惑していたが、カミルは気にせず話を続ける。


「叙爵式において、中級貴族までは国と王に対して忠誠を誓う。だが、男爵以上の上級貴族はそれに加えて、世界に対してよりよき治世をもたらす誓いを行う。専用の魔法陣の上でだ」

「世界に対して?」

「ああ、国王の即位式でも同様だ。パーヴィリア王国だけじゃない。全ての国で行っている。民主主義政体をとる国では、大統領、首相、議員などが同じように世界に対して誓いを行う」

「施政者としては当然だと思うけども、他に何か意味があるのかな」

「もちろんあるさ。大戦後に結ばれた黄昏条約には、この誓いを果たした者に対して、神々は干渉をしてはならないという条項がある」

「なるほど、クソ神どもを倒せるだけの力を手に入れるまで、時間を稼げるな」

 ルーヴェストンは身体があれば、頷いていただろう。


「この条項は手当たり次第にあさった文献に書いてあった。黄昏条約を推進した神々は、ハイグラシアに神々が過大な干渉が行えないよう、この条文を加えたんだろう。各国の指導者を思いのままに操ることができれば、支配しているのとかわらないからな」

 カミルの言葉を聞いて、思案していたミロシュが反駁する。


「それでも、いくつか抜け道があるんじゃないかな。直接殺しに来なくても、暗殺者をけしかけるとか」

「一般の人間相手なら、それは可能だな。たとえば、始末したい人間の敵を強化するといったやり方もある。そういった図式で数多くの戦いや暗殺があったようだ。しかし、この条文はそういった行為すら制限している。もっとも、戦争を起こされて国ごと排除されれば、どうしようもないが」

 ミロシュ達はまだ知らないが、アウグナシオンがヴルドヌス大陸で仕掛けた戦いがまさにそうであった。


「この条文を作った神々はそれを見落としていたか、戦争にまで至れば自力で排除すべきだと思ったのかはわからんな」

「つまり、ミロシュが上級貴族になれば、その条文がミロシュを守ってくれるってわけね」

 シモナがすぱっと言った。


「そういうことだ」

「うーん……」

 ミロシュは顔をしかめる。


「ミロシュ、ルーの存在を神々に知られれば、ほぼ間違いなくお前は殺されるぞ。それでもいいのか?」

「それは嫌だよ」

「ならば、ルーの存在が露見してもいいように、男爵まで成り上がれ。俺の言っていることに間違いがあるか?」

 ミロシュは渋面で黙り込んだ。両目を閉じて、考える。

 そんなミロシュをシモナは心配そうに、カミルは無表情で見つめていた。

 しばらくして、


「……口でいうのは簡単だけど、平民の僕が男爵まで出世できるのかな」

 と、ミロシュは心許なげな様子で問いかける。


「他の国なら、かなり難しいだろう。だが、今の国王は能力さえあれば、誰でも取り立てる。それにミロシュがその気になってくれれば、俺もできる限りのことをする。俺も国に仕官して、王族としてお前の後見人になり、様々な面でサポートをしよう。少しでも早く出世するためにな」

