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(20) 聖暦一五四二年六月 カミルの告白

 シモナは目を開けるも横たわったまま、少しぼんやりしていた。

 だが、横にあぐらで座るミロシュとカミルの顔を見て、ヤーデグとの苦闘を思い出す。

 ヤーデグに右腕を食いちぎられ、死を覚悟していたのを。


 シモナは、はっとして右を向き、自分の右腕を見る。

 失われたはずの右腕は健在だった。

 シモナは右手を軽く握ってみる。

 感覚があった。

 ただ、それだけに喜びを感じる。


「あたしの右手、どうして……」

 なめらかに動く右手を見つめながら、シモナは小さくつぶやく。


「すっかり良くなったようだな。その右手はミロシュが治した」

 カミルの言葉を聞いて、シモナはミロシュの方を向き、


「ミロシュが!? どうやって!?」

 と、幾分張った声を出す。


「治せるようになったんだよ。それにしても、よかった……」

 ミロシュの両眼がじんわりと涙でにじんだ。


「ミロシュがあたしを……」

 ミロシュの涙が伝染したのか、シモナの両眼も涙で潤む。

 二人はしばらく見つめあった。


 だが、二人だけの世界をある声がぶち壊す。


「もう、起き上がっても大丈夫だぞ。寝ていてもここは床が硬いから、体が痛いだろう。起きたらどうだ」

「え!? 今の声は誰!?」

 シモナは聞きなれない声を聞いて、きょろきょろ見回す。


「ああ、これから説明する。それより大丈夫なら、起きるか。手を貸すぞ」

「ううん、確かに問題ないみたい。一人で大丈夫」

 カミルの助けをことわり、シモナは一人で起きていわゆる体育座りの格好になった。


 三人は車座の形になって向き合う。

 ミロシュはシモナに、学校召喚からルーヴェストンの事とその力を受け入れたことを話す。

 隠していても、もう意味はないだろうから。


 聞き終えたシモナは、ミロシュが危険を冒してまで自分を助けてくれたことに魂が震えるような感情に襲われる。

 感動、賛嘆、欽仰、慕情、いずれとも微妙に異なる。

 これが「人を好きになる」ことだろうかと思うが、それともやや違うように思える。

 シモナはまだ初恋を知らないから、絶対に違うとはいいきれない。

 でも、やっぱり少し違うように思えるのだ。


 言葉は便利なものだ。

 だが、一面不便なものだと、シモナは思う。

 今抱いている感情にふさわしい言葉が思い浮かばなかった。


 シモナにとって、右腕を治してくれたというのは大きな意味を持つ。

 槍を再び扱えるようになったということだ。

 これで、父親を目標にして鍛錬してきたことが無駄にならずにすむ。

 これからも、冒険者として二人の横で戦うことができるだろう。


 ただ命が助かったというのと、まるで状況が違う。

 命が助かっても、右腕を失ったままでは、生きていく手段が極めて限られる。

 現代日本と違って、障害者への公的扶助は一切ない。

 しばらくは、ミロシュとカミルが援助してくれるかもしれないが、いつまでも助けにすがってはいられない。

 二人に悪いし、シモナにもプライドがある。


 となると、魔法が使えないという欠陥があり、頼るべき実家がないシモナには二つの道しかない。

 一つはどこかの教団を頼るということだ。

 ほとんどの教団で貧者、障害者への救済活動を行っている。

 これが、この世界において公的扶助の代わりとなっていた。

 といっても、単なる善意ではない。

 ハイグラシアにおいて、信仰というのは価値がある。

 信仰された神の力が増すからだ。

 つまり、信者を多く獲得できた神官は出世できる。


 利益があるゆえに、貧者、障害者を救済しているのだ。