「……!? カミルはその、それでも問題ないのかい?」

 王位継承に絡む複雑な事情を聞かされていただけに、ミロシュは口ごもる。


「王位継承権は放棄したが、功績をあげていき名声を高めれば、危険がないとはいえないだろうな。俺の存在を快く思わない奴が何人も出てくるだろう」

「だめだよ。そんなの!」

「ハハッ。それくらいなんだというんだ。神々と比べれば、しれてるさ」

「それはそうかもしれないけど……」

「そんなに嫌か?」

「仕官ってことは軍に入る必要があるんだろう? そうなると、任務によっては人を殺さないといけないわけで……」

 ミロシュは人殺しになりたくなかった。

 人も魔物も同じ生命だ。

 すでに大勢の魔物を殺し、手は血塗られている。

 また、生きるということは他者を殺して食らうことだ。

 それは、ミロシュも理解している。

 だとしても、人を殺すということには、踏み切れないものがあった。


「ああ、そういうことか。別に軍に入る必要はない。冒険者として名を売れば、俺がお前を推挙する。すでに高名な冒険者が何人か、勲爵士や大騎士爵で雇われているからな」

「……でも、その後は」

「魔物退治も立派な軍務だ。そちらが主任務になるよう、俺が口ぞえしよう」

「そこまでしてくれるのかい?」

「お前がそれを望むのならな」

「……わかった。カミルがそこまでしてくれるっていうのに、決断しないわけにはいかないよ。力をたくわえて、男爵を目指すことにする!」

 ミロシュはついに決断した。

 カミルが示した道筋以上の選択はないように思える。

 神々を倒せるだけの力を身につけたら、ルーが神を倒しに行くべく暴走するかもしれない。

 ルーを制御しきる自信はミロシュになかった。


「あたしも手伝うから!」

「ならば、決まりだな」

 シモナが意気込み、カミルは軽く微笑む。

 そんなカミルにルーヴェストンが念を飛ばす。


『まさか、男爵になったら終わりってわけじゃないよな?』

『ミロシュはそこまでいけば、平穏に過ごしたいと思うだろうな』

『俺がそうはさせねぇよ。力が身につけば、何としてもクソ神どもを倒しに行くぞ』

 ルーヴェストンの念に物騒な気配が混じる。


『話は最後まで聞け。一柱で神々と戦う愚かさを大戦時に学んだだろう。男爵にいたるまでの過程でミロシュは力を身につけると共に、仲間もしくは利害を共にする奴と結んでいく必要がある』

『クソ神どもを倒したい奴を仲間にするのか』

『神々の存在を疎ましく思うのは、お前だけじゃないだろう』

『それは間違いねぇ。カミル、貴様はどうなんだ?』

『俺は神々に含むものはない。だが、敵対してくるなら、返り討ちにする。そのための準備を整えるということだ。お前にも悪くはないだろう』

『……ひとまずは、それでよしとするか』

『男爵になるのも力を身につけるのも、かなり時間がかかるだろう。その間にミロシュの心境もとりまく状況も変化しているのは間違いない。その時に改めて考えればいい』

『あいつは甘ちゃんだからな。わかった。まずは力を身につけることだな』

『ああ』

 カミルはシモナと楽しく話すミロシュを見やって、少し後ろめたく思う。

 ルーを抱えたミロシュが生き延びるには、先ほど示した道が最善だと考えている。

 だが、国に仕官すれば、人の醜い部分を見聞きし、人相手に殺し合いをするに違いない。

 口ぞえはするが、そういった仕事を完全に排除するのは無理だろう。

 ミロシュをこの道筋にのせるために、カミルは嘘をついたのだ。

 せめて、汚い仕事はできる限り自分がやろう、とカミルは心に秘める。


「もう休んで、明朝はソヴェスラフに戻るとしよう。魔物のあの様子だとソヴェスラフも危ないかもしれない。もし、ソヴェスラフが襲われていれば、住民には悪いが、俺達が名前を売るためのチャンスにできる」