 といっても、教団の物資には限りがあるし、生きていて信仰を捧げてくれれば、それだけでよいので、最低限の生活しか与えない。

 不具となったシモナの境遇など、考えるまでもないだろう。

 神官に一生頭が上がらず、快適な生活にはほど遠いに違いない。

 最悪の場合、危険な仕事をさせられ、使い捨てにされる。

 そうすることで、神官により多くの利益がもたらされるのなら、ためらいなくそうする。

 善意によって救済しているのではないからだ。

 もちろん、全ての神官がそうではない。

 ただ、多数派を形成しているのはそういう神官だった。


 もう一つの道は、最古の職業といわれる娼婦に身をおとすことだ。

 詳しく語るまでもない。

 潔癖なシモナには耐えられないだろう。

 耐えられたとしても、神殿に頼る生活とは別の苦しみがある。


 そして、もっとも重要なのはシモナがエルフということだ。

 人間の寿命はもって百年。

 だが、エルフの寿命は二百年。

 快適な生活であれば、長い寿命は幸せをもたらすだろう。

 だが、苦しい生活では苦しみも長くもたらされる。


 身体が壊れるより、先に心が壊れるかもしれない。

 かつてのミロシュのように。


 ミロシュのお陰で、シモナはそうならずにすんだ。

 この恩は果てしなく大きい。

 ミロシュはきっと見返りを求めないだろう。

 ならば、自発的に行動するしかない。


 シモナは決意する。

 ミロシュはきっと大きな危難に襲われるだろう。

 これだけの力を手に入れて、平穏な生活が過ごせるとは思えない。

 ミロシュが危機に陥った時、必ず自分が助ける、と強く誓う。

 命でもって助けることができるのであれば、ためらいなくそうする、と。


 そのためにも、自分も力を身につけなければいけない。

 スキルに頼った動きは全て捨て、鍛錬の時間を増やすことにする。

 父親を目標とする気持ちに変わりはない。

 それに加えて、ミロシュの役に立つためにという気持ちが加わる。


 ミロシュのために――


 そんな気持ちが宿ったシモナの瞳は、この時から色合いを変えた。


「――というわけなんだ。それでも、今まで通り接してくれるとうれしいよ」

 ミロシュは少しおどおどする。語尾が心持ち弱い。

 強大な神々が抹殺しようとしている外界の神を宿した異世界人。

 我ながら、なんとうさんくさい存在になったんだと思う。

 この正体を広く知られたら、疎外され、迫害され、最悪の場合、殺されるとミロシュは思う。

 害をもたらす可能性が高い異分子など、排除されるに決まっている。


 カミルとシモナは今まで戦ってきた仲間だ。

 信頼しているし、大丈夫だと思う。

 だが、両親だって家庭が崩壊するまで信じていたが、あっけなかった。

 『絶対』はないのだ。

 このトラウマはルーヴェストンが鬱病を完治させたからといって、取り除けるものではなかった。


「ああ、ミロシュはミロシュだ。俺の気持ちに変わりはない」

 カミルの言葉はしっかりしていた。

 声音は安定しており、ミロシュを安心させるためか、静かに微笑んでいた。


 それに対して、シモナはまだ返事をしない。

 ミロシュは不安そうな表情になる。

 そんなミロシュを見て、シモナは本当にバカだと思う。


(あたしの右腕を治してくれたのはミロシュでしょう! なのに、どうして、もう!)


 シモナは不意に立ち上がった。

 ミロシュの近くに歩み寄って、しゃがみこむ。


「え、シモナ……?」


 シモナは苛立ちともなんともいえない感情のまま、ミロシュに抱きついた。


「どうしたの!?」

「ミロシュがバカだからよ! どうして、そんなことでびくつくの! あたしはミロシュがいなければ、死んでいたかもしれないのよ。僕についてこいくらい言ってもバチはあたらないわよ!」