 カミルにそう言われて、ミロシュもシモナも顔色を変える。


「城壁があるし、町は大丈夫だと思いたいけど。ギルドのユディタさんが心配だな」

「きっと大丈夫よ! 騎士団も警備隊もいるんだし」

 三人は明朝に備えて、寝ることにする。

 これからの未来に対して、三者三様の思いを抱きながら。


 ◇  ◇


 時はシモナが右腕を失いながらも、ヤーデグの群れから逃げ延びた頃にさかのぼる。


 ソヴェスラフ魔術士団員のマルチンは鉱山から逃げ延び、ソヴェスラフ北西外縁部のスラムを懸命に走っている。

 襲い掛かる魔物の群れを振りきるために。


 マルチンはソヴェスラフ近郊の村にあるごく一般的な農家の三男として、生を受けた。

 長男は農地を引き継げるが、次男以下は娘しかいない農家の婿になるか、苦しい生活をしながら農地を開拓するか、町にでるしかなかった。

 マルチンは幼少にして簡単な魔法が使えた。

 だから、その才を生かすべく、学費が一番かからない学園の短期コースを卒業して、ソヴェスラフ魔術士団の従士補に採用される。


 従士補には比較的簡単に採用される。

 そのかわり、給料はごくわずかだ。一人分の食費でほとんどなくなってしまう。

 粗末な官舎があてがわれるので住居には困らず、衣服も支給されるのでかろうじて生活できる。


 従士補は能力あるいは幸運によって、働きが認められれば、従士に採用される。

 従士を二十年務めれば、士爵となり、下級貴族の末端に名を連ねることができる。

 といっても、もう一つ上の騎士爵に叙爵されなければ、ほとんど意味がなかったが。


 十七歳のマルチンは、騎士爵以上に成り上がる夢と希望を胸に抱いて、任務をこなしてきた。


(いつかは功績をたてて、従士に。いや、魔術師になって爵位をもらうんだ!)


 ゆえに、魔法の腕を磨いて、チャンスがあれば魔物退治で功績をたてるつもりだった。

 だが、現実はマルチンが抱いていた想像より、はるかに過酷なものだ。


 魔物襲来時に鉱山の宿舎にいたマルチンは、迎撃にあたる。

 だが、魔物の大群を見ると、完全に冷静さをなくした。

 あたりかまわず、魔法を乱射する。日頃の鍛錬で培ったはずの精妙さは失われていた。

 横にいた従士に叱責されるが、「は、はい」とかえすのがやっとだった。


 魔物の圧力に耐えかねて、前線が崩れた時、マルチンは恐怖にかられて、背を向ける。

 従士が何か叫んでいるようだが、ただ逃げることしか考えてなかった。


 鉱山から脱して、北西外縁部のスラムに入ると、正気を取り戻した。

 自分は敵前逃亡をしたのだ。

 魔物と戦っている上司、先輩、同僚をおいて。

 その罪悪感がマルチンを苛む。


 だが、幸いといっていいかどうかわからないが、マルチンが思い悩む時間は短かった。

 魔術師長が命を捨ててまで稼いだ時間は、瞬く間に消費された。


 魔物の群れが北西外縁部にも押し寄せてきたのだ。


 マルチンにもう戦意は残ってなかった。

 だが、制服を着たまま、逃げるのはまずいことに気づく。

 制服を脱ぎ捨て、彼は肌着で逃走する。

 丸い目が特徴的な愛嬌ある顔は台無しだった。


 魔物の群れが押し寄せ、鉱山にもっとも近い地区の住民から魔物の餌食となっていく。

 あくまでも、正式なソヴェスラフは城壁内部だけなのだ。

 見回りをしていた警備隊は、対処不能と知るや否や、逃げ出した。

 義侠心あふれる警備隊員は魔物に抵抗して、住民を逃がすべく誘導する。


 彼らの義侠心は死であがなわれた。


 魔物の叫び声、逃げ惑う群集の悲鳴、貪り食われる住民の血臭。

 スラムは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 そんな中、マルチンはプライドも抱いていた夢や希望もかなぐり捨てて、北西門目指して走っていた。