 シモナの声はところどころ乱れていた。

 ミロシュからはシモナの顔が見えなかったが、泣いているのだろうかとミロシュは思う。


「あたしはたとえ、ミロシュが勝ち目のない戦いをすることになっても一緒に戦う! ミロシュが死んだら、あたしも死ぬから!」

「ええっ……!?」

 ミロシュはシモナの言葉を脳内で反芻する。『僕が死んだらシモナも死ぬ』それって、まさか、と考え始めるが、その考えが中断された。

 なぜかというと、途端にシモナの体温や身体の柔らかみを意識し始めたからだ。

 また、髪やうなじのあたりから、甘い香りが漂ってきた。


 ミロシュの顔が真っ赤になる。

 そういった経験が今までにないミロシュは、ぽーっとなった。

 二人だけなら、さらなる展開が待ち受けていたかもしれないが、この場にはもう二人いる。


 カミルは二人の邪魔をしないよう、丁重に二人から目線をはずしていた。

 軽く笑みを浮かべながら。

 カミルの真逆の反応だったのはルーヴェストンだ。


『ミロシュ、ルーだ。念話でお前だけに話しかけてる。声に出さなくていい、念だけで返事しろ』

『あ、ああ、なんだい』

 抱きついてるシモナがあまりにも心地よくて、それに浸っていたミロシュは意識を取り戻す。


『この女はお前が好きだな。かなりメロメロだ』

『ええっ、そ、そうなんだ。シモナが僕を……。でも、ルーの勘違いなんじゃ』

『俺は神だぞ。俺を信じなくて誰を信じるんだよ!』

『……この前は慎重さが重要だって言ってなかったか』

『俺以外には慎重に対応しろ。俺は全てを信じろ』

『…………」

 ミロシュの中では、シモナとの甘いムードがぺきぺき音をたてて壊れていった。

 表情に渋みが増してくる。


『お前はツラがいいし、命がけでこいつの腕を治した。それにあの台詞にこの態度だ。お前も気づいてるんだろ?』

『……え、それは』

 ミロシュはまた、シモナのことを意識しだす。

 シモナはかわいいだけじゃない。

 倒れた時に甲斐甲斐しく世話もしてくれたし、一緒に死ぬとまで言ってくれた。

 意識しないほうがおかしかった。


『だからな。二人だけの場所をつくって、やろうぜ』

『何を?』

『セックスに決まってるだろうが』

『ええっーー!?』

『お前はやったことないだろ。心配するな、俺が教えてやるから。こんな身体になって、ご無沙汰だからなぁ。食い物の他にそれも楽しみなんだよ。気持ちいいぞ、お前もやみつきになるから』


「じょ、冗談じゃないっ!!」

 ミロシュはつい大声を出してしまった。

 シモナはびっくりして、ミロシュから身体をはなす。


「ど、どうしたの?」

 驚きというより、自分がはしたなかったことに気づいて、顔を朱に染めたシモナが問いかけた。

 カミルは、どうせルーが何かしたのだろうといった目をミロシュに向けている。


「あ、いや、僕は神と戦うつもりなんてないから。といっても、危険なことを全くしないわけにはいかないだろうね。けど、勝ち目のない戦いなんて、できる限りしないようにする。ましてや、シモナをそんな戦いには巻き込まないようにするってことだよ」

 ミロシュはかろうじて、つじつまをあわせた。

 最初は目が泳いでいたが、話をしているうちに落ち着いてきた。

 今話したのが真情だったからだ。


「……そうよね。でも、あたしがそれくらいミロシュのことを思っているって伝えたかったの」

「ありがとう、シモナ」

 二人は軽く目があって、にっこりする。

 一方、ミロシュはルーヴェストンに釘を刺す。


『ルーが滅びるまで、僕はそんなこと絶対にしないから』

『それこそ冗談じゃないぞ!』

『ふざけるな。お前に見られて指導されながら、そんなことなんて……できるわけがねぇだろ!!』

『本当に怒ってやがるな。言葉遣いが汚いぞ』

『やかましいっ!』

『その覚悟、いつまで続くか楽しみにさせてもらうぜ。もうお前の病気は治ったんだからな。欲望の高まりが――』

 ミロシュはルーヴェストンの念が聞こえないよう、シモナと他愛のない会話をする。

 本当に大丈夫かい? うん、この通り など、微笑ましいものだ。


 そんな二人と一柱を静かに見守っていたカミルが頃合とみて口火をきる。

 いつのまにか、ルーヴェストンの念話も終わっていた。


「俺からも話がある。聞いてくれないか」

「どうしたんだい?」

 と、ミロシュはこたえながらも、おそらくルーヴェストンが黙っていてくれと頼んだ話ではないかとあたりをつけていた。


「俺もいくつか隠し事をしていた。今後、俺達がどういう行動をとっていくかを決めるためにも、話しておこうと思う」

 カミルの言葉に二人は軽く頷いた。


「ミロシュはアメリカという国を知っているな?」

「あ、ああ」

 ミロシュは生返事を返す。

 まさか、ここでアメリカという単語を聞くとは思わなかったから。


「ミロシュはアウグナシオンにミドガロールから召喚された。なら、俺はミドガロールにある国の一つアメリカで死んだ後、このハイグラシアに転生してきた。つまり、生まれ変わりという奴だ」

 ミロシュもシモナも驚くばかりだった。カミルの話は続く。


 カミルの家は貧しく、奨学金を利用して進学した。

 勉強に勉強を続け、飛び級を利用して十八歳で大学を卒業。

 弱冠十九歳にして、大学の助手として勤めていた。

 専攻は遺伝子工学。シモナには生命の謎をつきとめる学問と説明した。

 高校生だったミロシュでも知っているような学術雑誌に論文が掲載され、その分野ではすでに名が知られていた。


 前途洋洋たるカミルを襲ったのは数発の銃弾だった。

 休日に町で買い物をしようとしていたカミルは、銃の乱射事件に巻き込まれたのだ。


「あの時は痛かったが、それはどうでもよかった。ただ、俺は何事も為してないまま、たった十九で死ぬ不条理を呪った。俺は何もできなかった。俺は……」

 カミルの全身に暗い迫力が宿り、ミロシュもシモナも少し圧迫感を感じる。


「……それが前世での話だ。ハイグラシアに来てからについて話そう」

 カミルの瞳に灯されていた暗い炎は、ひとまずなりをひそめる。


 カミルの本名はカミル=ダニェク=ブラーハ。

 パーヴィリア王国の王家はブラーハ家だ。

 歴史的にはブラーハ朝パーヴィリア王国と称される。

 つまり、カミルはパーヴィリア王家の一員であり、現国王ヨナーシュ二世の甥にあたる。


「貧しい境遇から一転して豪奢な王族だ。ハハッ、俺を転生させたのが誰か知らないが、バランスをとったのかもしれないな」

 ミロシュもシモナもカミルが王家出身というのに再度驚く。

 いくつか質問しようとしたが、その前に気づいてしまった。

 カミルは顔で笑っていて目が笑ってないことに。

 二人は黙って、カミルの話を聞くことにする。


 カミルの父は国王の同母弟にあたるアーモス=ドベシュ=ブラーハ。

 カミルがミドガロールから転生してきたと知ったのは、十一歳の夏だ。

 外出時に誘拐されそうになったとき、頭をうった衝撃で前世の記憶が戻った。


 幸いにも、十一歳までの記憶もおぼろげに残っていたので、かろうじてこれまで通り振舞えた。

 多少は様子がおかしいと思われたかもしれないが。


 まずはこの世界を知るべく、カミルは情報を集め始める。

 王族という立場は情報を集めるのに便利だった。

 だが、便利なだけではなかった。

 礼式などに無駄な時間をとられるし、誘拐されかけたように危険もあった。


 十二歳になってからは、王都において社交界にデビューしなければならない。

 国王の甥という立場にわがままは許されなかった。

 優秀な人物、廉直な人物と知り合えたのは、カミルにとって幸いなことだった。

 だが、それ以上に恋愛沙汰にしか興味がないような有象無象が多すぎた。


 端正な容姿を持つカミルは、王族という立場とあいまって、貴族の娘が次々と集まる。

 しかし、生物学者という前世を持つカミルにとって、それらの娘は話し相手にすらならなかった。

 そのような時間の浪費の合間に、カミルは自分が現世で何をなすべきか思索する。


 カミルの前世における目標は、専門分野において、前人未到の業績をあげることだった。

 自分が世界で最初に新たな発見を成し遂げるというのは、素晴らしいことだと思う。


 前世で果たせなかった夢を、この世界にふさわしいやり方で成し遂げたいと、カミルは強く思っていた。


 だが、なかなかいい目標は思い浮かばなかった。

 まず、地球にあってハイグラシアにない技術の移植を思いついた。

 王弟の三男という立場を利用すれば、それは可能だと考えたのだ。


 しかし、それはやめることにする。

 その行為はオリジナルではないからだ。

 地球で発明された技術をコピーしているだけにすぎない。

 また、その技術に使う富は自分で稼いだものではないということに、ひっかかるものがあった。

 なので、技術移植は意味があることだとは思うのだが、カミルは乗り気になれなかった。


 次は魔術に興味をもった。

 魔術を極めて、新しい魔術を作ることが出来れば、オリジナルな発見となるではないか、と。