 北西門に近づくが、門前は逃走する住民でごった返していた。

 人の群れをかきわけなければ、前にすすめない。

 力弱き老人や女子供では前に進めない状況だ。

 怒号が鳴り響き、倒れてしまった不運な人は踏み潰された。


 マルチンは人をかきわけ、かろうじて北西門を潜り抜けるのに成功する。

 彼はひたすら逃げるという最善の選択肢を選んで、生を拾った。

 門前で倒れていた何人かを彼は踏みつけている。

 任務、義侠心に引き止められていれば、彼は死んでいただろう。


 ソヴェスラフ騎士団副長のレオシュ=ボジェクは三十六歳。

 大騎士爵の爵位を持つ彼は、能力人格共に優れ、上司や部下からの信頼も厚い。


 そんな彼は魔物襲来時、騎士団屯所に駐在していた。

 急を知るや否や、彼は大剣をひっさげ、北西門を出て、魔物を迎撃する。


「ハァッッ!!」


 部下二十人と共に、彼は押し寄せる魔物の群れを大剣で斬り下げていく。

 まずは尖兵となっていた魔物と化している狼や野犬のたぐいからだ。

 やがて、オーク、ゴブリン、その上級種、ジャイアントスパイダーやレッドベアーまで襲来するも、彼は懸命に防ぐ。


 だが、彼は撤退を決断せざるを得なかった。

 空から、ヤーデグの群れが近づくのが見えた。

 彼はヤーデグという名前は知らないが、恐るべき魔物というのはすぐに認識できた。


「下がれっ、下がれっ!!」


 追いすがる魔物を撃退しながらの撤退だ。

 さすがの武勇と部下は感嘆する。

 二人倒れて、十八人となった部下は彼に続き、撤退した。


 北西門の雑踏をくぐり抜け、レオシュは駆け登って、城壁上に立ち、様子をうかがう。

 彼の豪胆な顔が悲壮感に覆われた。


 魔物の群れが雲霞のごとく、押し寄せてくるのが見えるのだ。

 脇に立っていた部下達も、顔色は悪い。


 今となっては、魔物の群れだけではなく、空からはヤーデグの群れが逃げ惑う人々に襲い掛かっている。

 正視したくない光景であったが、職務上、見ないわけにはいかないのだ。


 彼は決断を迫られる。

 このまま門を開けていれば、ソヴェスラフ城内に魔物が入るのを許すことになる。

 北西門を閉めなければならない。

 だが、民衆が殺到しているのだ。

 しかもおそらく、全員を収容しきるまでに、門に魔物が押し寄せるだろう。


 レオシュは執政官、警備隊長、騎士団隊長など、上司にあたる人物から門を閉めるよう命令が来ないか祈った。

 ならば、彼は命令によって門を閉めることができるのだ。

 取り残された民衆が死んだのも、命令に従わなければいけなかったから、という言い訳がたつ。

 外部にも彼の心にも、だ。


 しかし、騎士団隊長は鉱山ですでに戦死していた。

 焦る彼に期待していた指示がようやくやってくるが、彼にとって最悪のものだった。

 北西門、北東門における防御は騎士団に委任するというものだ。


 レオシュは執政官からの指示を知って、天を仰いだ。


 ついに、魔物の群れが近づき、北西門に押し寄せるのも時間の問題だった。

 部下達は全員、レオシュを見やった。

 レオシュは断を下す。


「城門を閉めよ! 閉めるのに邪魔する者はあらゆる手段で排除せよ! 一切の責任はソヴェスラフ騎士団副長レオシュ=ボジェクがとる!! これは命令だ!! ソヴェスラフを守るためなのだ!!」

 レオシュの眼は血走っていた。


「はっ!!」

 部下達は返事をかえして、ただちに指示を実行する。


 北西門近辺において、惨劇がはじまった。

 門を閉じるために邪魔な群集を、強制的に排除しだしたのだ。

 隊士も群集もみな、鬼気迫る表情となる。

 槍で、弓矢で、魔法で門を閉じるためのスペースが作られていく。

 罵声が飛び交い、次々と群集が倒れていく。

 隊士とて、良心がないわけではない。

 全員助けたい。

 群集を蹴散らしたいために隊士になったのではないのだ。

 だけど、どうしようもないだろう!