 だが、よくよく調べるとそれもまた茨の道だった。

 現代地球では、論文が学術雑誌に掲載されることによって、新知識が体系的に構築されていく。

 しかし、ハイグラシアではもちろん魔術学会誌などない。

 思い思いに魔導師が著作を残しているが、魔術の深淵まで書かれたかどうかわからない。


 つまり、自分で新発見だと思っていても、他者がすでに発見しているかもしれないし、そうかどうか確認する術すらないのだ。

 さらに、魔術の分野では、高魔力にして長寿のハイエルフが極めて優れていた。

 人間の身ではあまりにもハンデが大きいのだ。

 アンデッドになって永遠の寿命を得る秘術もあるらしいが、カミルにその気はない。


 目標が定まらず、時間の空費に鬱屈する日々をカミルは過ごした。

 だが、神々の存在に着目してから、発想が大きく変わってくる。


 大戦後、確かに神々はハイグラシアから退去した。

 しかし、実質的にハイグラシアを支配しているのは、まだ神々ではなかろうか。

 カミルはそう推察する。

 王族という立場を利用して、カミルは手当たり次第に神々についての文献を探り始めた。

 調べれば調べるほど、その推察が正しいと思えるようになった。


「俺が何事かをこの世界で為しても、それは全て神々の手のひらの上で踊っているだけかもしれない。俺はそう思うようになった」

「ほう、話が少し面白くなってきたな」

 ルーヴェストンが口を挟むと、カミルはミロシュに鋭い視線を向ける。

 ミロシュはたじろぐが、いいとばっちりだった。


 カミルはいたずらに焦るのをやめ、何事を為すにしても強さを身に着ける必要があると考えた。

 知識の収集と心身の鍛錬。カミルは十六になるまで、それを続ける。

 転機となったのは去年、十六歳の時だ。


 カミルには二人の兄がいる。

 いずれも資質に優れ、カミルにとって性格も好ましいものだった。


 国王ヨナーシュ二世は、若い貴族の子女に政治的な問いをすることがままある。

 若者の資質を見極めるためだ。


 長兄は衆人環視の中で、国王の問いに対して見事な回答を返す。


「余もそう考えていた。そなたであれば、大事を任せることができそうだな」

「ありがたき幸せです」


 長兄は面目を施し、帰宅した。

 その長兄に対して、父は叱責したのだ。


「言わなくてもわかると思っていたが、言わねばわからないか」

「何のことでしょう、父上?」

「陛下の前で才気を見せるな。いや、できる限り、差し出がましい振る舞いをするな」

「なぜでございましょう?」

 長兄は不満げな表情になる。


「お前はそこまで愚かであったのか。ルジェク殿下とミクラーシュ殿下をこえてはならぬのだ」

 ルジェクとミクラーシュはヨナーシュ国王の実子、つまり王子だった。

 カミル達兄弟のいとこにあたる二人とも、凡庸と聞こえていた。

 父にそういわれた長兄はうなだれる。


「……かしこまりました」

「そなたら二人もよいな」

 傍にいた次兄もカミルも「かしこまりました」と返事をかえした。


 また、このような事もあった。

 王都において、御前武術大会が行われた。

 武術に優れた士を登用するため、また、民衆に娯楽を提供するために行われるものだ。


 次兄は剣の腕前に優れていた。カミルでは到底及ばない。

 たて続けに勝利を続け、大会では三位入賞を果たした。


 帰宅した次兄は父によって、左肩を杖で殴られた。


「私の言ったことがわかってなかったのか!」

 王子二人は大会に参加していなかったが、剣の腕前は芳しくなかった。


「も、申し訳ありません。父上!」

「いいや、まだわかっていない。痛みでそれを知れっ!」

 さらに二発ほど、父は次兄を杖で殴った。

 父の顔に浮かんでいたのは怒りではなく、哀しみだった。


 傍で見させられていたカミルは、父の振る舞いを理不尽だとは思っていない。

 現国王ヨナーシュ二世は王位継承時に異母兄を殺害して、即位していた。

 父はその後、公爵に封じられたが、その領地は異母兄に味方した大貴族が所有していたものだ。