 心の中でそう叫んだ。


 隊士の心と群集の命を糧にして、北西門は閉じられた。

 北東門もほぼ同じ状況で閉じられている。


「弓矢、弩をいつでも放てるようにせよ! 空飛ぶあの魔物が近づいたら、一斉射撃を行う!」

 レオシュが部下に指示を出す。


「はっ!!」

 ヤーデグが何匹も城壁に近づくが、一斉射撃によって追い払われた。

 奇襲さえ受けずに部隊として迎撃できれば、ヤーデグはそれほど恐ろしい敵ではない。

 魔物の群れも攻城兵器など、むろん持っていないので、城壁は越えられなかった。


 やがて、日は落ち、魔物の群れもヤーデグの群れも撤収する。


 ◇  ◇


 執政官も警備隊長も、北辺の危機対応を騎士団に委任したのには理由があった。

 ゴーズァイ六千人は、グ=トヌガンによってソヴェスラフ南郊外におろされていた。

 その対応に追われていたのだ。


 ヨラン王に率いられたゴーズァイ達は、ソヴェスラフへ進撃を開始する。

 ソヴェスラフ南外縁部に展開する警備隊は数百人。

 しかも、長い土壁にまんべんなく配置されているため、一箇所に数人しかいない。


 歩哨からゴーズァイの接近を知らされるも、数千以上と知るや否や、最外郭の土壁は事実上、放棄された。


 ゴーズァイ達が土壁の門から、次々となだれこんだ。

 北部よりまだしもましだったのは、ゴーズァイ達の機動力は北部の尖兵となった狼や犬類の魔物より遥かに劣ることだ。

 また、畑が広がっていることから、人口密度がスラム地区よりも低いのが幸いした。


 それでも、混乱は免れず、大慌てで警備隊も農村部の住民も門へとなだれこむ。

 警備隊長は部下に指示して、城壁による迎撃準備と民衆の避難誘導を手配した。

 かろうじて、北西門のような惨劇とならず、門を閉じるのに成功した。

 全員が逃げきれたわけではないが。


 ソヴェスラフの最高責任者は四十七歳のシュテファン=ベルキ=ドレイシー執政官だ。

 王国第二の都市であるソヴェスラフの執政官は大臣と同格である。

 つまり、儀礼上、伯爵相当として遇される。

 ドレイシー執政官は領地をもたない準男爵家の当主であり、この起用は抜擢といえた。


 国王ヨナーシュ二世は、農政職も商務職も見事に勤め上げたドレイシーの能力をかって、執政官に任命した。

 ドレイシーは任命されて六年目であるが、国王の期待にこたえて業績をあげてきた。

 増税していないにも関わらず、徴税額を増やすことに成功して、工業生産高も上昇させてきたのだ。


 だが、彼は軍務には疎かった。

 国王としては、軍務は警備隊長、騎士団長なりに任せればよいと考えていたが、このような事態は想定外だった。


 人は追い込まれてから真価がわかるという。

 ドレイシー執政官は冷静さを保つのに成功していた。

 まず、北からの魔物襲来については騎士団に委任する。

 魔術師長と騎士団隊長は連絡がとれない状態だが、健在の騎士団副長を信頼していた。

 素人の自分がでしゃばるより、はるかにいいだろう。

 それに、他に頼るべき人物はいなかった。

 警備隊は南のゴーズァイへの対応に手一杯なのだから。


 また、彼はソヴェスラフが完全に封鎖される前に、早馬を数騎、王都へと派遣した。

 援軍を頼むためである。

 魔物が城内にまで進軍してくるかわからないが、予断を許さない状況であった。

 鉱山を取り戻すためにも、大軍が必要だろう。


 冒険者ギルドにも防衛への協力を要請し、武器庫を開いて、武器供与を開始する。

 戦える住民を民兵として戦力にするためであった。


 矢継ぎ早に指示を出したドレイシーは机の上で両手を組み、独りごちる。

「援軍が来るまで、なんとしてでも死守する」


 一方、ゴーズァイ達は農村部を占拠した後、グ=トヌガンに仕える天使達から受け取った梯子を用いて、城壁へと攻撃をしかける。


 ゴーズァイ達は体躯こそ小さいものの、黒い肌で二本の角をはやしている上、単眼だ。

 迫り来るゴーズァイの異形は、城壁を守る警備隊に最初は怯えをもたらした。


 だが、ゴーズァイ単体はそれほど強くはない。

 1対1なら、ほぼ人間が勝つだろう。

 ましてや、城壁というアドバンテージがあり、即席で軍事教練を受けただけにすぎないゴーズァイは脅威ではなかった。


 梯子を昇って来るゴーズァイ達を落石、弓矢、魔法など、ありとあらゆる手段で迎撃し、叩き落していく。

 ゴーズァイが下から放つ弓矢にそれほどの威力はなく、倒れる警備隊の数は少なかった。


 攻撃の様子を見ていたゴーズァイのヨラン王は引き上げを命じた。

 形勢が思わしくなく、落日を迎えようとしており、これ以上の攻撃は難しいと考えたからだ。


 今日は、北でも南でも攻撃をしのぎきって、ソヴェスラフは防衛に成功する。

 多くの犠牲と引き換えにして。

 だが、明日の運命は誰にもわからなかった。

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