 同母兄弟である国王と父の仲は悪くない。

 それどころか、かなり良いといってもいいだろう。

 父の態度が変わったのは、国王が王子二人の凡庸さを父に愚痴ってからだ。


 その時、父は自分の息子達が王子達をこえる名声を獲得しては、将来で問題になると思ったのだろう。

 国王が死んだ時、新たな王位継承争いが行われ、自分の息子達が大貴族に担がれる可能性が出てくるからだ。

 また、国王は決して甘い人物ではない。

 将来の禍根を絶つために、息子達に危害を加えるかもしれない。

 異母兄を殺した国王が、甥を殺さないとどうしていいきれようか。


 全てはカミルの父であるアーモス=ドベシュ=ブラーハ公爵の持つ優れた知性が、息子達を守るために為していたことだった。


 その後、カミルは様々な思案をした結果、王位継承権を放棄して、冒険者になることにした。

 父に話をするが、カミルの予想通り、すんなり認められた。


 カミルが旅立つ日、屋敷の門前にて父がカミルに話しかける。


「冒険者というのは過酷なものだ。戦えない身体になれば、戻ってくるんだぞ。一生の面倒はみる。まともに動けない身体になっても、お前は賢い。おそらくは私以上にな。学問で身をたてればいい」

「……父上、ありがとうございます」

 優しい父の眼差しがカミルに注がれていた。

 父の両手がカミルの肩にかけられる。


「私はいたらない父であったが、お前を息子として心から愛している。達者でな」

「はい、行って参ります」

 カミルは前世の記憶があるのを恨めしく思う。

 どこまで、自分はこの立派な父の息子でいられたのか、と。

 前世の記憶が邪魔をして、甘えることもできなかった。

 転生時、人が記憶を失くすのは正しいことなのだ。

 カミルは強くそう思った。


 カミルが馬車に乗り、屋敷を去っていく。

 父は馬車が見えなくなっても、しばらくはその場に立ち尽くしていた。


「もっとも、母と兄二人を説得するのは苦労したがな。為すべき目標は定まっていなかったが、何をするにしても力が必要だ。俺はハイグラシアをそういう世界だと理解している。危険は大きいが、冒険者は力を得るためには最短の近道だ。それと、前世の記憶があるからだろうな。王族という地位も約束されている資産も借り物としか思えなかった。俺は自力で生きたかったんだ。だが、一人では生きていけない。仲間が必要だ。俺は二人と出会えたことを幸運だと思っているよ。話は以上だ」


 カミルの話に聞き入っていた二人は思い思いに感想をかえした。


「なんだか、圧倒されたよ」

「……すごい人生だったんだね」

 といっても、あまりにも二人の生活とはかけ離れていたため、その程度にしか返せなかったが。


「そうでもないさ。二人の人生もなかなかの激動っぷりじゃないか。特にミロシュはな」

 カミルは軽く笑い、ミロシュは苦笑するばかりだ。


「さぁ、これからどうするかだ。俺に一つの提案がある。聞いてくれるか」

 カミルの言葉に二人は頷いた。


『あれを話さなくていいのか?』

 ルーヴェストンの念がカミルのみに飛んだ。


『何の話だ』

『わかっているだろう』

『知らんな』

『いいだろう。“武士の情け”って奴だな。ミロシュの知識から拾ってきた』

『お前が武士を名乗るか? だが、余計な事を言わなければそれでいい』


 カミルは意図的にある一つの事実を説明しなかった。

 二人を混乱させるだけで、今後の展望に何の関係もないからだ。


 カミルの前世における名前はケイト=スタインハート。

 女性であった。

 現世で男性になり、身体の違いに慣れるのは苦労した。

 だが、それだけだ。


 目的を見定め、全力でそれを成し遂げる。

 その過程において、性差など関係がないのだ。

 事を成し遂げた後で為すべきことがなくなれば、死んでも悔いはない。

 カミルにとって恐ろしいのは、死ではなく漫然たる生であった。

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